関東の山々『 旧500円の富士山が見える』【雁が腹摺山】1874m |
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2003,05,02 お出かけ、5/31掲載 |
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今年の連休は飛び石であった為、子供たちと休みが重ならずに遠出は出来ない状況でした。そこで、こちらに来てなかなか山に出かけなくなったと言った自己反省を打破すべく、5月2日−3日と続けて山に出かけることにしました。と言っても、2日は学校があるため、私一人の単独行と相成りました。お恥ずかしい話ですが、なかなか山に出かけれなかった為、めぼしい山が思いつきません。そこで朝から(本当に出かける気があるのか!?)ガイドブックをぱらぱらやっていたら、家からそう遠くない、大月市に大菩薩嶺から伸びる稜線にあたる、【雁が腹摺山】:500円札で有名な・・・。といった記述を見つけました。車で、家から2時間で登山口にたどり着ける上に、1874mとまずまずの標高、さらに登りは1時間、こりゃ楽勝だと言った不届きな考えで出かけることと相成りました。 |
朝、と言っても、もう10時、のこのこと家を出て車で相模湖の横を通って、中央道に乗り大月まで飛ばします。ほぼ家から二時間、11:40ごろに、大峠に到着。途中、大月から登るにつれて山吹の花が満開からつぼみに変わっていき、峠の手前ではなくなってしまったのが印象的であった。途中の谷から見る、新緑の向こうの小金沢山塊(右の写真)が笑顔で出迎えてくれるさまも、久々の山行の思いとあいまってなんだか心がうきうきしてくる。都会の喧騒に疲れた心身にはやはり最良の薬である。雁が腹摺山が正面に控え、山頂周辺の剥げ地が本当に、雁の腹がこすったようで、なかなか昔の人はうまいことを言ったものだと感心した。 |
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大峠に到着すると、すでに先着の車が10台ぐらい停まっている。もう山から下りて帰り支度の人もちらほらで、これから登ろうという私は苦笑いである。峠周辺は、よく整備され、山梨百名山の道標がある。そそくさと準備をして、早速右の登山道へ入る。左へ行けば、黒岳を経て、牛奥雁が腹摺りから小金沢山を経て、大菩薩嶺である。黒岳に登ろうかと一瞬思ったが、約二時間の行程と、頂上からの展望がまったくないとの情報があったため、断念する。(この時には次の日にまたこようとは思っても見なかったのである)峠横を、5分も登るといきなり沢が現れ、美しい水がさらさらと流れている。流れの横には、御硯水(甲斐の国史大月市名水)の真新しい表札がたっている。口に含むと、清冽な山の味が口中に広がる。とても冷たい、益々力が湧いてくる。ここから、何度か沢を横切り、単調な登りにつく、まだ山の春は浅く、舞鶴草の固いつぼみと、猫の目草ぐらいしか生えていない。潅木林の中、ほとんど下ばえもないので明るい登山道である。何の変哲もない、赤い道をひたすら登る。 |
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最近、運動不足でこの位の登りでも肩で息をする自分が情けない。しかし振り返ると、樹間から富士山がその勇姿を覗かせてくれる。それに励まされながらどんどん高度を稼ぐ。一帯は沢山のつつじの群落である、花時は見事だと思うが、今はつぼみさえ見えない。峠から30分くらいでいきなり、草つきとなる。ふと前方を見上げると、すぐそこに山頂が見えた。いつでもそうなのだが、やはりほっとする瞬間である。緩やかになった、草つきの尾根をひと登りで山頂に着く、先客は2人である、そういえば途中3組の下山者とすれ違った。 山頂からは、まさに500円札に描かれたままの富士山が、久しぶりだねと笑ってくれているのがとても印象的でした。所要時間は大峠より40分、久々の山行にたいした距離でもないのに足が悲鳴を上げ、この後なさけない下りでした。 |
山頂でのんびり食事をして、折からの好天に昼寝までして下山、大峠に着いたのが15:00、あとは車でぶい---んと御家に帰りました(^^)>。しかし、この時どうも黒岳への道が気に掛かったのを鮮明に覚えています。 ※上の地図に、赤丸が沢山??これはなぜでしょうね・・・。 |
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500円札撮影の案内板と、富士山の遠景 (雁が腹摺山 1874m より) |