Ghost Rider (Part 11)

最終章も、全文訳で締めくくりたいと思います。




第18章 エピローグ :それからのち



 二つの磁極から発生する
 太陽フレアの中、愛は生まれる
 それはよりいっそうの高みを目指していく
 二つの半身が、二つの完全なものとなれる場所へと
        (「スピード・オヴ・ラヴ」 1993年)

 ロスアンゼルスについて、一日もたたないうちに、アンドリューがキャリーを、本物の僕の歓喜の天使に、 引きあわせてくれて1週間もしないうちに、そしてそれから一月もたたないうちに、僕らは深く愛し合うようになり、 そしてそれから1年もたたない間に、僕らはサンタ・バーバラでおとぎ話のような結婚式を挙げていた。

 キャリー:
 美しく、聡明で、教養に富み、洗練され、芸術を愛し、愛情豊か
 深い緑の瞳、長い、濃い色の髪、輝くような微笑
 背が高く、すらりとして、均整のとれた、素晴らしいスタイル
 半分はイギリス系、半分はスエーデン系、生粋のアメリカ人、すべて僕のもの
 敢えて口には出せなかった、夢にすら見なかった、心の祈りに答えてくれたもの。キャリー。
 友人であり、魂の伴侶であり、恋人、そして妻、これから乗り出して行こうとする新たな旅路、最も素晴らしい冒険。

 僕らが出会った後、しばらくの間、僕はこの突然訪れた救いの手を受け入れることに、抵抗を感じていた。 いまだに自分のことを、燃え尽きた抜け殻より少しだけマシなもの、程度にしか考えられなかったからだ。このメタファーは、 「一度燃えてしまった(火傷をした)もの」という、広義の意味も含んでいる。たぶん、僕の赤ん坊の魂は、一回ではなく もっと何度も、心を焼き焦がしたことだろう。しかし、西アフリカの人々は、これに対して、違う意味のことわざを持っている。 「一度燃やされた木は、より簡単に火がつくようになる」 それとも、ポンデローサマツやセコイアの種のように、 新たな生命を芽吹くためには、一度燃やされなければならない、そんなようなものかもしれない。

 アンドリューとそのお相手と一緒に、ハリウッドのレストランでの、僕らの出会いはいくぶんぎこちないものだった。 その後、キャリーと僕はアンドリュー(やる気満々の、ちょっとした仲人だ)に誘い出され、彼とその愛犬――気立ての良いジャックラッセルテリアのボブとともに トパンガ州立公園へハイキングに行った。キャリーと僕は道中ずっと一緒に歩き(アンドリューは気をきかせて、ずっと前をボブと歩いていた:僕らの監督、といったところか) 僕らは世界について、その中における人生について語り合った。それでも僕はかたくなに、それを「デート」だと認めることや、なんであれ事を起こすことを拒否し、 次の日には、心も軽くまた旅立って行ったのだった。
 1週間か2週間後、どうしてだか、またロサンゼルスに舞い戻ろうとしている僕がいた。キャリーと僕は初めて二人だけでデートをし、ラグナビーチのレストランで食事、 そしてリッツ・カールトンで飲んだ。その時もまた、僕らは気持ち良く語り合い、親しい雰囲気を感じるようになった。でも、気のあるそぶりなどは見せなかった。だが、レストランで たまたま離れた所から彼女を見やった時、一瞬かいま見えた、無防備な彼女の表情。その一瞬、時間は止まり、すべては変わってしまったのだった。 この雄弁な一瞬、僕のかたくなな心は溶け去り、再び愛に満ちた国へと戻ることができたのだった。

 それでも、良くあることだが、僕は自分の気持ちに気づかず、再び旅に出ていった。(キャリーからも遠ざかって。彼女は僕を、永遠に黒のレザースーツに身を固め、冒険を求めて愛車を乗りまわしている、彼女の「征服王」と、呼ぶようになっていた)そしてまた、僕は再び舞い戻りたくなっているのに気づいた。 この時には、僕はこの女性の疑いもない「権利」に抗うことが、難しくなっていた。そしてキャリーが住んでいるサンタバーバラに2日滞在した時、それが ゴーストライダーにとっての、一切の終わりだった。
 それでも、「征服王」は再び旅に出た。スティーヴンと僕は12月の半ばにツーソンで落ち合って、彼の義父のハンマーでもってメキシコ叩きをしに行った。(それはまた別の物語だ) でも僕は、キャリーのことを思うのを、やめられなかった。旅に出て数日後、僕は彼女に電話をかけ、週末にカボ・サン・ルーカスで僕と会ってくれと頼んだ。 それから、スティーヴンと僕はいったん、つつがなくクリスマスをやり過ごしたあと、僕は湖畔の家に飛行機で戻り、キャリーも来てくれた。 燃え輝く愛と、炎のような希望に満ちた、新しいミレニアムを迎えるために。

 2000年の1月、キャリーと一緒にいられるよう、僕はサンタモニカに移住した。彼女はその地で写真家としてのキャリアを芽吹かせようとしている所だったし、僕はといえば、 彼女のほかには、何もなかったからだ。僕は再び、「つむじ風に巻きこまれたような」思いを感じていた。新たな喜びに、感情が高く舞い上がる日があったと思うと、その次には、おなじみの惨めさの中に突き落とされる。 それでも、それはすべて上向きなものになって行き、僕はキャリーとともに歩む新しい生活に踏み出すことにしたのだった。僕は自らの赤ん坊の魂を真実慰めることのできるものを見つけたのであり、 そして僕はもう一度、永遠に生きたいと願った。僕は地域のYMCAに参加し、ヨーガのクラスをはじめ、煙草を止め、アルコールの量を減らしさえした。どんなことでも、起こり得るものだ。そしてそれは時に、このように素敵なものもあるのだ。

 2000年9月9日、僕らの家族や親しい友たちがMontecitoの別荘の庭に集った。溢れる日の光と、花と、音楽と、シャンペンと踊りに満ちた一日。それは幸福と笑いと勝利に満ちた一日だった。 僕が長く孤独な道を生きぬく助けとなってくれた人たち、僕の両親や、ゲディとアレックス、レイ、リアム、シーラ、そしてブラッドとリタ、彼らも大きな喜びの中にいた。
 式が始まる前、白い花のアーチの下に立って、キャリーの入場前に奏でられるオーケストラの音楽を聞きながら、僕は、正装して微笑んでいるゲストたちを見やった。彼らの後ろの木々と、青く広がる太平洋も見えた。 その瞬間、今までのことがどっと思い起こされてきて、僕の顔は泣き出しそうにゆがんだ。でも、それはほんの一瞬だった。思いは小さく方向転換し、そして平和が訪れた。 キャリーの手を取るために芝生へと踏み出した僕は、誇りと幸福に満ちた微笑を浮かべていた。

   そして2002年1月の今、僕のこの物語は終わりに近づいている。この1年の間、僕はトロントの小さなスタジオで、ゲディとアレックスと一緒に仕事に戻り、「Vapor Trails」という新しいRushのアルバムを 曲を作り、アレンジし、レコーディングしていた。このタイトルは、1999年の夏にヒュー・サイム当てに書いた手紙の中に、 最初に出てきたメタファー、記憶の亡霊を、いささかぶっきらぼうにそう呼んだのが、 元になっている。
 「Vapor Trail」と言う曲はまた、僕がプロジェクトにとりかかって最初に手がけた曲の一つでもある。それらの曲たちは、いくつかの哲学的な、そして感情的な「荷物」を すっきり片付けるために、必要にかられて書いたものだ。「Sweet Miracle」や「Earthshine」のような曲は、僕の新しい人生の喜びが反映されている。 それから僕は、もっとパーソナルでない、よりコンセプト的なテーマへと移っていった。
 キャリーはサンタモニカで、彼女の生活と仕事を続けていたし、僕らの家もそこにある。でも僕らはあまり長い間離れ離れにはなりたくなかったので、1年を通してずっと、彼女と僕は サンタモニカにある僕らのタウンハウスと、トロントの賃貸アパートとの間を、行ったり来たりしていた。彼女はそれで、、ミュージシャンの生活の(そしてミュージシャンの妻としての) 移動の多さを、初めて実感することになったと思う。

 素晴らしい、予期せぬ事態が起きて、ブルータスは2001年の1月に仮釈放となり、僕がちょうど来た頃、トロントのフォトスタジオで働き始めていた。 再び、僕らは現実に会うことのできる、一番の親友同士となり、独りぼっちのレストランのテーブルや遠く離れたモーテルの部屋で書かれた「ブルータスへの手紙」は、 今や一緒に過ごし、昔いた所、今いる所、そしてこれから先に行ってみたいところをあれこれ語り合う、そんな夕べとなった。そしていつか、再びいっしょに旅をしようという 夢さえ持つようになったのだった。

 ジャッキーの兄、スティーヴンは今でも親友だ。(遠く離れた、オハイオの辺境に住んでいるが)キースは僕らのために、湖畔の家を完璧に整備しつづけてくれている。 (仕事と旅行のために、僕らがそこを訪れることはめったになかったが)、僕が新しい状態に移ったことで、いまだにトラブルを抱えているのは、デブだけだ。 僕らは、お互いの間に入った亀裂を修復しようとしつづけている、でも、僕がキャリーと婚約したと告げた時、デブは自分が見捨てられ、裏切られ、 僕らが共に分かち合ってきた思い出から切り離されたと感じたようだった。彼女は感情的な手紙を書いてよこし、僕らの間には大きな距離ができてしまった。 それからも、僕らはできるだけ良いコミュニケーションを保っていようとした。そしてキャリーもデブに会うことで、彼女が今の現実を受け入れてくれる助けになるのならば、 そうしても良いと同意してくれた。でもたぶん、過去と未来の間には、決して橋をかけることのできないギャップが存在するのだろう。それでも、僕らは 努力を続けたい。

 そして僕は、自分自身の橋を築く努力も続けている。僕の経験を言葉にするのだ。いまだに続いている「セラピー」と、そして決着をつけようとする試み、両方のために。 スタジオに入って数週間が過ぎ、いくつか歌詞を書き終わった僕は、次にとりかかる前に、アレックスとゲディに、その中の一部でも、曲をつけてもらいたかった。 それで、僕は旅の記録や道中書いた手紙に目を通しはじめた。そして自分で気づく前に、僕はそれらすべてのマテリアルを、僕が生き抜いてきたすべてを、本にするという 途方もない仕事に取り掛かったのだった。それはまた新たなる、長いプロセスであり、時には苦痛に満ち、常に困難が付きまとった。でも、それも僕の亡霊たちを 安らかに眠らせるために、一役買ってくれるようだった。癒しは、まだ続いているのだ。

 そのことを考える時、僕はもう一つの転換点となった時を思い出す。僕がサンタバーバラに移り住んでまもなくの、遅い昼下がりのことを。 僕はサンタモニカの突堤に一人佇み、海を見つめながら、今まで起こったことすべてを思い、なんと奇跡的に、僕の人生が再び変わっていったかということを考えていた。 僕は、今までたどってきた、決して心休まることのなかった、かなり悲惨な道のりに――セント・ブルータス湖のデッキから、太平洋を見下ろす桟橋までの、55000マイル、僕がたどってきたその道に 思いをはせた。そして、タバコとスコッチを手に、デッキに腰を下ろし、湖の向こうに見える一対のアヒルの形をした岩に意味を求めようとした、その場所から始まった癒しの道、 僕の小さな赤ん坊の魂が旅してきた、その距離に思いをはせた。
 それは、僕の中の「人格」すべてに、それぞれの喜びをもたらし、僕は徐々にそれらすべてを、はっきりと焦点の定まった一つの存在として、再統合しはじめていた。 ハリウッド・パーティ・ボーイのエルウッドは、元からそうしたかったので、カリフォルニアに移住でき、来る日も来る日も(そして夜も)、美しい女性とロマンスの花を咲かせられることを、喜んでいた。 さまよえるブルースマン、ジョン・エルウッド・テイラーは彼のブルースに夢中なり、しばらくはもっと明るい歌を歌うことに、満足していた。 そして小さなガイア、14歳の「内なる少女」は、しっとりとした情感やロマンティックな詩に、すっかり夢中になっていた。僕らの中でたった一人、この光に満ちた新しい世界で 居場所がなくなってしまう、それはゴーストライダーだ。

 僕が立っていたサンタモニカの突堤は、66号線の「非公式な」終端、いわば、「ゴーストロード」だ。そして突然、気づいた。ゴーストライダーのたどる道も、ここで終わるのだと。その考えを受け入れるのに、 ここはまさに、ふさわしい場所と言えた。もはや隠者ではなく、ジプシーでもなく、バラバラに分裂した人格たちでもない、僕は再び一人の人間になろうとしていた。(もはや一人ぼっちの人間ではなかったが) 人生の喜びと意味を見出すことができる、そして夜も昼も、自らの居場所で、僕をこよなく愛してくれる女性、キャリーと共に過ごすことできる、一人の人間として。
 僕は安らぎと喜びを得られる場所を見出すことができ、ゴーストライダーの務めは終わった。彼はこれからも、旅を続けていくのかもしれない。この突堤の先端から、 夕日の中へと。

 そして音楽が止まり
 雨の音しか聞こえなくとも
 すべての希望と栄光が
 すべての犠牲が無駄に費え去ったとしても
 すべてのものが失われても
 愛が残っているなら
 僕らはその代償を払おう
 だが、その犠牲を気に病むことはすまい
            (ブラヴァード:1991年)




あとがき

 時には、たった一人で始めなければならない旅もある。だが、広いハイウェイを走っている時、心優しい人たちの広い心に、 この打ちのめされた魂が、どれほど慰められただろう。この機会を捕らえて、僕は家族や友人たちに感謝したい。 僕がそうできなかった時も、彼らはずっと僕を気にかけてくれたから。
 僕の両親グレンとベティ。妹のジュディとナンシー、弟ダニーと奥さんのジャネット、デブとマーク、スティーブンとシェリー、キース、ブルータスとジョージア、 ブラッドとリタ、デビットとカレン、ポールとジュディ、レイとスーザン、シーラ、ペギー、ゲディとナンシー、アレックスとシャーリーン、リアムとシャーリンに。
 旅の途中、僕が受けたあついもてなしと歓迎(に感謝する)。先の何人かからだけでなく、ダンとローリー、ガンプ、トレヴァー、ナタリー、ウィリアム一家、 フレディ、ポールとロブ、アンドリュー(僕らの恩人だ)、ハリウッドの愉快な仲間たち、リッチ一家、ナタール一家、そしてページを形作るのに、直接的な手助けとなってくれた レズリー・チョイス、マーク・リーブリング、明確で貴重なアドバイスをくれた弟ダニーに。ポールマッカートニーのパーティーで会った天才編集者は 全面的に同情してくれ、勇気づけてくれ、洞察に満ちて、機敏だった。そして僕の物語をより深く、豊かなものにしようとしてくれた。
 僕のオートバイと僕は、ソルトレイクのBMW、ツーソンの「アイアン・ホース」、ヴァンクーヴァーのシャイルとジョン・ヴァルク、そしてトロントの マックブライド・サイクルにも、感謝の意を捧げたい。

 時に僕は、ジャッキーとセレーナを失った悲しみが、彼女たちを知ることができたという喜びに昇華できるような、そんな気高い意志に もう少しで手が届きそうに感じることもある。いつか、その思いを慈しんで受け入れることができるかどうか、それはわからない。だが、重要なことは、僕は今日という日を―― キャリーを知った喜びを、彼女に愛されているという直感の閃きを、慈しみ受け入れていることだ。彼女がいなければ、「Vapor Trails」は決して出来なかったであろうし、この本も書かれることはなかっただろう。
「過去への敬意を込めて、未来に捧ぐ」




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