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塩田武士の本棚

  1. 罪の声
  2. 歪んだ波紋
  3. 騙し絵の牙
  4. 存在のすべてを

罪の声  ☆  講談社 
  “このミス”第7位、第7回山田風太郎賞を受賞した作品です。
 物語で描かれるのは「ギン萬事件」ですが、事件の内容はそっくりそのまま1984年から1985年にかけて起こった「グリコ・森永事件」をモデルにしています(というより、「グリコ・森永事件」そのものです。)
 「グリコ・森永事件」といえば、グリコの社長が誘拐されたり、店頭に並ぶ菓子に青酸が混入されたりした大きな事件で、結局未解決のまま時効を迎えてしまった事件として、30年以上が過ぎた今でも記憶に残っています。特に犯人の一人として似顔絵が公開された“キツネ眼の男”の印象は強烈でした。
 物語の形式としては、父親の遺品の中から事件の際に使用された子どもの声による脅迫を録音したテープを見つけた曽根俊也が、自分と伯父が事件に関わっていたのではないかと関係者を訪ねて伯父の行方を探すパートと、「ギン萬事件」を検証する年末の特別記事の取材に駆り出された大手新聞社の文化部の記者、阿久津英士が事件を洗い直していくパートが交互に語られ、やがて二人が出会うところからいっきに物語は謎の解決へと向かいます。
 改めてウィキペディアで「グリコ・森永事件」を読んでみると、犯人たちは“かい人21面相”を名乗ったり、捜査陣をおちょくるような川柳を送ったり、今で言う「劇場型犯罪」の走りで、捜査陣が振り回されたという感は拭えません。
 この作品では、当時様々に推理された、警察関係者が関わっていたのではないかとか、暴力団関係者がいるのではとか、身代金目的より株価を操作して儲けたのではないかという事柄を交えながら、作者の考えた事件の様相が描かれていきます。
 3人もの子どもの声が脅迫電話に使われていることは記憶から抜け落ちていました。英士のような年端もいかない子どもであれば、忘れることもあるでしょうけど、一人は中学生くらいの女の子の声だったといいますから、利用された彼女は成長してから事件のことをいったいどう思ったのでしょうか。何にせよ、彼女の人生は大きく変わったに違いありません。
 ノン・フィクションを読んでいるような感じで、ストーリーの中に引き込まれました。おすすめです。
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歪んだ波紋  ☆  講談社 
 “誤報”をテーマにした5編が収録された連作短編集です。
 「黒い依頼」は、HPの内容紹介では誤報と虚報の話ということですが、誤報というより“虚報”の話です。近畿新報社の沢村は社内の特別チームから依頼され、轢き逃げ事件の取材をしていたが、ある事実を知って愕然とします。
 「共犯者」は、誤報とその時効を描いた作品です。定年で全国紙の記者をやめた相賀は、自殺した元同僚の遺した資料から33年前に自分がネタをつかみ、元同僚が書いた記事が誤報であったことを知ります。その誤報ゆえに人生を狂わせた者に対する元同僚の苦悩が描き出されます。
 「ゼロの影」は、市民に真実を伝える使命のあるマスコミの沈黙を描いた作品です。同僚との結婚で取材の一線を外されたため、新聞記者をやめて韓国語の講師となった野村美沙は、事務所のビルの中で起こった盗撮事件がもみ消されていることを知ります。その犯人が子どもの幼稚園の父兄であることを知り、その理由を探ると、そこには警察と記者クラブとの間のある事実、そしてそれが自分にも大きな関わりがあることに気づきます。果たして事実を知った美沙が、この後、沈黙したのかは書かれませんが、きっと沈黙したのでしょうね。
 「Dの微笑」は、よくある“やらせ”の話です。近畿新報の支局のデスクの吾妻はOBの安田から、もう何年も姿をくらましている在日で裏経済のフィクサーと言われていた安大成と会いたいのでTV局筋のコネを当たってくれと依頼される。コネを当たる中で吾妻はテレビディレクターのおかしな点に気づいて取材を進めていく。
 「歪んだ波紋」は、前作までに語られた男たちの行動が、実は別の目的を持っていたことが明かされるストーリーになっています。HPの内容紹介では誤報と権力を描いたものということになっています。ネットニュースを配信する「ファクトジャーナル」編集長の三反園は、バブル時代に日本の経済界で暗躍した財界のフィクサー安大成との独占インタビューができることに意気込んだが、やがてある事実に気づき愕然とします。
 ネットにはフェイクニュースが多く流されていると言います。アメリカのトランプ大統領は、著名な新聞、テレビ局の流すニュースをフェイクニュースだと騒ぎ立てます。マスコミの報道がフェイクニュースだとして国民の信頼を失うようになれば、時の権力者はやりたい放題ですね。 
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騙し絵の牙  角川書店 
 作者の塩田武士さんが、主人公に大泉洋をあて書きして書いた作品です。そのため、カバーにも大泉さん自身が写っています。
 速水輝也は大手出版社「薫風社」でカルチャー雑誌「トリニティ」の編集長を務めている。40代半ばの彼は、同期いわく「天性の人たらし」で、周囲の緊張をほぐす笑顔とユーモア、コミュニケーション能力の持ち主。そんな速水に編集局長の相沢は、近年の出版不況で薫風社も月刊誌や週刊誌の廃刊が相次ぐ中、「トリニティ」も黒字に転換しなければ半年後には廃刊になると告げられる。速水は黒字化のために大物作家の連載や映像化、タイアップなど新企画を探るが・・・。
冒頭のプロローグを語るのは、「薫風社」の小山内という漫画雑誌の編集長だったので、彼が主人公かと思ったら、第1章から速水が主人公へと変わります。最後のエピローグで再び小山内が語り手となるところに、この作品の隠されたものがあるといっていいでしょう。
 物語は出版不況の中で黒字に転換しないと廃刊を告げられた速水の奮闘が描かれていくとともに、更には会社内の社長派と専務派との派閥争いも加わり、速水の同期の秋村が不穏な動きを見せるなど、出版界の裏側を描いていきます。
 大泉洋さんをあて書きして書いたとあって、速水はものまねをしたり、冗談を言ったりして、嫌な緊張感を瞬時に和やかな笑いに変えてしまう男として描かれます。まさしく大泉さんらしいですよねえ。また、労使交渉の場では、月間文芸誌廃刊に当たって送られてきた読者からの手紙を披露し、小説に対する愛を語るなど、編集者にこだわるところを見せるのですが、ところが一転、読者は終盤、速水のある姿に唖然とします。でも、振り返ると、速水が何か習い事をしているということが、さりげなく書いてあったところに、伏線が張られていたんですねえ。 
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存在のすべてを  ☆  朝日新聞出版 
 神奈川県下で同時に2件の幼児誘拐事件が発生する。1件の被害児は輸入家具販売会社の社長の息子だったが会社は左前で身代金を用意できない状況にあった。一方、もう1件は片親の家庭の幼児・内藤亮で母親は育児放棄状態だったが、祖父は健康食品会社の社長であり、警察は2件の誘拐は県警の捜査を分散させるためのもので、本命はこちらだと踏んで捜査に当たった。しかし、犯人が指示した場所に祖父が運んだ身代金は犯人が回収する前に、善意の男性により落とし物として交番に持ち込まれてしまい、身代金を持ち去る犯人を追って犯人一味を確保することができず、被害児の行方もわからなかった。ところが、事件から3年が経った時、祖父の家に突然被害児が戻ってくる。警察は被害児に行方不明だった期間何をしていたのか尋ねるが、覚えていないと言われ、犯人逮捕につながる新たな証拠は出てこなかった。それから30年が過ぎ、誘拐事件の当時の捜査員の葬儀に参列した新聞記者の門田は、やはり葬儀に参列していた当時の捜査員から、戻ってきた被害児が、今は画家になっていることを告げられる。事件の関係者の中に画家がいたことから、門田は何か関わりがあるのではと調べ始める・・・。
 最初は誘拐事件を担当する中澤刑事を中心とする警察小説かと思いましたが違いました。物語の中心は、誘拐された少年は行方不明となっていた3年間、どうしていたのか。成長して画家となった彼は、いったい何を考え生きているのか。その謎を、事件が未解決になったことで忸怩たる思いを抱いている警察関係者の思いも受けて調べ始める新聞記者の門田と、少年の高校時代のクラスメートであった土屋里穂の視点で明らかにしていきます。その中で、家族とはいったい何なのかについて大きな感動を読者にもたらします。
 この作品、写実主義の絵画が大きなポイントとなってきます。「トキ美術館」には一度行ってみたいです。そして、里穂と亮を結びつけるジョージ・ウィンストンの「Longing/Love」を聞きたくなりました。 
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