6 感想−自治体史の編集について


(1)「帰化人」と渡来人のちがい


朝霞地区四市の自治体史を読んでもっとも気にかかったことは、「帰化人」「帰化」「亡命帰化」という用語が多く使われていることである。それぞれ発行年月は、『新座市史』と『和光市史』が1987年(昭和62年)、『朝霞市史』が1989年(平成元年)、『志木市史』が1990年(平成2年)であるから、いずれも比較的新しい年代である。

「帰化」という言葉は朝鮮三国(高句麗・百済・新羅)からの渡来人に対して、つけられた呼び方で、中国からの渡って来た人々などには「帰化」という呼び方をしていない。この「帰化人」という言葉は『日本書紀』に特有の表現だそうだが、明治以降の帰化人史観に利用され、戦後も無批判的にこの用語が使われてきた。

1960年代頃から「帰化人」という言葉に対して、学者・研究者や作家の松本清張氏・金達寿氏など、「渡来人」という用語に正す必要があるのではないかという提言がされてきた。この結果、帰化人史観への反省もあって、1970年代の終わり頃から「帰化人」規定は影をひそめ、渡来人という表現が主流になってきている。最近では、学校の教科書も渡来人の用語が使われているという。
  こうした時代に、人々の生活にもっとも身近な自治体史が、帰化人史観につながる用語を多用していることは改める必要があるのではないだろうか。



(2)新羅郡(新座郡)の歴史の統一したとらえ方


現在の朝霞地区四市が属していた旧新座郡は、古代武蔵國に新羅郡が置かれてから、1896年(明治29年)北足立郡に編入されるまで1140年間続いたが、この歴史について統一したとらえ方がのぞまれる。もちろん、各自治体がその歴史について独自の研究をかさねることは、その地域の文化を発展させるうえで欠かすことができないことはいうまでもない。

しかし、地域の歴史にまとまった整理がされないまま、各市の自治体史がつくられていくのは考えものだ。例えば、「志木郷」(新座郡の中心地)について、『朝霞市史』が「志木郷が志木市・朝霞市・新座市・保谷市下保谷の大部分」、『新座市史』は「志木郷は和光市」、『志木市史』は「新倉という地名を残す和光市新倉、(または)白子の地域」と比定し、『和光市史』には特定した記述がない。こうした点は、協力し合って研究すれば解決できるのではないかと思う。
戻る 次へ  TOP