The Dance of Light and Darkness : 光と闇の舞踏

第六章 氷の国セレイアフォロス(4)




 氷の巫女は台座に座ったまま、眠っていた。両手は肘掛の上にだらりと置かれ、その右手には、たくさんの氷のかけらがついた錫杖を握られていたが、少し緩んだ状態になっているためだろう、斜めに傾いでいる。薄い水色の衣を着て、水色の髪を肩にたらし、少しうつむいて目を閉じている。年齢的には、七、八歳くらいに見えるが、その顔立ちからは、男の子か女の子かは、わかりづらい。
 一行は、持ってきた“永遠の炎”をライエヴァリ神官長に手渡すと、彼女はそれを、巫女の膝の上に置いた。そして、その傍らに控えている少女に目を向け、頷く。白地にキラキラ光る薄い水色の生地を重ねた、丈の長い洋服をまとったその少女は、立ち上がった。両手を前に組み合わせ、巫女に目を注いで、歌いだす。氷の神殿の歌姫だ。その澄んだ声は巫女の間の四方の壁に反射し、空間を震わせるように響いた。
 神殿歌姫の歌は、以前アンリールで聞いたことがある。その候補であった二人の少女、セアラーナとアマリラは、それぞれに素晴らしい歌声を持っていたが、二人で同時に歌った方がより効果が増すと、二人同時に採用になった。それは、異例のことらしい。神殿歌姫がいるのは、アンリールとセレイアフォロスだけだが、その両国の長い歴史の中でも、たいていは一人で、その一生分の声を、三年、長くて余年の間に使い果たす。そうして声が出なくなると、次の歌姫候補が選ばれるのだ。
 氷の神殿歌姫は、まだ成人していないか、していても間もないだろうくらいの年齢に見えた。水色の髪を背中にたらし、目を巫女に注いだまま、表情を動かさずに歌い続ける。巫女の膝に置かれた“永遠の炎”は小さく燃え続け、歌姫の声は響き続ける。
 巫女の手が、微かに動いた。やがて右の手は錫杖を握りなおし、左の手はゆっくりと膝の上を滑って、“永遠の炎”が入った器を握る。それを握りつぶすような動作をすると、小さな音と光が放たれた。同時に、巫女が目を開いた。深い水色だが、他の巫女と同じように、少し紗がかかったような眼だ。巫女は身じろぎをし、小さく頭を振ると、椅子に座りなおした。
「おめざめでございますか?」
 問いかけるライエヴァリ神官長に頷き、巫女は口を開いた。
「しばらく続けよ、エマリス」
 それは神殿歌姫の名前らしい。なおも少女は歌い続けた。柔らかい、包み込むような感情を起こさせる旋律だ。やがて巫女が片手を上げた。
「もうよい」
 少女は歌をやめ、再び跪く。神官長が巫女を見、ついで歌姫に目を移した。
「下がってよいぞ、エマリス」
 少女は一礼し、退出していった。
「不覚だった。我が眠ってしまうとは」
 巫女は神官長を見、ついでディーたち一行に目を移した。その声や表情に、少し少年らしいものを感じさせる。巫女は短く続けた。
「感謝する」
「とんでもございません」
 一行十二人は膝をつき、頭を下げた。
「――レラの減衰かと思ったのですが、そうではないようですね」
 ディーがそう口を開いた。神官長は彼に目を向け、表情を変えずに頷いた。
「そう。レラの暴走です。前に言った通り。氷の力は、強すぎるとすべてを凍らせます。精霊様も、力が集まりすぎて、凍ってしまわれたような状態だったのでしょう。それゆえに、炎の力が必要だったのです」
「そうなのですか」
「アンリールと我がセレイアフォロスは、同じ水のエレメントを源に持つ兄弟国ですが、性質が少し異なります。アンリールは流れる水、情動と、抒情的な美をつかさどりますが、セレイアフォロスは冷静さと、研ぎ澄まされた美を持ちます。氷は、冷たいけれど美しい。それが我が国の象徴でもあります。しかし、動かない情動になってしまうと、感じる心を失ってしまいます。ちょうどフェイカンが、国民の怒りの心が炎のレラを暴走させて、火山を噴火させたように、ここセレイアフォロスでも、国民の無関心、冷たい心がレラを暴走させると、凍り始めてしまう。しかし、前にも言いました通り、その進行が予想外に早かったのです」
「そうでしたね。たしか、ミディアルが滅ぶ四シャーランくらい前から、急激に強まったと」
「そうです。それはここだけではなく、ロッカデールでもフェイカンでも、同じようだったそうです。ロッカデールはもともと前からレラが減衰傾向にあり、鉱山の閉鎖が相次いでいたし、フェイカンでも優越思想とプライドの強さはもともと強くあったそうですが、やはり同じような時期から急激に加速したということでした」
「そうなのですか……」
「巫女様も無事にお目ざめになったので、あなた方には次の仕事をお願いします」
 ライエヴァリ神官長はそう続け、同時に氷の巫女が左手を差し出した。その手の中には、器に入った“永遠の炎”が、小さな赤い光を放ち続けている。神官長はその器を受け取り、壁の小さなでっぱりの上に置くと、一行を再び見た。
「ディジェレ湖原で、“心のかけら”を見つけてくるのでしたか、次は」
 ディーが問い返すと、神官長は相変わらず表情を変えないまま、頷く。
「そうです。ここから北の地は、地図でもわかるとおり、ほとんど人の住まない荒野です。車で二日も走ると氷の海に出、その向こうは北端の果てです。ディジェレ湖原は、その海の手前、五十キュービットほどのところです」
「ということは、ここからかなりかかるということですね。その間に、町や村はないのでしょうか」
「残念ながら、ありません。ですが、宿泊用の家ならあります。地図は持っていますか?」
「はい」
「では、それを貸してください」
 ブランが袋の中から地図を取り出し、手渡すと、神官長はそれを広げ、手をかざした。
「その家の場所を追記しました。全部で三件あります。セマナでは施錠されていませんので、これをお使いください」
 神官長は服の外側に取り付けた袋から、小さな四角い石を取り出した。それは微かに青白い輝きを放っている。
「車とパジェミラは、引き続きこちらで用意したものを使って構いません。その方が早いでしょう。ポプルや水も、こちらで用意します。あなた方は一度宿に戻り、休んでください。明日の朝、こちらから迎えに行きますので」
「わかりました」
 一行は礼をすると、巫女の間を退出した。

 町の北門は小さく、そこを通過すると、一面氷の原だった。白いとがった木々が様々な密度で生えているほかは、白い地面と、薄青い空だけが広がっている。駆動生物たちへの最初の指令は、「町の北門から出て」というものだったので、車は一度止まった。
「ここから先に、道はないんだな」
 ディーが前方に目をやりながら頬をかき、
「そうだね。地図にも記されていないし」と、ブランが手をかざしながら答える。
「セヴァロイスから北は、今まで人が踏み入ったことも、ほとんどないと聞きます」
 指示席に座るクリスタが振り向き、小さく首を振った。
「だから、ぼくもちょっとドキドキしています。道がなくとも、平らだし足場は良さそうだから、パジェミラたちも進めると思いますが、彼らもここから先は行ったことがないでしょうし、道標もなさそうですから、どう指示しましょう」
「方向と、距離しかないだろうね。この三つの家の、どこを目指す、ディー?」
 ブランが地図に手をかざしながら、そう問いかける。
「真ん中の、ここだな」
 聞かれた方は地図に手をかざすと、ある一点を指さした。
「わかった」
 ブランはしばらく空を見上げ、道具袋を探って何か装置を取り出すと、手を上げてそれを左右に動かした。さらにそれを地図の上に乗せ、再び行く手にかざす。
「このまま北に百二キュービット直進、で良いだろう。そのあと西北西に四キュービット。それで、ここに記されている小屋の一つに着くはずだ」
「わかりました。そう指示します」
 クリスタは頷き、駆動生物たちに指示を繰り返すと、車は再び動き出した。
「それは、何の装置?」
 ミレアが不思議そうに、ブランの手元をのぞき込む。真ん中に小さな球があり、その周りに目盛りのついた外周が交差するように二つあって、中の球がくるくると動くようになっている。
「これは、方向を測る装置だよ」
「これも、ブランさんが作ったの?」
「いや、これはアーセタイルで買ったものだ。ミディアルから買い付けたと、その店の主人は言っていたよ」
「あら、それじゃ、元はミディアルなのね。でも、知らなかったわ」
 ミレアは意外そうな顔をした。
「そうね。あたしも知らなかった」リセラも同意する。
「普段、あまり使わないせいだろうね。でもミディアルには、こうした面白い装置がかなりあったものだよ。レラが使えない人なりの、工夫なのだろうね。私の道具箱の中身も、みな私が発明したものと思っているかもしれないが、半分以上はミディアルの人が作ったものだ。ミディアルに来て入手したものはほとんど、あそこを脱出した時に使った船と一緒に沈んでしまったから、今あるものはほとんどアーセタイルで買ったものなんだ」
 ブランは微かに笑みを浮かべながら、装置を再び道具箱にしまった。
 一同の間に、沈黙が降りた。車はその間にも、進み続けている。氷の神殿から貸し出されたこの車には、若い駆動生物が六体も取り付けられているので、かなり速度が出ている。道なき道を走っていくが、下が滑らかな氷のために、振動もほとんどない。とがった木々や、針のような葉を丸くつけた草がところどころあり、時々移動するナンタムたちを見るほかは、ずっと白い氷原が広がっていた。
 四カーロンほど走ったところで、行く手に森が現われた。「迂回して」と指示すると、森と並行して東に走りだし、木々がまばらになって通れる隙間ができた場所まで来て、そこを北進する。氷原に出ると、今度は東に来た分だけ、西に戻っていく。そして再び北進。彼らは、方向や距離も把握しているようだ。
 あと二カーロンほどで日没という頃、車は西北西に進路を転じた。やがて、指示された距離が来たのだろう。駆動生物たちは走るのをやめ、車は止まった。見回すと、少し離れたところに、小さな建物がぽつんと見えた。
「あれがきっと、地図にある家だろう」
 ディーがほっとしたように息を吐き出し、同時に他のみなも、同じように吐息をついた。

 そこは雪を積み上げて固め、囲ったような感じの、小さな小屋だった。扉は透明で薄く、氷のような感触だが、“永遠の炎”を入れた器のように、もしくは氷の神殿に入る前に触れたもののように、氷と石が混ざったような感じだ。扉のくぼみに、神官長から預かった石をはめると、開くことができた。中は色あせた青い敷物が敷かれただけの空間だ。
 小屋に隣接して、四隅に氷の柱を立て、屋根をつけた場所があったので、彼らは駆動生物たちを車から外し、そこにつなぐと、水を飲ませた。
「これじゃ、車もこいつらも、野営と変わらないな。見張りを立てた方が良いんじゃないか?」フレイがそう言い出した。
「でも、こんなところに、人は来ないと思いますよ」
 クリスタが周りを見回し、みなも同じようにする。
「そうだろうな。大丈夫だろう。こんな場所にいるのは、我々だけだろうしな」
 しばらく考えるように黙った後、ディーが首を振った。
「そうね。でもこの家は、いったいどうしてここにあるのかしら。誰かが住んでいたんでしょうけれどね」
 リセラは不思議そうな表情だった。それは他のみなも、感じていたに違いない。駆動生物たちを休ませた場所の近くには、水色の白のポプルがなっている木があり、水をくむ井戸もあったので、食料には不自由しないかもしれないが。

 家の中には、人が住んでいるような気配はなかった。床に敷いてある水色の布は、中に綿が薄く入っているような厚みがあるが、表面は擦り切れてけば立ち、色あせている。夜になろうというのに、家の中に灯りはないので、一行は持っていたカドルを部屋の真ん中に置き、車の中から敷物や上着を持ってきて、その周りに座った。そして白ポプルと水の食事をとった。ポプルも水も持ってきてはいたが、庭からとることができたので、そちらを使うことにした。井戸から汲んだ水は透明で、氷のように冷たかった。
 部屋の隅に氷の神殿の紋章のついた、水色の箱があった。石か金属のような素材で、施錠されており、まるで床に張り付いたように、持ち上げることもできない。その周りに、キラキラ光る水色の粉が散っていて、透明な扉から差してくる名残のかすかな陽の中で、輝きを放っている。ディーはそれを指に取り、眺めた。
「稀石の粉だな、これは」
「本当に?」何人かが、そう呼応する。
「そうだ。ここはきっと、稀石を採掘するための拠点に違いない。この紋章も神殿のものだし、ここを開ける石にしてもだ」
 ディーはポケットから、それを取り出した。扉が開いた後、再び外れて落ちてきたので、持っていたのだ。みなが中に入ったのち、一ティルほどで扉はひとりでに閉まった。中から開けるには、再びその石が必要になるようで、同じようにくぼみがついている。
「これも神官長様から預かったものだから、ここは神殿が管理しているということだ。稀石採掘の場所なら、結界がかかっているはずだから、侵入者の心配はない」
「それなら安心だけれど……でも、あたしたちは通れたわよね。あ、その石のおかげ?」
「たぶん、そうだろうな。それに車も駆動生物も、神殿のものだ」
 リセラの問いかけに、ディーも頷く。
「それにしても、本当に冷え冷えとして寒いよな」
 フレイが上着を身体に巻き付けながら、身を震わせた。
「そうね。あたしもちょっと寒いかも」
 リセラも上着の上から、敷物を被っている。
「寒さに弱いものは、しっかり着こんで、毛布を敷いて寝ろ。カドルも二つ、点けておこう。そのそばに寝るといい。明日はその湖原まで行って、上手く取れたら、日が暮れる前にここに戻ってこれるだろう」
「ほかの二つは使えないの、ディー?」
 ロージアの問いに、聞かれた方は首を振る。
「使えないことはないが、場所的に、一日無駄になるな。日の出とともに――いや、厳密には日の出出発じゃないが。神殿から迎えが来る時間があったからな。我々が北門を出たのは、昼の一カル半過ぎ、いや、二カルの十五ティル前だ。そこから日没までに到達できるぎりぎりの位置にある小屋が、ここだ」
「借りに神殿からの使いを待たないで、俺たちの車で夜明けとともに出発しても、同じかい?」フレイが、そう聞く。
「その場合でも、同じだな。迎えを待っている時間はなくなるが、あの車には駆動生物が三頭しかついていないから、速度が落ちる。いや、たぶんそうなると、ここにすら日没前に着けないかもしれない」
「そうか……」
「ただ、ここからディジェレ湖原までは、この車でも三カーロンほどかかるから、そこでその“心のかけら”とやらを見つけるのに五カーロン以上かかってしまうと、日没までにここに戻れなくなる。その場合、湖原に近い小屋――半カーロンほどの距離のそこに、泊まらないといけない。しかし、そこから翌朝、日の出とともに出発しても、日没までにセヴァロイスに着くことはできない。ここではなく、もう少しセヴァロイス寄りの小屋に泊まらないと」
「ああ、そういう関係なのね。セヴァロイスからディジェレ湖原までに、等間隔で三つ」
「まあ、厳密に等間隔ではないが、ロージア。直線上にもないようだし。でも、そうなんだろう。きっとディジェレ湖原付近が、稀石の採取場所なのだろうな。本当に他に何もない場所なので、セヴァロイスから採取に行くために、この三つの小屋はたてられていたのだろう」
 ディーの説明に、みなは納得したような表情だった。誰も、「それはエフィオン?」とわざわざ問うこともない。そうであることは、わかっているからだ。

 ディジェレ湖原は、どこまでも滑らかな氷の原が広がる場所だった。首都セヴァロイスに行く途中立ち寄ったレイニの故郷、ソレートの近郊にあるサデユ湖原よりはるかに広く、遠くの対岸や東西の果てに、小さく木が見えるだけだ。一行は岸に車を止め、氷の上を歩き出した。透明な氷の下に見える水は淡い色をたたえ、その中に時々、微かな輝きが閃く。
「どうやら、この湖の水の中に、稀石が漂っているんだな」
 ディーは水面を見下ろし、次いで仲間たちを見た。
「でも、このだだっ広い湖のどこに、“心のかけら”があるんだ?」
 ブルーが周りを見回しながら、首を捻る。一同も同じように感じたらしく、当惑した表情で、湖面を見渡していた。
「第一、“心のかけら”って、どんなもの? 知ってる? レイニ、クリスタくん」
 リセラが問いかけた。問われた方は、微かに困ったような笑みを浮かべて、首を振っている。
「まあ、でもその場になってみれば、わかるかもな。俺も“永遠の炎”を取った時、どんなものかわからなかったが――第一、溶岩の中じゃ、目も開けられないからな――手を伸ばしたら触れたんで、つかんだだけだが、それがあたりだった」
 フレイが頭を振り、そして付け加えた。
「だが、問題はどこにあるかだな。あの時みたいに、エフィオンで探すか、ディー?」
「この範囲をか?」聞かれた方は、苦笑を浮かべていた。
「やってみてよ。あたしも力を貸すわ」
 リセラが進み出て、その腕を取っている。
「やってみるか――」
 ディーはしばらくじっと湖面に目を注いでいたが、やがて上を向いて頭を振った。
「いや、エフィオンでは、場所まではわからないようだ」
「そうなの……」
 リセラはがっかりしたような声を上げ、何人かが唱和する。
「ただ、わかったことがある。湖の中央で、純粋な氷の民が祈ること――その祈りが強く、熱く、真剣なものであるならば、“心のかけら”の場所が教えられるだろう、と」
「祈ること――?」
「そうだ。氷の巨人を退治し、セレイアフォロスを救いたいと願えば――真剣に願えば、その祈りが真摯ならば、道は開かれる」
「ぼく、やります」クリスタが一歩前に出た。
「ぼくは氷の民だから。そして、この国を、みんなを救いたいから」
「そうね。私たちの中で純粋な氷の民は、クリスタくんしかいないものね」
 レイニが微かに笑って首を振った。彼女は氷に半分水が混じっているゆえだ。

 湖原は広く、中央まで歩いていくには時間がかかるので、再び車に乗って、そこまで進んだ。この国の他の場所と同じように、湖の氷は分厚く、割れる心配はなさそうだ。車を止め、再び湖の表面に降りた一同は、並んで見ていた。クリスタが歩いていき、「ここが湖の中央だ」とディーに示された場所に来ると、その場に両ひざをつき、両手を合わせて、湖面に向かって頭を垂れた。静寂が流れた。
 どのくらいの時間がたっただろうか。十ティルほどの間かもしれない。静寂が支配していた湖原に、小さな音が響いた。かすかに鐘が鳴るような音だ。その後、高い金属音のような響きがした。何人かが、「あっ」と声を上げた。空に小さな星のようなものが現れ、糸を引くように湖の上に落ちていく。レイニの故郷、サデユ湖原で見た“星の雨”のようだが、あの時のようにおびただしい数ではなく、ただ一個だ。それに、今は昼間だ。あの時のような夜ではなく、空に星など、今まで出ていなかったのだ。
「あれが落ちた先だな」
 ディーが、ため息を吐くように言った。「アンバー。あの方向に、先に行って探してくれ。まだ、かけらが残っているかもしれない」
 言われた方は頷き、翼を広げて湖面の上を飛んでいった。同時に、今まで膝をついた姿勢で屈みこんでいたクリスタが、立ち上がった。
「クリスタくん。あなたの祈りが通じたみたいよ。そっちへ行ってみましょう」
 リセラが声をかけ、少年はほっとしたような表情で頷く。一行は急いで車に戻った。
「どう指示をすればいいですか?」
「今アンバーが、あの星が落ちたところへ向かっているから、『あの飛んでいる彼を追いかけて』で良いわ」
 レイニの言葉は駆動生物にも理解できているが、彼らは指示席に座った人間の言うことしか聞かない。クリスタはそれを繰り返し、ついで湖面に目をやった。
「フェイカンの島に行った時も驚いたんですが……あんなに速く飛ぶ人は初めて見ました」
「あの子は風の民だから、飛ぶのは得意なのよ」リセラが笑って言う。
 みなの眼の先で、アンバーが地面に降り、湖面を指さして何かを言っている。車がそのそばに着き、再び止まってみなが降りてくると、彼は繰り返した。
「そこに落ちていたんだ。レイニの村で見た、星のかけらみたいなものが――あー、でも消えちゃったな」
「まあ、おまえが間に合ってよかった。どこだ?」
 ディーの問いかけに、聞かれた方は、足元からほんの少し離れた場所を指さす。
「そうか。でも、湖面の上には何もない、となると――中なんだな」
  闇と光を持つ一行のリーダーは長い髪を振り、少し困ったような表情を浮かべた、その意味がわかった仲間たちも、一斉に声を上げる。
「この中って、湖の中か? どうやって入るんだ?」
 フレイとブルーが同時に叫び、
「でも、稀石を採取する人たちは、中に入っているわけだから――彼らはどうしていたんだろうな」と、ブランも首を捻っている。
「彼らは氷を切り出す機械を使っていたんだろう。でも、我々にはないな」
 ディーは考えるように湖面に目を注いだ後、火の民の若者を振り返った。
「それならば、氷を溶かすしかない。フレイ、おまえの技を当てれば、溶けるだろう」
「お、覚えたばかりのシェクレが役に立つのか?」
「いや、シェクレは範囲が広すぎる。大穴が空いてしまうぞ。普通の攻撃技でいい。そんなに大きな穴はいらないんだ。人が一人、出入りするくらいのな」
「わかった。でも俺が穴に落ちる危険は避けたいな」
「それなら、僕が空中で支えるよ」アンバーがそう申し出る。
「そうだな。それなら安心だ。我々も、穴が大きすぎると危ないから、下がった方が良いだろう」
 ディーがみなを促し、一行は車と一緒に、少しの距離を置いた。アンバーがフレイを背後から抱え、空中に飛び上がると、フレイが両手を伸ばし、氷の上に火の球を飛ばす。氷に当たった火はジュと音を立てて消え、その周りに浅い穴が開く。それを何発か繰り返すと、子供が両手を広げたくらいの大きさの穴が開いた。
「ここから潜って探しに行くんだな。誰が行く?」
 ブルーの問いかけに、レイニが答えた。
「私が行くわ。あなたには少し水が冷たすぎると思うから、ブルー。それに、純粋な氷の民のクリスタくんは、水の耐性はそれほどないでしょう」
「それはそうだが……大丈夫か、レイニ?」
「平気よ」
 レイニは微かに笑みを浮かべて首を振り、降ろしていた長い髪を、再び上でまとめた。そしてその服のまま、穴の中から湖へと入っていく。
「あまり無理をするなよ!」ディーがその上から、声をかけた。

 透明な氷の上から、彼女の姿がかすかに見えた。円をかくように泳いで、徐々に下に向かっているようだ。その姿が、少しずつ小さく、輪郭もぼやけていく。
「かなり深く潜っているみたいね」
 リセラが気づかわしげな声を出した。
「この湖は、どのくらいの深さがあるのかしら」
 ロージアも湖面を見下ろし、眉を曇らせる。
「そろそろ十五ティルくらいがたつね。レイニは半分水の民だが、ブルーほどには潜れないから、そろそろ出てこないと……」
 ブランは時を測る装置を片手に持ち、顔をしかめた。一同は湖面にじっと目を注ぎ、クリスタは再び両手を胸の前に合わせている。と、見ているうちに、小さかった影が大きくなってきた。やがて、氷の上に片手が出てきた。
「誰か、引っ張り上げて、お願い。この氷、厚いわ」
 声と同時に数人が走り寄って、その手をつかむ。やがてレイニが、氷の穴から出てきた。髪は再び垂れ下がって服の上から降りかかり、その服も水に濡れていて、しずくがぽたぽた垂れている。右手には、何かをしっかりと握っていた。
「これが、“心のかけら”かしら」
 彼女は手を開いた。小さな、ほのかに水色の光をまとった白い球が握られている。
「それだな!」ディーが即座に声を上げた。
「良く見つけられたな、レイニ!」
「私も、どんなものかはわからなかったけれど――稀石は二、三個見かけたけれど――でも、なんとなく見つかるような気がして行ってみたら、それがあったの。私はきっとこれだと思って、つかんだのよ。きっとメリナが教えてくれたのだと思うわ」
 レイニは微笑み、空いた方の手で、胸にかかった、かつての妹だった稀石をなでた。そして珠をクリスタに手渡した。「これは、あなたが持っていた方が良さそうね、クリスタくん。氷のエレメントのものだから」
「はい。セヴァロイスに帰るまで、大事に持っています」
 クリスタは球を受け取り、そっと両手で包んだ後、服の胸についた内袋に入れていた。
 ディーは水に濡れたままの女性を見、次いで仲間たちを見た。
「ありがとう、レイニ。車の中に戻って、着替えてくれ。この時間なら、あの小屋に戻れる。明日には、セヴァロイスに帰れるだろう」




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