Chapter.22「『あばたもえくぼ』の思いこみエラー」

 「第3者から見ると○▼×のあの人も、恋人のA君から見ると…」と言うことは良くありますね。 でも、個人と個人の問題のうちはこのコーナーの話題になりません。 問題なのは仕事上の判断が「あばたもえくぼ」になってしまうことです。

 22-1 思い込みはなぜ起きるのか?
------JASやHFCはこう考えた

   メンタルモデルと現実とのギャップが思いこみエラー原因:
   人間は、客観的事実だけで状況を認識しているわけではありません。過去の経験や知識により、危険を予測したり、今までに経験したこともないようなことでも 推論し認識する能力を持っています。そしてその予測や推論に基づいて 頭の中にとりあえずのモデルをつくり(メンタルモデル)自分なりに「解ろうとし」行動します。 そのモデルが現実と異なりそれに気付かない場合にやっかいな「思い込みエラー」と呼ばれるものになります。

 すこし専門的にいうと人間にとってわけがわからない状況は不安をもたらします。これを「認知不安」といい「早くわかりたい」、となります。 そして一方ではもっとわかるために情報の探索もしますが、それよりも「自分なりにわかってしまいたい」と頭の中に「メンタルモデル」をつくります。 とりあえず「なにかにみたてる」ことをして「なるほどそうか」と気持ちよくなりたい、というわけです。もちろんあたっていることもあるのですが。 (これが偶然でもあたっている場合には「名医」とあがめられ、そうでない場合には「迷医」の烙印をおされてしまったりします。 第25章参照。)

 しかしメンタルモデルによる解釈が自分を主観的に安心させるものであっても、それが状況の妥当な解釈である保証はありません。 客観的状況の一部しかモデルに取り込まれていなかったり(視野狭窄)、客観的状況に含まれていない状況もモデル化してしまっている(状況の情報不足や独断的・偏見的見方)、 事があります。

 思いこみを助長する因子:
  習慣化している行動や期待感:
   ⇒「また、あれだ」(frequency bias)、「あっ、あれ だ」(similarity bias)など

指導者や役職等の立場に固執するその人が大切にしている”こだわり”
   ⇒”おれは絶対正しい”と思うなど主観的な判断をする傾向

   つまり、思い込みもヒューマンエラーのひとつというわけです

 22-2 思い込みは悪者か?

   思い込みが事故に結びついたとき人間のマイナス面としてそのことが非難されます。しかし本当に思い込みを起こしやすい人はマイナス面だけを持っているのでしょうか?

 極端な例として思い込みを絶対に起こさないコンピューターを考えて見ましょう。コンピューターは、たとえ誤ったプログラムであっても、忠実に実行します。 人間のように創造的な活動をしたり、推論し危険を予測することも出来ません。思い込みを無くすことはそのような創造的な活動も奪うことになります。

 我々は様々な人が係わったなかで行動しています。コンピューターはその場の雰囲気や心情を察することは出来ません。もし「コンピューターのような人」と 予測や推論が必要な創造的な仕事を行った時、果たして良好な関係でその仕事を行うことが出来るでしょうか?

 また最も意識の高いところにある「価値観」「感性」「モラル」による「日常の理屈を超えた」判断や、「火事場の馬鹿力」とか「とっさの機転」とかいう ヒューマンファクターの最もよい面が発揮されたような行動をすることができるでしょうか?
 そのようなことを考えると「思い込み」イコール悪者とは言い切れない気がします。


 例えば上図(左)をみて下さい。4つの同心円のまん中に白い正方形が見えてしまいますね。実際はないのに…。 頭の中で、今までの経験にあわせて「補って」いるわけです。現実の世の中ではほとんどはそれで正しいわけです。

 上図(右)を見て下さい。「二人は同じ身長?」なんて書いてあるので、(おっとっと、と)同じに「見ようとする」のですが実際にはまん中の人は大きく見えます。 これはいままでの経験から2次元の図から3次元の実際を想像して理解使用とするので大きくみえてしまうのです。これは学習された人間の能力でもあり創造性のある証拠でもあるのです。 心理学では「主観的輪郭線」(左)というそうです。

 こういうふうに人間は「客観的な事実」からだけでなく、そこからある結論にたどりつくために推論したり、経験から足りない部分を無意識に補ったりしています。でも…。

 人の命を預かる仕事に就いている人が、間違った思い込みで仕事をされたらたまったものではありません。そこで思い込みの原因を理解し、 思い込みをマネージメントする必要が出てくるのです。

 つまりJASCRMコンセプトのエラーマネージメントに基づきCRMスキルを活用して思いこみをコントロールする事が必要です。

 22-3 思い込みをコントロールする?

  過去の思い込みによる事故を分析してみると以下の特徴があります。
◇ 自分で気がつく可能性が少ない。
◆ 一人だけでなく複数(組織や集団)でも発生する。
◇ 外的環境(急がされているとき、状況の変化など)が思い込みの状況を助長するように作用している。
◆ 自分にとって不利な情報(自分の行動を否定する)は切り捨ててしまう。「例外だ!」と。
◇ 同じく、都合の良い情報のみ採用する、といった情報の意図的選択をする。
◆ バラバラな情報を「関連付け」てしまう。

 このような特徴を考えると、一度思い込むと、本人だけでは思い込みから脱出することは難しく、「人の助け」が必要になります。

 そこで思いこみから脱出するための対策としては、

 @ 自分の考えていること、これからしようとしていることを周囲の人に話す習慣をつけておくこと
     ⇒そして予測したことや推論を周囲の人と共有する事により異なった角度からのアドバイスを受けたり、
      またそのアドバイスを言いやすい雰囲気を作る、などのまさにCRMスキルの発揮が有効になるのです。
      (JASでは「認識の共有」、 ANAでは「互いの気配り、team monitor」といってます)

 A 錯覚や間違えやすい表示、訳が分からない状況を作り出さない環境の工夫
     ⇒思い込みは、一人だけでなく複数でも発生します。
      情報の提供やハード上で間違った操作ができなくしたりする、
      また アフォーダンスをつけることも必要。

 B チームを組む場合知識や考え方の異なるメンバーを一人入れて仕事をする
     ⇒チームの仕事の正確さを増し、大きな間違いを少なくします。
      (「悪魔の代弁者」「fresh eye」)


といった組織で行う対策も不可欠であることがわかります。

以上の特徴から、思い込みを防ぐには、個人だけではなくチームや組織が総合的に対策を行うことで初めてその効果を発揮できるのです。 つまり五感がエラーをしない(修正されやすい)様なSHELを作ることですかね。

じゃあ、個人でできることは
  @ わからない状況を最小限にする
 人は何が何やらわからない状況に接すると、とりあえずのモデル(メンタルモデル)を構築して、わかってしまおうとします。 そのモデルが間違った思い込みをおこす引き金になることから、この状態を最小限にすること、わかりやすくすることが必要です。

そのためには
仕事の目標や全体像をあらかじめ示す
    ⇒これこそがブリーフィングでもっとも大事なことです。認識の共有にもつながります。

ヒヤリハット報告や事故事例を用いる。
    ⇒単に知識量を増やすことではなく知識の質[1]を深めたり、活性化することが必要になります。

「裏をかく方法を3つ言える」
    ⇒ちょっとひねくれた表現になりますが、これができることである手順を「深く理解した証拠」になる
     と言われています。


 教える側も「know how」でなく「know why」を意識して「どうするか」でなく、「どうしてそう決まっているか」 を教えなければなりません。 「うちではこうやっているのよ」では知識の質どころか3歩歩けば忘れてしまいます。
なぜマニュアルにこう書かれているのか?を伝える必要があります。

A 自分の行動を客観的に見る----私はどんな人?
 思い込みをおこしやすい人とおこしにくい人はいるのでしょうか?

 思い込みの原因を考えると、人は何かをしようとしたときに状況のモデルを頭の中に作るため誰でも思い込みに陥る可能性があります。  そして、そのモデルを構築する際に

1 勘に頼ったり、せっかちな人
2 独断的に物事を決め人の言うことを聞かない人
3 人のことを気にするあまり自分の主張を抑える人
4 細かいデータに頼りすぎ全体の目標を見失う人

 などその特徴は分かれます。(いるいる。あいつは2のタイプだ。だから困るんだ。
えっ?そういうお前はどのタイプだって?)

 またその人の”こだわり”により思い込みからの脱出を困難にする状況もあります。
1 会話に熱中するあまりに細かい事実を見落とす場合
2 仕事熱心なあまりに教育に集中してしまう場合
3 誰が、を重視するあまり何が を検討しない場合
4 過去のデーターを重視するあまり特異な状況を無視する場合

1は「表出型」
2は「主導型」
3は「友好型」
4は「分析型」


 あなたはどの型に属するでしょうか?
(これに関してJASはSS理論、JALはグリッド理論を、またJR総研でも「ドジ型、ボケ型」のような分類を行い「自分を知る」ということ、 「リーダーとしての自分のあり方」を考えることにつとめているようです)

 どの型がいいとか悪いとかではありません。それぞれの長所短所がありそれを意識して行動しようということだと思います。 (CRMセミナーの最後で試みたSSのようなものです。あのときの資料を参考にしてください。また一部では「事故傾性」に結びつけたがったりしている傾向もありますが 事はそう単純ではありません。

 いずれにしても、状況認識の行動指標「先入観を除いた客観的モニター、評価に心掛ける」ことが重要な要素になります。

 22-4 いろいろな工夫

   HFCセミナーで紹介したように 米国原発運転協会(INPO)では、「STAR」と呼ばれる
ヒューマンエラー防止のセルフチェックを提唱しています。
これは繰り返しになりますが
Sstop:立ち止まる⇒スイッチ・機器設備が正しいか
Tthink:考える⇒意図した行動と期待される応答を再検討
Aact:行動する⇒意図した行動を実行
Rreview:再検討する⇒応答が期待されたものである事を確認


 そしてこのSTARを効果的に実施するためのポイントとして以下の点が挙げられています。
  まず深呼吸
  思いこみをしていないか自問
  希望的観測をしていないか自問
  迷いや不安があったら進まない
  期待されない結果があった場合のことも考えておく


 航空界では「心はジャンプシート」という言葉があります。これも「自分の行動を客観的に見よう」ということです。心理学では「
fresh eye」ともいわれます。 つまり立ち止まってみる。ちょっと離れて見ると今までわからなかったことがみえてくることがある、というわけです。

原発では「10分間ルール」というものがあるそうです。心理学では「エポケ」というそうです。[2]  原発事故例でスリーマイル島の放射線漏出事故の時に、(HFCセミナーでお話ししたようにインターフェースの問題もあったのですがクリスマスツリーの様な警報と ランプが鳴り響き、皆がパニックになっている時に)あとから呼び出された非番の人の「なぜ、あのバルブが開いているの」のひとことが事態解決のきっかけになったそうです。

 22-5 目標の構造化、仕事の全体像を知る

   また常に「最上位の目標[3]は何か」を考えておく必要があります。
(認知心理学では「目標管理の明確化」とか「目標の構造化」というようです。)

 M-P・D・S について(海保博之「ヒューマンエラー」など)
   どんな仕事をする場合でもPlan(計画)・Do(実行)・See(評価)のサイクル
 このPDSサイクルの目標の下には、もう一つのPDSが、さらに、その目標の下にはもう一つのPDSが、
     ---というような埋込構造
仕事をするには、Plan・Do・Seeのもう一つ上に、使命(Mission)があります。
  この使命と言う大きな制約の中で、Plan・Do・Seeを繰り返しながら、一つ一つ目標をこなしながら、
  使命を達成するようになっています。

「M-P・D・S」、この四つの段階でのヒューマンエラー
  1つ目【M】が、目標の取り違いエラー使命と計画の齟齬(そご)によって起るエラー
  2つ目【P】が、思い込みエラー。これはプランを立てるところで起こるエラー
  3つ目【D】が、うっかりミス。これは実行する段階で起こる
  4つ目【S】が、確認ミス。これは評価の段階で起こるエラー

 22-6 「君さえ気をつけていれば・・」はだめ  そして…

   いずれにしても、個人の対策を強調しすぎると「きみが気を付けていればこんな事故は起こっていないんだ」という精神論に陥り、  間違った思いこみをしてしまった当人だけに責任を押しつけ、事故原因の本質的究明を怠らせる原因となります。  (けして「no blame」がいつも正しいとは考えていませんが・・)

でも、これに対して「やり方を工夫すれば・・」とか「みんなで確認すれば・・」などというのは間違いです。「やり方」を知らないわけではありません。 環境を共有する「みんなの確認」は同じ落とし穴にはまることがあります。
そうではなくて
 「何故そんな思い込みをしてしまったか?」
 「何故注意がそらされてしまったのか?」
 「何故気がつかなかったのか?」
 「どのようにすればエラーが生じる前に「意識」を覚ますことが出来たのか?」
  と考えるのがHF的発想です。

いかがでしょうか?この連載に苦情、ご批判、ご意見を御願いします。


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《註》

[1] 「知識の質を深める」とは具体的には次のようなことがいわれています。
  単に「知っている」ではだめなのです。(JASCRMから)
     記憶:定義が言える
     理解:他の事と関連づけられる
     応用:具体例をあげられる
     分析:現実の分析ができる
     総合:新しい関係を作り出せる
     評価:価値を評価できる

「国家資格」があるからといって日常的な知識・技術のアップデートを自分の好きな「学会の点数」程度にされ、
資格の更新の客観性がないままにされている
ことに対して、特に航空界や原子力の安全管理部門から
痛烈な批判がある事を考えなければなりません。
もちろん個人の力ではどうにもならないことで、国家としてしなければならないことなのですが…。
医師会や看護協会の反対だけでなく「医療改革」の最も本質的なところで金も手間もかかるため手がつけられていない、のではないでしょうか?
もっとも、政府に本当の「医療改革」などする気は全くないのでしょう。また「出来るところからやる」という論理はたいていの場合だめなのです。
(CRMセミナー「航空界の安全教育」を参照)

[2] 2002/7/24に行われた、筑波大学「心理学系」 海保博之氏の講演要旨 によると、
  思い込みエラー防止のために「10分間は何もしなくて良い」、と言う趣旨で使われているのですが、 どんどん状況が進行しているときの10分は初動対処をする上で大変貴重なもののはずで、 操作者が文字通り何もしないで良い訳では無いと思います。実際、「10分間はヒトに頼らず、進行を食い止める」内に操作者が「頭を冷やせる」システム設計が 必要だと謳われています (第22回核燃料安全基準専門部会:平成12年7月19日(水): 速記録から。 他に30分ルールという概念もあるそうですが記載を発見することが出来ませんでした)。
註者の私見ですが、「10分間ルール」という名称は解釈の余地がありすぎてそれらの概念を括るには誤解を招く不適切な命名だと思います。
同様に、海保博之氏の講演では「時には敢えて必要なもの」として『エポケ』なる用語が出ています。
やはり「何もしない」旨で使われている様ですが、類書を色々読んでみると 定義は『思考停止』、つまり「何も考えられない」とか、「頭が真っ白になる」のと近い意味の様で、 決して良い雰囲気で使用されていない印象で、不用意に使うと誤解を招く恐れがありそうです。
またまた註者の私見ですが、パニック状態では「頭を冷やすこと」が必要で、「エポケ」状態は「頭を冷やすこと」こととは違うと思います。 「パニックに陥ってる自分を脇に置いておいて客観的に(一歩引いて)状況を判断する」ことが必要だと思うのですが。
(編集S-2)
[3] 「最上位の目標」の例として麻酔科領域では「低酸素にしない」(ある麻酔専門医)事を聞いたことがあります。
  つまり一歩下がって最優先すべきことを考える、ということだと思います。検査であればたかが検査。障害を与えないことが最大の目標で場合によってはさっさと中止してしまう、 あるいは誰かに替わってもらう事が必要だ、ということです。


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引用紹介と註解[2005.9.1追加]


今回は以下の文献・資料を参考にさせていただきましたが、引用の誤り、解釈の誤り、「思い込み」があるかもしれません。 是非、原典にあたることをおすすめします。

1) 芳賀繁「ミスをしない人間はいない」飛鳥新社
2) 日本航空ジャパンCRMのサイトhttp://www.jal.co.jp/safety/section/jal_j/general.html
3) 電力中央研究所 ヒューマンファクター研究センター


またお気づきの点はメールでご連絡いただけましたら幸いです。

 
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