The Sacred Mother Part2 - the 11 Years’ Sprint

五年目(9)





 オフの話題も、外敵への懸念も、翌日からはいっさい棚上げされた。ともかく、僕らは進む。次のアルバムへと。
 朝食後ホールに集まった僕らは、オフの間に各自で書いてきた曲の突き合わせからはじめた。エアリィが書いてきた三曲は、インスト陣へのアレンジ課題、僕が書いてきた二曲と、それからロビンが初めて書いてきた一曲は、エアリィへの作詞課題となる。
 オフ中に製作した曲の突き合せは、僕は譜面をみなに配り、その場で演奏する。今回はロビンも同じように楽譜を書いたので、同じように演奏した。エアリィはその場に立ち会って聞いていれば曲を記憶できるから、それだけで事足りる。でも実際の音を聞いた方が、インスピレーションが落ちると彼が言うので、その演奏をCD−Rに焼いたものも渡していた。エアリィが書いてくる曲の方は、いつもは歌詞の紙だけで、スタジオで歌い、僕らが即興であわせたものを録音して、僕らのアレンジ課題になるのだが、今回は僕らにCD−Rを渡してきた。
「前に『Abandoned Fire』録った時に、あ、なんかこれも面白いかなって思って、インストパート入れてみたんだ。みんなにも、その方がわかりやすいだろうし。僕のイメージで録ってるから、みんなは納得できる形に変えて」と。
『Parabolic』『The Abyss in Blue』『Talk with the Nature』――その三曲の入ったCD−Rを再生して、すぐさま僕たちは悟った。そこに入ったプラスアルファの楽器――二曲目のヴァイオリン、三曲目のフルートも含めて――これは完成形だ。『Abandoned Fire』の時と同じに。僕らが手を加える余地なんかない。その夕方、僕らは彼に告げた。「これは、このまま使うよ」と。
「えー、手抜きじゃない? なんで?」エアリィは少し納得いかなげな顔で問い返す。
「おまえが出してきた形がベストだと、僕らは判断したんだ」僕は頭を振り、きっぱりと言った。「だからこれは、このまま採用ということで……ああ、ソロだけは本番で少し変えるかもしれないが。夜から新規曲を作りたいんだ。だからおまえの方の課題は、新しい曲が出来て、僕らがアレンジを考えている間にやってくれないか」
「うん……わかった」
 その夜のセッションで、彼は僕たちのジャムを聞きながら、二曲新規に書いた。もちろん僕らのジャムとは、ほとんど関連性のない曲調だが、出来はいつものごとく、文句のつけようのないほど素晴らしい。翌日から、僕たちはやっと本格的なアレンジ作業に取りかかった。

 作業に入って二日後、エアリィは僕らにCD−Rを返してきた。 「一曲できた。あとは、ごめん。うまく詞が浮かばなかったから、そっちに任せる」と。
 諦めが早い、というかそういう問題ではなく、彼はたぶん曲を聞いて、直感的に見抜くのだろう。詞をつけるのに値する曲かどうかを。僕も自分の一曲については、仕方がないかな、と納得はしたが、ロビンが初めて書いてきた曲をあっさり突き返してくる遠慮のなさには、少し肩をすくめたくなった。たしかに傑作とは言えないまでも、決して悪くない。優しいメロディを持った小作品なのに。
 ロビンもやっぱり少し傷ついたようで、少々悲しげな口調で言っていた。
「そう。やっぱりだめなんだね。たしかに君が書く曲に比べたら……それにジャスティンのものに比べても、僕の曲なんて大したことないよね……」
「えー、そうやって落ち込むのはやめて、ロビン。僕には詞が浮かばなかったってだけだから。ダメって言ってないから」エアリィはちょっと苦笑していた。
「でも、詞は浮かばないんだね」
「うん。なんか恥ずかしい奴しか。セカンドのプロデューサーに書かされたみたいな」
 そしてロビンの表情を見て、慌てたように付け加えている。「わ、ごめん。変な意味じゃないよ! でもなんかそういう、ふわふわした夢見てるみたいなイメージしか、僕には浮かんでこないんだ。すごくメルヘンな感じで……お花畑の中で、二人で手つないで歩いてるみたいな……風が気持ちいいね、花がきれいだね、君もきれいだよ、みたいな……で、そう思ったとたん、わ、僕には無理無理! サブイボ立ちそう! ってなっちゃった」
 おい、それは全然フォローになっていないぞ。僕は苦笑するしかない。
「そうなんだ……」ロビンは自嘲と照れが入り混じったような笑みを浮かべた。「そんなイメージなんだね。うん、でも、そうなんだ……君が言った情景、僕は感じていたんだよ。さすがだね。これを書いている時、思ったんだ。彼女と花の咲いている広い野原で、二人でピクニックに行けたらいいなって。まわりには誰もいなくて、風がそよそよと吹いていて、彼女の髪が揺れて、日の光が降り注いでいて、鳥の鳴き声に耳を傾けて、その中を二人で散歩して、花の中でランチを食べたいなって」
 思い切りメルヘンだな、ロビン、それは。僕でさえ、やったことはない。
「野原でランチ食べるって、開放感あるよね、たしかに。僕もやったことあるよ、ランカスター草原で。この間のオフにも、アデルとロージィとエステルとで行って」
 エアリィにはその経験があるのだろうが、基本的にまったくムードは違いそうだ。それに彼はいつもオフに旅行に行く時、自分の家族にエステルを混ぜて連れて行くが、アデレードは気にはしないのだろうか。小学生の妹なら、許容範囲だろうか。エアリィにとっては、アデレードもエステルもロザモンドも、同じウェイトなのだろうか。僕の場合、家族旅行にジョイスを呼ぶ、なんて言ったら、ステラが嫌がることは確実だが。
「ランカスター草原も広々としていいよね。でも僕のイメージでは、もう少し、なんていうかな……木が所々にあって鳥がいるような、春のお花畑なんだ」ロビンは相変わらず少し照れたような、夢見るような調子で言い、
「あああ……春だと、来年だなぁ。そんな場所、あるっけ。トロント近辺で」
 エアリィは頭の中で、『今まで行ったことのある場所』をいろいろと思い浮かべているようだ。でも、今僕らはピクニックの場所を探しているわけじゃない。ロビンの自作曲の話をしているんだ――と、そこまで来て、僕は気づいた。
「彼女とピクニックに行きたい……ってことは、おまえ、彼女できたのか、ロビン。それとも架空の話なのか? イメージの彼女」
「うん……彼女、いるんだよ。架空じゃなくて」ロビンは頬を赤く染めて頷いた。「秋に出会って、つきあい始めたんだ。セーラ・トレントっていう、幼稚園の見習い先生なんだよ。僕より一つ年下なんだ……」
「どこかで聞いてことがある気がするぞ、その名前」ジョージが考え込むように首をひねり、
「うん。プリシラの幼稚園で働いているんだよ」と、ロビンが答える。
「おお! そういえば……あいつが懐いている先生だ。セーラ先生って……おい、いつからおまえら、そんな仲になったんだ? おまえ、幼稚園には行ってないだろ?」
「うん。でも偶然、外で会ったんだよ。兄さんが僕にプリシラと留守番しててくれって頼んだ時、僕はデパートに連れて行ったんだ。そこでね……それで、三人でお茶を飲んだんだ。それから付き合い始めたんだよ」
「そうか。それは偶然だな。でもまあ、よかった。あの娘は感じの良い子だしな」
「本当によかったね」ミックも、いつもの優しい調子で声をかけている。
「そうか。ロビンがとうとう恋を」僕は、わがことのようにうれしかった。これで彼も一人ではなくなる。愛する人が出来れば、ロビンももう少し自信が持てるようになるだろう。
「あ、良いとこ思いついた! あそこならきっと、イメージ近いよ!」
 エアリィは僕らの話を聞いていたのかいないのか、ぽんと手を打ち合わせていた。
「どこ?」と、ロビンはスマートフォンを取り出して、場所の確認をしている。違う。今はピクニックの話じゃない! それは春になって、アルバム製作が終わってから、ゆっくり行け! 今は花なんて咲いてないぞ。
「ピクニックは良いから……結局、これって没なんだな」僕は改めてそう確認し、
「だから没とは言ってないって。僕にそんな権限ないし。僕には詞がつけられないってだけだよ。まともに歌える自信もないし。逆にこれって、ロビンが詞つけて、歌った方が良いと思う。たまには良いじゃないかなって、一曲くらい。雰囲気変って」
「ええ? 僕にはそんなこと、出来ないよ」と、ロビンは激しく首を振っていたが。
 没とは言っていない、とエアリィは言うが、彼が詞をつけずに返してきた曲は、アルバムには入らない。それが僕らの不文律だ。そんなこと強制はしないと彼は主張するだろうが、僕らはわかっている。アーディスが曲を返してくるということは、アルバム収録基準には達しないということだ。普通のバンドなら十分OKなのだろうが、今のエアレースでは、そのハードルはとてつもなく高い。

「まったく、せっかくおまえが初めて曲を書いてきたのに、あっさりボツにするなよな。まあ、あいつは没じゃないっていうけど、結果的には同じことだよな」
 夜になって、僕はロビンの部屋を訪ねていき、そうぼやいた。「エアリィもそういう点、容赦ないからな。おまえが傷ついていないか、心配だよ」
「ちょっと自信はなくしたよ」ロビンは肩をすくめた。「でも僕も、採用されないかも、ってある程度覚悟はしていたから、いいんだ。それに本当に、春の草原のイメージだなって。合わないんだろうね、今度のアルバムのカラーには。でも、いつか書きたいな。僕の『Angel』を。彼女はあの曲がすごく好きなんだよ。あの曲をきっかけにして、僕らの大ファンになったんだって」
『(No one could be an)Angel』――この曲は前作中、唯一純粋なラヴソングだ。セカンドアルバム製作時に、『半分はラヴソングにしろ』と、プロデューサーに強制されてしぶしぶ書いたまがい物ではなく、自発的に書いた初の本物だ。『出会った頃のアデルがインスピレーションの元かな』と、エアリィは言っていたが、彼も曲がりなりにも恋人が出来て、今まで『わからないし、苦手』と言っていたその領域に、踏み込んだ結果なのだろう。ただ、印象はやはりエロスではなく、アガペだ。『傷ついても立ち直って』という上昇志向を促す、“癒しの愛”そんなイメージを受ける。
「あの曲はアデレードさんが元のインスピレーションらしいから、おまえもさ、自分の彼女をインスピレーションにして、おまえの『Angel』を作ればいいんじゃないかな。彼女のイメージで。野原のピクニックでも、花畑の乙女でもいいから、エアリィが言ったみたいに、この曲におまえが自分の言葉で詩を作って、ヴォーカルラインを書いて、歌えば良いじゃないか。おまえは文学青年だし、インスト四人の中じゃ、一番歌がうまいんだから、出来ないことはないさ。まあ、アルバムには入らないだろうが、シングルのカップリングという手があるしな。ライヴではやらない、スタジオオンリーの曲で、シングルのカップリングなら、おまえもそう恥ずかしくないだろ?」
「いやだ。やっぱり恥ずかしいよ。シングルのカップリングでも、自分の歌が世に出ちゃって、バンド本体とはまったく別次元のおまけになってしまうのは。買った人が怒っちゃうよ。でも……もし可能なら……シングルのボーナストラックにして。おまけのおまけっていうことで。それでなら、やってみたいな」
「それはレーベルに言っておいたほうがいいな。シングルのカップリング候補でも、三曲目にしてくれ、ってさ。じゃあ、それで行こうか」僕は笑い、その肩をぽんと叩いた。
「がんばれよ。歌詞の方は無理だけれど、恋愛の方なら、必要ならいつでも助言するぞ。一応経験者として。だから遠慮なく言ってくれ」
 いや、今の僕はまだステラと円満に仲直りできたわけじゃない。亀裂が入ったままだ。偉そうにそんなことを言える身分じゃないな、と、すぐに気づいたが。
「うん。ありがとう、ジャスティン」
 ロビンはいつもと同じように受け止めたらしく、照れたように笑っている。
「ところで、おまえの彼女、どんな娘なんだ? 会ってみたいな。来年の新年会の時に連れてきて、紹介してくれよ」僕はそう要望し、
「うん。そうするよ」彼は恥ずかしそうに頷いていた。
 それはここのところ、いやな事件が続き、めいっていた僕の気持ちに、明るさを与えてくれた話題だった。

 作業は順調に進み、クリスマスの三日前にデモが完成し、プリプロダクションが終わった。でも、帰ってきた家には、誰もいない。鍵を開けて玄関を通り、リビングルームに来た時、かつてあれほど愛した我が家が、急に荒涼たる砂漠になったような気がした。帰ってくるたびに、妻は暖かい笑顔で迎えてくれた。我が子は勇んで走り寄ってきた。でも今、二人の姿はない。
 僕はため息をついて、ソファに座り込んだ。この家にもう一度、家族を呼び戻さなければ。あんな卑劣な策略にはまって、僕らの幸せをことごとく奪い去られるなんて、我慢が出来ない。罪なく犠牲になった僕らの子供はもう帰ってこないけれど、まだ僕にはステラとクリスがいる。二人を失ってなるものか。
 荷物をリビングの床に置いたまま、僕は玄関を出た。十二月の早い日没は、もうすっかりあたりを暗くし、午後から降り出した雪が、枯れた芝生の上に白く積もっている。玄関のライトに照らされて降りしきる雪を、僕はしばらく眺めていた。小さなため息が漏れる。ガレージから見る我が家は明かりが消えて、まるで雪の中にしょんぼりと立ち尽くしているようだ。
「おまえも、淋しかったろうな……」思わず、そんな呟きが口から出てきた。

 それから十分もかからずに、僕は妻の実家の玄関に立っていた。一面に手のこんだ浮き彫りを施した頑丈なドアを見ながら、勇んでいた気持ちが少しずつ沈んでいくのを感じる。ここの玄関で、今まで歓迎されたためしがない。ステラの両親がなんとか僕を認めてくれたのは、僕たちが付き合い始めて最初の一年間、僕がミュージシャンになる前だけだった。義父母の敵意を、僕ははねのけられるだろうか? ステラは僕を許して、帰ってきてくれるだろうか? でも、ためらっていても仕方がない。
 僕は呼び鈴を押した。最初に対応したのは、トレリック夫人だった。その後から義母が出てきた。そしてじろっと僕をにらんだ。
「何の用なの?」
 まるで僕が押し売りででもあるかのような口調に一瞬たじろいだが、次の瞬間、自負心を取り戻した。僕はこんな扱いをされるようなことは、何もやってはいない。
「ステラとクリスを迎えに来ました。留守中、本当にありがとうございました」
「あの子たちを返すつもりはありませんよ」義母は相変わらず冷ややかに答えている。
「来てもらわないと困ります。僕の家族なんだから」
「あんなことをしておいて、よくそんなことが言えたものね。あなたは約束を破ったのだから、ステラを迎えに来る権利などないはずよ」
「僕は約束を破ったりはしていません。ステラ以外の誰をも、愛してはいませんから。それに、やましいことなど何もしていないんです。神に誓ってもいいです」僕は頭を振りあげ、精一杯毅然とした口調で言った。
 彼女は少し恐れをなしたようだ。「だけど、ちゃんと証拠が……」と、口篭もっている。
「そのことに関しては、きちんと説明できます。ステラもあなたも、あの時はその余地を与えてくれなかった。だから僕は彼女に会って、ぜひ話を聞いてもらわなくてはならないんです。お願いします」>
 廊下の奥から、ぱたぱたと小さな足音が響いてきた。クリスが両手を広げて駆けてくる。 「あ、パパだ! パパ、帰ってきたー!」
 僕は息子を抱き上げ、ぎゅっと胸に抱いた。
「ただいま、クリス!」
 子供の後から、ステラがゆっくりと玄関へ出てきた。丈の長い紺色の水玉ワンピースの上から、白のカーディガンを羽織っている。その顔は退院時より色が戻り、身体にもいくぶん肉付きが戻ってきたように見えた。
「おかえりなさい、ジャスティン」
 彼女は静かに口を開いた。その口調には、出かける時の冷ややかさは感じられなかった。以前のような愛情深さはないにせよ、かなり良い兆候だ。
「ただいま、ステラ。大丈夫かい、身体の方は?」
「ええ」ステラは言葉少なに頷いた。彼女は玄関の入り口、廊下側に立って、僕から二、三メートルの距離を置いたまま、僕を見た。出発する時には、目も合わせてくれなかったのだが――僕は玄関の中に一歩踏み込んだ。
「僕の話を聞いてくれ、ステラ。お願いだ。君にとっては言い訳に聞こえてしまうかもしれないけれど、本当のことなんだ。そして、僕と一緒に帰ってくれ」
 僕は妻に懇願した。膝をつくまではしなかったが――逆にそこまで自分を卑下してしまうと、僕の方に過失があるのではと疑われてしまうかもしれない、そんな思いがあったからだ。ただステラの青い目を見つめ、言葉に熱を込めた。
 ステラはしばらくその場に立ったまま、じっと僕を見ていた。その表情から、なにかを読み取ることはできなかった。やがて彼女は半ば身をひるがえしながら、言った。
「いいわ。上がってちょうだい、ジャスティン。あなたの話を聞くわ。今なら聞けるから。本当のことを話して」
「ああ、ありがとう!」
 ほっとしたあまり、思わず大きく息をつきながら、僕は家の中に入っていった。

 パーレンバーク家の居間で、僕は詳しい経緯を全部話した。義父母は疑いがありありという表情で、義母などははっきり「まあ、良くできた話だこと」と、軽蔑したように呟いていた。元々彼らにわかってもらおうとは、僕も期待してはいない。でも、妻にはどうしてもわかってほしかったし、信じてほしかった。
「話はわかったわ……」ステラは頷き、そばによってきたクリスの頭をそっと撫でて視線を落とした。
「君は信じてくれないかい?」
「あなたは嘘をつける人ではないわ、ジャスティン。それは、よくわかっているの……」
「じゃあ、信じてくれるんだね」
「ええ……」ステラは床に敷かれた深い緑の模様織り絨毯に目を落としたまま、頷いた。「わたしも、あの時はあなたに裏切られたと思って、頭に血が上ってしまったの。それから、あんなことになってしまって……わたし、自分の怒りや悲しさの持っていきどころがなくて、それであなたに冷たくあたっていたのよ」
「わかってくれて、よかったよ」僕はほっとして手を伸ばし、スカートの膝に置かれていた妻の両手を取った。その手をステラは振りほどこうとはしなかった。
「じゃあ、僕と一緒に家に帰ってくれるね? 今年のクリスマスは、僕の実家でやろうと母が言っているんだ。来てくれるかい?」
 ステラは少し表情を硬くし、手を引っ込めて、首を振った。
「それなら、あなたはご実家へ帰って。わたしはここで過ごすわ。クリスと一緒に。わたしが結婚してから、まだ家族揃ってのクリスマスのお祝いをしていないのよ。あなたのご実家のお祝いには、去年うかがったわ。だから今年は、パパとママと一緒に過ごしたいの」
「君はそれが希望なの、ステラ?」
「ええ。わたしも自分の親は大事なの。わたしね、あなたと付き合って結婚して、パパやママに色々と心配をかけたけれど、あなたの方が大事だから、しかたがないと思っていたのよ。でも実際に子供を持って、悲しい経験もして、親とはどういうものなのか、よくわかったの。打ちひしがれたわたしに、パパもママもそれは良くしてくれたわ。一言もわたしを責めないで。わたしは自分が今まで、ずいぶん親不孝をしてきたのだわって思ったの。だから今年のクリスマスは、パパやママへの感謝とお詫びの印に、わたしは自分の家で過ごしたいのよ」
「君の言うことはわかったよ、ステラ。そうだね……君の家だって、大事だもの」 「わかってくれてうれしいわ、ジャスティン」彼女は弱々しく微笑した。「クリスマスまであと三日だから、終わるまではここにいるわ。二六日か七日の日に、迎えにきてね。クリス、パパと一緒に家へ帰るのは、その時まで待ってね」
「あと、どのくらい?」息子は無邪気に首をかしげ、聞く。
「そうね。もうすぐクリスマスだから、それが終わったらね」
「わかった。その時にクリスマスプレゼントは渡すよ」僕は息子の頭をなで、ため息を押し殺した。
「それでは、ジャスティン、その時にまた迎えにきて。そうしたら家に帰るから」
「わかった……」僕は頷くしかない。
「でも、おまえは本当にそれでいいの、ステラ」義母は心配そうな面持ちで、きいている。
「ええ。それでもわたしは、彼の妻だもの。でも、クリスマスと新年はここで過ごすわね、ママ」ステラは母親のそばに行き、その頬にキスをした。
「そう。それなら良かったわ」
 ミセス・パレンバーグはほっとしたような笑みを浮かべていた。

 僕は結婚してからはじめての、家族と離れ離れのクリスマスを迎えた。まるで独身時代に戻ったかのようだ。実家での、いつもの晩餐。ただ、メンバーは増えていた。兄は今年の春に結婚し、新妻を伴ってきている。兄嫁のカレンさんは、以前の恋人エセルさんとは違った印象の女性だ。ダークブロンドの短いまっすぐな髪に細面の顔立ち、あまり口数は多くないが内気というわけではなさそうな、芯の強さも感じる女性だった。姉ジョアンナはクリスより半年早く生まれた息子、ポールを伴ってきていた。姉に似て物静かで穏やかな子だが、もしクリスがここにいたら、きっと喜んで遊ぼうとしただろう。クリスは小さなお友達が大好きだ。九月の初めに、メンバー五人とその家族が集まって、エアリィの新しい家の庭でパーティをやった時も、クリスは夢中でロザモンドやジョーイと遊びまわっていた。ポールは二人ほど活発ではないが、きっといい友達になれる。去年のクリスマスには、お互いに小さくてそこまではいかなかったが、今ならば。でも、息子は妻と一緒にパーレンバーク家にいて、ここにはいない。
 むなしいクリスマスだった。姉の夫、エイヴリー牧師が地方礼拝のためにいないことだけが救いだ。義兄は義父母同様、僕の職業にあまり良い感情を持っていない。僕がロックミュージシャンの道を選んだ時にも、『どうして君は、大事な弟が堕落の道に落ちるのを止めなかったのだ?』と、ジョアンナはずいぶん叱られたようだし、僕と顔を合わせると決まって、『何か懺悔することはないかね。君のために祈ってあげよう』とくる。別にありませんと言うと、『君は罪がどういうものだか、わかっていないようだね。嘆かわしいことだ』と言われる。僕はとうとうたまりかね、去年のクリスマスに、こう言って反発した。『僕らは道徳に反するようなことはしていません。麻薬にも手を出さないし、グルーピーとも寝たことがありません』と。去年のクリスマスには、胸を張ってそう言えた。僕は重ねて言ったものだ。『姉が僕らのCDを持っていますから、ちゃんと聞いてください。不道徳や悪魔礼賛なんて、間違ってもしていませんから。僕たちは真剣です』
 義兄は僕を探るように見つめた後、『わかった、そうしよう』と低く言った。それ以来、あまりあれこれ言わなくなっていたのだが、もし『今も正しい道にいますか?』などと問いただされたら、今年はありがたくない。

 クリスマスの翌日、僕は再びパーレンバーク家へと赴いた。義母は僕の顔を見るなり、「まあ、早速来たのね。もう少しゆっくり来ればいいものを、本当に気が利かない人ね」と苦々しげに言い、義父はこちらを見ようともしない。二人に買ってきたクリスマスプレゼントを渡しても、「あらあら、賄賂というわけ?」と軽蔑したように、無造作にソファの上に放り投げられる。「お世話になりました」と言うと、「あなたにお世話をしていたわけではないのに、何を言っているのかしら」とあしらわれる。今までに増して、ひどい扱いだ。でも僕に出来ることは自尊心を飲み下し、ただ頭を下げることしかない。
「また大晦日に来るわね」ステラは母親にキスをして言う。やはり、新年をうちで過ごす気もないのか。
 それでもともかく、我が家へ妻と息子を連れて帰ることが出来た。そのことには深い安堵を感じる。たとえ明らかに不機嫌そうなトレリック夫人が一緒でも。今のステラに家政はなおさら期待できないだろうし、致し方ない。

 僕は家に帰ると、二人にクリスマスプレゼントを渡した。ステラには新しいサファイアブルーのロングドレスとボレロのセット、それにダイヤのプチネックレスを。クリスには積み木ブロックの新しいセットと、乗って遊べる機関車の玩具を。息子は大喜びしてくれたが、ステラは箱を開けてチラッと中身を見、「ありがとう」と言うと、すぐにふたを閉め、クロゼットの棚に箱ごとおいてしまっていた。そして「あなたへのプレゼントは用意する暇がなかったわ。ごめんなさい。お誕生日と一緒でいいかしら」と、物憂げに言われた。
「ああ、もちろんいいよ」僕は精一杯笑顔で、そう答えたが。
 たしかに家には帰ってきた。妻と息子と一緒に。しかしステラは以前の彼女ではないようだ。まるで人が変わったように、どことなくよそよそしい。僕がソファに座っていても、以前のように隣に座って、甘えるように寄りかかることはない。話もほとんどしない。僕から話しかけない限りは。昔の彼女は、かなり話好きだったのに。クリスへの態度はいつものように優しいが、僕たちの間にはまだ何か目に見えない、冷たい障壁があるように思える。でも、妻は大きな痛手を受けた。僕が直接手を下したわけではないけれど、間接的には責任がある。それによって彼女は、心にも身体にも大きな傷をおった。完全に癒えるには、まだまだ時間の助けがいるのだろう。

 僕は窓際の椅子に座り、降りしきる雪を見ていた。床暖房とセントラル・ヒーティング、ストーブに暖められた部屋の中で、ステラがクリスを膝の上に乗せて、絵本を読んでやっている。お揃いの白いセーターを着て、幼いクリスの巻き毛に頬摺りするように、よりそっている。妻と息子の髪が、ライトに照らされて光っている。
 クリスはやがて眠くなったらしく、時々その小さな頭をこっくりこっくりさせて、母親の腕に寄りかかっていた。
「お部屋に行ってねんねしましょう、クリス」
 ステラは息子を抱き上げて、二階へ行った。
 部屋は音もなく静まり、窓の外に雪は降り積もっていく。なかなか妻は戻ってこなかった。一時間以上たって、やっと部屋に帰ってきたステラは、ストーブのそばの揺り椅子に腰をおろすと、編み物かごを取り出し、手を動かしはじめた。いつもは僕に微笑みかけ、話しかけてくれるステラが、今は一言も言わず、うつむいて、編みかけのセーターだけを見つめている。僕はそんな彼女をしばらく眺め、ため息をついて新聞を広げた。長い沈黙が落ちた。
 結婚して三度目の冬は、苦味を残して、過ぎて行こうとしていた。




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