歴史散歩 

           
新座市・平林寺から朝霞・和光へ
 




  新座市・平林寺と野火止用水

 平林寺 東武東上線を利用するのが便利。志木駅南口で西武池袋線「ひばりが丘」行きに乗ると、約20分で新座市役所を過ぎて「平林寺前」バス停につく。すぐ目の前が平林寺。
 平林寺は1375年(永和元年)に埼玉県の岩槻に開山したのが始まり。1663年(寛文3年)に当時の川越城主であった松平伊豆守信綱の子、甲斐守輝綱が、岩槻から現在の場所に移し、菩提寺にした。総門をくぐったところから、山門、仏殿、本堂が一直線に置かれた伽藍配置になっている。
 境内の奥には、武蔵野の自然を残す雑木林が大きく広がり、「業平塚」と呼ばれる大きな塚があったり、まわりの都市化とは想像できない空間が広がっている。境内と自然林を一周するには約1時間ほど必要。弁当を持っていってゆっくりしたい。
 野火止用水 野火止用水は、水利の便が悪いこの地域を潤すため、玉川上水から引かれたもので、本流は新座市の西堀地区(清瀬市・東久留米市にはさまれた楔形の地域)から平林寺の裏手を経由して、東上線志木駅付近から新河岸川に流れており、支流は平林寺境内やその周辺に残されている。途中、道路をサイフォン方式で上がってたり、関越道の上を渡ったり「昔」と「今」の技術を比較して見ることができる。
 野火止用水を歩いて平林寺に行くのもおもしろい。西武池袋線東久留米駅から「朝霞台」行きのバスに乗り、西堀下車、西堀分岐点から平林寺まで歩く(本流と支流がある)。途中の本多緑道の桜(本流)、用水が道路より高いところを越えるサイフォン方式など(支流沿い)、見どころがたくさんある。(写真は玉川上水からの流れを分ける西堀分岐点)

朝霞市・根岸台古墳群から岡の城山

 柊塚古墳(この地域唯一の前方後円墳) 東上線の朝霞駅をおりて、県道(和光・志木線)を朝霞第2小学校めざして歩くと、約15分でつく。
 一夜塚古墳は今はないが、朝霞第2小の裏門の中に古墳跡があって、石塔がたっている。小学校を通り過ぎてすぐ、坂を下るところに柊塚古墳がある。柊塚古墳はこの地域に現存する唯一の前方後円墳といわれ、長径60m、後円部径40m、高さ7m。時代は6世紀頃と推定されている。

 柊塚古墳は、2002年8月に最終発掘が行われ、これから市の古墳公園が整備されるという。


 岡の城山遺跡 第2小学校の前を氷川神社にそって進み、坂を下ると岡の城山公園。黒目川沿いの台地のくびれを利用した南北朝期の平山城で、建物跡は残っていないが、空掘跡などきれいに残っている。(写真は、空掘跡にかかる橋)






和光市・午房山とお寺めぐり

午房山(御王山)遺跡 東上線と地下鉄有楽町線が乗り入れている和光市駅をおり、駅の脇からガードをくぐる県道(新倉・蕨線)に出て、道なりに北に向かう。外環道を渡ってしばらく行くと、右にカーブした左手の小高い丘が午房山(御王山)。楕円形の丘の上は畑になっているが、弥生時代の遺跡におおわれていて、和光市教育委員会が発掘調査をすすめている。丘の周辺に沿って環濠が掘られていて、大規模な集落があったようだ。今のところ、新羅郡が置かれた奈良時代の遺跡は発掘されていない。
 むしろ、この午房山の西北、外環道が南北に貫く一帯で奈良時代の遺跡が出土している。比較的高いところに営まれた弥生時代の集落が、奈良時代になって平地に移動してきた様子がうかがえるところである。

 お寺めぐり この辺一帯には寺社が多く、ざっと数えただけでも11ヵ所もある。午房山の近くには、「大いちょう」で知られる長照寺や壹鑑寺、満願寺、金泉寺がある。金泉寺からさらに県道を進み笹目通り(オリンピック道路)を渡ると右手高台に吹上観音の社が広がる。笹目通りにもどり、南へ進み右に折れて下ると、妙典寺とさらに南に氷川神社がある。(写真は吹上観音)
 笹目通りをはさんで東側が旧川越街道沿いに栄えた「白子宿」で、近くに熊野神社がある。




●新座・朝霞周辺案内図


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