5 「新座」の地名の変遷と新座市


(1)新座の地名のうつり変わり



新羅郡(新座郡)の地名の変遷は、冒頭に「新羅(しらぎ)郡」→「新座(にいくら)郡」→「新倉(にいくら)郡」→「新座(にいざ)郡」というふうに変わってきたことを述べた。
  これを年代で区分して整理すると、@「新羅(しらぎ)郡」が置かれたのが758年(天平宝字2年)、A次に記録で確認(927年『延喜式』)できるのが平安時代に「新座(にいくら)郡」と記録され、B中世には「新座郡」または「新倉郡」と書いて「にいくら」と呼ばれ、C江戸時代になって「新座(にいざ)郡」になった。

この間の事情については、『武蔵風土記稿』が「『和名抄』新座の註に〔爾比久良〕と見え、〔にいくら〕と称すること古き唱えなりされば、中古よりは新倉とも書く」「古老の伝えるには、〔新座〕又は〔新倉〕と並び書かれていたが、〔座〕を〔くら〕と訓することは世の人の耳になれざるなり、後に土人(むらびと)おしなべて〔新倉〕と書すに至れり」「享保2年(1717年)郡名の唱えを定められ……今(文政年間=1820年代)〔にいざ〕と唱うことになりぬ」と記録している(『郷土史新座』)。

そして新座郡は、1896年(明治29年)郡制施行にともなう郡の統廃合により新座郡は廃止され、北足立郡に編入されるまで1140年間続いた。
※写真は、『武蔵風土記稿』に登場する和光市牛房山に広がる野菜畑(いくつかに区画して発掘調査中)



(2)今の新座市は「新座」(しんざ)と呼ばれていた


『武蔵風土記稿』には、「東南の方(白子・新倉)は〔にいくら〕とも〔にいさと〕とも云、西の高崎領の辺(旧大和田地区)は〔しんざ〕と唱う」と書いている。また、古くから和光市新倉は「新座郡新倉村」といわれ、野火止地区を「新座(しんざ)」と呼ばれていたということである。

今の新座市は1955年(昭和30年)、旧大和田村(野火止地域)と旧片山村が合併して「新座町」が誕生した。このとき、旧新座郡の「新座」という地名と江戸時代に野火止地区が「しんざ」と呼ばれていたことから、新しい町名を「新座町」としたということである。新座町は1970年(昭和45年)11月1日の市制施行にあたり「新座市」となった。
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