吉川良三氏 グローバル時代の勝者 講演会


日本政策金融公庫 東友会 新年賀詞交歓会                                             河野善福  記

日   時  平成25年1月29日 (火)                          〔講演会の要旨を書き取ったもので講演のすべてではありません〕
会   場  ハイアットリージェンシー東京 平安の間

講   演  「グローバル時代の大競争に打ち勝つために」
講   師  北川 良三 氏    1989年 NKK(現 JFEホールディング)エレクトロニクス本部開発部長。
                     1994年 韓国三星電子(サムスン) 常務取締役 開発革新業務
                     2004年から東京大学大学院経済学研究科、ものづくり経営研究センター特任研究員
                     2006年から日韓IT経営協会会長
                     2008年から立命館大学大学院 イノベーションセンター客員研究員

  【 平井中小企業事業統括 挨拶 】

 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は日本政策金融公庫に対し、厚いご支援をいただき有難うございました。 今年は明るい新年を迎える
ことができて、何もまだ変ったわけではないが、皆さんの顔が明るくなったように見えます。
 一部の上場の企業では、すでに業績が大幅に上がったと聞きますが、現実の経済は「来年はだらだらと行くだろう」と1年前に申し上げた状況とあまり
変っていません。これまでは「今年も駄目です。守りに徹することが必要です」と言い続けてきましたが、今年は「守りつつ攻めることが必要である」と思い
ます。
あいうえおで表現するならば、これまでは ア、明るく元気に イ、いろんな角度から ウ、運を呼び込み エ、えにしを大事にして オ、奢る事無く と言っ
てきましたが、これからは、 ア、明るい事業に向けて イ、一丸となって ウ、運に頼らず エ、英知を結集して オ、起そうではありませんか。
 当公庫は、これからも民間金融機関の補完機関として頑張っていきますので、ご支援をお願いいたします。今日の席にも職員が多く出席しています、
職員のご活用をお願いいたします。

         

  【 北川良三氏 講演要旨 】  ~サムスンの決定はなぜ世界一早いのか〜
 
 三星電子(現サムスン)の二代目社長と知り合いになり、1987年から10年間三星の開発に関わってきました。 当時の三星は中小企業の集まりより
も、もっとひどいものでした。三星は朝鮮戦争のときに大儲けをした三星商会が母体で、今では3兆円近い売り上げがあります。今の会長は小学校から
早稲田大学卒業まで日本にいた人で、日本びいきの方です。
 1990年代に日本経済が落ち込み、そこに金融危機がきました。経済危機が来なかったら韓国でも車第1の経済政策が採られたのでしょうが、金大
中大統領が「現代」一社でよい、他はルノーに売るという方針を決めたのです。「日本の車はプロセスをかけすぎて、スピード感がない。日本のものづくり
の考え方は世界に受け入れられなくなるだろう」ということで見直しをしました。
 日本が弱くなったのは、税金が高いとか、電気代が高いとか、EUの経済が落ち込んだからとか言っていますが、こんなことが問題ではないのです。日
本のものづくりが世界に通用しなくなったのです。日本の経営者が円安になったと喜んでいますが、本質は何も変っていないのです。経営者の資質に問
題は有るのであって、世界が動いているのに気がつかなかったし、気が付いたとしても受け入れなかったのです。
 1998年に「日本とバッティングしないで、、日本の3分の1くらいでやる方法は無いのか」と言われて取り組みました。競争力のない人は元々駄目だけ
ど、競争力と円高を結び付けては駄目です。日本の液晶テレビが負けたのは円高とは関係ありません。円高で苦しんでいたのはサムスンです。円高・ウ
オン安で1.5倍高く買っていたのですから、円安はサムスンも喜んでいます。日本のものの品質がいいことは中国も韓国も認めています。
 韓国が日本市場で勝てない理由は、 1、グローバリゼーション 2、イノベーション 3、マネージメント です。グローバリゼーションだけを考えると、4・
5年前まで国際化と言っていて、日本の企業は海外に出て行きました。98年に日本を学ぶことをやめたのは、日本が国際化と言って落ち込んで行くの
を見たからです。グローバル化とどう違うのか。判ったことは、海外に投資し、工場や拠点を持っていっても、造っている製品が現地と関係なく、日本の規
格で作られていたのです。賃金が安いからと行きました。当時は日本人一人の賃金で20人雇えましたし、今でも5人雇えます。いまは安い賃金を求めて
インド・インドネシアに向かっていますが、生産性は上がらず今も変わっていません。生産性を20倍にすれば海外に行く必要はなかったのです。
 日本とバッティングしない市場はないのかと調べたら中国・インド・ロシア・ブラジルでした。BRICsといったが、Sが大きくなって南アフリカが入りました。
インドと中国で25億人居ます。この人たちが5,000円の給料を取るようになる10年後に買ってくれるものを考えました。サムスン会長は1万円以下の
テレビを作れないかと言われました。サムスンはインドの南のほうに20インチ6,000円のテレビを出して成功しました。地域密着型で現地語でないと駄
目なのです。1年間その地に専門家を送り、現地の言葉も勉強させてその地で製品を作るのです。それをグローバリゼーションと呼ぶのです。
 機能は分解すると一つづつの部品になります。日本はいくつかの部品を組み合わせて機能としました。日本の車は運転のしやすさ、静けさは優秀で
す。この(さ)とか(機能)は日本にしか出来ない技術で、かってはそれでよかったのです。が、今はマイコンの出現で、マイコンが全部やってしまうので
す。巧の世界はハイテクだと言っていましたが、いまは誰でも出来る様になったのです。
 世界の人口は、2050年に100奥を超えます。食べるものも足りなくなります。ユニセフが助けている、1日1ドル以下で生活している人たちは物を買
える人ではありません。新興国は 1、電気がない 2、水がない 3、交通網がない の3ないで、稼ぐことを知らない人たちが大半です。ここで何を造っ
たら良いか?。運ぶ方法はどうか?。 現地人に融資をしてビジネスにしてもらうことです。 アフリカには韓国と中国は来たが日本からは一社も行って
いませんでした。現地では日本のエンジニア(技術)はいらないと言っていました。日本の企業はアフリカまでは行けないでしょう。
 世界には手取りが3万〜3万5千ドルの人が8億人居ます。この年収200万円から400万円の人がターゲットです。「日本の製品は世界一だからわざ
わざアフリカまで売りに行きたくない」こういう考え方を改めないと駄目なのです。知的所有権がどうとか、技術を盗まれるとかいうことではないのです。南
米の未開地やアフリカを攻めるのです。その地域の専門家に現地語を覚えさせて、電化製品を見せると「これは何か?」と聞いてくる。「サムソンだ」「こ
れもサムソンだ」と答える。とにかく「サムソン」という言葉を覚えさせれば良いのです。彼らに良い商品を聞くと第1位は「メイドイン・コリア」、第2位は中
国と言います。「頑張ってサムソンを買いたい」と言います。買った人が一番駄目だと言うのは「メイドイン・ジャパン。品質が駄目だ」と言います。品質の
良し悪しは金を払った人が決めることで、メーカーが決めることでは有りません。「日本の洗濯機はジャガイモの皮むき機から発展したもので品質が悪
い」といいます。「日本の冷蔵庫は鍵が付いていないから品質が悪い」と言います。
 デンソーはインドで10万円以下の自動車を発売しました。これが技術です。産業は日本から無くなります。車産業も無くなります。賃金の安いところに
行くのは仕方がないのです。繊維産業は衰退しました。会社は残っていますが造っているものは替わっています。企業は生き残らなければならないので
すから。
 なぜ日本は「ゆでカエル」状態になったのでしょう。カエルは水から茹でられると出る力がないと言われます。(実験をしたら飛び出しました)。皆さんは
力があるから飛び出せるのです。情報は発信した人にでないと集まりません。技術者が「自分たちが作ったものはマネが出来ない」と思っても、技術の
高さで物は売れません。「使いやすいもの」が売れるのです。
 韓国では2〜3社に集約して、「海外に出る時には生産性を上げてから進出せよ」、というのが国の政策です。
 「ものづくり」は、巧の世界と現場の生産性の問題です。モノという言葉はメラネシアから渡ってきたマナ信仰から来たものです。「もののけ姫」「もの思
いにふける」のものです。人は「これを買ったらワクワクするもの」を買うのです。米国では「もの」と「つくり」を分けて考えるようになったのです。マイクロウ
エーブ社がその代表です。自分で全部作ろうとして日本の電気製品は売れなくなったのです。これまでの会社は親にくっついて図面を貰い、図面どおり
のものを作ればよかったのです。韓国は物造りの弱い国です。取引先を全世界(グローバル化)にしています。韓国の対海外貿易は300億ドルの赤字
です。日本製の中間材への持ち出しが大きいので日本製に真似て造っています。
 人が物を買うのは価値を買うのです。サービスもソフトも「ものづくり」です。サービスはお金をとれるので今が中小企業のチャンスです。自分がお山の
大将になれます。誰も真似が出来ない「秘伝のたれ」を造るのです。レシピは公開して、その技術を秘伝にするのです。製品を作る時の失敗を積み重ね
た知識、これが「秘伝のたれ」です。洋食器の燕市は鍛造の技術で生き残っています。洋食器も中国が進出してきて駄目になりました。今は、鍋です。中
が沸騰しても外に逃げない鍋を作っています。これが「秘伝のたれ」なのです。石橋をたたいて渡っていては駄目です。腐った木の橋を渡りなさい、落ち
たらそれまでです。
 自分でマニアルを作れる人材が必要です。地政学的な製品企画が必要です。競争力は多様化しています。コストだけで戦うなら日本で作っていては駄
目です。目玉焼きの卵は自分で割りなさい。これからは成長ではなくて進化が必要なのです。成長は止まると死にます。韓国は1987年に卵を自分で割
ったのです。日本は負けた訳ではありません。コースを変えて学びなおせば、日本はまた勝てます。


                                    講演会後のパーティーの様子です
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橋本 五郎氏  講演会
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