Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

六年目(1)




 大晦日に、ステラとクリスは再びパーレンバーク家へと戻っていった。僕もまた再び実家へ帰り、元の自分の部屋で新年を迎えるはめになった。一月三日の晩、妻と子を妻の実家に迎えに行き、相変わらずパーレンバーク夫妻からは屈辱的な扱いを受けながら、なんとかステラとクリスを我が家へ連れて帰った。

 それから三日後に、恒例の新年パーティがあった。でも用意が出来たと現われた妻を見て、僕は思わず息をのんだ。彼女が美しかったとか、そんな理由ではない。黒いドレスを着ていたからだ。彼女は紺色やグレーは着ても、黒い服はほとんど身につけたことがない。黒と緑は似合わないからと、以前自分で言っていたことがあるほどだったのに。
 服自体は上質のカシミアで出来ていて、シンプルな中にも、上品なデザインだ。スタンドカラーの襟、少しだけふくらみをつけた袖。緩やかに広がったスカートは、踝の上数インチほどの丈だ。ウェストには同色のサッシュを巻いていた。
 ステラに黒が似合わないと言うわけではない。でも、非常に寂しげな雰囲気になることはたしかだ。明るい色彩がアクセント的にでもあれば、まだ全体の陰気さは救われただろう。でも、そのドレスは黒一色で、ほとんど装飾もない。首にかけられた一連パールのネックレス、黒い靴、黒いストッキング、髪を束ねた銀灰色のリボン。口紅もおしろいもつけていず、髪の毛の黄金色だけが唯一の明るい色だ。まるでこれでは、これからお葬式にでも行くのだと、誰もが思ってしまうに違いない。
「ステラ、君が黒を着るなんて珍しいね。そんな服もあったんだね。でも、僕らはパーティに行くんだよ。もっと明るい服を着たらいいのに。せっかく新しい服も買ったんだから」
 僕は努めて軽い調子で、そう声をかけた。
「あなたがくれたあの青いドレスは、わたしにはあまり似合わないのよ。あの色を着ると、とても顔色が悪く見えてしまうの」ステラは物憂げに首を振って答える。
「これは結婚した時、ママが持たせてくれたの。一着は黒い服が必要だからって。でも、これもわたしには、あまり似合わないかしら」
「似合うとかじゃなくてね、暗すぎるよ。元気がないように見える」
「元気はないのよ。だからこそ、この色なの。元気なんか出せるはずがないわ。今のわたしには無理よ。本当はパーティにも行きたくないの。外へ出たり、他の人と話をしたりするのはいやなの。家の中で、じっとしていたいのよ」
「そう。それなら、無理じいはしないよ。今年は、君は欠席ということにしても、かまわないさ。僕だけでも行ってくるから。ああ、クリスはどうするかな?」
「パーティ、行きたい!!」クリスチャンは即座に声を上げた。
「じゃあ、おまえはパパと来るか? ロザモンドちゃんやジョーイくんも来るぞ」
「わーい!」息子はうれしそうに目を輝かせ、両手を上げている。
「あなたがそう言ってくれるなら、わたしは残るわ。お料理はトレリック夫人に頼んで作ってもらったキッシュが、テーブルにのっているから。じゃあクリス、良い子にしているのよ。ちゃんとパパの言うことをきいてね」
 ステラはそんな息子の様子をちらりと見ると、淋しそうに微笑しながらその頭をなで、さっさと二階に上がっていった。
 ステラはたしかに変わってしまった。でも、それは僕に裏切られたと思ったショックと、待ち望んでいた命を閉ざされてしまった悲しみがもたらした、一時的な変化だと思いたい。まだ彼女にとって、傷は新しいのだから。間接的にせよ直接的にせよ、その傷に触れられたくないし、みんなから気を使われることも、かえって重荷なのだろう。
 他のメンバーや奥さんたちも、ステラが来なかった理由を、わかってくれたようだった。
「まだ身体もしっかりしてないでしょうし、精神面でもね。大変ね」
 パメラは同情をこめた口調で、そう言ってくれ、
「わたしでできることなら、力になって上げたいわ。でも、今はそっとしておいた方がいいのかしら」と、アデレードも心配そうな表情で、気遣ってくれた。

 ロビンは去年暮れにスタジオで約束したとおり、ガールフレンドのセーラ・トレントを連れてきていた。彼女は、ほぼロビンと同じくらいの背の高さで(ヒールの分だけ彼女の方が高い)、痩せすぎず太りすぎずの、均整の取れた体型だ。クリーム色の肌に薄く化粧をした、細面の顔立ち。くせのない鳶色の真っすぐな髪を肩の下まで垂らし、片側は銀色の蝶を象ったバレッタで止めてあった。緑色がかった灰色の眼は、茶色のまつげに縁取られている。彼女はエメラルドグリーンよりやや濃い色合いの、緑のドレスを着ていた。ベルベット地で、シンプルなデザインのそのドレスは、彼女の髪や目の色、全体の雰囲気にしっくり調和している。白いレースの襟も清楚な感じだ。
 セーラは美人とは言えないかもしれない。それほど際立った個性も、ないかもしれない。でもぽっと頬を染めると、そこはかとないかわいらしさが漂う。低い声ではにかむように控えめに話し、笑顔も恥ずかしそうな感じがする。ロビンとはまさにお似合いのはにかみカップルだが、彼女は僕らのファンらしいので、緊張しているのかもしれない。
 ロビンはといえば普段のはにかみ癖も何のそので、率先して彼女をひっぱり、僕たちみんなに一人一人引き合わせ、紹介していた。セーラの方は、僕と握手した時には、赤くなりながら「あ、ジャスティン・ローリングスさん……ロビンさんからお話はよく聞いています。よろしくお願いします」と恥ずかしそうに言い、エアリィに会った時に至っては、「あ‥‥あの‥‥アーディス・レインさん? 本物ですか? わあ、なんだかとても……本当にきれいですね。あ、すみません! でも、一度お会いしたかったんです……嬉しいです」と、真っ赤になってうつむいてしまうありさまだ。
「それは光栄……なんだけど……まあ、ありがとう。よろしくね」と、エアリィはちょっと困ったような笑みを浮かべていたが。完全にこれは、外で遭遇したファンの台詞だな、と僕も苦笑しつつ、ふとロンドンで会ったニコレット・リースを思い起こした。あまり偶像化されるのも戸惑うが、彼女たちはたいてい、はたから見れば滑稽なほど真剣なのだ。
 セーラ・トレントは、小さな子供たちに対している時が、一番魅力的だった。彼女は五才になるプリシラ・スタンフォードが通っている幼稚園の保育員らしいが、正確には保育助手で、まだ資格はない。現在夜間学校に通っていて、あと一年で正式な保育師さんになれるという。でも子供たちにかける愛情は、ベテラン保育士さんにも負けないかもしれない。そう思えるほどだった。教え子のプリシラはもちろんのこと、クリス、ジョーイ、ロザモンドのちびっこ三人組に対しても、「ああ、かわいい、すごくかわいい!」と嬉しそうに声を上げ、遊び相手になっていた。十一歳のエステルに対しても、愛らしい子供に対する愛しさと、もうある程度は成長している、その自主性を尊重するような態度が、見事に調和されているように思えた。きっとセーラは、心から子供が好きなのだろう。子供たちも自然と彼女の周りに集まり、なついているようだった。その子供たちに注がれる、優しそうな、嬉しそうなまなざしと笑顔。ロビンもそこに惚れ込んだらしい。彼はそれを“天使のまなざし”と形容していた。セーラが子供たちと遊んでいる間に、ロビンが彼女とのいきさつを詳しく話してくれたので、僕らも彼らの馴れ初めを知ることが出来た。

 ロビンとセーラが出会ったのは、去年の九月下旬だそうだ。その土曜日、パメラは久しぶりに会う友人の家に、遊びに行く予定だったという。だが、ジョーイは一緒に連れて行けるが(この子はさほど人見知りしないし、ちょうど相手にも、同じくらいの男の子がいたらしい)、プリシラには知らない人で、なおかつ友人の夫もいる。そのため、娘にとってもその友人にとっても、家で留守番をしていた方が平和だろうと思っていたようだ。だが、ジョージもその日はあいにく、友人との予定が入っていて、都合が悪かった。それで、いつものベビーシッターを頼もうとしたところが、その日は無理だという。新しいシッターさんだと、慣れるのに時間がかかるため、ジョージは弟に頼んだ。『悪いが、プリスと留守番していてくれないか。夕方までには帰るから』と。プリシラは人見知りが強い子だが、さすがに身内だけあって、よく会うロビンに、やっと慣れたところだったようだ。
 ロビンはジョージの家に出かけ、姪の面倒を見ることになった。だが、一対一で子供と遊ぶことは、彼には無理な要求だったようで、最初はアニメのDVDを見せたりしていたが、いつ泣かれるかとロビンは緊張で、気の休まる時がなかったという。
 二時間くらいたった頃、プリシラはアニメに飽きたようだった。『何か他のことがしたい』と言う彼女に、ロビンは全身から冷や汗が噴き出したらしい。お人形ごっこ、お絵かき、おままごと、絵本――いやいや、どれも、どうやっていいかわからない。そこへ、インスピレーションが降りてきた。(そうだ、デパートへ行って、好きなおもちゃでも買ってあげれば、間が持てるかもしれない!)と。
 彼は姪を車に乗せ、デパートへ出かけた。もちろん車の中ではほぼ無言で、外を見ていたプリシラはともかく、ロビンには相当に空気が重く感じられたらしい。そして、ようやくデパートに着き、その絵本売り場で、偶然セーラに出会ったのだという。
 プリシラには、セーラは大好きな先生なのだろう。『あっ、セーラ先生!』と駆け寄り、セーラはロビンに言わせれば“天使のまなざし”で、プリシラを見つめた。その笑顔と表情に、ロビンは一目惚れしてしまったらしい。
 しばらく立ち話をした後、ロビンにしては一生に一度の勇気を振り絞り、彼女をお茶に誘った。プリシラが『先生も一緒にケーキを食べて』と援護射撃をしてくれたおかげかもしれないが、三人は喫茶店で一時間ほど過ごした。その後、姪とともに兄の家に帰ったロビンは、プリシラに幼稚園の話と“セーラ先生”のことをいろいろと聞き、連絡ノートを見せてもらった。その最後に、幸運なことに【何かご相談がありましたら、いつでもご連絡ください】という言葉とともに、セーラ・トレントという名前と、彼女の携帯電話番号が記されていたという。ロビンは必死にその番号を覚えこみ、こっそりと自分の携帯に打ち込んだところで、パメラとジョーイが帰ってきたそうだ。
 しかし番号は得たものの、実際に電話をかけるまでに、四日を要した。何と言って良いかわからず、その勇気も出ず、というところだったらしいが、あまり間をおくと機会を失う、と一念発起してやっと電話をし、『あ、ぼ、僕はロビン・スタンフォードと言います。プリシラ・スタンフォードの叔父です。姪が、お世話になっています。こ、この間のお礼がしたくて、兄に電話番号を聞いたんです』と切り出したところ、彼女に『ああ、ロビンさんですね。あの時には、ケーキとお茶をご馳走になって、わたしの方がお礼しなければならないと思いますが』とやや怪訝そうに返され、『い、いや……僕、プリシラの子守を頼まれていたんですが、あなたと一緒に過ごせて、間が持てましたから』と言ったという。
『いえ、わたしも楽しかったです。プリシラちゃんは可愛い子ですよ。最初はあまり心を開かなくて、おとなしく見られがちだけれど、愛情はいっぱい持った子です』
 セーラは優しい口調で、そう言ったらしい。
『ぼ、僕も……そう思います』
 ロビンは即座に同意し、そして考えるまもなく、次の言葉が飛び出てきた。
『ら、来週の土曜日、僕と一緒に映画を見に行ってくれませんか!』と。
『映画ですか……?』
 彼女は驚いたらしい。当然だ。だが、考えるような長い間沈黙のあと、問いかけてきた。
『どのような映画ですか?』
 ロビンは『あなたが見たいものなら、何でも!』と勢い込んで答えたという。セーラは小さく笑い、そして答えた。『いいですよ』と。その返事に、ロビンは思わず飛び上がったらしい。小さな姪が二人のキューピット役を果たしたと言えるだろう。
 それからオフが終わるまでに、ロビンは四回ほどセーラをデートに誘ったという。一回は映画、一回はお芝居、二回は食事に。そして五回目のデートの時(この時はクラシックのコンサートだったらしいが)別れ際、真っ赤になりながら、彼女に告白したらしい。
『ぼ、僕はあなたが好きです、セーラさん。来週から仕事が始まるから、しばらく会えないですが……僕とずっと、付き合ってくれませんか!』
『お仕事……そうですね。あなたはすごいバンドのメンバーなんですよね、ロビン・スタンフォードさん。あなたも、プリシラちゃんのお父さんも。わたしは普段意識しないんですが、バンド自体は、すごくファンなんですよ。あなたもご存知のように。不思議な気がします……』そしてしばらく黙ったあと、彼女は答えた。
『でも、わたしも、一人の人間として、あなたという人が好きです。こんなわたしでも、よかったら……』
 その瞬間、ロビンはとても形容しがたい声を上げてしまったという。うあーとも、おーとも、ギャーともつかないような奇声を上げた後、思わず彼女に抱きついてしまい、次の瞬間、真っ赤になって後ろに飛びずさった。
 あまりにロビンらしいエピソードに、僕は苦笑しつつも、あたたかい気持ちが湧いてくるのを押さえられなかった。毎年恒例のこのパーティにいつも一人で来て、僕らメンバー以外とはほとんど話もせず、わりと所在なさげにしていることの多かったロビンが、これほど楽しげに過ごしているのを見るのは、初めてだった。来年も、そしてこれからも、ずっとセーラがロビンとともにあってくれることを、僕は願った。みんなもきっと、そうだっただろう。

 パーティの四日後、僕らは再びレコーディング作業に戻り、ケベックの高原にある、いつものプライベートスタジオに移動した。冬のこの季節は、ウィンタースポーツにもってこいの立地だ。大きな雪だるまを作り、雪合戦やスキーも楽しみ、湖でスケート、丘でそり遊びと、作業の合間の息抜きには事欠かなかった。みな子供に返ったようにはしゃぎ、身を切るような寒さも、すぐに身体の芯から上ってくる、ぽかぽかした暖かさに取って代わられる。そうして遊んだ後、スタジオへ帰る道を、何度もその美しさに嘆声を上げながら辿った。空気は澄み切り、ダイアモンドダストできらきらと光っている。ときおり風が雪を舞い上げる。そのさまは、まるで無数の真っ白い小さな鳥が飛び立つようだった。木立は真っ白に雪をかぶり、厳しくもしんとした静けさが景色を支配している。
 雪と氷の世界――それは、もう一つの連想をももたらす。アイスキャッスル。北の果ての人工施設。それが四年後の五月に、ついにオープンすることになった。ヌナプト準州、プリンスチャールズ島、西経七六・五五度、北緯七六・五度という、未来の記録にあったとおりの場所で、同じ時期に。最果ての島に出現する、小さな町。その未来を考える時、いつも寒さではない震えを感じる。あの時から消えることのない炎が、青白い、ぞっとするように冷たい炎が、心の片隅を焦がし続けている。残された時は、あと六年たらず――その言葉は、まるで途切れることのない呪文のように、意識の底で響き続ける。時がたつにつれ、その数字を少しずつ減じながら。それはきっとバンドの他の四人も、そしてロブもそうだっただろう。
 建物の中は暖かかった。スキージャケットとブーツを脱ぎ捨て、大きなストーブの熱気で乾かすために、広げて柵にかけ、気持ちを切り替える。手袋の上からとはいえ、長い間雪に触れたり外気にさらされてきたから、手はすっかり冷たくなっている。かじかんだ手を暖め、熱い飲み物をすすり、一息ついてからスタジオに移動し、レコーディングに取りかかる。そして僕たちの音楽が出来ていく。

 レコーディング中に、僕は去年のトラブルについて、マネージメントから最終的な調査報告を聞いた。社長に依頼を受けた私立探偵氏――四年近く前にエアリィが行方不明になった時にも活躍した人だが、業界ではたいていどこも、探偵業者とコネクションを持っているらしい。彼らはトラブルシューターと呼ばれ、何か揉め事が起きそうな時、調査や処理に動くという。僕らが所属するマネージメントも例に漏れず、その探偵氏がロンドンまで調査に赴き、プレストンや向こうの関係者に会って、事件の概要をつかんだらしい。
 ディーン・セント・プレストンは、三年前に出したアルバムのセールスが、全米で二万枚にも届かず、完全に失敗レベルだったそうだ。ツアーは往年のファン相手なので、ある程度は入るが、新譜となると、最近のベテラン勢の例にもれず、初週に熱心なファンが買っていくだけで、それ以降の伸びはないことが多い。実際、プレストンがソロになってからは、すでに市場はCD不況に突入していたので、売り上げ的には厳しかったそうだが、さすがにここまで売れなかったことに、彼はショックを受けたそうだ。ツアーには懐かしさから、そしてお祭り的な雰囲気も求めて来るが、新譜を買うほどではない、ノスタルジア・アクトの一つにすっかりなってしまい、ライヴでもバンド時代の曲ばかり人気があるという。
 そしてディーン・セント・プレストンはあのロンドンの家とその調度以外、ほとんど財産がないらしい。離婚の際にバンド時代の貯金をほとんど吐き出し(離婚の原因は彼の異常性癖とDVだったらしく、一方的に有責だったそうだ)、今の贅沢な暮らしを支えるためには、バンドの旧譜のリマスターやリミックスで稼げるお金だけでは足りない。そのために、ツアーに出ていたという。本人が僕に言ったとおり、そのギャラがなくなるまではのんびりと暮らし、お金が底をつきそうになると、またツアーに出る。そんな感じだったそうだ。しかし、彼の収入を支える生命線と言えるツアー動員も、直近二回はかなり落ちてきていたという。
 このままでは、まずい。そう思ったレーベルとマネージメント、そして彼本人もオリジナルメンバーでのバンドの再結成を画策したが、カール・シュミットさんはとても復帰できない現状のため、無理とわかった。そこでてこ入れとして、バックバンドに若手の人気ギタリストを起用し、さらに新作に僕をゲスト参加させることを、レーベル側に持ちかけられたという。僕が彼らのファンだったということは、向こうのレーベルの人も知っていたらしい。ツアースポンサーもそれを強く押し、プレストンは断りきれなかったようだ。
 でも、もともとプレストンは僕らにあまり好感情を持っていなかったので(自分たちの旧譜が思ったより売れないのも、自分の新譜が売れないのも、僕らがマーケットを奪ったせいだと思っていたのと、羨望もあったらしい)、僕の手を借りなければならないということに、あまり愉快ではなかったそうだ。その後、ある業界人から電話を受け、協力を依頼された時、面白そうだと引き受けたのだという。いくらかの謝礼もあったらしい。だが、相手の男たちとそれまで面識があったのかとか、直接の依頼者は誰だという質問には、とうとう答えなかったようだ。
「とんでもない。あの人を敵に回したら、僕は終わりだ。後ろ盾のある、あいつらとは違うんだ」――彼は青ざめながら、激しく首を振っていたという。
 その時初めて知ったのだが、僕らに『後ろ盾がある』とプレストンが言ったのは、カナダ政界の大物の一人であるミックの父親や、アメリカ巨大企業オーナー一族の娘である、ミックの母親の存在、さらにジョージとロビンの背後には、カナダ経済界では五本の指に入る勢力を誇り、アメリカやイギリスにも取引があるスタンフォード財閥が控えていること、なのだそうだ。その強力な親のバックグラウンドのおかげで、三人は妨害されない。親たちの方は『妨害しないが支援もしない。好きにやれ』というスタンスではあるものの、子供に対するあからさまな妨害に対しては、面白く思わないかもしれない。そんな怖れが、その黒幕側にはあるようだ。もしかしたら、直接の利害関係があるのかもしれない。それゆえ、彼らが属するバンド自体にも表立って妨害は出来ない、という事情があったらしい。そして、今やバンドの市場規模が大きくなりすぎたゆえ、こちら側の利権者も多く、仮に後ろ盾がなくとも、メディアに手を回して干す、ということもできないという。それゆえ向こうは個人的なレベルで、しかも犯罪者としての火の粉が自分たちにかからないように、というレベルでしか、妨害活動が出来ないのだそうだ。
 ともかく、プレストンからはこれ以上情報を引き出せないので、さらに探偵氏は調査を続け、当日僕の部屋に呼ばれたという女性の一人と会うことが出来た。僕が誰かということはその女性たちはみな知っていたらしく、ちょっと変わった依頼の形だったので、一番若い子が友達にぽろっとしゃべってしまったようだ。最初に口外無用と念を押されたため、友達に決してネットに拡散しないよう頼んだので、それほど広がらなかったが、その狭い界隈ではちょっとした噂になったらしい。
 探偵氏は事件の全容から、上のようなことをすでに推測して、きっと当事者から話が漏れるだろうと、ロンドンの有名なグルーピーたちに、本を書いているので取材していると言って近づき、ある程度親しくなった後で、何気なく、話を振ってみたそうだ。グルーピーたちに近づいたのは、きっと相手の女性たちの中の何人かは、そうだろうという推測らしい。普通の子に声をかけるのはリスクがありすぎるし、そんな依頼はさすがに受けないだろうという読みだそうだ。
 彼の読みは当たっていた。そのうちの一人が、『友達から面白い話を聞いたの。内緒よ』と、その話を教えてくれたらしい。『それは誰に聞いたの?』ときくと相手は警戒するだろうからと、彼はその子の友達関係を調べ、さらにその友達から話を聞く、ということを二、三回繰り返し、とうとう発信源にたどり着いたという。
 探偵氏は本人に会って、話を聞くことができた。彼女は最初、『しゃべったのがばれたら脅されそう』と渋っていたが、いろいろと宥めたりおだてたりして(こういう技術は、彼は得意らしい。さもなければ、有能な探偵にはなれなかっただろうから)、数時間かけてようやく説得し、話を聞きだしたらしい。その子はやはりグルーピーで、『もう一人は同じグルーピー仲間よ。おばさんたちは、商売人らしいわ』と言っていたという。彼女たちはみなで、僕の泊まっていたホテルの部屋と同じ階の別の部屋に待機し、そこから僕の部屋にやってきたと。写真に撮られた現場は、僕が泊まっていた部屋だったのだ。ホテルを押さえたのはプレストン側だったので、部屋番号も知っていた。キーカードは僕に二枚とも渡され、一枚はジミーが持っていたが、連中は僕のキーカードで、部屋に入っていたのだろうと。プレストン邸に行く時に、僕はカードをズボンのポケットに入れていたが、僕が薬で朦朧としている間に探すことは、わけなかっただろう。実際に朝気づいた時には、僕のキーカードはズボンのポケットではなく、サイドテーブルの上に置いてあった。探偵氏はジミーにも話を聞いたらしいが、彼はその朝、帰ってきた時、廊下に空のブランデーグラスやアイスペール、ロック用グラスが出してあって、少し不思議に思った、と話していたそうだ。
『ジャスティンさんも飲まれるけれど、それにしては、グラスの数が多いような気がして』と。きっとそれはあの四人が、女たちを待っている間に飲んだものなのだろう。
『三日くらい前に依頼されたんだけれど、その時には、場所はホテルになるかプレストン邸になるかわからない、と言われたわ。それで当日の夜七時ごろになって、ホテルの方に来てくれって連絡がきたの』――それでは、現場はジミーの動向次第で決める予定だったのだろう。彼がホテルにいたら、プレストン邸が現場になったわけか。どっちにしろ、彼の招きに乗って行った時点で、僕の運命は決まっていたのだ。
『部屋に行ったのは、一人ずつかい。それともみんなでまとめて?』と言う質問には、『一人ずつよ』と答えていたという。
『最初におばさんたちが行って、行ったら報酬をもらって、そのまま帰っていったみたいで、部屋には戻ってこなかったわ。あたしは三番目。でも報酬は高かったけど、あの中でいたすのは、かなり抵抗があったわね。見物人が多すぎて。ニヤニヤしながら見ているから、AVとはまた別のうっとおしさがあったわ。写真も撮られたし。でも、グルーピーってロックスターに好きなようにされるのが普通なんだけれど、逆に好きに出来るっていうのは、めったにない経験だったわね。しかも、ジャスティン・ローリングス相手に。極秘にしなければならないのが、残念だったわ』と。
『君たちが待機していた部屋にいたのは、女の人だけだったのかい』という質問に、彼女は頷き、こう付け加えたらしい。『ああ、でもあたしが帰ろうとして、次の子と交代した時、待機部屋に女装した男の人が入っていくのは見たわ』
 僕はプレストン邸から、たぶん氏の車で運び込まれたのだろうと、探偵氏は報告してきたという。ホテルのロビーにいた係員の証言では、当日夜七時前――だいたい六時四五分ごろ、エントランス前のロータリーで、二人の男が真ん中の男を両側から支えて、車から降りてきたのを見たという。係員が近づいていったところ、両側の男たちの一人が、『少し飲みすぎて具合が悪くなったようだ。心配ないさ』と言ったらしい。真ん中の男は深くうつむいていたので顔はわからないが、『茶色い髪の巻き毛で、長さは肩より少し長く、緑のジャケットと茶色っぽいズボンを着ていました』――それは、たぶん僕だ。その後降りてきた三人目の男が、僕の頭の上からコートをすっぽりとかぶせ、ホテルの中に入っていったと。エレベータホールにもロビーにも、かなり人がいたが、その時車から降りてきた四人目の男――ディーン・セント・プレストンがロビーに現れ、人々の注意がそっちに行っている間に、男たちはエレベータに乗り込んだらしい。その後、プレストンも悠々とエレベータで上がっていったという。
 プレストン邸で薬を打たれたのが夕方六時過ぎ、ホテルに戻ってきたのが七時前、そして彼女たちが僕の部屋に来はじめたのは、八時過ぎだという。僕が部屋で連中の話をぼんやりと聞いていたのは、その間なのだろう。
 彼女の話では『だいたい時間は、一人三十分ちょっとって所かしら。あたしが行ったのは九時十五分くらいで、帰ったのが十時十分前くらい。あたしの後に行った子は、連戦だって、言ってたけど。その後、プレストンと寝たらしいから。あの人は結構えげつないって噂を聞くから気が進まない、ってぼやいていたけれどね』――その勘定だと、最後のオカマが帰ったのが十一時過ぎ、と言う感じだろうか。
 探偵氏が会ったその女の子は依頼者の人相風体を覚えていたので、その記述を元に詳しい似顔絵を描いてもらった。ホテルの従業員にも話を聞いて、裏付けられた。従業員も『飲み過ぎというには早い時間だったので、よく覚えていた』と言う。そいつは僕も見たダークブロンドの口ひげ男で、業界に詳しい探偵氏は、幸運にもその男を知っていた。
 彼はその男に交渉を仕掛け、自分の出自は公にしないという条件付きで、三万ポンド支払って、写真のデータを消してもらったという。あの写真はデジタルカメラで撮られたものらしく、それ以前にどこかにコピーされてしまえばそれまでだが、相手は決して公開しないと約束し、当事者の女性たちにも何もしないと約束させ、報酬の三万ポンドの中には、その確約料も入っているという。その取り決めに相手のサインをもらい、書類はマネージメント会社の社長氏に送られた。それで、僕のスキャンダルの事後処理は、すべて片づいたわけだ。少なくともマネージメントサイドとしては。




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