5 相模の渡来文化とその足跡


(1)大磯の「高麗」と武蔵の高麗郡


記録によると、716年(霊亀2年)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野7国の高麗人1,799人を武蔵国に移して高麗郡が置かれた。
 
このとき武蔵國に移った高麗人が、相模の地域に何時入ったかは不明である。朝鮮半島から中国東北部に栄えた高句麗国が滅んだのは668年だから、それ以後だとする説があるが、もっと早くから住んでいたのかもしれない。

伝説では、「若光の故郷を去って我が国に投下するや、一路東海を指し、遠江灘より東して伊豆の海を過ぎり、相模湾に入って大磯に上陸した」「朝廷より従五位下に叙せられ、次いで大宝3年に王(こしき)の姓を賜った」「霊亀2年に至り、駿・甲・相・両総・常・野七国在住の高句麗人に対して、武蔵野の一部を賜う旨の優詔が降った。同時に若光は高麗郷の大領(郡長)に任ぜられたので、やがて大磯を去って武蔵高麗郡に赴いた」となっている(高麗神社発行『高麗神社と高麗郷』)。(写真は埼玉県日高市・高麗聖天院の高麗王若光の墓)

しかし、今のところこれを証明する記録はない。今後正確な検証が必要と思われる。『埼玉県史』や各自治体史、『神奈川県史』などもおおむねこの「伝説」によって編さんされているようだ。
  『大磯町史』は現在編集中だということだが、1956年(昭和31年)発行の『大磯文化史』は、この高麗神社発行の文書の引用が中心で、大磯町独自の調査や見解が具体的に述べられていない。今進められている『大磯町史』の編さん過程で検証されることを期待したい。



(2)大磯高麗伝説異聞


2001年3月に高来神社を訪れたとき、居合わせた宮司さんに神社の由来をうかがうといきなり、「うちは朝鮮と関係ありません!」と言われたのには驚いた。宮司さんによると、「ここはもと大住郡高来郷で、〔たかく〕といって〔コウライ〕ではない」「慶覚院、あれはうちと関係ありません」(?)ということであった。

大磯町の図書館で紹介された郷土史家の高橋光さんの『ふるさとの大陸文化の交流』でも、「埼玉県の高麗神社と大磯の高麗とは関係ない」「明治になって高来神社に改称したのはこの地方が高来郷だったから」と述べている(高橋光さんは今は亡くなられているが、高来神社社人=神社に仕える神職の家の生まれだそうだ)。



(3)大磯・御船祭−高麗伝説


このように、渡来伝説を否定する考え方もあるが、大磯の御船祭(7月)の祝歌をみる限り、相模湾に高句麗からの渡来人上陸の様子が、今も唄いつがれている。

大磯の浜は、今は「照ケ崎」だが、古くは「唐ケ浜」(もろこし)と呼ばれ、相模川、花水川をさかのぼった相模平野に、高句麗渡来の人々が高座郡(高倉郡)を拓いたところである。その起点になったのが、今の大磯・高麗の地ではないだろうか。

御船祭…毎年7月の第3日曜日(隔年)。2隻の飾り船が木遣歌や船歌を唄いながら町内を練り歩く。次が「南浜・明神丸」の祝い歌の一節。

  「そもそも高麗大明神の由来を尋ぬれば、応神天皇15代の御時に海騒がしく、浦の者共怪しみて、はるかの沖を見てあれば、唐船一隻八ツの帆を揚げ、大磯の方へ梶を取る、走り寄るよと見る内に、程なく水際に船はつき、浦の漁船、漕ぎよして、かの船の中よりも、翁一人立ち出て、櫓に上がりて声をあげ、汝ら其れにて、良く聞けよ我は日本の者にあらん、もろこしの高麗国の守護なるが邪慳な国を逃れて大日本に心掛け、汝らきえする者なれば、大磯浦の守護となり子孫繁昌守るべし、あら有難やと拝すれば、やがて漁師の船に乗りうつり、揚がらせ給ふ、御世よりも、明神様(権現様)を乗せ奉る船なれば、明神丸(権現丸)とは此れを言うなり」(大磯町観光協会資料。写真はパンフレットのコピー)







(4)相模高座郡と高麗福信の関係


高座郡は置かれたとき高倉郡と書かれていた。読み方は高倉・高座どちらも「たかくら」である。高倉・高座については『神奈川県史』や各自治体史でさまざまな検討が加えられている。
  この中で、高座郡の高倉の地名を高句麗系渡来人の子孫である「高倉氏」に求める説がある。高麗福信という人が、779年(宝亀10年)に「高倉朝臣」という氏姓を与えられたという記録がある(『続日本記』)。高麗福信は武蔵國の国司を勤めた人で、武蔵國の高麗郡との関係が推定されている。

武蔵高麗郷の設置にともなって、高麗人の武蔵國移住の記録や高来神社(高麗神社)の存在など、相模国に高句麗系渡来人が数多く住んでいたことは明らかであるが、高座郡が高麗福信と関係があるとする説はどうだろうか。(郡名の由来を高倉氏にあるとする説は『藤沢市史』、『神奈川県史』もこれに近い。また、作家・金達寿氏も同様の説を述べておられる)

高倉という地名は相模国以外にも多く、武蔵國入間郡、多摩郡にも高倉という地名がある。これらの関係については、また別途しらべてみたい。
 
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