4 高麗山聖天院


(1)聖天院


聖天院の本堂は、昨年11月(2000年)に新しい本堂が完成した。山門を入って正面、旧本堂脇左手の急な石段を登ると、新しくできた本堂前の広場が広がり、総桧づくりの新しい建物がそびえている。
  今回訪れた日は(2000年11月3日)、その前日に本堂の落成式があったばかりということであたりは静まり返っていた。山肌には、造成途中に出てきたという蒼い岩盤が顔を出してきれいに並んでいた。

広場からは、高麗郷や巾着田が見渡せ、眺めがすばらしい。





(2)高麗若光


高麗神社の西側、徒歩五分くらいのところにある。

正式名称は高麗山勝楽寺。聖天院は、「高句麗伝来の仏教霊場で、高麗王若光の三子聖雲が、その師勝楽(高句麗の僧)の冥福を祈らんがために高句麗より携えてきた歓喜天(聖天)を安置して開基したもので(中略)、高麗王若光の墓は、この寺の仁王門の左側、池畔老杉の間にある多重塔で、この塔は純然たる朝鮮様式である」(『高麗神社と高麗郷』)

聖天院は751年(天平勝宝3年)に完成したと伝えられ、正面の山門右手に高麗王廟があり、王若光の墓といわれる多重塔がある。




(3)「在日韓民族無縁の霊」


新しくできた本堂の裏山を切り開いて、「在日韓民族無縁の霊」がつくられている。広場の右手の山を切り開いて、古代朝鮮半島の新羅・百済・高麗の歴代の支配者や王の彫像が仲良くならんでいた。

広場横の掲示板には、高句麗の人々がこの地に住み、長い歴史をつくってきた様子が描かれている。史実を十分反映しているとは思えない部分もあるが興味深い内容だったので、書きとめておいた。

「在日白衣民族の聖地」……「ここは日本国土の中心地で、今からおよそ1300年前、若光王一行が風水学(現韓国風水学)上最高の地と定めた。山林を切り開き、ここを居住地と定め、巾着田を造成し、武蔵野一帯に稲作を普及した」



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