The Sacred Mother - Part1 The New World

第三章   メビウスの環(6)




「明日で、ここともお別れか……」
 部屋に帰って遅い昼食をとった後、コーヒーを飲みながら、ロブが小さなため息とともに言った。「もうここに二週間以上いて、本当に帰れるのか、ずいぶん気をもんだことと思うが、本当に突然、帰還が決まったわけだな。みんな、どうだい感想は?」
「もちろん、うれしいよ。でも……」僕は言いかけ、他の四人の顔を見た。みんなの思いも同じだろう。家族や友人、恋人の待つ僕たちの時代へ帰れるのは、たしかにうれしい。でも、いざそれが現実になると、そこから先に控える未来の恐怖をも急に現実味を帯びたものに感じてしまって、戸惑うのもたしかなのだ。
「おまえたちの気持ちはわかる。僕だって、正直言って恐い。だがな、アンダーソンさんがおっしゃったように、十一年間というのは、けっこう長い年月だ。それに、おまえたちには音楽という天職がある。ただじっと待っているだけで、終わらせてはならないんだ。勇気をだせ」
「まあ、勇気がいるのは、覚悟してるけど……」エアリィが首を振り、決然とした調子で続けた。「今からそんなこと気にしたくないな。ホント、まだ十一年あるんだ。リミット恐がってたら、今まで楽しくなくなっちゃう。貴重な時間なんだから」
「そうだな。考えたくないな。そうできるものなら」僕も深く頷いた。「せめて、いい思い出をたくさん作りたいよ。この与えられた時間の間にさ。かりに十一年後に世界が壊れても、僕たちも一緒に壊れずにすむようなものを、この間に築きたいよ」
「そう、その通りだね」ミックが力強い口調で、同意した。
「そうだ。この問題は、あまりじっくり考えるべきものじゃないな。他に集中できることがあれば、それにこしたことはない。そこでだ、みんなに提案がある。おまえたちは、ミュージシャンだろう? なのにここへ来てから、一度も音楽をやっていないじゃないか。向こうへ帰る前に、セッションでもしてみたらどうだ」
「ああ、それはいいね!」
 ロブの提案に、僕は即座に声を上げた。考えてみればこれまでの数年間、毎日毎日ギターに触らない日はなかった僕が、ここへ来てからずっと忘れていた。毎日、なんとなく落ち着かなかった原因の一つは、それだったのかもしれない。
「でも、機材はまだ車の中だよ。まだ、あそこにあるんじゃないかな」ロビンは少し不安げな口調だった。
「いや、あのバンは僕らがここへ来た翌日に、回収して保管してくれているそうだ。物品センターの倉庫にあるそうだよ。その際、彼らは壊れた機材も修復してくれたらしい。僕は一昨日そのことを思いついて、シンプソン女史に問い合わせてみたんだ。返してくれるかどうか、それからここで使えるかどうかをね。そうしたら使用しても良いが、ここではなく、物品センターの十階にある、倉庫の空きスペースでやってくれということだった」
「演奏しても良いんだね。やった!」僕は思わず飛び上がった。
「じゃあ、さっそく行こうぜ!」ジョージもすっかり興奮しているようだ。
「そうだな。じゃあ、許可をとってこよう」
 ロブが端末のキーを叩きかけた時、通話セッションのランプが向こうからついて、やさしい音色の呼び出し音が響いた。ボタンを押してセッションを開くと、画面にアイザック・ジョンソンの姿が浮かび出てくる。
「こんにちは」画面の彼は、少しはにかんだような笑みを浮かべていた。
「明日お帰りになるんですね。今からヘンリーと一緒に、会いにいってもかまいませんか?お帰りになる前に、少しお話がしたいんです」
「どうぞ。喜んで」ミックがそう答えた。みんな早く演奏したくて気ははやっていただろうが、ここの世界の人たちとの交流を断る気は、毛頭ないようだ。それは僕も同じだった。

 それから二十分ほどたったころ、アイザック・ジョンソンとヘンリー・メイヤーが、連れ立って部屋にやってきた。お互いにまったく違った世界観に立っているために、話している間にも微妙な食い違いはしょっちゅう起きるけれど、なんとかお互い理解しあうことができたと思う。彼らはこの世界での、初めての友達だ。僕らが運悪くずっとここにいることになったとしても、きっと二人とは、いい友達でいられたに違いない。
「あなたたちは教育課程受講中ではなくて、音楽を職業にしていらっしゃるのですよね。アイスキャッスルでコンサートをしたのが、あなたがたなのですから。でも、あなたがたは五人組で……ビュフォードさんは、音楽家ではないのですか?」
 しばらくいろいろな話をしたあと、アイザックが小首を傾げて、こう聞いてきた。
「そう。僕は直接、音楽活動には携わらないんだよ。エアリィ、ジャスティン、ミック、ロビン、ジョージ。五人でAirLaceだ。僕は彼らのマネージャーなんだよ」ロブが微笑を浮かべて答えている。
「マネージャーとは、管理者ですよね。あなたは、彼らを管理しているのですか?」ヘンリーが不思議そうにきいていた。
「いや、管理というより、世話係だね。調整係でもある。僕らの時代の音楽形態は商業ベースだから、ミュージシャンはただ曲を作って演奏していればいいというわけじゃない。ビジネス上のいろいろな煩わしいことが発生する。そういうことを処理するために、マネージャーがいるんだよ」
「音楽もビジネスなんですか?」
「そうさ。ミュージシャンは音源を作り、演奏会をする。その音源を聴いたり、演奏会に行ったりするのに、みんなお金を払うんだ。そのお金は製作者に還元される。それで成り立っている世界なんだ。だからある意味では、非常に流動的で厳しいものだね。聞く人が気に入ってくれなければ、活動そのものが危うくなるんだよ」
「つまり、僕たちの感覚で言うなら、放送セッションがあまり開かないような曲は、だめだということですか?」
 ロブの説明を受けて、アイザックが少し考えるように黙った後、そう聞いてくる。
「まあ、そういうことだね。セッションが少ないということは、あまり人が気に入らないということだろう。そういう気に入らない曲ばかり出していると、そのアーティストにはお金が入らなくなって、生活できなくなるんだ。だから、厳しいんだよ」
「へえ、大変なんですね」ヘンリーは驚いているようだった。アイザックも同じようだ。
「まあ、君たちに二一世紀初頭の音楽システムの詳しい話をしても、あまり理解できないかもしれないけれど、僕らの時代のミュージシャンは、音源としてCDを作る。インターネットを通じての配信もするけれどね。ミュージシャンはスタジオで曲を録音し、音楽CDを作る。シングルという単発曲と、アルバムという十曲以上の長いものの二種類がある。シングルはストリーミングという、この時代のように、オンラインでリクエストして聞く形態に移行しつつあるようだが。この音楽CDを買ってもらうために、大量生産して流通経路にのせなくてはならない。それを支配しているのがレコード会社で、まずアーティストはディストリビュートを得るために、レコード会社と契約を結ばなければならない。さらに演奏会を開くのも普通単発ではなく、何ヶ月かに渡って何十回ものシリーズで、いろいろな都市を巡って行うのが一般的だ。これをツアーと呼ぶんだが、この演奏会場や宿泊場所の手配、移動手段や機材の管理、チケットの販売、そういったことを請け負っている、エージェントという組織がある。さらに自分たちの存在や音楽のことをより多くの人に知ってもらうために、メディアを通じてインタビューを受けたり、写真を撮ってもらったりする。そういうのをプロモーション活動と言うんだが。それにライヴ映像を作品に残すのも、CDと同様、重要なことだ。まあ、そういうわけで、商業ベースで音楽活動をするのは大変なのさ。とてもアーティスト単独では成り立たない。だから、彼らを取り巻いて仕事をする、多くの人たちがいるんだ。マネージャーというのは、そういう人たちとミュージシャンとの、いわば調整役だな」
「そうなんですか」ロブの話を、アイザックとヘンリーは目を見開いて頷いているが、その表情は、わかったというより、驚きの方がはるかに強いという感じだ。
「なんだか旧世界の音楽形態って、今の僕たちのものとは、かなり違うみたいですね。その、ストリーミングというのは、同じようですが。音楽そのものも、違うんですか?」アイザックが問いかけた。
「そうだね。いろいろ違うだろうね。まず、僕たちは自分で音楽を作る。歌詞もメロディもアレンジもね。それから、君はジャスティンに楽器演奏者というのはプログラマーかと聞いたらしいけれど、違うんだ。たしかに僕はシンセサイザーを扱うからプログラミングも少しやるけれど、ジャスティンやロビンやジョージは違う。楽器演奏者というのは、コンピュータに自動演奏させる人じゃなく、自分の手とそれから足もちょっと使って、直接楽器から音を引きだす人のことをいうんだよ」ミックがそう説明していた。
「と、いいますと……?」
「わからないかもね。この時代には、直接演奏しなければならない楽器がないのだから。じゃ、百聞は一見にしかず。これから僕たちは許可をもらって演奏しにいくところなんだ。一緒に来るかい? そうすれば、君たちにも僕の言っている意味がわかると思うよ」
「いいんですか? ええ、ぜひ一緒に行かせてください!」
 ミックの言葉に、二人は同時に目を輝かせ、頷いていた。

 演奏許可をもらい、アイザックとヘンリーも一緒に物流センターの十階倉庫へ行くと、機材はもう運搬用ロボットたちの手によって運びこまれていた。ケースごとだが。久しぶりに愛用の楽器に触れて、まるで懐かしい友達に出会ったような感じだ。でも、さてセッティングをしようとして一瞬、はたとつまずいてしまった。ここは未来世界だ。アンプをコンセントに繋ごうとしても、それらしきものはどこにも見当たらない。そういえばここの電気は変換されて床に流れていると、言っていたっけ。
「そのことについては、方法を聞いておいたぞ」
 ロブがポケットから、数個の銀色の丸い筒を取り出した。直径はおよそ二インチ、厚さは一インチくらいの円盤で、上にコンセントの差し込みがついている。
「これはACコンバータだそうだ。ここじゃめったに使わないもので、なんでも新世界の初期に、昔からある装置を動かすために使っていたらしい。今じゃ博物館に保管されている代物だそうだ。それをアンダーソン市長に直接お願いして、借りてきたんだ。床の上において、その上のコンセントに、機材の電源を差し込めばいいらしい」
「でもロブ、交流規格やコンセントの形状は合っているかい」ミックがちょっと不安そうに聞いている。
「その点は確認してきたから、大丈夫だ」
 僕たちはアンプのプラグをそのコンバータに一つずつ差し込み、床に置いた。でもPA関係の機材はクルーがトラックで運搬しているので(もともと僕らのものでもない)、PAダイレクトで送るヴォーカルとキーボードの出力先がない。仕方がないから、二台ずつあったギターとベースのアンプを、一台ずつ代用することにした。ちょっとオーバードライヴ気味になるので、きれいに響かせるために、調整が必要だったが。そしてセッティングをすませ、音を出してみた。電源が少し心配だったが、音は普通だ。
「ああ、出たよ。良かった!」思わずそんな声が漏れた。みなも同じようだ。
「俺はエレクトリック関係ないぜ。停電したって、ドラムソロはできるさ」ジョージがちょっと得意そうにスティックを振りながら、そんなことを言っていたが。
 改めてそれぞれのポジションにつき、音を出してみる。僕も裏に張りつけてあったピックを手にとって弦に触れ、軽くディストーションをかけて弾いた。アンプから返ってくる音。僕の出したかった音。聴きたかったサウンドだ。しばらく忘れていた情熱、音楽だ。
 ウォーミングアップとしてロックのスタンダードを何曲かやった後、ファーストアルバムの曲を全部おさらいした。何も考えられなかった。ただ本来の自分たちを取り戻した喜び、音楽の興奮。それだけしか感じない。ギターもまるで僕の一部のように、思いのままに音を出してくれる。二人の観客のことすら、いつのまにか忘れていた。
 陶酔から少しだけ我にかえった時、晩秋の短い日はもう落ちていた。倉庫というだけあって、ここはあまり窓の多くない部屋だけれど、僕の立ち位置のちょうど正面にひとつ、普通サイズの窓がある。そこから、街が見晴らせた。僕は手を止めて、外の光景を見た。公園ゾーンの向こうに広がる、無数の灯火。それは僕らの故郷トロントの夜景を思い起こさせた。ここでも人は生きている。この世界のもとで生活している。たとえ時代が隔たっていても、世界が隔たっていても、生きる人たちの本質は、そんなに変わりはしない。そして自然も。いくら四季をコントロールしても、太陽の運行や時間の流れまでは止められない。
 不意にこの世界が、親しみ深いものに思えてきた。ここも決して異世界ではない。多くの善意の人々が日常を営んでいる、普通の世界だ。たとえ環境は僕たちの時代と大きく変わっていても――どこにいても、人間はみな精一杯生きている。
「ああ、何か曲ができそうだ!」
 僕はギターを握り直すと、弾き出した。メロディが流れ出してくる。フレーズが溢れ出ていく。やがてロビンが、ジョージが、ミックが同調して続いた。音楽が、楽器群が大きな流れになって部屋に渦を巻く。パターンはさまざまに変化しながら、やがてひとつのまとまりになり、形を作っていく。
「おーい、これで歌が入れば完璧だぞー」僕は呼びかけた。
「そんな急に無理だよ! しばらく四人でやってて!」
 エアリィは床を歩きながら、僕らに叫び返す。曲作りでは、彼はいつも僕らのセッションを聞きながら、ヴォーカルパートのインスピレーションが出てくるのを待っている。その間に、僕たちは自分のパートをより練りあげていく。五、六回同じことを繰り返しても、七回目に新しいアイデアが出てくることもある。だんだんと流れがタイトになっていく。ロブはミックがいつも持ち歩いているノートパソコンを機材につないで、録音しているようだった。
 やがてエアリィはふっと窓に歩み寄り、外をじっと見ていた。と、「ああ」と小さな声を上げて、頭に手をやり、目を閉じた。おそらく僕の感じている主題、思いが彼にも伝わったのだろう。そういうことは、ファーストアルバムのマテリアルを作っている時にも何度かあった。音楽を通してのコミュニケーション――数分後、彼は小さく言った。「ああ、書くものないけど、まあいっか……」
 最初の数曲は文字通り頭の中だけでの構築だったけれど、それからはノートに歌詞だけを書く方法で作り始めた。言葉を視覚的に見たほうが、イメージが湧きやすいと。でも今回は何もないので、元に戻ってやらざるをえない。それからさらに十分ほどたった頃、エアリィはぽんと両手を打ち合わせ、僕らに宣言した。「うん、出来た!」
 そして曲はフルパートになり、完全形となって、新たな命を持つことになる。まだアレンジを練る余地はあったけれど、出来あがった曲は、創作の歓びを取り戻させてくれた。僕たちの感じた思いが、この六分の曲に集積されている。今、五人の心が一体になって、一つの曲が生まれた。
 出来上がった曲の譜面を起こそうとして、僕はやっと二人のギャラリーのことを思い出した。最初に演奏を初めてから延々四時間近く、二人は倉庫の椅子に腰かけて、じっと聴いていたことになる。時計を見ると、もう夜の八時を回っていた。
「ああ、ごめん。すっかり夢中になっちゃって。退屈だった?」僕はそう声をかけた。
「それに音大きくて、びっくりしちゃったんじゃない?」と、エアリィも問いかけている。
「いいえ、とんでもない!」アイザックとヘンリーは、同時にかぶりを振った。
「それどころか、感激してます、とても。確かに音は大きくて、最初は驚きましたが、それ以上に……僕たちも、すっかり夢中になってしまいました。あんな音楽を聞いたことがありません。なんだか変な感じですよ。どう言ったらいいのかな……そう……気持ちが深く揺さ振られるような、そんな気がしたんです。それで、すっかり我を忘れてしまいました。もう二十時十五分なんですね。そんなに遅くなったのすら、わかりませんでしたよ。すっかり夕飯を取るのを忘れてしまいました」アイザックは、心から興奮しているような口調だった。
「うん、考えたらお腹すいたね。夕食、どこか外で一緒に、っていうのは、ここじゃ無理なんだけど」エアリィがちょっと首を振って小さく笑い、
「レストランとか、ないからな。部屋で食べるしかないし」僕も苦笑した。
「あなたたちがよければ、あなたたちのお部屋で、一緒に食事を取らせてくれませんか? 僕たちの分は、家に帰ってとってくるのは少し時間がかかるので、今、配送センターに注文しますから」アイザックがそう提案し、
「ああ、もちろん!」と、僕たちはいっせいに頷く。
 僕たちは機材を片付けてから、アイザックとヘンリーと一緒に仮住居へ戻った。自分たちの夕食を調理器で順番に温めている間に、ゲスト二人の分の食事が届いた。ベッドスペースの横に立てかけてあった予備の椅子を二つ持ち出し、僕たち八人はテーブルを囲んだ。

「楽器を自分で演奏するということの意味が、君たちにもある程度はわかったかい?」  食事が終わり、ドリンクメイカーで作ったコーヒーを飲んでいる時、ミックが穏やかに笑って、そう問い掛けていた。
「ええ」二人は同時に頷いていた。
「最初は自分でしなければならないなんて、めんどうだなと思ったんですが、あなたたちの演奏はコンピュータよりも、ずっとすてきで、衝撃性がありますね。あなたたちの楽器が違うからですか?」アイザックが熱心な調子で、そう聞いてきた。
「楽器云々よりも、何より大切なのは、人間が演奏しているということだよ。プレイヤーは、自分たちの指先に感情をこめることが出来るんだ。微妙な間のとり方、タッチの仕方、力の入れ方、そんなものを通じてね。楽譜どおりにやるっていうことにかけては、たしかにコンピュータ演奏の右に出るものはいないだろう。だけどね、機械には感情的なニュアンスは表現できないと、僕は思うよ。音楽というのは、それにともなう感情がなければ、決して人の心に訴えかけるものは出来ないと思うんだ。この世界の音楽には、それが欠けている気がするんだよ」ミックがゆっくりした口調で、説明している。「特に僕たちの音楽はロックっていうジャンルで、比較的歴史が新しいけれど、この時代ではなくなっているんだね。でも、わかる気もするよ。ロックはある意味、欲求不満と熱情が生み出す音楽なんだ。少なくとも、ジャンルとして円熟してくるまでの、十数年間の間は。ここにはそういった土台はないようだから、発生しにくいのかもしれないね。でもどんな形であれ、本来音楽は人間の手によるものでなければならないと、僕たちは思っているんだ。音楽だけでなく、美術も文学もね。芸術は人間の感情を必要としているんだよ」
「なんとなく、あなたの言うことはわかります。あなたたちの演奏を聞いていると、たしかにそんな感じがしますから」アイザックは熱情と当惑の入り交じったような表情を浮かべていた。「でも、あなたたちが帰ってしまったら、もうそういう音楽は聞けないんですね。残念です。僕は今の時代の音楽は、単なるBGMにしか感じなくて、あまり好きではなかったんです。でも、あなたたちの音楽は違う。あんな素晴らしい音楽が、僕らにもできたらいいですね」
「教えてもらえないかなあ」  ヘンリーが独り言のようにつぶやき、二人は顔を見合わせていた。
「そうだ。教えてくださいませんか!」アイザックはテーブルに身を乗り出し、熱のこもった口調で訴えてきた。「あなたがたが帰るまでに、あまり時間がないのはわかっていますが、この時代に、少しでも感情のある音楽を残していってください。それを僕たちに教えてください。お願いします。僕たち、おおよそ音楽に関しては何も知識がないんです。クラシックや基本的な音楽理論なんかは、勉強すればある程度わかるんでしょうけれど。でもあなたたちのやっている音楽は、ここには何もデータがないし。僕たちは練習の仕方さえ、わからないんです」
「そうだ。うん、新世界に音楽を持ち込む。これは、なかなかのアイデアだよ。一から、もう一度ロックを起こすのって、悪くないよ。すばらしい事だ!」
 僕はその考えに、すっかり興奮してしまった。
「教えてあげるよ、喜んで。でも本当は君たち二人だけじゃなく、もっと大勢の人にも教えられたらいいんだけれどね。少なくとも僕たちのやっているような音楽形態だと、最低三人、できたら四、五人は欲しいから。でも、今から希望者をつのって全員に一から教えることは、無理みたいだね」ミックが考え込むようにゆっくりと言った。
「全員に教える時間はないだろけど、聞いてもらうことくらいは、できるかもよ」
 エアリィがいたずらっぽい調子で言い、僕はすぐに意図が飲み込めて、手を打った。
「そうか。演奏会か! 明日の夜までは僕らここにいるわけだから、その時間はあるよな。当然許可はいるだろうけれど……そうだ、公園あたりで夕方やるのがいいかもな。僕らの置き土産だ」
「ああ、ぜひそうしてください!」アイザックとヘンリーは同時に叫んだ。
「明日の朝許可をとって、午前中に告示を出せば、夕方きっとかなりの人が来てくれると思います。ここでは、あなたがたは一番の有名人ですからね」
「なかなかおもしろそうじゃないか。ここじゃ、この手の音楽はないわけだからな。俺たちも、ちょっとしたビートルズ気分になれるかもな」ジョージも目に笑いをちらつかせている。
「そうだね。そしてとりあえずジョンソン君とメイヤー君の二人に、出来るだけの基礎を覚えてもらって……もちろんある程度、記録もとってね。あとは僕らの演奏を聴いて幸運にも興味を持ってくれる人が出てきたら、君たちがその人たちに、教えてあげればいいよ」ミックが笑みを浮かべて、アイザックとヘンリーを見、
「じゃあ、そういうことで……君たちは聞きたいことあるかい? 俺たちでわかることなら、何でも答えるぜ」ジョージがコツコツとテーブルを叩きながら、ウィンクをしている。
 アイザックとヘンリーはさまざまな質問をし、僕らはそれに答えた。できるだけわかりやすく――それは僕だけでなく、ミックやジョージも気をつけていたことらしい。でも、答えにつまるものも多くあった。どうしたら曲が書けるかとか、即興で演奏して、どうして全員の呼吸を合わせることが出来るかとか、これは一言では答えられない問題だ。感じでわかるというのは、言葉では説明しづらい。
 とりあえず僕たちはロックバンドの基本的な編成や、それぞれのパートの役割、基本コード進行、簡単なリズムパターンなどを教えた。そんなことをしているうちにいつのまにか夜は更けて、十一時をとっくに回ってしまった。
「今日は、ここまでにしたらどうだ?」
 ロブが僕らを見回し、肩をすくめながら、ついにそう提案した。「君たちは一度家へ帰って、明日の朝、食事がすんだら、ここへまた来てはどうだろう。その時に、実践を教えてもらうといいよ」
「そうですね、そうします。こんなに遅くまで、ありがとうございました」
 二人は礼を述べ、帰っていった。
 僕たちはその後すぐに交替でシャワーを浴び、ベッドに入った。この世界で過ごす最後の夜は、夢のない眠りと一緒に過ぎていった。

 ここでの最後の日、夕方六時(時刻は二四時間制なので、十八時だ)中央公園でのコンサートは、朝のうちに大統領や市長の許可がおり、午前十時から、一般の人たちにニュース回線を通じて告知されることとなった。
 アイザックとヘンリーは、僕たちが朝食をすませてまもない時間に、もうやってきた。僕たち八人は連れ立って再び倉庫へ行き、途中で一度お昼を食べに部屋に戻った以外、午後遅くまで、新世界への若者に贈る音楽レッスンに費やすことになった。
 教えたことは主にギターやベース、ドラムス、キーボードの仕組みや弾き方の基礎だ。二人は熱心な様子で話を聞き、繰り返し質問し、携帯用の小さなコンピュータに何事か打ち込んでいる。そして一人が練習をしている間、もう一人は携帯用ビデオカメラを持って、その様子を撮影していた。
 実際の練習は、二人ともまったくの初心者だけに、悪戦苦闘の連続という感じだ。彼ら自身ももどかしく思うらしく、何度も頭を振ったりため息をついたり、でも二人とも非常な熱心さで覚えようとしているようだ。ただし、初心者だから覚悟していたこととはいえ、はっきり言って二人とも恐ろしく下手だ。ドラムスは右手と左手のアタックがずれまくったり、バスドラがお留守になったり、テンポが不均一だったりして、仮に他のパートがどんなにうまい人がやっていても確実に足を引っ張られるだろうと思えるほどの、見事なリズムを刻んでくれたし、ギターやベースはフレット上の音の位置がわからないと言って、スケール一つ弾くのに四苦八苦し、コードがうまく押さえられないと、また四苦八苦している。特にギター初心者の鬼門、FコードやBコードは、彼らにもやはり難関だったようだ。おまけに、ピッキングのひどさといったら、おせじの言葉すら出ないくらいだ。
 僕たちは何度も繰り返し教えた。スティックの持ち方、叩き方、フレットの読み方、押さえ方、ピッキングの方法。本当に初歩の初歩だけれど、どんな音楽の道もここから始まる。初めて自分がギターに触ったころのことを思い出した。音取りでつまずき、コードでつまずいた、十二才になったばかりの自分を。なかなか思うように指が動かなくて、何度も「もういやだ!」と投げ出そうとした昔を。でも、少しずつ弾けるようになっていくにつれ面白くなり、いつしかそれが自分の生活の一部になっていった。今はプロになった僕でも、初めて触ったギターに四苦八苦していたあの日から、すべてが始まっている。最初からうまい奴なんていない。誰でも最初は初心者だ。アイザックもヘンリーも指は真っ赤になり、かなり痛そうだったが、それでも泣き言を言わず、練習を繰り返している。そう、その熱意さえあれば、きっと上達できるだろう。
 アイザックもヘンリーも、キーボードだけはそこそここなした。普段からコンピュータの操作や簡単なプログラミングに慣れているのだろう。僕には煩雑だと思えるシンセサイザーの仕組みや操作も、違和感なくマスターしているようだ。けれど、やっぱり両手弾きになると、つまずいていた。両方の手をばらばらに動かすなんておよそ不可能だ、なんて言う。それが出来なければ、どんな楽器もマスターできないと思うのに。
「慣れれば出来るよ。両手弾きの場合は、まず片方ずつ楽に弾けるようになるまで練習して、それからゆっくり合わせる。そうすれば、だんだんうまく出来るようになるよ。結局は何回も反復することによって、身体に覚えこませるしかないんだよ。どんな楽器でも、すべて反復練習が基本なんだ。そのうちに、だんだん楽にできるようになっていくからね」ミックが辛抱強い口調で、そう励ましていた。
「なかなか難しいものなんですね、楽器を演奏するのって。もっと簡単に出来るのかと思っていました」アイザックは鳶色の髪を掻きむしりながら、ため息をついている。
「そりゃあ、すぐにうまく弾けるようにはならないよ。僕らだってみんな少なくとも五、六年は毎日毎日欠かさず練習して、やっと今のレベルになったんだから。肝心なのは、これからの練習さ」僕は指を振った。数時間の練習でマスターできるようなら、僕たちだって苦労はしない。
「そうなんですか。そんなにかかるんですね。でもコンピュータは苦もなく演奏するのに、人間がやると、なぜこんなに難しいんでしょう」ヘンリーが不思議そうな顔で首を捻ると、ジョージが熱のこもった口調で、こう答えていた。
「そりゃ、コンピュータはこっちがやらせたいと思うとおり、一発で間違いなく正確にできてしまうからだよ。だが人間の手足の場合は、そうもいかないわな。最初はなかなか言うことをきいてくれないもんだぜ。楽器の練習は、一に忍耐、二に忍耐、ひたすら我慢の繰り返しなんだ。でもなかなか出来ないだけに、出来た時は本当に感激ものなんだぜ」
「そうですね。たしかに僕らの身体は、コンピュータのように思い通りには、動いてくれませんね」アイザックはため息をついて、真っ赤になった自分の両手を見ている。
「でも、僕たちは自分の手で演奏することを望んで、無理を言って教えてもらったのだから、これくらいで挫折はしていられません。僕らでも、これからずっと練習を続けていけば、いつかあなたたちのように、うまく演奏できるようになれますか?」
「それは保障するよ。僕たちだって、決して特別じゃないんだ。僕たちの世界には、もっとうまい人が大勢いるよ。僕たちはまだ、プロになったばかりなんだ。これからの努力が必要だというのは、僕たちだって同じだよ。お互いにがんばろうね」
 僕は思わず、二人の手を取った。
「ええ、ありがとうございます」二人は礼儀正しく礼をのべている。
「もう十六時近いんですね。ずいぶん長い時間、ありがとうございました。でも、あなたたちの音楽を聴いていたり、楽器の練習をしていたりすると、僕らも時間がたつのを忘れてしまうほど、短く感じられますよ。こんなに長い時間が経ったとは、思えませんでした。どうしてなんでしょうね」アイザックが不思議そうに言うと、
「君たちが心から音楽に興味を持って、好きになってくれているからだよ。僕らもよく音楽に熱中していて、時間を忘れるんだ。君たちも僕らと同じ、音楽を愛する同志だね」ミックが穏やかに微笑して、答えていた。
「そう言ってもらえると、うれしいです。これからもがんばって、練習しますよ」
 アイザックは表情を輝かせた。ヘンリーもその横で、何度も頷いている。
「ただ、全部は無理だろうね。一応他の人たちに教えてもらうために、ひととおり四つの楽器の基礎だけは教えたけれど、その道のエキスパートになろうと思ったら、それからの突っ込んだ練習は、一つか二つに絞ったほうが無難だよ」ミックはそう言葉を継いでいる。
「どうやって絞りこみますか?」
「とりあえず四つとも練習を進めていけば、自分はこの楽器の方がほかのよりも楽に出来るとか、弾いていて楽しいと感じるものが、出てくるはずだよ。それを選べばいいさ」
「そうですね。でも、とりあえず後の人たちのために、基礎は全部マスターしなくては。あ、そうそう。ひとつ大事なことを忘れていました。楽器は一通り習いましたけど、歌を自分で歌う場合、基礎知識とか練習は必要ないのですか? 僕たちのように、元々上手でない人が上達するには、どうすれば良いんでしょうか」アイザックは頷きながら、そう問いかけてきた。
「そうだねえ。ヴォーカルの場合は、楽器演奏よりも素質に左右されるパーセンテージが高いような感じだからね」ミックが考えるように言い、ついで苦笑して肩をすくめた。
「ほら、エアリィ。君の専門なんだから、あとは任せたよ。とは言っても、ウチのシンガーは天才だけど技術的じゃないから、人に説明できるかな?」
「それは言えてる!」ジョージと僕は同時に声を上げ、肩をすくめて笑った。
 たしかにエアリィは、一言で言うなら技術より感覚と直感のシンガーだ。ヴォーカルのことは僕もそれほど詳しくはないが、少なくともいろいろな歌唱上のテクニックというのがあるのは知っている。でもいつか彼に、『おまえはそういうのって、覚えないのか?』と聞いたら、『必要? 僕は今のとこ、必要感じてないし』と返してきた。僕らもみな、それはそうだと思い、それ以上突っ込まなかった。曲作りでも理論より感情だし、それが彼の特性であり、強みだと僕も思っている。
 だからなのか、彼は音楽セオリーを覚えようとしない。その気になれば、たぶん一時間もかからないで、僕らよりはるかに詳しい音楽理論を身につけられる能力はありそうなのだが(あの読書スピードと、読んだら完璧に理解して覚えることができるのだから)、『なんか理論覚えてその通りやろうとしたら、類型的な奴ができそうな気がする』と言って、見ようともしていないようだ。だからここで僕たちがアイザックとヘンリーに理論を教えているのを聞いて、「へえ、そう」「ふうん」などと、二人と一緒になって相槌を打っているありさまだ。おまえに教えているわけじゃない、というか、今までにも僕らが教えているくらいの理論を覚える機会なんて、腐るほどあっただろう。おまえならものの三十分かそこらでできそうなのに、とあとで言ってやろうと思っていたところだった。しかもただ聞いているだけでなく、時々「その理論、なんか変」とか、「快不快って言葉、好きじゃないなぁ。和音の気持ち良さなんて、聞き手にかなり左右されない?」などと、邪魔になるような茶々を入れるから、ますます困る。しかも「人間の手足はなかなか自分の思うとおりに動いてくれない」というやり取りに、ぽそっと小さな声で「そうか……やっぱ普通の人って、そうなんだ」と、少し感嘆したようなトーンで呟いていた。
 勉強や運動もそうだけれど、造作もなく出来て当然という人間には、わからない人がどこがどうわからないのか、それが理解できないから、他人にわかりやすく教えるということも苦手らしい。ハイスクール時代、僕やロビンがわからない問題を聞くと、答えは教えてくれるものの、その解法の道筋に僕らがついていけるかどうかは、まったくお構いなしという感じだったのと同じように。
「歌の基礎練習? 発声とか、そんなの? いるのかな? まあ、あったほうがいいんだろうけど、僕は正式にやってないから、わかんないや」
 生徒の質問に対するエアリィの答えは、やっぱり思いっきりあてにならない。
「おまえなあ、仮にもプロだろ。わからなくてどうするんだ。本くらいすぐ読めるんだから、勉強しとけよ」言っても無駄とは思いつつ、僕は思わず苦笑した。
「でもあなたは、とてもとても歌が上手ですよね。それにすごくすてきな声ですが、それは生まれつきなんですか?」アイザックは懲りずに聞いていた。
「あは、ありがと! けどさ、声は生まれつきだから。それにどんな声が良い声で、どんなのがダメかなんて、聴いた人の好き好きだって思うし、どんな声だって本当の悪声なんてないって、僕は思うけど。ただヴォーカリストってインストに比べて、体調がもろ出るんだ。カゼひいたり、寝不足だったり、疲れすぎたりすると、声が出にくくなったりして、けっこう体力勝負な部分があって。基本ドラムとヴォーカルは肉体労働だけど、別の意味で。普通の持久力とかじゃない、歌い続ける体力が必要になるみたい」
「そうなんですか。では、その体力はどうやってつければいいんですか?」
「うーん、よくわからない。ある程度慣れでなんとかなる部分もあるよ」
 おい、それじゃ答えになってない、と僕は突っ込みそうになった。アイザックとヘンリーも、ポカンとしたような、困ったような顔だ。
「あ、でもね。一応僕も発声法は知ってるよ。ちゃんと声を出せてたら、咽喉もあまり傷めないと思うし、それは基本かもね。子供のころ聖歌隊にいた時に、教わったんだ」エアリィにも相手の困惑が少しはわかったのだろう。ちょっと肩をすくめ、そう言葉を継いでいた。
「それはどんなものですか?」
「腹式呼吸は知ってる? 胸じゃなくて、お腹から息を吸って吐く。ここでも、生理学とかの文献に載ってたよ。発声の基本は、まず腹式呼吸なんだって。背筋を伸ばして、息の通り道を作って、吐いていく。それをすべて声にして……こんな感じ?」
 彼は実際に発声してみせた。エアリィだと、この「Ahhh」という発声は非常にきれいに響く。でもアイザックとヘンリーが「こんな感じですか?」と同じようにやってみた時には、まるで首を絞められた鶏を連想させて、思わず笑いを堪えるのに苦労した。もっとも僕だって『ちゃんと発声してみろ』と言われたら、彼らを笑えはしないが。
「だめですねえ、僕らじゃ。やっぱり、歌は生まれつきの才能ですか?」
 アイザックとヘンリーも悟ったらしく、苦笑して首を振っている。エアリィは彼らの発声を聞いて、小さく「プハッ」と笑ってしまっていたが(僕らは我慢したんだから、笑うな、と言いたいが、それを言うと追い打ちになる)、小さく首を振りながら、答えていた。
「だめだっていうのは、まだ早いと思うけど。何回かやってくうちに、コツをつかめるかもしれないし。それにまあ、歌なんて自分で楽しく歌えてれば、それでいいと思うし」
「それだと、はっきり言ってカラオケレベルだぞ」僕は思わずそこで、そう口を出してしまった。
「でも、ここじゃ商業音楽ってないんだし、まず自分でやってみることからなんだから、最初はカラオケ的でもいいと思うんだ。それで歌っていくうちに、自分なりの表現とかできてくるかもしれないし」
「まあ、それはそうだが、とりあえず今は、単なる自己満足じゃない、人に聞かせることのできる音楽を目指しているわけだから。ジョンソンさんもメイヤーさんも」
「うん。でも最初は楽しんでやることが大事なんじゃないかな。楽しくないと、続かないと思うし」
「いや、楽しくないこともあるだろうさ。でも、その先の上達を目指してやっていくわけだ。おまえには、わからないかもしれないが……」
「うーん。まあ、上を目指して、っていうのはわかるけど……」エアリィは少し黙った後、ちょっと首を振って言葉を継いだ。「でも、どうやったら歌が上手くなるかって言われても、僕にはわからないなあ。歌っていけばいろいろわかることもあるから、まずそこからやっていけば、としか言えないし。そもそも、どういうのが上手いのか、僕にはよくわからないんだ。で、人に聞かせる場合には、相手に伝わっていれば、いいんじゃないかって思う。たしかにね、技術的なことっていうのもあるだろうけど、僕は普段意識してないから、説明はできないし。ちゃんと声を出すっていうのは、必要だと思うけど。咽喉に負担かかるだろうし、細い声だと楽器の中に埋もれちゃうから。それとね、僕の場合だと、自分で作るのは僕の感情だし思いだから問題ないけど、人の歌の場合だと、歌詞読んで、それで自分の中に響くかどうか見てるんだ。響けば、あ、歌えるって思うし、響かないと、あ、ダメだって思っちゃう。気持ち入れて歌えないから、あまりうまくできないな、って」
「おまえはそうだよな。まあ、僕も似たようなものかもしれない。その曲が気に入るかどうかは。歌じゃないけどな」僕は思わず肩をすくめた。
「でもエアリィ、それをもうちょっと具体的にジョンソンさんとメイヤーさんに、説明してくれるとありがたいな。発声法はさっきやったからいいとしてね」ミックが苦笑しながら口を出してきた。
「具体的に? って、すごく説明しづらい、それ。あー、自分はこれを表現したいって思えることが、僕にとっては第一なんだけど、そう……何のために音楽をやるのってきかれたら、一つには楽しいから。もう一つは、人に何かを伝えたいからって、僕は答えるかな。だから……うーん、あなたたちは何を思っていて、何を伝えたいかなって、それを考えることからだと思う。少なくとも、楽器に負けない音量で声が出てて、音階も外れてなかったら、あとは気持ちが入れば、僕はオッケーだと思う。中にはオンチさんもいるけど、その場合は……うーん、あきらめるか、それでも突き進んで新しい味わいを作るか、かもね」
 新しい味わいって――おい、おまえにはありえない話だろうから、そう簡単に言えるだろうが、音痴ならその時点で諦めた方が身のためだと、僕は思うが。特に、人に聞かせるのだったら。だから僕はコーラスさえ諦めたんだぞ、と思ったが、口には出さなかった。
「そうなんですか……伝えたいこと。何かを伝える、という目的があればいいんですね。でも僕ら、個人的に歌う分にはいいんですが、人に聞かせるとなると、楽器に負けない声は出せないかもしれないですし、正しく音が出ている自信もないですから、もとから歌が上手い人を探した方が楽ですね。ありがとうございます」
 アイザックが少し苦笑しながら頷いて、頭を下げた。ヘンリーも同じようにしている。
「ああ、もうあなたたちの野外演奏会まで、あまり時間がなくなってしまいましたね。こんなに遅くまで付き合ってもらって、本当にすみません。僕たちも準備を手伝いますよ」  アイザックが時計に目をやって、少し慌てたように言い、
「壊さないだけまし、という程度しか出来ないかもしれませんけれど」と、ヘンリーは少しおどけたように付け足していた。




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