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佐野広実の本棚

  1. わたしが消える
  2. 誰かがこの町で
  3. シャドウワーク

わたしが消える  講談社 
 第66回江戸川乱歩賞受賞作です。
 主人公の藤巻は元刑事。20年前、冤罪により警察を懲戒免職になり、そのときに知り合った弁護士の紹介で今はマンションの管理人をしていた。ある日、交通事故に遭い検査を受けた藤巻は医師から軽度認知障碍を宣告され、愕然とする。そんな藤巻に娘・祐美から彼女がボランティアで通っている施設の門の前に置き去りにされていた認知症の老人の身元を調べて欲しいと頼まれる。娘の依頼を引き受け、調べ始めた藤巻だったが、彼が男の指紋の調査をかつての同僚に依頼してから、彼の周囲で様々な事件が起き始める・・・。
 認知症になり始めの男が主人公の作品です。同じ年代の僕自身、ど忘れすることが増え、特に人の名前がぼろぼろと記憶から零れ落ちていき、これは認知症の始まりかなと心配になる今日この頃なので、初期の認知症を患った元刑事という主人公を身近に感じてしまいました。それもあり、アルツハイマー型認知症を発症する前に自分が生きてきた証を残したいと謎に挑む藤巻の気持ちはわかります。ただ、初期の認知症を患っている男という特異なキャラを主人公に据えた割には、その状況が、それほど事件の謎解きに影響を及ぼしているようには思えませんでしたが。
(ここからネタバレ)
 学生運動が激しかった頃、警察が学生の中にスパイを紛れ込ませていたというのは小説の世界では使い古された感があります。当時公安警察は実際にこうしたことを行っていたのかもしれませんが、ただ、そうは言っても、最後に登場する黒幕のように、自分の利益のためにこの物語のようなことをする力が地方警察の本部長クラスの個人の警察官僚にあるのかは疑問です。 
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誰かがこの町で  講談社
 真崎雄一は岩田喜久子法律事務所の調査員。以前は大手自動車メーカーで働いていたが、5年前、中学生の娘がクラスを牛耳っていた女子のいじめに加担させられた挙句、いじめが露見すると首謀者にされて自殺したことから、首謀者の女子中学生を追い回して警察に逮捕され、起訴猶予となったものの会社は辞めることとなった。その後、女子中学生と親を相手に起こした損害賠償裁判にも敗訴したが、タガログ語ができることから担当した弁護士の岩田に請われ外国人依頼者の多い岩田の事務所に雇われることとなる。そんな真崎に今回,岩田から依頼されたのが、岩田の大学時代の友人・望月良子とその家族の行方探し。岩田は、事務所を訪れた女性から自分は赤ん坊の頃養護施設に預けられたが、良子の娘・望月麻希であり、行方不明の両親を探してほしいと依頼されていた。一方、この話と並行して、埼玉県の北名市与久那町鳩羽地区に住む木本千春という女性の視点で、彼女の息子の誘拐事件が語られていく。果たして岩田の友人、望月良子の失踪と木本千春の息子の誘拐事件にどのような繋がりがあるのか・・・。
 両方の事件の舞台となるのが、高級住宅街「美しが丘ニュータウン」としてバブル前に開発された埼玉県北名市与久那町の鳩羽地区で、そこでは住民が「安全で安心な町」を標榜し、率先して防犯に務めており、誘拐殺人事件の際には住民たちが、犯人に疑った外国人の青年の住む団地に押しかけたり、周囲からみれば、この地区の住民の行動があまりに異様なものに見えるのはわかります。住民は善人ばかりで、悪事は外部の人が行っているとか根拠もなく思いこんだり、インフルエンザの菌が外から持ち込まれていると道路封鎖を行ったりと、異常な集団行動です。金田一耕助のミステリーの舞台となる昔の村落ならともかく、今の世には考えられません。通常は色々な考えの人がいますから、町の住民が一致団結してなんて考えられないのですが、同調圧力もここまでくるかという感じです。
 ただ、真崎も言っていた様に、鳩羽地区の人々に限らず、真崎自身も、そして真崎の娘や弁護士の岩田でさえ、“善悪の判断より何かを、つい優先してしまった。その挙句にみずからの行為を糊塗しつづけた。”のでしょう。同調圧力というのは、誤った方向に人々を連れて行きますが、その場面に直面して、なかなか、自分が間違っていたと人と違った声を上げるのは難しいかもしれません。 
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シャドウワーク  講談社 
 DV(ドメスティックバイオレンス)をテーマにした作品です。
 出版社の内容紹介によると、「4日に1人、妻が夫に殺される」とあります。1年では91人ですね。警察庁の統計を調べると、令和2年の殺人罪の女性の被害者は169人ですから、もし、この内容紹介が正しいとすれば、女性の被害者の半数以上がDVによって亡くなっていることになります。これは凄いことですよね。
 宮内紀子は夫からDVを受け、3回救急車で搬送され、相談員の「このままだと命にかかわるよ」ということばに、ようやく目が覚めて夫の元を逃げ出す。彼女が目指したのは夫にバーベキューの串で足首を刺されて入院中、看護師の間宮路子から紹介された江の島を臨むシェルター。そこは映画「麦秋」のセットを真似て作られた家で、家主の志村昭江ほか、奈美、洋子、雅代の3人の女性が住んでいた。彼女らは昼は昭江が経営するパン屋で働き収入を得、夜はトランプやゲーム、クイズを楽しみながら生活をしていた。一方、警察庁捜査二課刑事の夫からDVを受けていた千葉県警捜査一課の北川薫は離婚調停を申し立て、告訴状を提出したが、身内の恥をさらすことを嫌う警察組織により、所轄署の刑事課へ異動させられる。そんな薫が今回担当した事件は水死体で発見された女性の事件。警察は自殺で処理するが、彼女は女性がDVを受けていたことを知り独自に調査を始める・・・。
 物語は普通の主婦であった紀子と警察官である薫というある意味社会人としては対照的な女性ですが、夫からDVを受けているということでは同じ二人を交互に描きながら進んでいきます。この二人が心を通わせたときどうなるのか、そこも読みどころです。
 作品は、DVに係る被害の深刻さ、そして、被害を受けながらも加害者の夫の元をなかなか離れない女性の実情を描いていきます。それに対し、この物語の中で夫たちに下される結果は、物語としては読んでいてもスッキリするのですが、ただ、現実にDV被害者の救済をしている方々にとっては、「この展開は何なの?」と思うかもしれません。これはあくまでも小説です。
 作者の佐野広実さんは「麦秋」が好きなんですねえ。主人公の原節子さんの役名が「間宮紀子」ですが、この名前、宮内紀子と間宮路子に使っていますね。
 なお、題名の「シャドウワーク」は、オーストリアの哲学者、イヴァン・イリイチの造語で、「専業主婦などの家事労働など報酬を受けない仕事だが、しかし誰かが賃労働をすることのできる生活の基盤を維持するために不可欠なもの。」だそうです。 
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