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坂井希久子の本棚

  1. ウィメンズマラソン
  2. 泣いたらアカンで通天閣
  3. ただいまが、聞こえない
  4. 妻の終活
  5. 雨の日は、一回休み
  6. たそがれ大食堂

ウィメンズマラソン  ☆  角川春樹事務所 
 岸峰子は小学生の頃母親に勧められてから陸上競技を始めたが、目立った記録はない選手だった。大学卒業時に練習を見に来た幸田生命陸上部の小南達雄監督からマラソンを進められた峰子は、幸田生命陸上部に入部しオリンピックを目指すようになる。オリンピックの代表選考レースを前に膝を故障した峰子は、選考レース出場を次の大会に変更し故障の回復に努めたが、不安を紛らすために男と付き合い妊娠をしてしまう。それを知らずに選考レースに出場して日本人1位となった峰子はオリンピック代表に選出されたが、妊娠がわかって、出場を断念するが・・・。
 ストーリーはどん底まで墜ちた峰子が母親となってから再びオリンピックを目指す様子を描いていきます。ただ走っている選手を見るだけなのに、駅伝やマラソンのテレビに釘付けになってしまう僕としては、こういうストーリーは好みのど真ん中です。
 代表に選ばれながら妊娠したということで、世間から心ない言葉が投げつけられたうえ、様々な嫌がらせがなされる中で再び走ることを選んだ峰子に拍手を送りたいですね。出場辞退の記者会見で女性記者が言った“国民の期待を裏切って”という非難は日本らしいです。さらに、“堕胎という選択肢もあったのでは”と糾弾するのが女性記者とは・・・。マタハラが厳しく糾弾される現在、いくら予定外に妊娠してしまったとはいえ、彼女へのあれほどまでの批判はありえないと思いますが。こういうことに対しては意外に同性が厳しいですよね。人間って期待を裏切られると残酷になるのでしょうかねえ。
 自分の代わりにオリンピックに出場して銀メダルを取った後輩が無邪気に挨拶に来だのに平手打ちをしてしまうなんて、これくらいの気持ちでないとトップを狙うなんてことはできないのでしょう。悔しさを隠して祝福するのは難しいものです。彼女だけでなく、自分を追い抜こうとしているライバルにカロリーたっぷりのお菓子を食べさせようとする金メダリストも怖いですねえ。
 ライバルたちの名前が実際の女子マラソンの選手を窺わせる名前になっているところがなんともいえません。監督も金メダリストを育てた監督で、あのキャラクターとなると、どうしても某監督を想起してしまいます。 
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泣いたらアカンで通天閣  ☆  祥伝社 
  大阪、新世界の北の端っこ、北詰通商店街にあるラーメン店「味よし」は、店主の妻が亡くなってから味が落ちる一方でまずいと評判の店。店主の三好賢悟こと“ゲンゴ”は客が来ないのも平気で遊び歩いて、娘の千子(ちね)こと“センコ”からどやされる毎日である。そんなセンコは上司と不倫をしているという決して幸せと言えない毎日を送っている。そんなある日、地元を嫌って東京で就職した幼馴染みのカメヤがなぜか大阪に戻ってきて・・・。
 東京と言えば東京タワー(今ではスカイツリーですが)、京都と言えば京都タワー、そして大阪と言えば通天閣となるのでしょうが、僕自身は通天閣を見たことも上ったこともありません。あの有名なビリケンが中にあるんですよね。この物語は最近のレトロブームに乗って串カツの街として生まれ変わった通天閣の南側ではなく、北側の住民以外ほとんど人が通らない北詰通商店街にあるラーメン屋を舞台にそこに生きる人々巻き起こすドタバタを描いた大阪下町物語です。
 アホな男親にできた娘、でもそんな娘も不幸を背負い、そこに地元を捨てた幼馴染みが帰って来るという、ストーリーとしてはどこかで聞いたことのあるようなありふれた下町人情物語です。正直のところ、最初はオール大阪弁の物語が、取っつきにくかったのですが、不倫相手の奥さんとの対峙シーンから次第に物語に引き込まれました。近所の質屋のおばちゃん、典子や連れ込み旅館のオーナー夫婦など大阪らしいキャラの登場も楽しめました。
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ただいまが、聞こえない  ☆  角川書店 
 埼玉県大宮で母親の趣味のアーリーアメリカン調の家で暮らす和久井家。ひきこもりでBLにはまる長女・沙良、母親が自分に似て美人の長女ばかり気にして自分は無視されていると感じている次女・杏奈、長期の海外赴任から帰ってきても家族とうまくいかず、挙げ句の果て社内不倫が妻にばれてから妻から無視され続けている父・徳雄、夫の不倫後家事をまったく放棄し熟女キャバクラ勤めをしている母・万千子というバラバラな家族。物語はそんな和久井家の家族4人と母方の祖母、そして長女の恋人(となる男)を語り手にして、バラバラだった家族がある出来事をきっかけに再生していく様を描いていきます。
 次女・杏奈が語り手となる第一話では、冒頭から「パンツ譲ってくれませんか」と突然杏奈に話しかける、パンツと指フェチの変態男が登場し、更に長女・沙良が語り手となる第二話では沙良の趣味であるBLのあまりに読んでいても恥ずかしくなってしまうシーンが描かれ、その強烈なインパクトに「おいおい、この小説いったいどこへ行くんだ」と、心配になったのですが、それもそこまで。それぞれを語り手に和久井家がバラバラになった理由や、杏奈が変態男に気を許してしまうのも、沙良がほとんど引きこもり状態なのも、父が浮気に走ってしまったのも、そして母がいつまでも若くありたいと願うのも、理由があることが語られていきます。
 ラスト、家族がある問題に直面することによって再び家族の絆が結ばれていく点に、これでは安易すぎると最初は思ったのですが、きっと家族というのは、どんなに表面ではうまくいっていなくても、心のどこかに相手を思いやる気持ちが残っていれば簡単に家族の絆を取り戻すことができるものなのでしょう。
 第三話で語り手となる元芸者で、ある財界の大物の妾であった万千子の母のキャラが印象的ですが、後半ほとんど出番がなかったのは残念です。もっとこのおばあちゃんの活躍を見たかったなぁ。 
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妻の終活  ☆  祥伝社 
 一ノ瀬廉太郎は定年まで製菓会社の商品開発部に勤め、その間にはヒット商品も開発したが、今は再雇用で工場勤務の名ばかりの生産ライン衛生監督者なる肩書きの役職を務めている70歳の男。妻には見栄から工場勤務になったことが言えず、毎日スーツ姿で出かけているが、そんな廉太郎に社員は遠慮がちな視線を送っていた。ある日、廉太郎は妻の杏子から病院に一緒に行って欲しいと頼まれたが、どうとでも都合がつくにもかかわらず、仕事があると断ってしまう。帰宅した妻は廉太郎に癌で余命1年と宣告されたと告げる。長女は廉太郎に、「もうお母さんを解放してあげて」と泣きながら訴える・・・。
 廉太郎という男、自分が働いて家族を食べさせてきた、自分は仕事をしているのだから家のことは妻がやるのは当たり前という、今ではもうあまり見かけない前近代的な男。何か言えば、自分は働いてお前たちを食わせてやっていると、相手の言うこともよく聞かずに怒り出す始末。こんな横暴な男と、40年以上もよく結婚生活を送ってきたものだと杏子を褒めたくなります。でも、ちょっと待て、廉太郎を批判しているけれど、廉太郎のような態度を妻に取っていないかと、よくよく自分自身を振り返ってみると、廉太郎ほどではないにせよ、「俺は仕事をしているんだぞ!」と言ってしまったこともあったなと大いに反省です。
 世の男性というのは女性の方が平均寿命も長いし、まさか妻が自分より先に亡くなるなんてことは思ってもいないのがほとんどでしょう。自分は妻に死に水を取ってもらうと考えていて、妻が亡くなって自分一人の孤独な生活が待っていることは露ほども思わないのが現実です。
 物語では、こういう夫にしたのは自分の責任だと、杏子が亡くなるまでの間に廉太郎に家事を教えようとしますが、その時であっても、廉太郎は食事を作るのは勘弁してくれと真剣さが足りません。妻の看病のために仕事を辞めたと自慢気に言って、娘から、では昼ご飯作るのはどうするのと言われても、それくらい妻が作ることが当たり前だと思っているのですから、どうしようもありません。よくサラリーマン川柳で定年後に家でブラブラしている夫を邪魔に思う妻の気持ちが詠まれますが無理もないところです。
 これは、のんびりと妻や子に面倒を見てもらいながら老後を過ごそうなんて思っている世の男性に必読の書です。その時になって後悔しないためにも、今から考えましょう。 
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雨の日は、一回休み  ☆ PHP研究所 
 時代に翻弄される中年サラリーマンたちの悲哀を描く5編が収録された連作短編集です。5編は、すべて雨に関わる題名となっています。
 僕が若い頃は(というと、若い人たちに「またおじさんたちが。自分の若い頃はと言っている」と馬鹿にされそうですが)、“24時間働けますか”のCMのように、残業なんて当たり前の時代で、残業をどれだけやったかが、その人の評価になっていたこともありました。女性社員がお茶を入れるのも当たり前、男尊女卑がまかり通り、セクハラ、パワハラなんて、そもそも言葉自体がない時代でした。この物語に登場する5人の男たちは、皆、そんな時代をサラリーマンとして駆け抜けてきた人々です。おじさんたちはその時代のことが当然だと思ってやってきたのですから、その時代にどっぷりつかってきた人ほど、今の時代の社会情勢や価値観の変化についていくのが難しいのかもしれません。
 最近パワハラ、セクハラ、マタハラ等々「○○ハラ」というのが色々あって、話をするにも気を使います。また、それが受け取る人によってパワハラ等ととられるのか否かが違うというのですから、おじさんたちには理解できません。そんなことに悩む男を描いたのが冒頭の「スコール」です。上司からセクハラの訴えが出ていると言われた課長の喜多川進が、いったい部下の女性社員の中の誰が訴えたのか疑心暗鬼になる様子が描かれます。読者はそれが誰かはすぐ気づくことができます。
 「時雨雲」の主人公は「スコール」の喜多川の上司・獅子堂怜一。後輩女性の三条との取締役就任競争に敗れ、部長で退職間近。ライフプランセミナーで仕事のことを話さないで自己紹介してくださいと言われ、何も口から出てこなくなり・・・。
 「涙雨」の主人公は53歳で役職定年となり、本社勤務から営業所の元部下の下で働くことになった佐渡島幹夫。鬱憤を風俗で晴らしていたが、ある日風俗店で狭心症の発作で倒れ、目覚めると離婚した妻が引き取り10年会っていなかった娘の顔が・・・。これは気まずいですよねえ。
 「天気雨」の主人公は就職氷河期にどうにか就職したが今でいうブラック企業で1年で辞めてから43歳までずっと派遣社員の石清水弘。SNSで女子高校生になりすまして、馬鹿な男たちをあざ笑うことでストレス発散をしていたが・・・。
 「翠雨」の主人公は定年退職した小笠原耕平・65歳。何をするでもなく、散歩と称して出かけては、町の中のマナー違反を声高に叫び注意をする毎日。おかげで「世直しオジサン」と有名人になってしまうが・・・。
 43歳の石清水を除けば、主人公たちには、自分がやってきたことは正しいとの自負があります。その時とは時代が変わり社会情勢や価値観が変わってきているのですが、自分のやってきたことは誤りだと認めるのは自分を否定することになるので怖いんですよねえ。でも、このおじさんたち、様々なきっかけで変わっていこうとしています。それが救いです。最後の「翠雨」で最初の「スコール」の喜多川のその後が見ることができてほっとします。
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たそがれ大食堂  ☆  双葉社 
  東京から通勤圏内の歴史ある蔵の町にある老舗百貨店「マルヨシ百貨店」の最上階にある大食堂を舞台に、大食堂をつぶしてフロアをテナント貸しにしようと考える経営陣に対抗して大食堂を存続させようと奮闘するマネージャーの瀬戸美由紀らを描きます。
 誤解から、百貨店の上得意の奥様の怒りを買い、食器・リビング部門から未経験の食堂部門のマネージャーに異動させられた瀬戸美由紀は汚名返上のため心機一転頑張ろうとするが、そこに退職した料理長の代わりに新しい料理長として若社長が名店で修業し、今は目黒でビストロを開いていた前場智子を連れてくる。次々とメニューにダメ出しをする智子に副料理長の中園たちは反発し、大食堂は大混乱・・・。
 最初は智子に反発していた中園も次第に智子の料理の腕前を素直に認めるようになり、そして智子もみんなの意見を取り入れるようになり、一致団結して大食堂をつぶす陰謀に立ち向かっていく様子が愉快です。思わず、声を出して笑ってしまいました。とにかく、登場人物のキャラが愉快です。特に、受付嬢で男性から大人気の白鷺カンナのキャラは最高です。大食堂の成功にもう一つの顔の彼女の功績が大ですね。
 今では郊外のショッピングモールが全盛で、街中にある百貨店は客もまばら。わが町でも全国展開していた百貨店は遥か昔に撤退し、駅前の地元の百貨店もつい最近閉店。残る百貨店はこの作品と同じ地元の老舗店が、どうにか東京の百貨店の支援を受けて営業するのみ。幼い頃は休日に百貨店に行くのが大きな楽しみで、この作品にも描かれているように、家族で出かけ、屋上にあった遊園地で遊び、大食堂でお子様ランチを食べたものでした。今では残った店にも大食堂はなくなってしまいました(もちろん屋上の遊園地は遥か昔になくなっています。)。この作品の舞台となる蔵の町は川越がモデルでしょうか。小江戸と言われる蔵の町には老舗の百貨店はお似合いかもしれません。
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