橋本 五郎氏  講演会
                                     

日  時  平成25年11月14日 (木)                                           河野善福  記
場  所  玉川区民センター                                       〔講演会の要旨を書き取ったもので講演のすべてではありません〕
主  催  公益社団法人 玉川法人会  (税を考える週間)
講  演  「どうなる日本 !」  橋本五郎氏 プロフィール                                   
       1946年、秋田県琴丘町(現・三種町)生まれ、県立秋田高校を卒業後、
       慶応義塾大学法学部に進学、同政治学科卒業後読売新聞社に入社、
       浜松支局、東京本社社会部を経て76年に政治部に異動し、記者・論説
       委員などを歴任した。日本テレビの「ジパングあさ6」、「ズームイン 朝!」、
       「ズームイン !SUPER」などに出演。公安審査委員会委員。


 安倍内閣の支持率が高い。最初に支持率の高い内閣は期待が大きいだけに、後で支持率は下がることが多い。これまでに消費税の増税を発表した
内閣は、大平内閣(1987年一般消費税発表、総選挙惨敗)、竹下内閣(1989年消費税3%スタート、参院選大敗)橋本内閣(1998年5%にして参院
選惨敗)、みんな体力を消耗して解散に追い込まれた。
 しかし今回は、「ちゃんとやることをやって上げるなら致し方ない」との声が多く聞こえます。民主党内閣は期待されながら、なぜ駄目になったかと言う
と、約束が守れなかったからです。出来ないこともありますが、約束を守れない時にはちゃんと説明をしないといけません。政治で出来ることは限られて
います。今やることは何なのかを考えて、一歩一歩着実に進むことが大切なのです。
 事業仕分けには違和感があり、つるし上げもありました。無駄とは何なのでしょうか?。四国に橋を3本架けたことを、日本の3大ムダの一つだといい
ます。実は3本とも架橋技術はみんな違うのです。技術の習得が出来たのです。
 「はやぶさ」が「イトカワ」の観測、着陸に成功し、星のかけらを持って帰りました。何万とある星のかけらを見ることで宇宙の成り立ちがわかります。は
やぶさの故障を見つけて直したのです。今役に立たないことでも、ムダかどうかはわかりません。採算の取れないことはいっぱいあります。やがて死んで
いく、年寄りばかりの田舎に金を入れていくことはムダでしょうか。田舎に好きで住んでいるわけではありません。雪が降って苦しめられている老人がい
ます。それに手を差し伸べる、ソレが政治でしょう。
 円安で企業は儲かっています。トヨタが儲かれば裾野は広いので恩恵を受ける人は多いでしょう。でも円安で灯油の値段が上がって困っている人も居
ます。この人たちのことを考えるのが政治です。企業にかけている特別復興税を来年は辞めるといっていますが、消費税を上げると景気は悪くなりま
す。デフレから脱却しないと給料も上がっていかないのです。
 「日本を成長させる」ために取り組んでいる安倍政権は評価できます。しかし、決定的に欠けているものがあります。「地方を如何にして再生させる
か?」です。神戸は都市であったので自分で再生できるが、東日本は自分で再生する力がありません。
自民党の総裁選挙のときに、地方のことを言う人が居ませんでした。全員が都市出身者ばかりだからです。子供手当てをマスコミは増額に反対していま
す。私は倍増するくらいがよいと思っています。年寄りから徴収すればよいのです。
 平成の大合併をしましたが、都市部を除いてほかは散々です。私が生まれた育った秋田の三種町(琴丘町・山本町・八竜町が合併)は人口の流出が
続き、空き家が3年前には300戸でしたが、今は500戸になりました。生徒の数は全校で16人になって、平成21年3月学校は統合され閉校となりまし
た。「地域の人たちが老人ばかりになって元気をなくしている」村にはこれといった産業はおろか、ボランテア活動出来る場もない。廃れていく地域をなん
とかしたいというのが地域住民の願いでした。ふるさとを少しでも元気づけたい、地域の方々が寄り添う場所を作りたい。私はそう思いました。
 郷里の小学校が廃校になる、これをなんとかしたい「廃校になる旧鯉川小学校に自分の蔵書二万冊を寄付して母校を文化の拠点にしよう」と思いまし
た。でも「マルクスの経済論や法律の本なんか置いても誰も見やしないんじゃないか」当初は心配をしました。
 二万冊の本は送ったが、それでは済まなかったのです。図書には分類方法があるそうで、代表者が秋田の県立図書館に半年も通って分類整理の方
法を勉強してきて、地域の主婦の方々に教えて、みんなが手弁当で分類をしてくれたのです。次には書棚が居るということでこれも開架台式書棚70台を
送りました。本は贈れば済むのではなく施設の運営を地域住民とボランテアだけで続けていくことも大変なことなのです。
 会館に看板がいるということになって、尊敬する中曽根元総理大臣に書いてもらいました。中曽根先生は「橋本五郎記念文庫」と書いてきたのです。記
念文庫というのは、死んだ人の記念館みたいだから、一文字づつ拡大して板に彫るときに記念の文字ははづしました。しかし、玄関の入ったところに杉
の一枚板で「橋本五郎記念文庫」と彫刻したものを置きたいといって、立派なものを造ってくれました。これには記念の文字が入っているので私が記念に
貰っています。こうやって橋本五郎文庫はオープンしたのです。
 「地域の歴史・伝統・文化を尊重して、融合とバランスの取れたまちづくりを進めたい」という話に賛同して、建築家の安藤忠雄氏がご自身の著書と、氏
が設計したこれまでの建築物の写真パネルや貴重な建物の設計図などを寄贈してくださいました。
 それで、それまで老人ばかりだった村にわざわざ県内外から多くの人が見に来てくれるようになったのです。毎週水曜日と土曜・日曜にだけ開館してお
ります。
 こうして文庫は、東日本大震災の発生直後の4月28日にオープンしたのですが、一周年の記念イベントを開催しようとしていた直前の4月13日に、妻
がくも膜下出血で倒れました。欠席は出来ないので医師に相談のうえで祝賀会に駆けつけました。この日には「ウエークアップ」のMCを務めている辛抱
治郎氏も無報酬で参加してくださったのです。この日、人口500人の村に700人もの人たちが駆けつけてくれました。
 今ではこの文庫は、書籍の閲覧の他に地域の方々の寄り合いの場所としての役割も果たしています。
 今年はこの文庫で「母への手紙」を募集しました。1310通の応募があり、今日その賞の発表があります。最優秀作品は30数年ぶりに母と逢う話で
す。待ち合わせをしたバス停に時間が過ぎても待ち人は来ない。ベンチの端と端に二人は座っていたのです。その後二人の間でやり取りがあるのです
が、息子さんは「お母さんとは呼ぶまい」と自分に言い聞かせるのです。「お母さん」と呼んでしまったら、「一人の女の苦労が判らなくなってしまう」と思っ
たからなのです。
 「高齢化」こんなに良いことはないのですが、元気でいないと駄目です。大学の名誉教授をアルバイトで使えばいいんです。給料はわづかでいいんで
す。定年になって家に居られると、妻は三食造らないといけないのですが、仕事に出てもらえれば女房も助かるし、尊敬してくれます。心から夫はおだて
ればいいんです。
 私の父親は教師で最後は校長まで務めました。過疎の過疎で6人の子供を育てました。私は六人兄弟の末っ子で5番目の子ですので五郎と名付けら
れました。父は給料日には家族全員を仏壇の前に並ばせて、給料袋を仏壇に供えて、先祖に感謝の報告をしていました、定年の時に給料明細を観まし
たが、私が新聞社に入って2年目に貰った給料が父のそれを上回っていました。少ない給料で子供全員を大学に行かせて呉れました。
 私の母が隣家に米を借りに行った時のことを知っています。母は繕い物の内職で家計を支えていました。自分が結婚式に着た打掛を広げて、子供を
その上に大の字に寝かせて、型紙も起さないでハサミで切って、子供の着物に作り変えたこともあります。その後に生命保険の外交員になって、だんだ
ん収入も多くなり、父の収入を上回った時、いくらかのお札を抜き取って仏壇に供えました。家長の夫を自分が上回ってはいけないと思ったのでしょう。
母は、父が亡くなってから30年後に81歳の生涯を閉じました。浜松支局にいる時に受け取った手紙が出てきました。「今、母さんは、還暦を期して、老
人のいこいの森を作ろうと思っています。ベンチを作り桜の木を植えて老人の楽しむ場所を造るのです」とありました。
 母は生前に「最期の醜い姿を誰にも見せてはいけない」と言っていました。私は母の遺言を守るべきだと思っていましたが、兄が、皆に逢ってもらおうと
いうのでそのようにしました。良かったと思っています。母は「平日には死ねない」が口癖でした。平日に死ぬと初七日も四十九日も同じ曜日になるので
す。私は東京には出稼ぎに来ていると思っています。田舎には勤め口がないのです。母は子供達が仕事を休んで葬儀に集まるようなことになりたくなか
ったのです。母のなくなった日は日曜日でした。
 安倍内閣がオリンピックと言う4本目の矢を放ちました。第1、第2の矢は難しいものではないのですが、3本目の「規制緩和」は、ちょっと難しいです。
何かの政策をやろうとすれば必ず陰で泣いている人がいます。その人のことをどれだけ考えられるのか、ソレが政治なんです。「範は歴史にあり」です。
人は一生に会う人の数は限られています。「歴史の学べばよい」のです。
  @、何事にも手を抜いてはならない(全力で当たれ)
  A、傲慢になってはいけない(常に謙虚であれ)
  B、どんな人でも嫌いにはなるな(自分より優れたところが必ずある)
   お天道様は見ています。お天道様は母なんです。
 今、日本の政治に何が必要なのか?、それは「心」です。今の日本の政治の最大の問題点は、地方の過疎化に何の手立ても打てないことです。


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