Chapter 2 : Westering
スペリオール湖北岸の町Thunder Bayを夜明け前に出発しながら、Neilは、'93年のクリスマスのできごとを、回想します。
毎年、NeilとJackieさん、Selenaさんは、QuebecにあるHouse By The Lake(湖畔の家)で過ごしていて、
この時も、またそうでした。
「僕たち、小さいがしっかりと結びついた家族3人にとって、クリスマスはいつも特別の時だった」
と、Neilは述解しています。Selenaさんは毎年、「クリスマスタウン」の箱庭を作っていて、それは
小高い山や点在する小さな瀬戸物の家、本物の煙を上げて走るミニチュアの電車など、かなり凝ったもの
だったようです。それは、「クリスマスの儀式への、彼女の愛情表現」だったと言います。
フランク・シナトラ、ナットキング・コール、ハーレム・ボーイズ・クワイアや、特にお気に入りだという
「チャーリー・ブラウンのクリスマス」などなどのクリスマスCDをかけ、さらに奥さんの妹Debのご主人Mark(この人もミュージシャンなのだそうです)
さんがアコースティック・ギター、Selenaさんがフルートとアコースティック・ギター、Neilがマリンバ、という
ラインナップで、クリスマスソングを生演奏もしたそうです。
その年のクリスマス、Neilが難しいマリンバのパートを練習していると、外に車のエンジン音が聞こえ、
奥さんが呼ぶ声が聞こえました。
「あなたによ、ニール」
外に出てみると、Jackieさんの兄弟Keithが、ピックアップトラックの荷台にバイクを積んで、到着したところでした。
それが赤いBMWです。「もうそろそろ自転車を卒業して、バイクにしたいな。バイクを買うなら、BMWがいいな」
常日頃そう言っていたNeilに答えて、奥様は希望どおりのバイクをプレゼントしてくれたのです。それも、Neilが好きな
赤い色のバイクでした。
年が明けて1994年には、Counterparts Tourが5月初めまであります。そのツアーの合間の4月、
10日ほどオフができた時に、トロントでAlexと一緒にバイクの教習に通います。Alexもたまたま同じ冬に
バイクの魅力に取りつかれ、ハーレー・ダビッドソンを買ったので、二人で免許を取ろう、と思ったのでしょう。
意外な事実なのですが、実はNeilはあまりスポーツが上手ではないらしく、本人曰く、「手足を独立して
動かすのは得意だけれど、協調して動かすのは得意じゃない」ということです。 Alexは試験をあっさりと、
トップクラスの成績でパスしますが、Neilは二度も落第。先生のスペシャル教授を受けて、3度目でやっと合格します。
Counterparts ツアーが終わった夏、NeilはBrutusさんと初めてバイクでノヴァ・スコシアまで遠乗りに出かけます。
Brutusさんは、Jackieさんの一番の親友であるGeorgiaさんの旦那様で、初めは奥さん同志が友達だから、
という感じで付き合い始めたのですが、このバイク旅行ですっかり意気投合し、NeilとBrutusさんは
同じく「一番の親友同志」となるわけです。
その夏から、二人は何度もバイク旅行に出かけます。(イエローナイフにツーリングに行ったとき、
Neilはイヌイシュクを知り、それがTest For Echoのカヴァーになりました)
そして楽しい休暇は過ぎ、1996年にはRushは「Test For Echo」をリリース。秋からツアーが始まります。
(以下、本文より引用)
「僕はどうやって、またやってくるロックツアーを耐えて行こうか、と考えはじめていた。(ツアーは)
どうしようもない退屈さと、絶え間ない消耗、それにサーカスのような狂気が入り混じったものだと、いつも思える。それは
僕のじっとしていられない、独立を好む、プライベートな気質とは、到底合い入れないものだった。
逆説的に聞こえるかもしれないが、僕はツアーの準備をしている間は、楽しいのである。バンドとしてリハーサルをし、
「パーフェクトなショウ」を目指して働く、張り詰めた熱意を分かち合うのは好きだし、最初のいくつかのショウでは、
ステージに出て、大規模アリーナを埋めた1万から1万2千人の観客たちに向き合うと、アドレナリンが噴出してくる。
だが、だいたい3回目のステージあたりで、「上手くやれて」しまうと、バンドもクルーも観客も、「卓越したパフォーマンス」の状態に固定されて
しまう。僕に関する限りは、それで、もういい。僕の仕事は、良いショウをすることだ。ゴールに達した。
挑戦は成し遂げられた。懸案は解決した。もう家へ帰って良いかい?
ことは、そう単純にはいかない。だが僕にとっては、残りのツアーは、良くて毎晩毎晩同じ経験を繰り返そうとすること
に過ぎなくなっている。しかし、これもそう単純には、いかないのだ。水準に満たないショウをしてしまった時には、
僕は落ちこみ、自己嫌悪に陥る。上手く演奏できた時にも、結局は自分に期待されたことを成し遂げたに過ぎない。
そこには、何も興奮させるようなものはなかった。僕にとっては、ツアーは長く、絶え間なく続く苦行、
くたくたに疲れさせ、精神を破壊するものに、なり得てしまうのだ。ステージに上がっている時間だけでなく、
移動や待ち時間、ホテルからバスへ、アリーナへ、そしてまたホテルへと、細切れの混乱が何ヶ月も続くのである」
そこでこういう状況から少しでも気晴らしをしようと、Neilは'80年代から'90年代初めまでは
移動がてら、自転車でツーリングをしていたわけですが、今回はバイク・ツーリングを試みるわけです。
T4Eのロゴ(イヌイシュク)を描いた専用ツアーバス(スクーター・トラッシュ号と命名)に2台のバイクを積み、
バンドとは別スケジュールで、Brutusさんとともに、ツーリングしながら移動して行く、この方式はVapor Trailsでもそのまま継承されていました。
(ただ、VTツアーの相方は、スタッフでしたが)
1996年の夏は、Neilにとって充実した実りある日々だったと述解しています。「Test For Echo」は、
ドラマーとしての自分にとっての一大傑作だという自負が持て、「Work In Progress」が完成し、
「The Masked Rider」も出版。その後に続いたTest For Echoツアーも、Brutusさんとのツーリング
のおかげで非常に楽しくこなせ、そのツアーが終わったのが、1997年7月4日。そこからわずか1ヶ月あまりで、
運命は暗転してしまうのです。
そして1998年の夏である今、「あれからすべてのものが変わりすぎた」 今、一人で旅をしている。
以前の自分は、自分ではなく、「あの男」と、他人のように感じてしまう――
回想から戻り、Thunder BayからManitoba、Wennipegを経て、Yellowhead Highwayを走り、Edmontonへ。
ここまでは非常に早いペースで、1日1000キロ前後を走り、到達します。周りの景色の美しさや、
野鳥たちに慰められ、「ここ1年ほどの間より、ずいぶん良い気持ちになった」と感じ始めてもいます。
そしてEdmontonを出て、最初に給油すべく止まったスタンドで、若い従業員から手渡されたノズルが、実は
ディーゼル用の軽油だったと、だいぶ入れてしまってから気づきます。明らかにその10代の新人さんのミスなのですが、
Neilも 「あなたの車はディーゼルですか?」と聞かれるまで、「やけに泡が立つな」と思いつつも、気がつかなかった。
(ディーゼル用ノズルはしばしば緑で、実際渡されたのも緑だったのですが)大慌てで軽油を抜き、ガソリンを入れかえるのですが、
すでに遅く、走り出してまもなく、バイクは止まってしまいます。 Neilはやむなく先ほどのスタンドへ引き返し、
そのスタンドのオーナー、従業員総出で、あれこれ処置をしてみるのですが、時間がたつばかりで、直りません。
Neilはポカをやった少年に対しては寛大なんですが、この事態には焦りを感じたといいます。ついに4時30頃、
Edmontonのディーラーに出張してきてもらって、やっとエンジンが息を吹き返します。
ところでこのガソリンスタンドの人たちは、オーナー以下の従業員たちを、NeilはNative、つまりインディアンだと
最初は思ったのですが、出発の時、「東洋人には大きすぎる(バイクだ)ね」と言ったオーナーの言葉で、
中国人だと気づきました。そして、人種――「ルーツ」に思いをはせます。
「でも、もはや自分にはルーツはないのだ」
思いがけないトラブルで、1日の大半を浪費してしまったNeilは、日が暮れる前に少しでも先へ行こうと、
猛然とハイウェイを飛ばし始めますが、スピードを出しすぎて、二度目の警察のご厄介に。
幸い、この人は免許証を見てもピンとこなかったらしく、「自分もトロントにいたことがある」と言っただけで、
状況を説明すると、同情してくれ、キップの罰則を少し甘くしてくれました。そして、そんなに急がなくとも、
日が暮れる前には、Grande Prairieに着けると請合ってくれ、実際6:30には到着できたそうです。
このシーズン、カナダは土木工事の季節で、労働者たちで町は賑やかでした。そして食事に出かけた中華レストランで、
一人の婦人が、オーダーを忘れられた、と若いウェイターに食ってかかる場面に出くわします。どうやらそのウェイターは
今日仕事についたばかりの新人で、「ああ、また運の悪いルーキーが」と、Neilは同情的な目で見ています。
そして意気消沈している彼に、「気にしなさんな」と、慰めの言葉をかけるのです。
その晩、モーテルの部屋でフランク・シナトラのスペシャル番組をたまたま見、泣きそうな気持ちになります。
「彼は本当に偉大だから、そして、たぶん、彼がもう死んでしまったからだ。またもや、亡霊だ――」
翌日は朝6時前に出発、Dawson Creekで給油と朝食、Alaska Highwayに乗り、北西に向かって行くにつれ、
寒くなります。Fort Nelsonで、スープを飲んで暖をとり、AnthemのスタッフであるSheilaさんに携帯で連絡をとります。
一人旅とは言え、状況を知らせて欲しい。どこにいるのか、それと、なにか不都合があったり、必要なものがあったら、言って欲しい、
というAnthem側の要請で、旅の間、時々連絡をとっていたようです。Anthem側に伝わった情報は、すぐに家族や友人たちに
行き渡り、彼らもNeilの消息を知ることができる。
一人で旅をしているが、こんなに大勢、自分のことを気遣ってくれている人たちが後ろ盾にいる。それが心強い。
悲劇の当初は、人に対して無関心、もしくはイライラしがちで、つらくあたりがちだったけれど、今は皆がいかに
自分を気遣ってくれたか、力になってくれたかに気づき、感謝の気持ちを感じている。
「人生は素晴らしい、でも人々にはうんざりする、僕はそう思っていた。でも今は思うんだ。
人生には、うんざりする。でも人々は素晴らしい、と」
NeilはTorontoの家を売りに出すことにし、その手続き一切をAnthemに一任するのですが、その件について、
Sheilaは「家が売れそうなので、Ray(Rushのマネージャー、Ray Danniels氏)が話をしたがっている」と
Neilに告げます。トロントの自宅にも多くの愛着があり、幸せな記憶があり、その記憶、愛着ゆえに
そこに住むのは耐えがたく、売却を決心したNeilですが、いざ売れそうとなると、やはり心が揺れます。
そしてRayに電話をするのですが、つながらず、そのまま旅を続けます。
「僕の心は、旅の中で作り上げられた世界――景色やハイウェイ、野生の生物といったものに、まだ反応する。それだけでなく、
僕は人々に対しても、反応し始めた。見知らぬ人たちにさえ。ガソリンスタンドの少年、東洋人"インディアン"たち、しょげきったウェイター、
『僕もかつてそうだった愚か者』――明らかに、その人たちのことを気にかけている。この共感は最近の僕には、稀な感情だった。
すべての情感は、ただ一つのパラダイム(喪失!)へと行きついてしまっていて、他人に対する感情も辛らつで、嫉妬深いものだった。
それはつまるところ、『なぜおまえは生きているのだ!』(そしてもちろん、「彼ら」ではない)という、怒りを帯びた詰問に
なりえてしまうものであった。
そして今、僕は自らの勇ましく新しい世界のなかに、他人を受け入れ始めているようだ。そしてたぶん、この『癒しの道』
を旅していくにつれ、僕は再び他者を好きになり始めるかもしれない。どんなことも、可能なのだろう。しかし、旅の途上で
見出す真実や美しさがもたらしてくれる貴重な瞬間がある一方で、暗黒の呪文にかけられ、泣きたくなるような絶望を感じる瞬間も
毎日訪れるのだ」
その日は622マイルを走り、Muncho Lakeの湖岸にあるNorthern Rockies Lodgeというところに泊まります。
ここは、'96年にBrutusさんとYellowknifeまでツーリングに来た時に、泊まったことのある場所なのだそうです。
そしてここで初めて移動を一休みして、翌日は近隣のハイキングに行き、リラックスした1日を過ごします。
その中で、Selenaさん、Jackieさんの思い出を、悲しみだけでなく、幸せな記憶を
よみがえらせ、さらに自らの人生を思い出して、『かつての自分はひどく愚かだった』と思うのです。
これがフロイトの言うところの、「グリーフワーク」の一環なのだろうと思いながら。
「たぶん、それでも、僕にとって良いことなのだろう。気がつくと、僕は自分のことをかなり頻繁に語っていて、
笑ってしまう。でも、それでいい。どうなるか、見てみよう」
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