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小野寺史宜の本棚

  1. ひりつく夜の音
  2. 近いはずの人
  3. 本日も教官なり
  4. それ自体が奇跡
  5. ひと
  6. 夜の側に立つ
  7. ライフ
  8. まち
  9. 今日も町の隅で
  10. 食っちゃ寝て書いて
  11. タクジョ!
  12. 今夜

ひりつく夜の音  新潮社 
  初めて読む小野田史宜さんの作品です。図書館で借りたのですが、その紹介文が「忘れていた出来事。捨てた物。さよならした人。あきらめたこと。僕の人生の半分以上はそういうものでできている。ある日、警察から電話が…。年収1000万円強、すべてをあきらめ
ていた男がもう一度人生を取り戻すまでを描く。」。この歳になると「すべてをあきらめていた男がもう一度人生を取り戻すまでを描く」などとあると、つい借りてみたくなります。
 ジャズのクラリネット奏者の下田保幸は46歳。昨年、所属していたバンドがリーダーの死によって解散してから、週2回の音楽教室の講師とたまに呼ばれる肋っ人演奏で、どうにか暮らしていた。パンにちくわを挟んで食べるのが主食の下田の楽しみはファミレスの週1度の朝食バイキング。そんな下田が警察からの電話で元恋人の息子・音矢の身元引受人になったことから、それまでの人生が変わっていく様子を淡々と描いていきます。
 これといって大きな事件が起きるわけではありません。元恋人の息子と出会い、その息子がギターという音楽の道に進んでいることを知り、高校時代にブラバンでクラリネットを教えてくれた同級生の朋子に30年ぶりで出会って二人で飲みに行き、朝食バイキングで顔を合わせるフリーライターの高倉乃々から取材を受け、同じくそこで顔を見る弁護士の岸に相談したり等々、音矢と知り合ったことをきっかけに、何となく生きていくだけだった下田が、出会った人との関係に少しだけ踏み込むことにより、しだいに彼の周りで様々なものが動いていくという、人生の再生の物語でした。
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近いはずの人  講談社 
 カッブ麺が主力の食品メーカーに勤める俊英は、5ヶ月前に妻を事故で失った33歳の男。妻は温泉に行く途中で乗っていたタクシーが崖から転落して亡くなったが、一緒に旅行をするはずだった友だちが誰かはわからないままだった。俊英は妻の死後毎晩カップ麺を食べビールを飲みながら妻の遺品となった携帯電話のロックを外そうと暗証番号を打ち込み続ける。ある夜、突然ロックが解除された電話には“8”という人物と温泉宿で待ち合わせる旨のメールが残されていた。果たして、メールの相手は誰なのか・・・
 物語は、俊英の周囲にいる亡妻の姉や自分の弟、同僚との関わりやかつて恋人になる手前まで行った女性との再会のエピソードを描きながら、妻の死から1歩を踏み出していくまでの俊英の1年間が語られていきます。
 突然の妻の死で残された夫の喪失感を描くというストーリーは、西川美和さんの「永い言い訳」と同じです。夫婦といっても元々は他人ですから、相手のすべてを知っているということはないでしょう。でも、自分の知らなかった妻の姿に自分はいったい妻の何を見ていたのだろうと、戸惑ったり、後悔したりする気持ちもわかります。ロックが外れて明らかになった妻の姿からは、結局、俊英は妻のためと思うことを免罪符に、肝心なことはいつも避けていたという事実を突きつけられます。でも、決して俊英は悪い夫ではなかったと思うのですけどねえ。夫の立場からは俊秀がちょっとかわいそうと思ってしまいます。
 表紙カバー絵が作品の内容をストレートに語っています。 
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本日も教官なり  ☆  角川書店
 主人公の益子豊士は、40歳代後半のロック好きの自動車教習所の教官。元々は電気機器メーカーに勤めるサラリーマンだったが、30代の頃、仕事のストレスで突発性難聴と帯状庖疹となり、このままではまずいと妻の美鈴に無断で会社を辞めてしまう。その際のドタバタの中で美鈴ともうまくいかなくなり離婚。その後、中途採用で自動車教習所の教官として雇われ、今に至っている。ある日、別れた妻の美鈴から、高校二年生になった娘の美月が妊娠した、相手方と話し合いを行うので同行して欲しいとの電話がかかってくる。娘からは「今さらしゃしゃり出てきて何なんだよ。」と言われながらも、相手方との話し合いの場に同席する・・・。
 僕が自動車教習所に通ったのは大学卒業直前のこと。その教習所には教官の指名制度はなく、割り当てられた教官の指導を受けることになるのですが、これが当たり外れが大きい。教官も人ですから色々な性格の人がおり、中には機嫌が悪いのをそのままストレートに教習生にぶつける人もいて、そんな時は教習時間が地獄に思ったことも。免許を持っている方は多かれ少なかれ教習所に通っていたときの思い出があるのではないでしょうか。
 物語は、娘の妊娠騒動に父親としてどう対処すべきか悩む豊士の姿と、豊士が教官として教える教習生との関わりを描いていきます。恋人が飲んだときの運転手役をするために免許を取りたい佳世、就職に必要なため免許を取ろうとする大学生の七八、孫娘の幼稚園の送り迎えをするために69歳にして免許を取ろうと思い立った臼井しのなど、免許を取得しようとする理由も様々ですが、誰に対してもきちっと向き合って対応する豊士の姿に感動します。指名制度があれば、豊士のような教官だったら真っ先に指名していましたね。
 ラストの三行が素敵で、余韻が残ります。おすすめです。 
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それ自体が奇跡  講談社 
 同じ百貨店に勤める田口貢と綾の夫婦は、結婚3年目の31歳の同じ歳。ある日、仕事から帰った貢は綾にJリーグを目指すサッカーチームに入ったと告げる。小学生の頃からサッカーをやっていた貢は、自分でもプロでやる自信はないと大学卒業後は百貨店に勤め、職場のサッカーチームに入っていたが、このたび解散。そんなところに、大学の先輩で将来はJリーグを目指すという社会人リーグ1部のチームのオーナーから、チームヘの誘いを受ける。30歳も過ぎ、報酬もなく、働きながらサッカーをするという状況に綾は反対したが、貢は既にチームに入ることを承諾したという。大事なことを事後報告で済ませた貢に綾は怒り、この日から、夫婦の間がぎくしゃくするようになってくる・・・。
 物語は、貢の決断から始まる夫婦の1年が描かれていきます。30歳を過ぎた年齢では、もし将来チームがJリーグに上がっても、プロになれるわけないのに、今さらどうしてと思うのが普通でしょう。妻という立場だけでなく、男性であっても綾の考えに肩入れするのは当然です。人生一度きりだから侮いのないようにとはいいますが、自分一人なら夢を食べていてもいいけど、責任を持たなくてはならない妻という存在があるのですからねぇ。わがままです。僕が百貨店の同僚なら彼ばかり土日を優先して休めていいなあとやっかみの心を持ってしまいます。上司がいい顔しないのも無理ありません。
 そんな貢に対し、綾が知り合った男性と映画に行ったり食事に行ったりしたのはやむを得ないところもあります。貢は好きなサッカー優先ですし、綾としても満足に口も聞かない二人の生活の中で、ストレス発散したくもなるでしょう。
 ラストの落としどころは、そうきましたか。でもこの夫婦、これからうまくいくのか疑問です。
 題名の「それ自体が奇跡」とは、同期の結婚式の貢の祝辞の言葉で、「結婚は、それ自体が奇跡だと思います」から。
 「その愛の程度」「近いはずの人」に続く夫婦三部作の最終作だそうです。「その愛の程度」は未読です。 
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ひと  ☆  祥伝社 
 高校生の時に調理師だった父を交通事故で亡くし、大学2年生の時には地元の大学の学食で働きながら東京の大学に行かせてくれた母親を突然死で亡くした柏木聖輔は、大学を辞め働く決心をするが、なかなか動き出せない日が続いていた。そんなある日、あてもなく商店街を歩いていた聖輔は、惣菜屋からのあまりのいい匂いに、なけなしの55円の金で50円のコロッケを買おうとするが、一足先に残った1個が買われてしまう。見かねた店主から50円で売ってくれたメンチを食べながら店頭に貼ってあったアルバイト募集の張り紙を見た聖輔は働きたいと申し出る・・・。
 不幸が重なり天涯孤独となってしまった聖輔が、惣菜屋で働きながら、調理師であった父親と同様に調理師の道を目指していく様子を描いていきます。
 「ひと」という題名が端的に表しているように、この作品で描かれるのは「ひと」との関わりです。聖輔が生活していくことができたのは、周囲の多くの“ひと”に助けられているからこそです。もちろん、聖輔があまりに良い人過ぎるという聖輔自身の人間性があってこそ、周りの人は聖輔を助けたのでしょうけど。だいたい、友人に自分の部屋を寝る場所として提供したり、あげくは女性を連れ込んだりしているのに、強く怒ろうとしません。普通なら友人として付き合うのはお断りですよね。
 井崎の生活の中に登場してきた井崎青葉は、高校生の頃から聖輔の他人への気遣いを感じているなど人の本質をきちんと見ることができる素敵な女性です。こんな女性と交際できたら本当に気疲れすることなく、楽しい日を過ごすことができるだろうなあと思ってしまいます。
 惣菜屋の夫婦の田野倉督次と詩子もいい夫婦ですし、そしてバイトの先輩である映樹も要領のいいちちゃらんぽらんな人物かと思ったら、しっかり聖輔を見てくれているし、そして映樹の遅刻を謝りに来た映樹の恋人である杏奈も素晴らしい女性です。恋人の遅刻を謝りに来る人は普通いません。
 嫌な人物(母のいとこだという船津基志)も登場しますが、読了後は温かな気持ちになれる作品です。 
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夜の側に立つ  新潮社 
 高校3年生になった野本了治は、同じクラスになった生徒会長の榊信明からギターを弾くならバンドを組もうと持ち掛けられる。信明は次々と声をかけ、副会長で自分の交際相手でもある萩原昌子、吹奏楽部のサックス奏者の美少女・小出君香、別のバンドでドラマーをしているイケメンの辰巳壮介がメンバーとして集まってくる。彼らは学園祭での演奏を目指して練習を始めるが・・・。
 物語は了治の一人称で、高校3年生の18歳から、彼とバンドを組んだ信明、昌子、君香、壮介との交流を18歳、20代、30代、そして40代の現在の時間軸を行き来しながら描いていきます。
 初めての女性経験や好きな女性から告白されたのに自分に自信が持てずに断ってしまった高校時代、君香に告白しようと思ったときに起こった出来事によって自分の不甲斐なさを感じて告白できなかった大学時代、あるスキャンダルによってせっかく就いた教師の職を失った30代、そして、冒頭に描かれた事件によってひとりの友人を失った現在といった具合に、それぞれの年代で起きた出来事を経験して了治がどう生きてきたのか、そしてこれからどう生きていくのかが淡々と描かれていきます。
よくよく見れば、彼がそれぞれの年代で経験した出来事は、通常そうそう経験できるものではないのですが、それが語り口のせいなのか、はたまた了治自身の性格のせいなのか、それほど大きな出来事として感じ取ることができません。ひとりの友人の死、それも了治の行動がなければ起こることはなかった出来事であっても、あまりに淡々としていると感じてしまいます。
 ラストは、友人の死があってどうにか正直に自分の心の思いに向き合うことができたということでしょうか。 
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ライフ   ☆ ポプラ社 
 主人公の井川幹太は27歳。大学卒業と同時に希望どおりにパンメーカーに就職したが、パワハラ上司の下で耐え切れずに2年で退職、次に勤めた家電量販店は半年で退職し、今は近くのコンビニのアルバイトとともに、ときに結婚披露宴にレンタル友人として出席するバイトをしながら学生時代のアパートに住み続けていた。1階の幹太の部屋の真上の部屋は、学生時代の友人が退去してから若い男が入居したが、その男の足音や時々部屋にやってくる子どもたちの遊びまわる音に幹太はひどく悩まされていたが、男の風貌から注意するのを躊躇っていた。そんなある日、レンタル友人で参加した結婚披露宴で高校時代のクラスメートだった女性に偶然会い、LINEをするようになったり、ひょんなことから2階に住む男「戸田さん」と声をかわすようになり、彼だけではなくその家族とも関わっていくようになる・・・。
 何か大きな事件が起きるわけでもありません。ただ、普通の生活をしている中で起きそうな出来事が幹太の周囲にも起きるだけです。そんな幹太の生活が淡々と描かれていくだけですが、なぜだか読ませます。それは、大学卒業後あまり人と関わることがなかった幹太が、戸田さんやその家族と関わるようになり(というより、強引に戸田さんが幹太の生活の中に入ってきたと言った方がいいかもしれません。)、更に高校のクラスメートの萩森澄穂や近所の高校生の郡唯樹、アパートの隣室の中澤や坪内幾乃といった具合に次第に多くの人と関わっていくことによって、新たな一歩を踏み出していく姿に、読んでいてほっとするところにあるのでしょう。それに、騒音の発生元である戸田さんにしても思ったような怖い人ではなく、登場人物が皆、悪い人ではないというところも大きいです。近所の人だけでなく、コンビニのバイト仲間の七子さんなんて、夫想いのこれまたいい人ですし。
 人との関わりを描いた「ひと」同様、読後感が素敵な作品です。おすすめ。 
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縁  ☆  講談社 
 4話が収録された連作短編集です。
 室屋忠仁、38歳は大学卒業以来勤めた土木会社の測量士を経営者の跡取りの傲慢な態度に腹を立てて辞め、今はリペア会社の地下鉄駅構内にある店舗で靴等の修理や合鍵の作製の仕事をしている。高校時代までサッカーをしていた室屋は散歩中に練習を見学していた少年サッカーチームのコーチに誘われ、ボランティアでコーチをすることとなるが、2年が過ぎたある日、子どもの母親との仲を疑われ、コーチを辞めることとなる(「霧」)。
 春日真波、28歳は人材派遣会社の社員。ある日、同僚で恋人である玉井令太とデート中、周囲の人の行動を厳しく批判したことから、それを窘める令太と別れることになる。辛い思いの真波は、大学生時代のパパ活の相手を呼び出す(「塵」)。
 田村洋造、52歳は大手印刷会社の社員。別れた妻が引き取った今は25歳になる息子が女子高校生と不順異性交遊をしたということで、その父親に呼び出される(「針」)。
 国崎友恵、52歳は夫と離婚後、家政婦をしながら一人息子を育ててきた。息子が就活で印刷会社を希望していることを聞き、同級生で大手印刷会社に勤める田村に口利きを頼むが、その見返りに50万円を要求される(「縁」)。
 4話の登場人物がそれぞれに絡みあっていきます。「霧」で、室屋の店で閉店時間後に傘の修理に来て、自分勝手な理不尽な主張をした女性が真波。「塵」で真波が呼び出したパパ活の相手が田村。「針」で田村の息子が付き合っていた女子高校生の父親が室屋が辞めた会社の跡取りの間宮。田村の後輩の辻岡が「霧」で室屋がコーチをしていたチームの父親コーチ。「縁」で友恵が傘を修理に持って行ったのが室屋の店で、駅の通路で友恵が声をかけたのが、「霧」で室屋と噂になった選手の母親である小牧美汐。これらの不思議に絡み合った人間関係が「縁(ゆかり)」という題名に繋がっているのでしょうか。
 また、“縁”という漢字を題名では“ゆかり”と読ませますが、国崎友恵の章では同じ“縁”を“へり”と読ませます。ここには当然、作者の小野寺さんの意図するものがあるのでしょうけど、思うに、あることをするかどうかの“縁”に立っているという意味かなと個人的には考えます。登場人物4人とも、あることに踏み出そうとするかどうかの“縁”にあり、それぞれ踏みとどまるという話になっています。ただ、ラストからすると、室屋はこの後、一歩踏み出すのでしょうか。
 それにしても、真波の自分が一番正しいという考えには困ったものです。散歩させていた犬が他人に噛みつく場面の言い分はないよなあと呆れかえります。この作品中、唯一共感できない人物です。大人になれない田村の息子もどうかと思いますが。 
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まち  ☆  祥伝社 
 幼い頃、火事で両親を亡くした江藤瞬一は、尾瀬ヶ原が広がる群馬県利根郡片品村で歩荷(山小屋に荷を運ぶ仕事)をしていた祖父に育てられたが、高校を卒業するに当たって祖父から、東京に行って外の世界を見て来いと言われ、上京して4年。荒川沿いのアパートに住みながら、最初はコンビニのバイト、その後、引越しの日雇いバイトをしながら暮らしていた・・・。
 瞬一の日常を淡々と描いていく作品です。大きな事件が起きるわけではありません。同じアパートの住人たち、コンビニの元バイト仲間、そして現在働く引越し会社でのバイト仲間との交流が描かれていくだけなのですが、そこに現れるほんのちょっとした人間関係の形に引き付けられて、いっき読みです。
 瞬一の祖父の紀介が本当に素敵な人物です。やがて自分が亡くなれば一人になる瞬一のことを考え、田舎に彼を縛り付けるのではなく、外の世界を見に行くように背中を押すなんて、そうそうできません。普通はあとに一人で残される自分のことを考えてしまいます。
 瞬一が荒川沿いの風景に惹かれる様子に、どこかで同じような人がいたなあと思いながら読んでいったら、思い出しました。前作「縁」の中の「霧」に登場した室屋がこの川沿いの風景に同じ気持ちを抱いていました。そして、この作品の中で語られるアパートの1階の住人でサッカー・コーチをしている室屋は、「霧」に登場する室屋だったことに気づきました。その途端、「あれ、この人はもしかしたら」と、続々と他の作品に登場していた人たちが、この作品にも顔を出していたことを知りました。コンビニのバイト仲間だった井川くんと七子さん、そしてアパートの近くに住む郡くんは「ライフ」に、総菜屋の田野倉さんは「ひと」に登場しています。小野寺さんは、この近辺に住む人々を主人公を変えながら、これからも描いていくのでしょうか。 
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今日も町の隅で  ☆  角川書店 
 10編が収録された小野寺さん初めての短編集です。各編の登場人物はそれぞれ異なりますが、話の舞台となるのがみつば市です。更には片見里という地名も出てきますが、これらは小野寺さんの別の作品にも登場します。どの作品も大きな事件が起きるわけではありません。その町に住む人々の日常の一場面を切り取っただけのことですが、ただ、登場人物たちにとっては、心に刻まれる出来事が描かれます。
 10編の中で、個人的に特に心に残ったのは次の3篇です。
 中でも、かつて両親が離婚したことから、妻といずれ自分も離婚してしまうのではないかと恐れる夫・古川守が主人公の「ハグは十五秒」が一番です。ある日、妻の元カレが泊めて欲しいと言ってきたと妻から聞いた守が、器の小さい男だと妻に思われたくなくて、見栄を張って元カレを泊めることに同意してしまいながら、ヤキモキする心の揺れを描いていきます。結婚している元カノに泊めて欲しいと言う男も変わっていますが、元カレからの頼みを断らずに夫に正直に話す妻、そしてその頼みを聞いてしまう夫もおかしいという、三人のおかしな話です。
 「逆にタワー」は爽やかな読後感を与えてくれます。バンドでリーダーを務める尽互から、リードギターからサイドギターへ、更にはベースへと降格を言い渡された悠太が思い切って誘った乃衣と初デートで訪れたのはスカイ“ツリー”ではなく東京“タワー”だった・・・。いつも中心にいて注目される尽互がデートで“ツリー”に行ったことに対し、“タワー”にしたのは自分らしいと卑下する悠太が引っ越していく乃衣との最初で最後のデートを経て、やがて尽互に堂々と意見するまでになるところが“青春”という感じですねえ。
 感動的なのは、「君を待つ」です。遅刻していつもの電車に乗れなかったことで、その電車の事故による死から免れた男と、その電車に乗ったために事故に遭い、電車に乗ることがトラウマになってしまった女との出会いを描いた一編です。題名の「君を待つ」の「君」に出会うラストが感動です。 
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食っちゃ寝て書いて  ☆   角川書店 
 大学卒業後2年で会社員生活を辞めて作家の道に入った横尾成吾・50歳。新人賞を獲得したものの大ヒットを飛ばすことなく作家生活を送っていた。今回、横尾の担当編集者となったのは井草菜種・30歳。医者の家に生まれ、医者を目指したが医学部受験に失敗し文学部へ入学、大学生の時にはプロボクサーを目指したが、プロテストの試験でKOされて断念、結局は出版社に入社し編集者となるが、いまだ担当作家に大ヒットを生み出していないという若いながらも紆余曲折の人生を送ってきた青年。物語は、そんな二人がタッグを組んで新作のヒットを目指すストーリーです。
 作家の話ですから当然、横尾は小野寺さん自身を反映しているのではないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。菜種の方はといえば、医学部受験やプロボクサー試験に挫折したといっても、編集者という狭き門に入ってしまうのですから、他の人から見れば羨むような人生ではないのでしょうか。
 横尾が新作の内容として選択したのが、この菜種の人生をモデルにした小説。物語は新作が発売されるまでの1年を二人を交互に語り手にしながら描いていきます。ただ、この交互の語りの形式がくせ者で、最後の最後でアッと言わされます。そして、「あ~だからこういう形式だったのか」と納得します。こんなミステリみたいなからくりがあるとは見事に小野寺さんにやられました。
 今回、横尾が住むのは小野寺作品でよく舞台となる架空の町“みつば市”です。また、主人公の横尾成吾も小野寺さんの別の作品「まち」で登場人物が図書館から借りて読む「三年兄妹」「百十五ヵ月」の作家として既に登場しています。このあたりのリンクを見つけるのもファンとしては嬉しいところです。 
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タクジョ!  実業之日本社 
 “リケジョ”“レキジョ”ならぬ題名の「タクジョ」とは女性タクシードライバーのこと(主人公が「運転手」ではなく「ドライバー」と言っていますので、それに合わせます。)。高間夏子は23歳。新卒でタクシー会社にドライバーとして採用されたばかりの新人。彼女がタクシードライバーの職業を選んだのは、元々運転が好きだったばかりではなく、ストーカーに付きまとわれていたためタクシーで帰宅した女性が、男の運転手に自宅を知られたくないと自宅手前で降車したために、ストーカーに襲われた事件を知り、女性の運転手だったらと思ったことにあった。
 物語はそんな夏子を主人公に、夏子が小学6年生の時に離婚した教師の父とやり手の服の販売員である母、実は前職が航空会社で高学歴のイケメンの先輩ドライバー、姫野、夏子が見合した公務員の森口鈴央らとの関係を描きながら、「十月の羽田」から「三月の江古田」までの半年が綴られていきます。
 大きな事件が語られるわけではありません。夏子が客に“籠脱け”されるという事件や一瞬タクシー強盗かと思われる出来事もありましたが、あとは客からのナンパ(こんな客いるんですかねえ)や同僚との交流などが語られていくだけです。職業としてタクシードライバーを選んだ夏子の思いを描く、いわゆる“お仕事小説”の1冊です。
 夏子がタクシードライバーとして頑張れるのはただ彼女だけの思いによるものではありません。イケメンで高学歴の姫野は夏子の得意な卓球で彼女を励まそうとしますし、わずかな出番ですが、元スジ者ではないかと思われるコワモテの道上の話にホッとさせられます。この二人のキャラ、特に姫野のキャラはいいですよねえ。
 この作品にも他の小野寺作品とのリンクが登場します。夏子と森口の二人が観に行った映画の原作が「食っちゃ寝て書いて」の主人公・横尾成吾が書いた「キノカ」ということが二人の話の中に出てきます。 
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今夜  新潮社 
 “夜”を舞台にした4編が収録された連作集。作者の小野寺さんが言うには、「ひりつく夜の音」「夜の側に立つ」に続く、“夜四部作”の三作目だそうです。
 「直井蓮司の夜」の主人公は、ボクサーの直井蓮司、25歳。同年代の人気・実力を兼ね備えたボクサーとの試合に勝ち、その後を期待されたが続けて試合に負け、自信をなくし、バイトで知り合った男の恐喝に手を貸してしまう。
 「立野優菜の夜」の主人公は、タクシー運転手の立野優菜、28歳。客が誤って1万円札を5千円として差し出したのを、気付きながら釣銭をごまかしてしまう。
 「坪田澄夜の夜」の主人公は、交番勤務の警察官である坪田澄哉、30歳。問題のある上司のパワハラを受け、ストレスから酒に逃れるようになり、妻との間もうまくいっていない。
 「荒木奈苗の夜」の主人公は、坪田澄哉の妻であり、高校教師の荒木奈苗。好きで結婚した澄哉だったが、深酒をするようになり、更に元同僚の教師との間を疑われるようになってから冷戦状態が続いている。
 澄哉と奈苗が夫婦という関係だけでなく、蓮司が乗ったタクシーの運転手が優菜であるなど、それぞれ関わりが生じてきます。そんな4人のある夜の出来事が描かれますが、どうしても負のイメージに囚われてしまいがちな“夜”の中で、4人がどう生きていくのかが読みどころとなっていきます。ラスト、それぞれ“朝”を迎えることで、この物語の行方が想像できてほっとします。
 蓮司のその後については、「食っちゃ寝て書いて」に描かれていたり、優菜の勤務するタクシー会社は「タクジョ!」の主人公と同じ会社であったり、いつもながらの他作品とのリンクも見られるのも小野寺作品のファンとして嬉しいです。 
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