▲トップへ   ▲MY本棚へ

澤田瞳子の本棚

  1. 若冲
  2. 星落ちて、なお

若冲  文藝春秋 
 伊藤若冲という画家の名前を知ったのは、「ボストン美術館日本美術の至宝」展のときだったでしょうか。今年は伊藤若冲生誕300年だそうです。2月に京都に行き、伏見稲荷大社を訪ねた際、近くに伊藤若冲の墓がある石峰寺があるのを知り、寄り道をしました。外国人観先客をはじめ、大勢の観光客で賑わっていた伏見稲荷大社とは違い、雨という天候のせいもあったでしょうか、僕ら家族以外に訪れている人はいず、雨音だけの静謐な中、伊藤若冲が下絵を描いた500羅漢像が残されている山道を歩いてきました。3月にはサントリー美術館で開催された「若冲と蕪村」展にも足を運びました。この作品のカバー桧にあるような色鮮やかな絵だけなく、「象と鯨図屏風」という大作には圧倒されました。
 そんな若冲の生涯を連作風に描いたこの作品、受賞は逃しましたが第153回直木賞にもノミネートされました。
 京の台所・錦小路で青物問屋を営む「枡源」の長男、4代目源左衛門として生まれた若冲。家業は弟たちにまかせ、絵ばかり描く中で、妻には自殺され、40歳となったとき隠居を宣言し、「枡源」は亡くなった妻の弟・玄蔵に妹・志乃を添わせて譲ると言い出す。「枡源」に姉を殺されたと恨む弁蔵は猛反発し、若冲が描く絵ぐらい自分でも描けると言って出奔する。その後、ある公家の家で自分の絵そっくりの作品を見た若冲は、それが玄蔵が描いた絵だと衝撃を受ける・・・。
 物語は『絵に没頭する余り家業をないがしろにし、そのために妻を追い詰めた自分。だからこそこの身は死ぬまで、絵を描き続けねばならない。絵とはすなわち自らの罪の権化。』と、絵を描き続けた若冲の生涯を描いていきます。弁蔵が描く絵を見た若冲が常に弁蔵の影に怯え、弁蔵も若冲の絵に捕らわれたままという、二人の苦悩が見事に描き出されていきます。
 物語の中には、池大雅、与謝蕪村、円山応挙、谷文晁といった名だたる画家も登場し、その人間性も描かれており、興味深く読むことができました。また、別冊太陽「若冲百図」を横に置き、作品に登場する絵を「若冲百図」で、どんな絵だろうと見ながら読み進みました。夫婦和合の象徴で普通は寄り添っている鴛鴦図(えんおうず)を、若冲が離して描いた理由や、ラストに登場する屏風絵が持つ意味は澤田さんが考えたのでしょうけど、見事です。
 若冲に自殺した妻がいて、その弟が玄蔵(市川君圭)というのは、澤田さんが考えたノンフィクションのようですが、本当に見たことのようにうまく話を紡ぎ出しています。オススメです。 
リストへ 
星落ちて、なお  ☆ 文藝春秋 
 第165回直木賞受賞作です。
 澤田瞳子さんの作品で今まで読んだのはこのところ展覧会が開催されると長蛇の列ができるほど人気の伊藤若冲の半生を描いた「若冲」1冊だけですが、今回の作品は、江戸末期から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎自身を描くのではなく、その娘であり、やはり絵師であった河鍋暁翠こと河鍋とよの父・河鍋暁斎の死以降の半生を描きます。
 私も2015年に「三菱一号館美術館」で開催された「画鬼暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」と2017年に「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催された「これぞ暁斎! ゴールドマンコレクション」を観に行ったことがあり、暁斎のことは知っていたのですが、娘のかよ(暁翠)やこの作品にも登場する次男の暁雲のことは全く知りませんでした。
 幼い頃から父の手ほどきを受けて、亡くなった父の画風を守りたいと思うとよだったが、とよ以上によその家に養子に出されていたが戻ってきた兄の周三郎の方が父の画風そっくりの絵を描くのに、複雑な思いを抱きます。はっきり言えば、それは嫉妬でしょう。でも、そんな兄は河鍋家を継ぐ気はないし、弟の記六も頼りなく、自分がやらなくてはいけないと思うとよの懊悩が描かれていきます。
 親と同じ道を歩むというのは、どうしても親と比較されるし、親が偉大であればあるほど子どもとしては比較されることは大きなプレッシャーになります。更にこの作品の暁斎のようにその画風が時代に合わないとなると、それを継ぐ自分も時代に合っていないのではないかという恐れも感じてしまいます。親と同じ道を歩むのは子にとっては簡単なものではないし、子が辿る道は困難なものとなります。この作品では、そんな偉大な絵師の子と生まれて、同じ絵師としての道を辿ったとよの半生を澤田さんは見事に描き切っています。
リストへ