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柚月裕子の本棚

  1. 最後の証人
  2. 検事の本懐
  3. 検事の死命
  4. 朽ちないサクラ
  5. パレートの誤算
  6. 孤狼の血
  7. ウツボカズラの甘い息
  8. あしたの君へ
  9. 慈雨
  10. 盤上の向日葵
  11. 凶犬の眼
  12. 検事の信義
  13. 暴虎の牙
  14. 月下のサクラ
  15. ミカエルの鼓動
  16. チョウセンアサガオの咲く夏
  17. 教誨

最後の証人 宝島社文庫
 塾帰りの息子を交通事故で亡くした高瀬夫婦。一緒にいた息子の友人は、運転手は信号無視をした上に酒臭かったと証言したが、警察は信憑性がないとして取り上げず、息子の信号無視として運転手を不起訴処分とした。運転手の島津が現職の公安委員長だったことから、夫婦は警察が事件を隠蔽したと訴えるが、誰からも聞いてもらえず、月日は経過する。7年後、妻が癌となり先が短いことを知った夫婦は、偶然見た島津の言動により罪を確信したことから、彼への復讐を決意する。 
 物語は法廷シーンと並行して事故から復讐に至るまでが描かれていきます。この物語、よくあるパターンの復讐劇かと思いましたが、いやいや単純な復讐劇ではありませんでした。そこに法廷シーンを絡めることにより、途中まで読者を欺きながら、そして最後は涙のラストヘと突入します。
 法廷シーンの主人公は弁護士の佐方と検事の真生。それぞれ訳ありの過去を抱えて検事を辞め弁護士になった佐方と検事になった真生の対決が繰り広げられます。一方的な検察側の攻勢に敗訴目前の佐方が、どんな手を打ってくるのかがラストの読みどころとなっていますが、罪をまっとうに裁かせるという佐方の弁護スタンスがあんなかたちで出てくるとはねえ。やられました。
 権力の前に愛する者を奪われてもどうにもできないもどかしさ、苦しさというのは計りしれません。でも、高瀬夫婦が描いた復讐劇はあまりに悲しすぎます。
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検事の本懐   宝島社文庫
 前作「最後の証人」の中で登場したヤメ検の弁護士・佐方貞人が検事時代の5編からなる短編集です。といっても、どの話も主人公は佐方ではありません。様々な人の目を通して佐方貞人という人間が描かれていくという体裁をとっています。
 冒頭の「樹を見る」では、馬の合わない同期であり、今では上司となった者から管内の連続放火事件で叱責される警察署長が主人公です。ようやく犯人逮捕に漕ぎ着けたが、佐方の捜査により思わぬ事実が浮き上がってくるという話となっています。
 「罪を押す」は、仮釈放中に再び窃盗を犯した累犯者の心の内を佐方が明らかにする話。最後にその累犯者にかけた人間味溢れた言葉が印象的です。
 「恩を返す」は、悪徳刑事から恐喝されている高校時代の同級生のために一肌脱ぐ話です。ここでは高校時代の佐方という男が語られます。
 「拳を握る」では、贈収賄事件の応援のために東京地検特捜部に呼ぱれた佐方の活躍が事務官の目を通して描かれます。検事としてあるべき姿を貫く佐方の行動に読んでいてグッときます。
 ラストの「本懐を知る」は、顧問先の会社からの横領容疑で逮捕され、ひとことも言い訳をせず、罪を認めて獄中で病死した佐方の父親の姿が週刊誌の記者の目を通して描かれていきます。この父親があって、今の佐方があるという父親の真実の姿が明らかとされていく作品です。
 これらの作品を読んでいると、佐方が検察という組織から離れて弁護士になった理由も何となく窺えます。第13回大藪晴彦賞受賞作です。
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検事の死命 宝島社
 検事・佐方貞人を主人公にした4編が収録された作品集です。
 冒頭の「心を掬う」は、宝島社から刊行されている「しあわせなミステリー」に既に収録されている作品です。居酒屋の主人がぽろっとこぼした近所の老人が出した手紙が届かないという話から、郵便局内で郵便物から現金が抜き取られているのではないかと考えて、捜査を始める佐方を描きます。検事にももちろん捜査権限はありますが、ただあれだけの話から独自に捜査を始める検事がいるのでしょうか。まあ、だからこその佐方でしょうけど。そのうえ、検事自ら汚物が浮いている浄化槽に入るというのですから、想像する検事像とはまったく違います。
 「業をおろす」は前作「検事の本懐」に収録されている「本懐を知る」の続編と言える作品です。顧問先の金を横領したとされる佐方の父がなぜ唯々諾々と判決に従ったのか。弁護士だった父親の思いが明らかになる感動作です。弁護士は被疑者を“黒”と思っても弁護しなければならないのですから、心を持った弁護士は職業倫理と実体的正義の狭間で葛藤があるでしょうね。
 「死命を賭ける」と「死命を決する」は、地元名士の電車内での痴漢事件を扱うこととなった佐方を描きます。ストーリー自体は、地元名士である逮捕された男性の一族から国会議員や上司を通して佐方に圧力がかけられますが、彼は圧力を跳ね返して真実を追究するというよくあるパターンの話です。権力におもねない佐方らしいストーリーになっています。この中で佐方は刑事部から公判部に異動となり、今まではなかった公判場面が登場し、相手方弁護士と丁々発止のやりとりをします。ただ、ここでも佐方は冷静さを失いません。ラストで弁護側が用意した証人を佐方がどう崩していくかが読みどころですね。
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朽ちないサクラ   徳間書店
 女性がストーカーによって殺された事件の続報で、地元紙の朝刊に、所轄署が慰安旅行に行くために女性からの被害届の受領を遅らせていたというスクープが報道される。県警広聴広報課に勤務する森口泉は、朝から県民からの苦情対応に奔走する中、気がかりなことがあった。慰安旅行に行ったという事実を地元紙の警察担当の記者だった高校時代の友人・津村千佳に食事の際に漏らしてしまっていたからである。泉に問い詰められた千佳は、記事を書いたのは自分ではない、このことには裏があると何かを調べ始めたが、数日後死体となって発見される。誰が彼女を殺したのか、慰安旅行の事実を漏らしたのは誰なのか、泉は真実を探ろうとする。
 この作品は架空の県の警察署を舞台にしていますが、2011年に起きた、千葉県の習志野警察署で慰安旅行を2日後に控えていたため、被害届の提出を「手一杯だから1週間後にして」と言い、結果として女性がストーカーにより殺害されてしまったという事件をモデルにしていることは明らかです。さらに、新興宗教が事件に関わっていますが、これは地下鉄サリン事件等を起こしたオウム真理教ですね。
 とはいっても、もちろんモデルとなる事件をどう膨らませていくのかは柚月さんの腕の見せ所です。警察官ではない一般職員の泉が、捜査一課の捜査に先駆けてそこまでできるのかという疑問もありますが、そこは小説と割り切って読んだ方が楽しむことができます。ただ、ところどころ割り切れない部分もあり、また、結末がこういう警察小説にはよくあるものとなってしまったのは残念です。 
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パレートの誤算  祥伝社 
 市役所職員であった亡父の姿を見て自分もなりたいと思った牧野聡美。福祉系大学で学び、卒業時に地方公務員試験を受けるも不合格となり、民間の特別養護老人施設に就職しようとしたが、偶然見た津川市役所の臨時職員募集に応募し、採用され、社会福祉課で生活保護を担当することとなる。ある日、先輩の山川がケースワークで訪問したアパートが火事となり、焼け跡から彼の死体が発見される。検屍の結果火事の前に撲殺されていたことがわかり、殺人事件として捜査が進む中、仕事熱心で生活保護受給者や同僚からも信頼されていた山川が、公務員には不釣り合いの何十万もする時計のコレクターだったことが明らかとなり、彼の別の顔が浮かび上がってくる・・・。
 近年、生活保護費の不正受給問題が大きくクローズアッブされています。また、最近では個人の不正受給問題に留まらず、作品中でも言及されている「貧困ビジネス」といわれる、公園等で集めたホームレスを「無料低額宿泊所」に住まわせ、食事などの最低限の便益を与える代償に、入所者に支給された生活保護の大半を搾取することも行われていると聞きます。不況で生活保護受給世帯は増加する一方に対し、公務員の定員は減少する中で、現場のケースワーカーは大変な状況でしょう。また、そんな状況に一般人の気持ちとしては小野寺のように「こっちは一生懸命働いているのに働かないで金をもらうとは」とか「生活保護の金をギャンブルにつぎ込むとは」と苦々しく思うことも多いのではないでしょうか。
 ストーリーは、現代的な問題を扱っていますが、ミステリとしては貧困ビジネスとして生活保護制度を食い物にする者たちと、それに手を貸す役人という単純な構図です。もう少し、姿を消した聡美の兄の同級生でやくざの金田が聡美に関わってくるかと思いましたが、あっけない退場でした。
 ちなみに題名はイタリアの経済学者パレートが発見した「全体の2割程度の高額所得者が社会全体の所得の約8割を占める」という所得分布の経験則・パレートの法則から採られているようです。 
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孤狼の血  ☆   角川書店 
(ちょっとネタバレ)
 このところ、世間では山口組の分裂騒動が話題になっていますが、この作品の舞台は昭和63年の広島。広島といえば、東映のやくざ映画「仁義なき戦い」でも有名な暴力団の抗争が激しかったところです。物語は機動隊から所轄署の暴力団担当の刑事になったばかりの日岡が、やくざとの癒着を噂される刑事・大上の元に配属されるところから始まります。初仕事として加古村組のフロント企業である金融会社の社員が失踪した事件を追うこととなるが・・・。
 悪徳マル暴刑事と真面目な若手刑事のコンビというのはほかにもありそうな話ですが、まさか柚月さんがこういうハードボイルド作品を書かれるとは意外です。ストーリー自体は、捜査のためには違法行為も厭わない大上に対して、正義感の強い日岡が反発しながらも、しだいに大上に惹かれていくというよくあるパターンの流れです。
 パナマ帽をかぶり、見た目はこちらがヤクザと思われかねない外見に、組の幹部とも飲み歩いて気脈を通じている大上のキャラが強烈ですが、それだけでは単なる悪徳刑事物に終わってしまいますが、実は各章の冒頭に置かれた削除された部分のある記録がこの作品を単に悪徳刑事ものにしなかった重要なキーが隠されています。
 エピローグになって、「孤狼の血」という題名の意味が読者の前に明らかにされると、プロローグを再度開いて確認したくなります。 
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ウツボカズラの甘い息  幻冬舎 
 高村文絵は小学生と幼稚園児の子どもを持つ2児の母。それなりに美人の顔立ちであったが、子どもの頃からそのときどきのストレスから太ったり、痩せたりを繰り返してきていた。今は家事と育児のストレスから、娘が豚の子どもと虐められるほど、太っていた。そんな彼女の楽しみが懸賞に応募すること。ある日懸賞に当たって行ったディナーショーで、文絵は見覚えのない女から声をかけられる。彼女は文絵の中学の同級生・杉浦加奈子だといい、文絵に中学時代のことでお礼がしたいと鎌倉の別荘に招き、化粧品のビジネスを持ちかける。
 一方、神奈川県警捜査一課の秦警部補は鎌倉で起きた殺人事件の捜査で所轄の美人刑事・中川菜月とコンビを組むこととなる。
 物語は、文絵と秦の視点で交互に描かれていきます。果たしてこの二人の話がどこで交わるのか、前半は気になってページを繰る手が止まりません。
(ここからちょっとネタバレ)
 二つの話が交わってからが驚きの展開です。文絵の解離性障害という病気がどう関わってくるのか、気にしながら読んでいったのですが、予想外の展開へ。もちろん、文絵はきっと痛い目に遭うぞぉ~と思いながら読み、当然そのとおりになるのですが、解離性障害がそういう話(さすがに、この部分は伏せます)になっていくとは・・・。この部分が明かされたときは、そうだったのかぁと素直に驚いたのですが、そこからが全然話が発展しないのが大いに残念でした。これでは別に文絵が解離性障害でなくてもいいのではと思ってしまいます。ラストは犯人の独白で話の全体像が明らかとされますが、ちょっと駆け足過ぎた嫌いがあります。そこまではかなりおもしろかったのですが。 
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あしたの君へ  文藝春秋 
 裁判所職員採用試験に合格し、家庭裁判所調査官補となって福森家庭裁判所で研修を受ける望月大地を主人公に、彼の成長を描く5話が収録された連作短編集です。
 これまで読んだ柚月作品とは雰囲気が異なってミステリ色やサスペンス色はほとんどありません。家庭裁判所が舞台となりますが、大地らの仕事は調停等のための調査であり、ヤメ検の佐竹シリーズとは違って法廷ものでもありません。
 家庭裁判所の調査官なんて、普通は離婚調停とか少年事件に関係することがなければ関わることがなく、この作品を読んで初めて「こういうことを行う職業なのかぁ」とわかったくらいです。
 大地が事件を通して関わることになるのは、援助交際の相手から財布を盗んで逮捕された少女、元交際相手をストーカーし傷害事件を起こして逮捕された高校生、周囲からは幸せな家庭を育んでいるように見えた夫婦なのに離婚を申し立てた妻、突然離婚を申し立てた母親と父親との親権争いの間で戸惑う少年。誰もが他人が見ただけではわからない真実を隠し持っている中で、大地が、自分に人の心がわかるだろうか、正しい解決方法は何だろうかと悩み、苦しみながら当事者たちに寄り添っていく姿を、彼の成長とともに描いていきます。
 家族という、本来なら他人が足を踏み入れることのない部分に入り込んで当事者にとってより良い解決方法を探るという調査官の仕事は、非常に難しい仕事ですね。 
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慈雨  集英社 
 警察を定年退職した神場は、妻とともに四国巡礼の旅に出かける。その途中、神場は16年前に起きた幼児誘拐殺人事件を思い起こさせるような事件が起きたことをニュースで知る。16年前の事件は、DNA鑑定の結果、ある男が犯人として逮捕されたが、その後にその男の無罪を立証するような事実が出てきたのにもかかわらず、DNA鑑定ヘの信頼が揺らぎかねないとして警察は再捜査を行わず、男は20年の刑を受け服役していた。その事件のことは神場の心に大きな後悔を残しており、今回お遍路を計画したのも、自分が関わった事件の被害者の供養だけでなく、16年前の事件に対する自分の過ちを悔いてのことだった。神場は、元部下である緒方に事件の進捗状況を連絡くれるよう依頼する・・・。
 個人の倫理と組織の論理のぶつかり合いの中で、組織の論理を優先することを許してしまった後悔が、同様な事件が起きたことで神場の心を苛みます。物語は、事件の犯人を明らかにすることによって、16年前の事件で人生に大きな悔いを残していた神場が(そして、彼とともに16年前の事件を捜査した鷲尾が)、それと向き合い、どう乗り越えていくのかを描いて行きます。
 神場を自分自身に置き換えてみると、やはり、組織の論理に流されてしまう気がします。しかし、その結果が人を20年もの間刑務所に入れることとなるのですから、よほど厚顔無恥の人でない限り、その事実は心に重くのし掛かってくるに違いありません。
 お遍路の途中で神場夫婦をもてなしてくれた千羽鶴という老婆が、苦労してきた人生を振り返って、「人生はお天気と同じ。晴れるときもあれば、ひどい嵐のときもある。・・・・・ずっと晴れとっても,人生はようないんよ。日照りが続いたら干ばつになるんやし、雨が続いたら洪水になりよるけんね。晴れの日と雨の日が、おんなじくらいがちょうどええんよ。」と語ることばが印象的です。
 それにしても、神揚が新たに足を踏み出すことができたのも妻の香代子の献身的な支えがあったからですね。香代子がいなければ神場の今の人生はなかったのでは。
 事件の犯人については、現場にはいない神場が、いわゆる“安楽椅子探偵”のように推理しますが、犯行に使用された車の行方の推理が神場に先を越されるのは、捜査本部の刑事たちとしてはちょっと恥ずかしい。 
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盤上の向日葵  ☆  中央公論新社 
 山中で工事中の業者が白骨死体を掘り起こす。身元を特定する手がかりとなるのは、一緒に埋められていた伝説の将棋の名駒。捜査一課刑事の石破と所轄署の刑事の佐野は、駒の持ち主を辿っていく・・・。
 今年は15歳の最年少プロ棋士である藤井4段が公式戦29連勝の新記録を打ち立てたことで、将棋界に大きな注目が集まっています。そんな今、将棋を題材にしたこの作品は非常にタイミングが良かったといえるのでは。
 物語は石破らの捜査と、親から虐待されている1人の少年・桂介の物語が交互に描かれていきます。冒頭に若手棋士同士の対戦シーンが描かれ、そのうちの1人の棋士の名前が上条桂介ですから、この少年が成長して棋士となったことは誰でも想像できます。果たして、この少年が成長していく過程でどういうストーリーがあったのか。桂介の物語は、彼を虐待する父親との関わり、そんな桂介を案じて彼に手をさしのべる元教師の唐沢との交流、東大に入学し東京に出てきてからの真剣師(賭将棋で生計を立てる人のことをいうそうです。)・東明との出会い等々を描きながら進んでいきます。ストーリーは不幸な生い立ちの少年が立身出世をし、そこにかつて少年を苦しめた人物が現れるという2時間ドラマにありがちなパターンですが、柚月さんのりーダビリティにページを繰る手が止まりません。
 捜査をする所轄の刑事・佐野が元将棋の奨励会出身ということが警察側の捜査を描くストーリーのアクセントになっています。
 将棋の駒の動きを描いている部分は将棋をわからない人には退屈でしょうけど、ここを斜め読みしてもおもしろさに変わりはありません。 
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凶犬の眼  角川書店 
 「孤狼の血」の続編です。
 日岡秀一は、前作で描かれた事件の後、呉原東署の捜査二課から比場郡の駐在所に左遷され、毎日バイクで管轄区域を巡回する毎日を送っていた。そんなある日、叔父の葬儀で呉原に戻った日岡は、なじみの小料理屋で、対立する暴力団の組長を殺害して逃走中の重要指名手配犯・国光に出会う。彼を逮捕すれば所轄に戻れると日岡は考えるが、国光は日岡に手錠はかけられるが、もう少し時間が欲しいと言う。その後、国光は日岡の管轄区域にあるゴルフ場建設現場に責任者として現れる・・・。
 前作の冒頭では正義感あふれる刑事だった日岡が、先輩刑事だった大上の薫陶を受け、今では大義のためなら平気でやくざとも酒を酌み交わす警察官になっています。国光に対しても自分が逮捕して出世の糸口にしようとしているのであり、またそのために国光を見たことを通報しないのですから、大義というよりまず自分のことを考えて行動している悪徳警察官としかとしか言いようがありません。
 前作では大上という強烈な個性の持主がいましたが、今回登場する国光は彼に負けず劣らず強烈な個性の持主です。日岡は国光のことを堅気には迷惑を掛けない男と評しますが、そもそもやくざであること自体が堅気に迷惑をかける存在であり、男らしいとかカッコいいとか評することはできません。そういう点では「仁義なき戦い」が好きな人には面白く読むことができるでしょうけど、読者を選ぶかもしれません。
 題名が前作の「孤狼」から「狂犬」になっていますが、大上は狼だが、日岡は狼とはまだいえない狂犬ということでしょうか。 
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検事の信義  角川書店 
(ちょっとネタバレ)
 佐方貞人シリーズ第4弾です。3編の短編と1編の中編が収録されています。
 「裁きを望む」で取り上げられるのは法学部で刑法を学んだ者ならば誰もが知っている“一事不再理”の問題です。認知されていない息子がその父親の時計を盗んだとして起訴された事件を佐方は捜査の結果無実だとし、裁判では無罪判決、いわゆる検察がいう“問題判決”が出ます。しかし、無罪判決がひっくり返るような事実が出てきて・・・という話です。
 「恨みを刻む」で佐方が公判を担当したのは覚せい剤の所持・使用で逮捕され、尿検査でも使用の反応が出たという男の事件。単純な覚せい剤取締法違反事件と思われたが、佐方が被告が覚せい剤を使用しているところを目撃したという目撃証言の日付に引っ掛かりを覚えたことから、事件は急展開。事件の裏にはある者の思惑があったことがわかります。そして、更にはそれを利用するもっと大きな思惑があったという話です。
 「正義を質す」は佐方にとって気の置けない同期との再会のはずだったのに、その裏には検察の裏金問題と検察組織を守るための暴力団との取引という問題が隠されていたという話です。暴力団との取引ということに対し、正義を信じる佐方が果たしてどういう対応をするのかが読みどころです。なお、この作品に登場する広島北署暴力団係の日岡秀一巡査は「孤狼の血」「凶犬の眼」に登場する日岡と同一人物ですね。柚月ファンにはこうしたリンクは嬉しいですね。
 最後の中編の「信義を守る」は認知症の母親を殺害した息子の事件が描かれます。本人の自白もあって介護疲れからの殺害だと思われていたが、佐方は殺害から逮捕までの時間に息子が大して移動していないことに不審を抱き再捜査します。そんな佐方に対し、起訴を担当した先輩検事は佐方を激しく非難します。通常は公判を担当する検事は起訴内容どおりに裁判を進めていけばいいものですが「罪はまっとうに裁かれるべきだ」という信念のもと再捜査をするのですから、捜査担当の検事と対立し、検察内部で孤立するのも当然です。しかし、この事件では、佐方の再捜査により自分勝手な男だと思われていた息子が本当は親思いの優しい息子であることがわかり、更には現場近くに留まった理由が判明したことで、佐方は検察が言う“問題判決”が出る求刑をします。
 「罪はまっとうに裁かれるべきだ」というのが検事である佐方の考え。当たり前の考えなのですが、これを貫くがゆえに、時に佐方は“問題判決”が出る場に立ち会うことになり、検察組織の中では特異な存在とされていきます。今回は任官5年目の佐方が描かれますが、第1作「最後の証人」で語られていたように、佐方は任官5年目で検事を辞めて弁護士になります。となれば、その時はもう目前に来ているということですね。 
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暴虎の牙  ☆   角川書店 
 「孤狼の血」、「狂犬の眼」に続くシリーズ完結編です。
 昭和57年、やくざの父親に母や妹が理不尽な暴力を振るわれていたことから、やくざを嫌悪する沖虎彦は、幼馴染の三島考康と重田元とともに愚連隊「呉虎会」を率い、ヤクザも恐れぬ暴力とカリスマ性で勢力を拡大していた。やくざの賭場を襲ったり、覚醒剤を強奪したりした沖らはやくざの追及から逃れるため、広島に移り、そこで広島北署の刑事・大上と出会う・・・。
 GWのステイ・ホーム週間の時に、アマゾンプライムで「仁義なき戦い」シリーズを観ましたが、まさしく広島やくざの世界の話です。舞台が昭和57年から始まるので、物語の前半は「孤狼の血」の前からの話となります。「孤狼の血」の大上が再登場し、大上がパナマ帽をかぶることになったいきさつも語られます。「孤狼の血」で強烈な印象を残した大上ですが、この作品では彼以上に沖のキャラが強烈です。冒頭では父親を殺害するところも描かれます。この作品、大上だけではなく、後半の平成16年を舞台とする章には「狂犬の眼」の日岡も登場してきますが、沖の強烈な個性の前では影が薄くなります。
 貧しい生活の中で、やくざの父親に虐待され、反発しながら生きるしかなかった沖が自分を守るために誰にでも立ち向かい、特に家族に暴力を振るう父親がやくざだったことからやくざを嫌悪しながら生きていった人生が描かれた作品です。しかし、あまりにその生き方は壮絶です。大上にはやくざには歯向かうが一般人には手を出さないと評価されていた沖が、しだいに自分の嫌っていた父親と同じような行動を取っていくことになるのは皮肉です。それを指摘されて沖はどう感じたことでしょうか。余韻が残る哀しいラストです。 
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月下のサクラ  徳間書店 
 「朽ちないサクラ」の続編です。
 米崎県警の広報課の一般職員であった森口泉は前作の事件後、警察を退職し、改めて警察官採用試験を受けて警察官となり、交番勤務、交通課を経て努力の甲斐あって刑事となり捜査二課に配属される。一年後、捜査支援分析センターで人員補充があると知った泉は捜査の最前線で活動できるからと異動を希望し、試験を受けるが、追跡テストで失敗してしまう。ところが、試験官であった黒瀬の意向で泉は捜査支援分析センター機動分析係へ異動となる。初出勤の日、会計課内の金庫に保管してあった事件で押収した現金1億円弱がなくなっていることが発覚し、署内は大騒ぎとなる。泉ら機動分析係のメンバーも事件の捜査を始める・・・。
 前作ではストーカーの訴えをなおざりにしたという不祥事があり、今回も警察署内の金庫からの押収金の紛失という不祥事という、どちらも現実にどこかの署で起こった事件が端緒となっています。
 公安=悪という警察小説ではありがちな設定を背泳に警察官の犯罪が暴かれて言いますが、現金紛失事件の発覚だけで、公安がその事件の背景にあることすべてを知って乗り込んでくるというのも「公安、優秀過ぎ」ですし、公安が関わっていることで事件の背景を知り犯人まで推理してしまう黒瀬も凄くて、読んでいて違和感を覚えてしまいます。
 主人公の森口泉、一般職から警察官となり、その記憶能力は目を見張るものがありますが、果たして姫川玲子のような強烈なキャラの刑事となっていくのか、今後に期待です。 
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ミカエルの鼓動  文藝春秋 
 北海道中央大学病院の循環器第二外科科長を務める西條泰己は、手術支援ロボット「ミカエル」を使った手術の第一人者。そんな西條の下で「ミカエル」を使った手術を推進していた北海道中央大学病院だったが、病院長の曽我部は何故か、ドイツで従来からの開胸手術で高い評価を得ていた心臓外科医の真木一義を循環器第一外科科長に招聘する。僧帽弁閉鎖不全症で入院した12歳の少年・白石航の手術を巡ってミカエルによる弁置換手術を主張する西條と開胸による弁形成手術を主張する真木が対立する中、他病院で「ミカエル」を使った手術を担当していた医師が突然退職、医療過誤の噂が流れ、また、「ミカエル」には欠陥があると主張するフリー記者・黒沢が西條の前に現れる・・・。
(ここよりネタバレあり)
 物語は誰もが予想するように、航の手術中にミカエルに不具合が生じるという展開になります。果たして、それに対し西條はどう対処するのか、そして、そもそもミカエルの欠陥に対し西條はどう対応するのかがこの作品の読みどころだと期待したのですが、その辺りは割にサラッと書かれてしまったという感じです。幼い頃、貧乏だったゆえに父親が手術を受けることができなかった経験から、誰もが公平に医療機会が与えられるようにしたいと考える西條のキャラをありがちな白い巨塔の中で名誉欲にかられる医師にしていないのは評価できますが、それ故、もう少しこれからの西城の行動を知りたかったですね。最後は自然から何かを感じ取るというありがちなパターンで終わってしまったのは残念です。
 ネットで手術支援ロボットと検索すると、「ダヴィンチ」というアメリカの企業によるロボットが既に日本にも多く導入されているようです。更には、「ダヴィンチ」より安価な日本製のロボットが開発されるなど、人間の手によるより細部の手術ができ、傷口が小さいなど、そのメリットを考えると、今後手術支援ロボットはロボットによる保険適用手術が増えるに伴い、増加していくと考えられます。今後、ロボットによる手術は避けて通ることはできないでしょう。 
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チョウセンアサガオの咲く夏  角川書店 
 11編が収録された短編集です。ミステリだけでなく、ファンタジー、ホラー、ユーモア、そして本当に普通の小説とその内容は様々雑多です。
 表題作の「チョウセンアサガオの咲く夏」は、この作品集の中では数少ないミステリ作品です。題名にある“チョウセンアサガオ”には毒があるということを知っていたので、そこからストーリーの展開が予想できてしまいました。
 奉公に行った少年の成長物語である「泣き虫の鈴」と瞽女として生きていく少女を描く「影にそう」にはどちらも瞽女という今ではない盲目の旅芸人が登場します。これはもう本当に普通の小説です。
 「サクラ・サクラ」は、太平洋戦争中、南洋のパラオを日本軍が占領していた歴史的事実をもとにしたファンタジーです。
 「お薬増やしておきますね」は、精神科の診察室での医師と患者のやり取りが描かれます。これは読者をミスリードさせるなと思いながら読み進むと、思ったとおりの事実が現れましたが、更なるびっくりが用意されています。
 「初孫」は、不妊治療を受けようやく子どもを授かったが、自分の子どもではないのではないかと疑った夫が、友人の大学教授にDNA鑑定を依頼するというもの。予想した事実より悪い結果を得てしまうというストーリーです。 「原稿取り」は、雑誌の編集者がベストセラー作家の原稿を持って社に帰る途中で盗まれてしまうというもの。作家から罵倒されると思ったら実は・・・という話です。
 「愛しのルナ」と「泣く猫」は、どちらも猫が出てくる話です。前者は飼い猫を動画サイトに投稿している女性が、“投稿者さまも可愛い方なのでしょうね”というコメントに自分の顔も映して投稿するが・・・。これはこの作品集の中で唯一のホラーです。これは見たくないですねえ。後者は亡くなった母の部屋に弔問に訪れた女性が帰るときに部屋に入ってきた猫にかけた言葉は・・・というこれまた本当に普通の話です。
 「黙れおそ松」は、雑誌「ダ・ヴィンチ」の「おそ松さん」特集に書かれたもの。そもそも赤塚不二夫さんの「おそ松くん」を原作としたものですから、今までの柚月作品には見られない笑いのある作品です。何だかイメージ違うなあという感じです。
 最後の「ヒーロー」は「佐方貞人シリーズ」のスピンオフ作品。検事・佐方につく検察事務官の増田を主人公にした作品です。ただ、ミステリや法廷小説ではなく友情を描く作品です。 
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教誨  小学館 
 自分の娘と近所の幼い少女を殺害し、死刑が確定していた死刑囚の三原響子の刑が執行される。母が亡くなり身寄りがなかった響子によって身元引受人に指名されていた従姪の吉沢静江と娘の香純の元に東京拘置所から遺体又は遺骨と遺品の引き取りの電話がかかってくる。静江は引き取りを拒絶したが、香純は本家に相談するとして拘置所から遺骨と遺品を引き取り、そこで響子が最後に「約束は守ったよ。褒めて」という言葉を残していたことを知る。本家から引き取りを拒否された香純は、拘置所の響子を担当していた教誨師である寺の住職・下間に遺骨の取り扱いと気になっていた響子の「約束を守った」という言葉の意味を訪ねる。下間にも心当たりはなかったが、本家の菩提寺に香純が行くと話をしてくれる。香純は、菩提寺の住職に直談判するため、青森行きの電車に乗る・・・。
 ミステリですが、ネタバレを恐れずに言うと、響子は無実で他に犯人がいるのを探すというストーリーではありません。物語の中心は、響子が最後に残した「約束は守った。褒めて」という言葉は誰に対して言った言葉なのか。そして、“約束”とはいったい何なのかを香純が明らかにしていく様子が描かれていきます。
 物語の中では、2人の幼子を殺害した響子に対し、そしてその響子の関係者に対し、近隣の住民たちが嫌悪感を抱いている様子が強く描かれます。閉鎖的な地域性ゆえの響子らに対する仕打ちですが、そのことが、響子に「約束」をさせたことが明らかになってきます。でも、これは、よくある近隣との結びつきが強い田舎だからこそと思いがちですが、都会であっても、その閉鎖性は変わらない気がします。逆にSNSで田舎以上に更に非難されたり、無視されたり、嫌がらせをされたりもしますしね。 
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