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重松清の本棚

  1. 流星ワゴン
  2. 定年ゴジラ
  3. 哀愁的東京
  4. トワイライト
  5. リビング
  6. 愛妻日記
  7. 送り火
  8. 卒業
  9. なぎさの媚薬 敦夫の青春 研介の青春
  10. 熱球
  11. いとしのヒナゴン
  12. その日のまえに
  13. なぎさの媚薬2 哲也の青春 圭の青春 
  14. きみの友だち
  15. なぎさの媚薬3 霧の中のエリカ
  16. 小学五年生
  17. なぎさの媚薬4 きみが最後に出会ったひとは
  18. ブルーベリー
  19. みぞれ
  20. 希望ヶ丘の人びと
  21. あの歌がきこえる
  22. 再会
  23. 十字架
  24. たんぽぽ団地
  25. ファミレス
  26. どんまい
  27. 旧友再会
  28. ルビィ

流星ワゴン  ☆ 講談社
 会社をリストラされ、妻はテレクラに入り浸り、一人息子は家庭内暴力で引きこもりという主人公の前に現れた親子を乗せた一台のオデッセイ。主人公はこの親子たちとオデッセイに乗り、自分の人生のターニングポイントである過去を訪れる。途中で現在死の床に伏せっているはずの父親が若き頃の姿で現れ、オデッセイに乗り込んでくる。ホント読んでいて涙が出ました。主人公の人生だけでなく、オデッセイを運転する親子の悲しい関係。平成14年度読了本のbPでした。
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定年ゴジラ  ☆ 講談社
 定年を迎えてしまった男を主人公にした連作短編集。定年を迎え、翌日起きてはたと考えれば何もやることがないというのは、僕ら多くのサラリーマンが同じではないだろうか。若い頃は定年後のことなど全く考えもしなかったが、自分自身が今まで働いてきた年数より定年までの残りの年数の方が少なくなってきたこともあり、主人公を自分に置き換えて考えてしまった。しかし、結局のところ定年後いったい何をしたらいいのだろう。その日は一歩一歩近づいてきている。前向きに生きていくことができるのだろうか。
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哀愁的東京 光文社
 絵本を書けなくなった絵本作家を主人公とした連作短編集。彼が唯一賞を取った作品であり、絵本を書けなくなった原因となった作品でもある「パパといっしょに」を、ときに話の題材として使いながら物語が進められていく。著者はこのところ「流星ワゴン」や「トワイライト」など、中年男性を主人公にした作品を書いているが、中年の気持ちの捉え方というか、不器用な男の姿を書くのがとにかくうまい。仕事のできる妻には別居され、挙げ句は離婚を持ち出され、結局何も言わずにはんこを押すしかない男。しだいに成長してくる一人娘への対応の仕方も分からず右往左往する男。まさしく中年男性の典型だ。思わずそうだよなあ〜とうなずいてしまう。
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トワイライト 文藝春秋
 もう表紙の太陽の塔の写真を見ただけで、ノスタルジーを感じてしまう。この太陽の塔がシンボルとなった万国博覧会が開催されたのは、確か1970年頃だったと思う。僕もまだ10代初めの年齢だった。
 話は、小学校卒業前にクラス全員で埋めたタイムカプセルを掘り出すところから始まっていく。掘り出したカプセルには、39歳になったみんなの当時の夢が詰まっていた。そしてそれらとともに、愛人によって殺された担任教師からの「今、幸せですか」という皆への手紙がはいっていた。
 のび太、ジャイアンと当時渾名された少年たちの、過去の姿と現在との大きな乖離。タイムカプセルを開けることによって、それぞれに夢は現実のものとはならず、誰もが現実を生きることに汲々している自分の姿を思いさせられることになる。
 しかし、読んでいてたまらない小説だった。僕だってあの年代いろいろな夢を抱き、未来なんて光り輝くものだとどこか漠然と思っていたと思う。でも、夢はしょせん夢に終わり、厳しい現実の中を生きることになる。小学生の同級会なんて全然やっていないけど、果たしてあの頃と同じように声掛け合うことができるのだろうか。
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リビング 中公文庫
 夫婦、親子等家族を描いた短編集。1つの夫婦の春夏秋冬を描いた連作短編「となりの花園」と、その間にそれぞれの四季に合わせて挟み込まれた8つの話から成り立っています。「となりの花園」はファッション雑誌の編集者の夫とCGイラストレーターの妻という僕からすれば生活臭を感じさせない、今風の夫婦が主人公です。この夫婦は隣人運が悪く、引っ越しを繰り返してやっと満足する家に住むことができたと思ったら、その隣にある家族が引っ越して・・・、という話です。隣人との付き合いというのは難しいものがあります。特に隣の人は何する人ぞの都会より田舎に行けば行くほどなおいっそうその傾向は強いですね。
 この短編集の中で特に僕が気に入っているのは、ちょっとミステリの風味がある「息子白書」です。母子二人暮らしの少年とその少年の素行調査を行う探偵の話ですが、最後に全てがいい感じに収まって、気分良く読了することができます。

 ※ 「となりの花園」を読んでいて思ったのですが、以前はDINKS(Double Income No Kids)ということが言われ、夫婦二人で働いて子供はいないという形がよく言われましたが、最近はそもそも結婚をしない男女が増えてきています。家族という形態がしだいになくなってくるのでしょうか。
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愛妻日記 講談社
 表題作「愛妻日記」を含む6編の短編集。
 題名をみると、いつもの重松さんの作品らしい夫婦をテーマにした作品と思って、書店に買いに行きました。たまたま店頭になかったので、店員さんに入荷しているかどうか訪ねたところ、探して持ってきてくれたのですが、渡された本をみてびっくりしました。帯に「R−18、性愛小説、奥さんには内緒で読んでください。」と大きく書かれているのです。え、何これは!違うんじゃないのと思って著者名をみると、確かに重松清という名前が・・・。「全く、男性の店員に頼んで良かった。女性の店員だったら白い目で見られるところだった。」とちょっとホッとしました。この本は、重松さんが別名で書いた小説です。内容はといったら、やっぱりこれはカタカナで言えばポルノ小説なんでしょうね。重松ファンの皆さん、いつものように読み始めると衝撃が大きいですよ。
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送り火 文藝春秋
 武蔵電鉄富士見線沿線に住む人々を描く9編からなる短編集。帯に著者初のアーバン・ホラー作品集と書いてあるとおり、「フジミ荘奇譚」、「ハードラック・ウーマン」、「家路」はホラーといっていいでしょう。ただ、あとは「送り火」が少しホラーというかファンタジー色が入っているかなという程度で、ホラー作品集というほどではありません。また、ホラーといっても、ホラーの形をとっているだけで、中で描かれているのはいつもの重松氏の作品のとおり人々の生きる辛さ、哀しみ、そしてそれを乗り越えていこうとする姿です。
 中の1編「よーそろ」にこんな言葉が出てきます。『あんたが自分の世界の「ここまで」と思うとるものは、ほんまは新しい世界の「ここから」なんや。』 いいことばです。考えさせられます。
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卒業 新潮社
 表題作を始めとする4編からなる短編集です。最初の「まゆみのマーチ」は、危篤状態の母の枕元で兄妹が母の思い出を語ります。登校拒否になってしまった妹をやさしく見守る母。がんばれとは言わず、妹が少しずつ学校に向かって歩くのを「まゆみのマーチ」という歌を歌って励ます母。それが主人公と現在登校拒否になっている主人公の息子の姿に重なります。相変わらず重松さんは家族を書かせるとうまいです。わかっていながら思わず涙がこぼれてしまいます。「あおげば尊し」は死を前にした父と、父と同じ教師という職業に就いた息子の話、「追伸」はなさぬ仲の母と息子との話ですが、両作品とも最後にたっぷり泣かせてくれます。
 唯一家族を書いていないのが表題作の「卒業」です。自殺をした「親友」の娘がある日主人公を訪ねてきて、父親のことを教えて欲しいと言います。主人公は彼女が開設したホームページの掲示板に「親友」の思い出を毎日書き込みますが・・・。「親友」といったって、どれだけ相手のことがわかっているのでしょうか。主人公の妻がいいます。「ひとの一生なんて、一人の友だちが丸ごと語れるわけないじゃない」そのとおりですね。僕にも20代前半で亡くなった友人がいましたが、20年もたった今、彼のことは多くは語れません。
 4編の中では、最初の「まゆみのマーチ」が僕には一番でした。
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なぎさの媚薬 敦夫の青春 研介の青春 小学館
 夜の渋谷に現れるという娼婦のなぎさ。なぎさの客となると不思議な夢、青春時代に戻って、その頃出会った女性とセックスをするという夢を見るという。そして、なぎさが現れるのは孤独の男の前だけ・・・。この物語は、なぎさと出会った二人の男、敦夫と研介の物語です。
(少しネタばれです)
 リストラの対象となり、出向の片道切符で単身赴任を余儀なくされる敦夫、結婚式を終え新婚旅行中だが、新妻の顔に“あの人”を思い出してしまい、インポテンツとなっている研介。そんな心の中に大きな悩みを抱えている二人が、青春時代に戻ることにより、その当時できなかった人とセックスをし、その女性たちを現実の苦しみから助け出すのです。その夢を見終わった後でも、二人を取り巻く現実は何ら変わっていません。しかし、二人ともそれまで目を背けていた現実を正面から見つめ、確かな一歩を踏み出そうとするのです。
 いったい、なぎさは何だったのでしょうか。僕の前にはなぎさは現れてくれないのでしょうか。僕自身も青春時代に戻ってみたいのですが。
 全編をとおして、家族の前では読むのがはばかれるほどの性描写が続きます。帯の背には「青春童貞小説」などと書いてあるので、そこらへんに投げ出しておくわけにもいきません。この作品は、重松さんの最近の「愛妻日記」と同じ流れといえるでしょうか。それにしても「青春童貞小説」とはいったい何でしょう。
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熱球 徳間文庫
 雑誌の編集者であるヨージは、会社の経営方針に反発して退職し、母親の死を契機に一時故郷へ戻ることを決意する。大学助教授の妻はアメリカへと留学しており、彼についてきたのは一人娘の美奈子。彼は高校時代、野球部のエースとして甲子園を目指したが、ある事件のため夢破れたという過去があった。
 僕自身は、故郷を離れていたのは大学の4年間だけなので、「故郷」ということばに深い意味を感じることはありません。大学時代も家までは特急で2時間という距離だったので、「ふるさとは遠きにありて思うもの」という経験もありません。東京のあくせくした生活にはなじめそうにないなあと、あまり深く考えずに大学卒業後に故郷に帰ってきました。育った町もそれほど田舎町ではないので、ヨージのように常に誰かの目がある、それを気にしなくてはならないということもあまり感じない生活です。
 「だが、もう僕たちは思い出話ばかりをつづけてはいられない。夢の話だけを語り合うこともできない。甘酸っぱくもなければバラ色でもない現実を、たとえ重い足取りであっても一歩ずつ進んでいかなければならないのだ。」とヨージが独白しますが、まったく、そのとおりです。幼い頃からの友人たちと酒を飲んでは、「あのときはああだったよねえ〜」、「うんうん、そうだよなあ」と、思い出話に花が咲くことはありますが、それが終われば僕らの前に待っているのは厳しい現実です。人生、夢を食べてばかりでは生きていけません。
 相変わらず、重松さんの語りはうまいです。都会から田舎に転校した子供がいじめに遭うという、またかと思う設定もありますが、妻とのすれ違い、老いた父親とのしっくりといかない関わりなど、思わずうなずいてしまいます。
 予想がつく結末だったのがいまひとつでしょうか。しかし、落としどころとしては、あの結末が一番良かったのでしょうね。
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いとしのヒナゴン  ☆ 文藝春秋
 1970年代前半に謎の類人猿ヒナゴンの出現で話題を呼んだ比奈町。一時は目撃情報が相次ぎながらも忽然と消えてしまったヒナゴンが30年の時を経て、再度比奈町に現れたことから始まる騒動を描いた作品です。
 今までの重松さんの作品とはちょっと異なって、ユーモアも随所に見られ、それほど深刻になる物語ではないので、どんどん読み進むことができます。
 30年前、小学生の頃にヒナゴンを目撃し、今でもその存在を信じる町長は、役場に類人猿課を設け、ヒナゴンの発見に力を注ぎます。その類人猿課に採用されたのが、東京でのコピーライターの夢が叶わず、かつてヒナゴンを目撃しながら嘘つき呼ばわりをされた曾祖父の仇をとろうと戻ってきた信子。物語は彼女の語りという体裁で進んでいきます。
 とにかく、登場人物のキャラクターが愉快です。元ガキ大将にして、元暴走族上がりの町長のイッちゃん、そしてガキ大将時代の子分で、緊張すると下痢をしてしまうという悲惨な性格の持ち主で現在町役場総務課長のドベ。同じく子分で、今では町長の対立候補を支援する土木会社に勤めるカツ、さらには二度の結婚に破れ、ふるさとに戻って怪しげなドリンク販売会社の代理店を始めたナバスケ。この物語は、ヒナゴンと市町村合併に揺れる小さな町の物語であるとともに、この幼なじみ4人の物語でもあります。
 幼い頃はガキ大将とその子分たちでワイワイやっていた4人も、大人となり、それぞれ別の人生を歩んできており、自分だけではなく家族にも責任を負わなくてはならない立場となっています。それぞれ社会の中で自分が生きている場所があり、幼い頃のように無茶はできません。ちょっと悲しいものがありますよね。
 平成の市町村合併で揺れる小さな田舎町の比奈町。財政力指数は0.25を割り込んでいるのだから、これはもう3割自治以下。交付税が減少していく中では単独では生き残ることは難しいと、今的な話も取り入れています。さらに、舞台が中国地方ということからすると、備北市長の片山は、もしかしたら自治省の課長を辞職して鳥取県知事となり、改革派知事の一人といわれる片山知事をモデルにしているような気がします。このあたり、重松さんのライターとしての経験が生かされているのでしょうね。
 役所を舞台としている作品では最近荻原浩さんの「メリーゴーランド」を読んだのですが、破天荒なおもしろさということでは、こちらの方が上でしょうか。「メリーゴーランド」の主人公もイッちゃんも元気を出すときの音楽は不思議と同じ「ロッキー」のテーマでしたね。やはり、あのテーマ曲は元気が出ます。
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その日のまえに  ☆ 文藝春秋
 表題作を始めとする7編からなる短編集です。7編を貫くテーマは「死」です。この作品集に登場するのは、幼い頃同級生を亡くした人、夫を突然の病気で亡くした人、余命幾ばくもないと宣告された人、そしてその人たちの周りにいる家族や友人たちです。
 中心となるのは表題作の「その日のまえに」から「その日」、「その日のあとで」と続く3編です。ガンで余命幾ばくもないと宣告された妻と“その日”を考えながら、若い頃住んでいた町を歩く「その日のまえに」。そして、いよいよ迎える“その日”を描く「その日」。妻の死後、妻のいない生活に戸惑う夫と子供たちを描く「その日のあとに」。3編とも夫の視点から描かれます。そして、この3編に他の作品が繋がっていくという体裁を取っています。
 若い頃は「死」を自分のこととして考えることなどなかったのですが、人生も折り返し点を過ぎると(とっくに過ぎているかもしれませんが)、「死」というものを身近に思うようになり、こうした物語を読むと、どうしても自分に置き換えて考えてしまいます。中の1編「潮騒」のように、余命3か月の宣告を受けたら、自分自身はどうするだろうかというように。
 現実として、家族の死ということを経験していない僕にとっては、例えば、「その日」のなかで夫が、「悲しい知らせは美しい曲で受けたい」という気持ちから、携帯電話の設定を変え、病院から電話がかかってきたときだけ別の着メロ、パッヘルベルの「カノン」にしたような行動をとるような心情になるかどうかは、正直のところわかりません。そして、妻が夫に残した手紙にああしたことを書くのは綺麗事すぎないかと思わないでもありません(読んでいてジ〜ンときてしまいましたが)。それでも、読み進めてしまうのは、これも死に直面した人たちの1つの姿かなと思わせられてしまう重松さんの筆力によるものですね。
 先日、重松さんの「いとしのヒナゴン」を読んで、今までの重松作品とはちょっと毛色の変わった作品だと思いましたが、今回は、今までどおりの重松作品でした。  
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なぎさの媚薬2 哲也の青春 圭の青春 小学館
 なぎさの媚薬シリーズ第2弾です。今回は大学時代に組んでいたバンドのボーカル真理子の死に揺れる哲也を描く「哲也の青春」と姪の結婚式で見た姪の顔が、兄の離婚した前妻に似ていることに驚く圭を描く「圭の青春」の2作からなります。
 二人とも青春時代に心に大きな傷を負っています。そして、二人とも、そのとき、その人とセックスをしていたらという思いを心の片隅に持っています。時が流れ、あることから、相手の不幸を思い後悔する二人の前に伝説の娼婦“なぎさ”が現れます。
 雰囲気的にはいつもの重松さんらしい物語なのですが、なぎさという娼婦を登場させることにより、どうしてもセックス描写が細かくなって、失礼ながら僕としてはいわゆる官能小説を読んでいるような気がしてしまいました。重松ファンとしては、このシリーズはちょっと違和感がありますよね。しかし、やっぱりラストは官能小説からいつもの重松さんの物語に戻って終わります。このあたり、ジーンとさせて、やっぱりうまいです。
 過去に戻って、自分が愛していた女性の人生を変えるというのは、話としては大好きなパターンです。過去の戻る手段というのが、タイムマシンに乗って戻るというのではなく、なぎさという娼婦とセックスすること、そして、その女性の人生を変えるためには、過去にその女性とできなかったセックスをするということですから、正直のところちょっとうらやましいです(^^;
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きみの友だち  ☆ 新潮社
 11歳の時学校帰りに交通事故にあい、松葉杖生活になった恵美。彼女が失ったのは、足の自由だけではなく、すべての友だちも失った。この物語は、そんな恵美と、彼女の弟や友だちをそれぞれ主人公にした連作短編集です。
重松さんて、どうして少年少女の心を描かせるとうまいんだろうと思わせる作品です。この本の中でそれぞれ主人公を務める「きみ」の心は、どれも自分も子どもの頃そんなことあったなあと思わせるものばかりです。読んでいて、自分の子供時代を思い出してしまいました。でも、子どもからしてみれば、こんなの大人が描く作品じゃないかと、共感を得ることは難しいのかなとも思ったのですが、そうでもないようです。娘が友人からこの本感動するから読んでみたらと、父親が持っていることも知らずに借りてきました。今、重松さんの本がクラスでブームだそうです。これって、重松作品が大人である重松さんの独りよがりの作品ではなくて、今の子どもたちの心もきちんと描いている証拠ですよね。
 僕自身はあまり群れるのは好きではないけれど、かといって一人でいられるほど強くはありません。誰かと少しは繋がっていたいという気持ちが心の奥底にはあります。でも“友だち”っていったい何が友だちなんでしょうね。携帯電話の登録の多さが友だちが多いということでもないでしょう。単に同じ趣味で話が合う人が友だちなんでしょうか。この作品は、そんな“友だち”というのは何だろうということを読む人に考えさせてくれる作品です。
 重松さんは恵美に言わせます。「『みんな』が『みんな』でいるうちは友だちじゃない。絶対に」「わたしは、一緒にいなくても寂しくない相手のこと、友だちって思うけど」「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」・・・。ここまで考えることができるためには、自分が強くならなくては駄目ですよね。
 ラストは予定調和的ですが涙がにじんできてしまいます。とにかく、多くの人に読んでもらいたい作品です。オススメです。

 ※最近浦沢直樹さんの“20世紀少年”にはまっているので、“友だち”って気になります(^^;
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なぎさの媚薬3 霧の中のエリカ 小学館
 なぎさの媚薬シリーズ第3弾です。相変わらずの子供には見せられない性描写いっぱいの小説です。人前で堂々と読むことができない本ですね。今回は「霧の中のエリカ」と「天国の階段」の2作が収録されています。
 渋谷にいるという街娼のなぎさ。彼女を買った男は、不思議な媚薬を渡される。その媚薬を飲むと、時空を超えて過去に旅することができる。それも、現実では救えなかった女性を救うために、過去に戻るのだという・・・。
 「霧の中のエリカ」は、16歳で死んでしまった幼なじみの女の子が転落していくことを救えなかった男子高校生が、過去に戻って彼女を救おうとする話。彼女の転落のきっかけにはあまりに悲惨な事実がありました。人生をやり直すことによって、強く生きようとした主人公の少年、そして彼が恋した少女に声援を送りたくなります。
 「天国の階段」は、結婚後すぐにガンであることが判明した男が、愛する妻のために過去に戻って現実を変えようとする話。普通病気となれば、そばに誰かいて欲しいと思うのが当然ですが、若くして未亡人となってしまう妻のことを考えて、妻と恋に落ちることのないようにしようと考えるなんて、やさしすぎる男ですね。しかし、当然のことながら重松さんは、簡単に物語を進めませんけど。
 どちらも泣かせる話です。あまりにエロティックすぎるストーリーが読者を選んでしまう嫌いがありますが。
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小学五年生 文藝春秋
 小学5年生の男の子を主人公とした17編からなる短編集です。そういえば、ぼくもあの頃あんなこと考えていたよなあと心に思い当たることがいっぱいの作品集です。 誰もがこの17編の中に主人公と自分を重ねてしまう1編があるのではないでしょうか。
 僕にとっては転校した男の子の気持ちを描いた一番最初の「葉桜」が心にグッときました。主人公と同じように小学生の頃転校した僕は、引っ越し先が隣町だったこともあって、引っ越した当初は学校が終わると元の同級生に会うために自転車をこいで隣町に向かったものでした。でも、しだいに自分の居場所がなくなってしまったような感じがして、遊びに行くことがなくなりました。そんなこともあって、主人公の男の子の気持ちはよくわかるんですよね。
 「正」の主人公の気持ちもよくわかりますよね。委員になりたいくせに、みんなの前では「そんなの絶対やりたくない」なんて言いながら、投票結果を密かに気にしてしまう・・・。ありましたよねぇ、そんなこと。
 そんなふうに、それぞれ読む人が小学生時代を振り返ってしまう作品集です。やっぱり、子供の気持ちを書かせると重松さんは上手いです。
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なぎさの媚薬4 君が最後に出会ったひとは 小学館
(ネタバレあり)
 なぎさの媚薬シリーズ完結編です。なぎさの媚薬によって、過去に戻ることはできるが、過去を変えることができるのは自分が愛する女性の過去であり、今の世界の戻ってきたときの自分自身の現実は決して変わることがありません。それでも、男は過去に戻ります。
 今回、最初は伝説の娼婦なぎさのことを知ったフリーライター章が主人公です。彼はなぎさのことを記事にしようと、彼女を捜します。その過程で彼は別れた妻が連れて行った娘がAV女優となり、その後飛び降り自殺をしていることを知ります。彼がなぎさの媚薬によって救おうとするのは娘です。自分の娘がAV女優になったという事実を突きつけられるのは親として苦しいです。主人公同様、娘を持つ身としては読んでいて辛くなってしまいました。ラストはちょっとホッとさせられましたが。
 後半はいよいよなぎさの正体が明かされていきます。なぎさは、なぜ娼婦として渋谷の街に現れるようになったのか。物語のベースをなすのは、現実に起こった事件です。ある有名企業のエリート女性社員が渋谷の街で娼婦まがいのことをしていて殺されたという事件で、当時週刊誌を賑わせましたし、本にもなりましたね。この辺り重松さんのフリーライターとしての経験が生かされているかもしれません。
 今回も性描写がすごいのですが、決して官能小説ではありません(以前は官能小説かとも思ったのですが)。女性にも読んでもらいたいですね。
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ブルーベリー  ☆ 光文社
 山口県から大学入学のために上京した“僕”を主人公にした12編からなる連作短編集です。主人公は1981年に18歳で早稲田大学に入学ですから、これは重松さんの私小説的な作品でもあるのでしょうか。地元から東京の大学を受験しに一緒に上京してきた彼女を始め、大学時代に出会った様々な人々との出会いや別れを描いた作品です。
 物語の背景に出てくるのは、“ふぞろいの林檎たち”、“ポパイ”、“ボートハウスのトレーナー”、“ジミー・コナーズとジョン・マッケンロー”、“1973年のピンボール”、“マリオブラザーズ”等々、重松さんと同時代を生きた僕にとってはどれも懐かしいものばかり。それだけでも楽しく読むことができた作品ですが、自分の大学時代も同じような出来事があったと思わせるような話で、あの時代に戻させてくれる作品でした。
 12編の中では、「4時間17分目のセカンドサーブ」はいいなあ。若い頃は劇的な勝利を収めたロートルの選手に感動した主人公とその友人が、年齢を重ねて敗者の立場に立った今、気持ちが傾いたのは敗者の姿というのは何となくわかる気がします。
 重松さんと同時代を生きた人にはおすすめです。 
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みぞれ  ☆ 角川文庫
 11の作品を収録した文庫オリジナル短編集です。相変わらず重松さんの短編は読ませます。短い文章の中で笑わせたり、ほろっとさせたりしながら家族愛、夫婦愛、親子愛等他の人への愛を描いていきます。
 「家族の得意技」という息子の夏休みの宿題に悩む父親を描く“砲丸ママ”は、愉快な作品です。高校時代に砲丸選手だったママに対し、パパは陸上部のマネージャー。得意技は何かないかと悩む父親の姿に息子が買いた作文には微笑んでしまいます。
 一方、深刻な問題を扱った作品もあります。特に“石の女”と“ひとしずく”の2編が、子どもができない夫婦を描いた作品です。そのうちの“ひとしずく”は、子どものできない夫婦二人だけの記念日に乱入してきた空気の読めない男にじっと我慢する夫婦を描きます。子どもができないという事実は、当人たちにとって大きなプレッシャーになるのでしょうが、それをわからないこの作品での登場人物の義弟は、何と嫌なやつなんでしょう。でも、こういう人って周りにもいるんですよね。
 “メグちゃん危機一髪”もリストラという暗い話題をテーマにした作品です。それも自分か同期の友人のどちらかというのですから、これは苦しいですよね。もちろん、自分がリストラされるのは嫌ですが、その代わりに犠牲になるのが友人としたら、これは心に重くのしかかります。
 そのほかどの作品も人生の一場面で誰もが一所懸命生きる姿を描いています。おすすめです。
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希望ヶ丘の人びと  ☆ 小学館
 妻をガンで亡くし、二人の子どもと共に妻が少女の頃住んでいた町に引っ越してきた田島。その町で出会ったのは、妻の同級生で妻を好きだった二人の男。一人は生徒会長だったがすぐに先生に言いつけるのでチクリ宮嶋と呼ばれていた男、もう一人は狂がつくほどの矢沢永吉ファンで自分のことをエーちゃんと呼ばせている強烈なキャラの男。妻がエーちゃんに恋していたのではないかと、焼き餅を焼く田島が愉快です。
 そのほか、妻が通った書道教室の師範のおじいさん夫婦とそのおじいさんに反発するヤンキーな孫、エーちゃんの娘のマリアなど個性豊かな人々の中で普通の中年男の田島が様々な問題に直面しながら父親として再生していく物語です。
 重松さんが描くお父さんは、この作品の主人公のように、気弱で頼りなさそうだけど、最後には無理して弱い心を一所懸命奮い立たせて頑張ってしまうといキャラクターが多いですね。ヤンキーを怖がったり、無理難題を言う年下の塾の本部社員に心の中で「この野郎!」と思いながらも口の中でヘイコラしてしまう、あなたの気持ちわかるなあ〜、しがない中年男は皆同じだなあと頷きながら読んでいました。子供を持つ中年男としては、田島の気持ちに共感するところが多かったですね。
 御都合主義と言われそうな設定に、そんな人いないだろうと突っ込みたくなるエーちゃんのような人物も登場しますが、そのストーリー展開にすっかり心を捉えられてしまいました。エーちゃんのキャラ、最高です。510ページという大部の作品でしたが、2日間でいっき読みです。中年男となって涙腺が緩くなってきたことを感じさせてくれる話でした。中年男におすすめです。
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あの歌がきこえる  ☆ 新潮文庫
 1970年代から80年代にかけて、中学生から高校生の時代を過ごした主人公たちを、当時流れた歌を背景に描いた文庫オリジナル作品です。
 重松さん、こうしたノスタルジックな話は相変わらずうまいですねえ。あ〜こんなさわやかな青春時代ではなかったけど、俺にだって忘れずに取っておきたい過去もあるぞ。友情もあったし、恋だってあった。あの登場人物は俺そっくりだ。作品中に登場する歌だって、かなり歌えるぞ。この本を手に取ったおじさんたちは、誰もがそう思ったのではないでしょうか。
 同時代に生きた僕自身も、読んでいるうちに当時のことを思い出しました。物語の中でもオクラホマ・ミキサーを初恋の人と踊りたいと望む男の子が登場しますが、こういう望みってありましたよね。学園祭のフォークダンスで片思いの彼女の手を握ったときのドキドキ感が蘇ってしまいました。
 どんどん物語の中に引き込まれていってページを繰る手が止まりません。仕事のことを一時忘れてノスタルジーに浸りたいおじさんたちにおすすめの1冊です。
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再会 新潮社
 6編からなる短編集です。この作品についての重松さんのインタビューをみると、「初めから意図したわけではなく、書いたものが自然と同じテーマを帯びていた」とあります。「同じテーマ」とは、題名にもなっている“再会”ということでしょうか。“再会”といっても、子どもの頃を振り返り、初恋の人や親戚の鼻つまみ者の叔父さん、友人のことを想うだけでなく、その頃の“自分”と“再会”するという意味も含められている気がします。
 第1話の「いいものあげる」とラストに置かれた「ロング・ロング・アゴー」は対の話となっています。「いいものあげる」が小学生の頃の話、「ロング〜」が、その二十年後が描かれるという形になっています。それも語り手を女の子から成長した同級生の男性に変えて、二人が見つめた女の子との話が描かれます。このあたりの重松さんの演出はうまいですねえ。
 一番好きな話は、「チャーリー」です。それまでクラスの中心にいた男の子が、学年のオールスターが集まったクラスで自分が普通なところに気づく話です。ラスト、現在が描かれるところで、そのオールスターの一員だった同級生も結局は普通の人だったというところがいいですね。
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十字架 講談社
 いじめにより自殺した少年の遺書に、いじめの中心人物2名とともに親友として名前が記された裕と、想いを寄せているとして名前が記された小百合。この作品は、彼ら二人の20年に及ぶ物語です。
 親友でないにしても、確かにいじめを見て見ぬふりをすることは、いじめと何ら変わりがないというのはわかります。それによリー人の命が失われたのですから、傍観者は非難されるべきでしょう。しかし、裕が親友でないことを知りながらも、彼を非難したマスコミに対しては嫌な気分にならざるを得ません。また、小百合は一方的に好意を寄せられていたにすぎず、誕生日のプレゼントをしたいと言った俊介に対して冷たく対応するのも仕方ないことなのに、そんな彼女にまで重い十字架を背負わせた女性記者に対しては、何様のつもりだ!と言いたくなります。
 もちろん、両親が、息子が親友と書いた裕が息子を助けてくれなかったことに対して怒ったり、想いを寄せていた小百合に息子の命日に来てもらいたいと思うのも無理からぬところがあり、それを非難することはできません。
 しかしながら、考えなくてはいけない問題なのに、女性記者の鼻もちならない態度(あえて、そう言わせてもらいます。)が気になって、どうも物語に共感することが最後までできませんでした。
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たんぽぽ団地 新潮社
 1970年代前半に始まったNHKの少年ドラマシリーズといえば、僕らの世代にとっては、「タイムトラベラー」から始まった忘れられないドラマシリーズです。物語は、このシリーズに対抗して民放が放映した「ジュニアドラマ館」の中の番組「たんぽぽ団地の秘密」で主役を務めた今では映画監督となっている小松亘がインタビューを受ける中で、「たんぽぽ団地の秘密」のロケ地であった“つぐみ台三丁目団地”が老朽化のため取り壊されることを知るところから始まります。
 高度経済成長時代の住宅事情を反映し、多くの人が入居していた団地も今では急速に高齢化が進み、老朽化とともに空き部屋も増えているなど、大きな社会問題となっています。かつては“団地”という共同体の中でお互いに関わり合って生きていたのに、病死して何日も発見されないという事件も現在では起きるようになりました。
 物語は、団地の取り壊しが決まっても転居しようとしない父親を説得するため、娘の杏奈とともに、団地を訪れた沖田直樹と杏奈が、そこで当時小学6年生で「たんぽぽ団地の秘密」にエキストラとして参加し、現在は「たんぽぽプロジェクト」という、収り壊し前に何かをやりたいと考えるグループのリーダーとなっている「ナルチョ」こと成瀬由美子や、「たんぽぽプロジェクト」のイベントに参加するために夫の秀彦と息子の純平を連れてやってきた同級生の品川(旧姓・大崎)智子、通称・チコと出会い、不思議な何日かを過ごす様子を描いていきます。
 朱川湊人さんの作品を思わせるようなノスタルジー溢れる作品となっています。また、「時空のたつまき」によって現在と過去が混在して、少年のワタルくんや直樹の亡くなった母・昭子が出現するなど、どこか少年ドラマシリーズの雰囲気を感じさせる作品でもあります。
 ラストは、団地の単に終焉ではなく、団地から多くの人々が旅立っていったという感じで終わる重松さんらしい心温まる終わり方です。
 ※物語の中に出てくる“ガリ版”。僕も中学生の頃、クラスで文集を作る際、ガリ切ったなあと昔の思い出が蘇りました。
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ファミレス 上・下  角川文庫 
 先頃、阿部寛さん、天海祐希さんの共演で公開された映画「恋妻家宮本」の原作です。映画を観たのが先だったため、読んでいて阿部さんと天海さんの顔がどうしてもちらついてしまいましたが、二人の配役はぴったりだったように思います。
 映画では2時間ほどの上映時間の中に収まるよう阿部さん演じる宮本陽平と天海さん演じるその妻・美代子との夫婦の問題に焦点が当てられていましたが、原作となるこの作品では、宮本夫婦だけではなく、陽平の料理教室仲間の武内一博と、一博の同級生である小川康文のそれぞれの夫婦にも焦点が当てられます。
 陽平夫婦の問題は映画のとおり、美代子が本の間に隠していた離婚届を陽平が見つけたことから始まる陽平の疑心暗鬼をおもしろおかしく描いていきましたが、小説では、それに加えて、妻が仕事と実家の母の介護の関係で京都で別居している一博の元に料理教室の女性講師が身重の娘を連れて同居し始めてしまうことから起こるドタバタが描かれます。この女性講師の強引さには呆れるばかりですが、はっきり断れない一博の不甲斐なさには「何やってんだ!」と、叱咤激励したくなります。一博にしろ陽平にしろ、女性に対しはっきりとものを言うことができない陽平や一博のことが、まるで自分のことを見ているようで、読んでいて嫌になってしまうんですよねぇ。
 映画では、それぞれの夫婦はそれぞれの収まり方をするわけですが、さて、この歳になって妻が離婚届を用意していたらと知ったら、僕白身も陽平のように強がりながらも、きっとあたふたしてしまうのだろうなあと思う次第です。子どもが大学時代は二人暮らしの短い期間がありましたが、今は子どもが就職で家に戻って再び二人ではなくなりました。とはいえ、また二人になるのもあと少し。それからの二人だけの長い時間をどう過ごすかを考えなくてはなりません。 
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どんまい  ☆  講談社 
 夫の不倫が原因で離婚することになった洋子。夫との最後の話し合いを終え帰ってきた洋子は団地の掲示板に〈年齢・性別ともに不問〉と書かれた草野球チーム「ちぐさ台カープ」のメンバー募集の張り紙があるのに気づく。幼い頃、水島新司の野球漫画の主人公・水原勇気に憧れ、野球をしていたことのある洋子は、「ちぐさ台カープ」に入ることを決心する。
 物語の中心となるのは洋子と、かつて高校球児で甲子園にも出場したキャッチャーだったが大学では補欠にも入ることができなかった将大。離婚という現実の中で娘の香織と二人で生き抜いていこうと決意する洋子と、かつて高校時代バッテリーを組んだプロ野球投手の吉岡を気に掛けながら教師になって教え子と甲子園に行くという夢を目指す将大の姿を「ちぐさ台カープ」の活動を通して描いていきます。
 とにかく、意地を張り続けて弱気を見せることなく頑張る洋子が、あまりに痛々しい。もう少し肩の力を抜いて、みんなの力を借りて生きていくのだっていいじゃないかと彼女に言ってあげたくなります。あんなに気を張っていては、どこかでガクンときてしまいます。逆に、甲子園で最後に吉岡にカーブのサインを出したことを悔やむ将大には、もっと自分に自信を持って生きていけばと励ましたくなります。
 「ちぐさ台カープ」のメンバーもまた仕事や家庭に様々な悩みを抱える者たちです。チームの創設者である謎の老人“カントク”、広島に住む老父母の介護に週末飛行機で通うキャプテンの田村、ある理由から試合後の懇親会でもカレーを食べ続ける伊沢、小学生の息子との関係に悩む福田、不動産会社の跡取りで、高校球児であったが、傲慢な態度からかつてのチームメイトから嫌われているヨシヒコ、香織の同級生で他人とほとんど会話をしない沢松、親が建てた二世帯住宅のローンを払い続ける独身男の橋本、、北海道に住む妻子と離れて単身赴任中で週末の孤独を草野球で癒やす宮ア、実はバントの達人なのに、フルスイングに命をかけるウズマキ。彼らのことが語られるエピソードにもグッときてしまいます。誰もが「ちぐさ台カープ」で休日に草野球をすることによって、そしてチームの仲間と交流することによって、明日を生きる力を得ていたのですね。
 重松さんらしい、ただ単に泣かせるだけではない感動のストーリーです。相変わらず、ぐいぐい物語の中に引き込まれ、500ページ弱をいっき読みです。 
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旧友再会  講談社 
 認知症の症状が出てきた母親を兄の家から甥が受験を終えるまでという約束で引き取った弟とその家族を描く「ある年の秋」、地元でタクシー運転手をしている男と客として乗り込んできた中学校の同級生だが、あまり親しくなかった東京で大手不動産会社に勤めている男との邂逅を描く「旧友再会」、仕事一筋の定年後に嘱託として会社に残らずに、なぜか駅の立ち食い蕎麦屋に勤めることを決めた父親の姿を描く「ホームにて」、商店街で家具屋を営む男、一人で住む母を介護施設に入所させるために休暇を取って地元に帰ってきた男、そして二人と中学時代に同じ野球部だった中学校教頭の男の3人の再会を描く「どしゃぶり」、離婚が決まり、妻が親権者となる息子を連れて実家の父母に会わせるために田舎にやってきた父親と息子とのひと時を描く掌編「ある帰郷」の5編が収録されています。
 この中で、印象に残ったのは、冒頭の「ある年の秋」。舞台は昭和40年代、横井庄一さんや小野田さんというジャングルに隠れていた日本兵が見つかった頃であり、中国からパンダが初めて上野動物園にやってきたときです。横井さんたちの帰還を見て、自分の息子ももしかしたら生きているのではないか当時思った人たちも多かったでしょう。そんな母親を思う息子たちのラストシーンが感動です。
 また、中編といっていい「どしゃぶり」では、自分たちの時代と異なる子どもたちの考えに戸惑いながら、それではダメだと彼らに教えようとする男が描かれます。今、夏の甲子園大会では熱戦が繰り広げられています。運動部の理不尽な上下関係は大嫌いですが、そうはいっても勝負は二の次、わきあいあいとやれればいいというのも考えものだと思うのは頭が古いのでしょうか。結局、男の言うとおりにせずに子どもたちの思うように行った試合が勝利してしまうのは皮肉です。 
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ルビィ  講談社文庫 
 冒頭、作家の仕事に行き詰って首吊り自殺を図った小説家が気が付くと、まぶしい光の中を歩いていて、ルビィと名乗る少女と出会う。3年前に自殺をしたというルビィは「二十歳になる前に自殺をした人は二十歳になる年にもう一度現実の世界に戻って、運命によって定められた死の瞬間を少しでも引き延ばさなければならない義務がある。」「1週間のうちに7人の命を救わない」と話す。ルビィによってダザイと名付けられた小説家は、彼女と共に人の命を救う旅に出る・・・。
 「流星ワゴン」と同様な感動の物語なのですが、掲載誌が「週刊アサヒ芸能」だったことがあってか、冒頭の第一章にかなりの性描写があって、これだけで読む人を選んでしまいそうです。本屋で買おうかどうしようかと手に取って第一章を読んで、特に女性は元の棚に戻してしまうかもしれません。この辺り重松作品としては「なぎさの媚薬」に似ています。
 死ぬ運命にある人の物語で、一番胸に響いたのが第二章で描かれるタクシー運転手・島野の話です。「歌手を目指したが、時代の波に乗れなかった島野は夢破れ、サラリーマンになる。それでも夢を忘れられず、ライブハウスで売れないチケットを自腹で買い取ってまでして歌うことを続け、ついには自分のライブ予定を仕事より優先して首になる」という、あまりに哀しい人生です。島野がタクシーの中で口ずさむ吉田拓郎やサザン、かぐや姫、ふきのとう、松山千春等々の歌が僕と年代的にピッタリで、出てくる数々の歌に懐かしく思うとともに島野の寂しさを感じてしまいました。若い頃の夢が実現する人はそうはいません。あのころ夢見ていたことが叶えられなかった現実は僕も同じで、気持ちわかるなあと思いながらも、どこかで吹っ切らなくてはと読み進みました。
 第3章でルビィが救おうとしたのは出産間近の女性教師。彼女がルビィの弟・卓也の担任であり、彼女だけでなく卓也も死ぬことがわかり、どうにか助けようと必死になる中で、ダザイはルビィの自殺についても知っていくのですが、そこがあまり深く描かれなかったのはちょっと残念。ダザイの自殺についても同様ですね。
 ラストは、「やっぱりそうきたか!」と、想像できてしまう読者が多いでしょうね。 
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