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小野寺史宜の本棚

  1. ひりつく夜の音
  2. 近いはずの人
  3. 本日も教官なり
  4. それ自体が奇跡
  5. ひと
  6. 夜の側に立つ
  7. ライフ
  8. まち
  9. 今日も町の隅で
  10. 食っちゃ寝て書いて
  11. タクジョ!
  12. 今夜
  13. 天使と悪魔のシネマ
  14. 片見里荒川コネクション
  15. とにもかくにもごはん
  16. ミニシアターの六人
  17. いえ
  18. レジデンス
  19. 奇跡集
  20. タクジョ!みんなのみち
  21. 君に光射す
  22. みつばの泉ちゃん
  23. 夫婦集
  24. うたう
  25. 町なか番外地
  26. モノ

ひりつく夜の音  新潮社 
  初めて読む小野田史宜さんの作品です。図書館で借りたのですが、その紹介文が「忘れていた出来事。捨てた物。さよならした人。あきらめたこと。僕の人生の半分以上はそういうものでできている。ある日、警察から電話が…。年収1000万円強、すべてをあきらめ
ていた男がもう一度人生を取り戻すまでを描く。」。この歳になると「すべてをあきらめていた男がもう一度人生を取り戻すまでを描く」などとあると、つい借りてみたくなります。
 ジャズのクラリネット奏者の下田保幸は46歳。昨年、所属していたバンドがリーダーの死によって解散してから、週2回の音楽教室の講師とたまに呼ばれる肋っ人演奏で、どうにか暮らしていた。パンにちくわを挟んで食べるのが主食の下田の楽しみはファミレスの週1度の朝食バイキング。そんな下田が警察からの電話で元恋人の息子・音矢の身元引受人になったことから、それまでの人生が変わっていく様子を淡々と描いていきます。
 これといって大きな事件が起きるわけではありません。元恋人の息子と出会い、その息子がギターという音楽の道に進んでいることを知り、高校時代にブラバンでクラリネットを教えてくれた同級生の朋子に30年ぶりで出会って二人で飲みに行き、朝食バイキングで顔を合わせるフリーライターの高倉乃々から取材を受け、同じくそこで顔を見る弁護士の岸に相談したり等々、音矢と知り合ったことをきっかけに、何となく生きていくだけだった下田が、出会った人との関係に少しだけ踏み込むことにより、しだいに彼の周りで様々なものが動いていくという、人生の再生の物語でした。
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近いはずの人  講談社 
 カッブ麺が主力の食品メーカーに勤める俊英は、5ヶ月前に妻を事故で失った33歳の男。妻は温泉に行く途中で乗っていたタクシーが崖から転落して亡くなったが、一緒に旅行をするはずだった友だちが誰かはわからないままだった。俊英は妻の死後毎晩カップ麺を食べビールを飲みながら妻の遺品となった携帯電話のロックを外そうと暗証番号を打ち込み続ける。ある夜、突然ロックが解除された電話には“8”という人物と温泉宿で待ち合わせる旨のメールが残されていた。果たして、メールの相手は誰なのか・・・
 物語は、俊英の周囲にいる亡妻の姉や自分の弟、同僚との関わりやかつて恋人になる手前まで行った女性との再会のエピソードを描きながら、妻の死から1歩を踏み出していくまでの俊英の1年間が語られていきます。
 突然の妻の死で残された夫の喪失感を描くというストーリーは、西川美和さんの「永い言い訳」と同じです。夫婦といっても元々は他人ですから、相手のすべてを知っているということはないでしょう。でも、自分の知らなかった妻の姿に自分はいったい妻の何を見ていたのだろうと、戸惑ったり、後悔したりする気持ちもわかります。ロックが外れて明らかになった妻の姿からは、結局、俊英は妻のためと思うことを免罪符に、肝心なことはいつも避けていたという事実を突きつけられます。でも、決して俊英は悪い夫ではなかったと思うのですけどねえ。夫の立場からは俊秀がちょっとかわいそうと思ってしまいます。
 表紙カバー絵が作品の内容をストレートに語っています。 
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本日も教官なり  ☆  角川書店
 主人公の益子豊士は、40歳代後半のロック好きの自動車教習所の教官。元々は電気機器メーカーに勤めるサラリーマンだったが、30代の頃、仕事のストレスで突発性難聴と帯状庖疹となり、このままではまずいと妻の美鈴に無断で会社を辞めてしまう。その際のドタバタの中で美鈴ともうまくいかなくなり離婚。その後、中途採用で自動車教習所の教官として雇われ、今に至っている。ある日、別れた妻の美鈴から、高校二年生になった娘の美月が妊娠した、相手方と話し合いを行うので同行して欲しいとの電話がかかってくる。娘からは「今さらしゃしゃり出てきて何なんだよ。」と言われながらも、相手方との話し合いの場に同席する・・・。
 僕が自動車教習所に通ったのは大学卒業直前のこと。その教習所には教官の指名制度はなく、割り当てられた教官の指導を受けることになるのですが、これが当たり外れが大きい。教官も人ですから色々な性格の人がおり、中には機嫌が悪いのをそのままストレートに教習生にぶつける人もいて、そんな時は教習時間が地獄に思ったことも。免許を持っている方は多かれ少なかれ教習所に通っていたときの思い出があるのではないでしょうか。
 物語は、娘の妊娠騒動に父親としてどう対処すべきか悩む豊士の姿と、豊士が教官として教える教習生との関わりを描いていきます。恋人が飲んだときの運転手役をするために免許を取りたい佳世、就職に必要なため免許を取ろうとする大学生の七八、孫娘の幼稚園の送り迎えをするために69歳にして免許を取ろうと思い立った臼井しのなど、免許を取得しようとする理由も様々ですが、誰に対してもきちっと向き合って対応する豊士の姿に感動します。指名制度があれば、豊士のような教官だったら真っ先に指名していましたね。
 ラストの三行が素敵で、余韻が残ります。おすすめです。 
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それ自体が奇跡  講談社 
 同じ百貨店に勤める田口貢と綾の夫婦は、結婚3年目の31歳の同じ歳。ある日、仕事から帰った貢は綾にJリーグを目指すサッカーチームに入ったと告げる。小学生の頃からサッカーをやっていた貢は、自分でもプロでやる自信はないと大学卒業後は百貨店に勤め、職場のサッカーチームに入っていたが、このたび解散。そんなところに、大学の先輩で将来はJリーグを目指すという社会人リーグ1部のチームのオーナーから、チームヘの誘いを受ける。30歳も過ぎ、報酬もなく、働きながらサッカーをするという状況に綾は反対したが、貢は既にチームに入ることを承諾したという。大事なことを事後報告で済ませた貢に綾は怒り、この日から、夫婦の間がぎくしゃくするようになってくる・・・。
 物語は、貢の決断から始まる夫婦の1年が描かれていきます。30歳を過ぎた年齢では、もし将来チームがJリーグに上がっても、プロになれるわけないのに、今さらどうしてと思うのが普通でしょう。妻という立場だけでなく、男性であっても綾の考えに肩入れするのは当然です。人生一度きりだから侮いのないようにとはいいますが、自分一人なら夢を食べていてもいいけど、責任を持たなくてはならない妻という存在があるのですからねぇ。わがままです。僕が百貨店の同僚なら彼ばかり土日を優先して休めていいなあとやっかみの心を持ってしまいます。上司がいい顔しないのも無理ありません。
 そんな貢に対し、綾が知り合った男性と映画に行ったり食事に行ったりしたのはやむを得ないところもあります。貢は好きなサッカー優先ですし、綾としても満足に口も聞かない二人の生活の中で、ストレス発散したくもなるでしょう。
 ラストの落としどころは、そうきましたか。でもこの夫婦、これからうまくいくのか疑問です。
 題名の「それ自体が奇跡」とは、同期の結婚式の貢の祝辞の言葉で、「結婚は、それ自体が奇跡だと思います」から。
 「その愛の程度」「近いはずの人」に続く夫婦三部作の最終作だそうです。「その愛の程度」は未読です。 
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ひと  ☆  祥伝社 
 高校生の時に調理師だった父を交通事故で亡くし、大学2年生の時には地元の大学の学食で働きながら東京の大学に行かせてくれた母親を突然死で亡くした柏木聖輔は、大学を辞め働く決心をするが、なかなか動き出せない日が続いていた。そんなある日、あてもなく商店街を歩いていた聖輔は、惣菜屋からのあまりのいい匂いに、なけなしの55円の金で50円のコロッケを買おうとするが、一足先に残った1個が買われてしまう。見かねた店主から50円で売ってくれたメンチを食べながら店頭に貼ってあったアルバイト募集の張り紙を見た聖輔は働きたいと申し出る・・・。
 不幸が重なり天涯孤独となってしまった聖輔が、惣菜屋で働きながら、調理師であった父親と同様に調理師の道を目指していく様子を描いていきます。
 「ひと」という題名が端的に表しているように、この作品で描かれるのは「ひと」との関わりです。聖輔が生活していくことができたのは、周囲の多くの“ひと”に助けられているからこそです。もちろん、聖輔があまりに良い人過ぎるという聖輔自身の人間性があってこそ、周りの人は聖輔を助けたのでしょうけど。だいたい、友人に自分の部屋を寝る場所として提供したり、あげくは女性を連れ込んだりしているのに、強く怒ろうとしません。普通なら友人として付き合うのはお断りですよね。
 井崎の生活の中に登場してきた井崎青葉は、高校生の頃から聖輔の他人への気遣いを感じているなど人の本質をきちんと見ることができる素敵な女性です。こんな女性と交際できたら本当に気疲れすることなく、楽しい日を過ごすことができるだろうなあと思ってしまいます。
 惣菜屋の夫婦の田野倉督次と詩子もいい夫婦ですし、そしてバイトの先輩である映樹も要領のいいちちゃらんぽらんな人物かと思ったら、しっかり聖輔を見てくれているし、そして映樹の遅刻を謝りに来た映樹の恋人である杏奈も素晴らしい女性です。恋人の遅刻を謝りに来る人は普通いません。
 嫌な人物(母のいとこだという船津基志)も登場しますが、読了後は温かな気持ちになれる作品です。 
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夜の側に立つ  新潮社 
 高校3年生になった野本了治は、同じクラスになった生徒会長の榊信明からギターを弾くならバンドを組もうと持ち掛けられる。信明は次々と声をかけ、副会長で自分の交際相手でもある萩原昌子、吹奏楽部のサックス奏者の美少女・小出君香、別のバンドでドラマーをしているイケメンの辰巳壮介がメンバーとして集まってくる。彼らは学園祭での演奏を目指して練習を始めるが・・・。
 物語は了治の一人称で、高校3年生の18歳から、彼とバンドを組んだ信明、昌子、君香、壮介との交流を18歳、20代、30代、そして40代の現在の時間軸を行き来しながら描いていきます。
 初めての女性経験や好きな女性から告白されたのに自分に自信が持てずに断ってしまった高校時代、君香に告白しようと思ったときに起こった出来事によって自分の不甲斐なさを感じて告白できなかった大学時代、あるスキャンダルによってせっかく就いた教師の職を失った30代、そして、冒頭に描かれた事件によってひとりの友人を失った現在といった具合に、それぞれの年代で起きた出来事を経験して了治がどう生きてきたのか、そしてこれからどう生きていくのかが淡々と描かれていきます。
よくよく見れば、彼がそれぞれの年代で経験した出来事は、通常そうそう経験できるものではないのですが、それが語り口のせいなのか、はたまた了治自身の性格のせいなのか、それほど大きな出来事として感じ取ることができません。ひとりの友人の死、それも了治の行動がなければ起こることはなかった出来事であっても、あまりに淡々としていると感じてしまいます。
 ラストは、友人の死があってどうにか正直に自分の心の思いに向き合うことができたということでしょうか。 
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ライフ   ☆ ポプラ社 
 主人公の井川幹太は27歳。大学卒業と同時に希望どおりにパンメーカーに就職したが、パワハラ上司の下で耐え切れずに2年で退職、次に勤めた家電量販店は半年で退職し、今は近くのコンビニのアルバイトとともに、ときに結婚披露宴にレンタル友人として出席するバイトをしながら学生時代のアパートに住み続けていた。1階の幹太の部屋の真上の部屋は、学生時代の友人が退去してから若い男が入居したが、その男の足音や時々部屋にやってくる子どもたちの遊びまわる音に幹太はひどく悩まされていたが、男の風貌から注意するのを躊躇っていた。そんなある日、レンタル友人で参加した結婚披露宴で高校時代のクラスメートだった女性に偶然会い、LINEをするようになったり、ひょんなことから2階に住む男「戸田さん」と声をかわすようになり、彼だけではなくその家族とも関わっていくようになる・・・。
 何か大きな事件が起きるわけでもありません。ただ、普通の生活をしている中で起きそうな出来事が幹太の周囲にも起きるだけです。そんな幹太の生活が淡々と描かれていくだけですが、なぜだか読ませます。それは、大学卒業後あまり人と関わることがなかった幹太が、戸田さんやその家族と関わるようになり(というより、強引に戸田さんが幹太の生活の中に入ってきたと言った方がいいかもしれません。)、更に高校のクラスメートの萩森澄穂や近所の高校生の郡唯樹、アパートの隣室の中澤や坪内幾乃といった具合に次第に多くの人と関わっていくことによって、新たな一歩を踏み出していく姿に、読んでいてほっとするところにあるのでしょう。それに、騒音の発生元である戸田さんにしても思ったような怖い人ではなく、登場人物が皆、悪い人ではないというところも大きいです。近所の人だけでなく、コンビニのバイト仲間の七子さんなんて、夫想いのこれまたいい人ですし。
 人との関わりを描いた「ひと」同様、読後感が素敵な作品です。おすすめ。 
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縁  ☆  講談社 
 4話が収録された連作短編集です。
 室屋忠仁、38歳は大学卒業以来勤めた土木会社の測量士を経営者の跡取りの傲慢な態度に腹を立てて辞め、今はリペア会社の地下鉄駅構内にある店舗で靴等の修理や合鍵の作製の仕事をしている。高校時代までサッカーをしていた室屋は散歩中に練習を見学していた少年サッカーチームのコーチに誘われ、ボランティアでコーチをすることとなるが、2年が過ぎたある日、子どもの母親との仲を疑われ、コーチを辞めることとなる(「霧」)。
 春日真波、28歳は人材派遣会社の社員。ある日、同僚で恋人である玉井令太とデート中、周囲の人の行動を厳しく批判したことから、それを窘める令太と別れることになる。辛い思いの真波は、大学生時代のパパ活の相手を呼び出す(「塵」)。
 田村洋造、52歳は大手印刷会社の社員。別れた妻が引き取った今は25歳になる息子が女子高校生と不順異性交遊をしたということで、その父親に呼び出される(「針」)。
 国崎友恵、52歳は夫と離婚後、家政婦をしながら一人息子を育ててきた。息子が就活で印刷会社を希望していることを聞き、同級生で大手印刷会社に勤める田村に口利きを頼むが、その見返りに50万円を要求される(「縁」)。
 4話の登場人物がそれぞれに絡みあっていきます。「霧」で、室屋の店で閉店時間後に傘の修理に来て、自分勝手な理不尽な主張をした女性が真波。「塵」で真波が呼び出したパパ活の相手が田村。「針」で田村の息子が付き合っていた女子高校生の父親が室屋が辞めた会社の跡取りの間宮。田村の後輩の辻岡が「霧」で室屋がコーチをしていたチームの父親コーチ。「縁」で友恵が傘を修理に持って行ったのが室屋の店で、駅の通路で友恵が声をかけたのが、「霧」で室屋と噂になった選手の母親である小牧美汐。これらの不思議に絡み合った人間関係が「縁(ゆかり)」という題名に繋がっているのでしょうか。
 また、“縁”という漢字を題名では“ゆかり”と読ませますが、国崎友恵の章では同じ“縁”を“へり”と読ませます。ここには当然、作者の小野寺さんの意図するものがあるのでしょうけど、思うに、あることをするかどうかの“縁”に立っているという意味かなと個人的には考えます。登場人物4人とも、あることに踏み出そうとするかどうかの“縁”にあり、それぞれ踏みとどまるという話になっています。ただ、ラストからすると、室屋はこの後、一歩踏み出すのでしょうか。
 それにしても、真波の自分が一番正しいという考えには困ったものです。散歩させていた犬が他人に噛みつく場面の言い分はないよなあと呆れかえります。この作品中、唯一共感できない人物です。大人になれない田村の息子もどうかと思いますが。 
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まち  ☆  祥伝社 
 幼い頃、火事で両親を亡くした江藤瞬一は、尾瀬ヶ原が広がる群馬県利根郡片品村で歩荷(山小屋に荷を運ぶ仕事)をしていた祖父に育てられたが、高校を卒業するに当たって祖父から、東京に行って外の世界を見て来いと言われ、上京して4年。荒川沿いのアパートに住みながら、最初はコンビニのバイト、その後、引越しの日雇いバイトをしながら暮らしていた・・・。
 瞬一の日常を淡々と描いていく作品です。大きな事件が起きるわけではありません。同じアパートの住人たち、コンビニの元バイト仲間、そして現在働く引越し会社でのバイト仲間との交流が描かれていくだけなのですが、そこに現れるほんのちょっとした人間関係の形に引き付けられて、いっき読みです。
 瞬一の祖父の紀介が本当に素敵な人物です。やがて自分が亡くなれば一人になる瞬一のことを考え、田舎に彼を縛り付けるのではなく、外の世界を見に行くように背中を押すなんて、そうそうできません。普通はあとに一人で残される自分のことを考えてしまいます。
 瞬一が荒川沿いの風景に惹かれる様子に、どこかで同じような人がいたなあと思いながら読んでいったら、思い出しました。前作「縁」の中の「霧」に登場した室屋がこの川沿いの風景に同じ気持ちを抱いていました。そして、この作品の中で語られるアパートの1階の住人でサッカー・コーチをしている室屋は、「霧」に登場する室屋だったことに気づきました。その途端、「あれ、この人はもしかしたら」と、続々と他の作品に登場していた人たちが、この作品にも顔を出していたことを知りました。コンビニのバイト仲間だった井川くんと七子さん、そしてアパートの近くに住む郡くんは「ライフ」に、総菜屋の田野倉さんは「ひと」に登場しています。小野寺さんは、この近辺に住む人々を主人公を変えながら、これからも描いていくのでしょうか。 
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今日も町の隅で  ☆  角川書店 
 10編が収録された小野寺さん初めての短編集です。各編の登場人物はそれぞれ異なりますが、話の舞台となるのがみつば市です。更には片見里という地名も出てきますが、これらは小野寺さんの別の作品にも登場します。どの作品も大きな事件が起きるわけではありません。その町に住む人々の日常の一場面を切り取っただけのことですが、ただ、登場人物たちにとっては、心に刻まれる出来事が描かれます。
 10編の中で、個人的に特に心に残ったのは次の3篇です。
 中でも、かつて両親が離婚したことから、妻といずれ自分も離婚してしまうのではないかと恐れる夫・古川守が主人公の「ハグは十五秒」が一番です。ある日、妻の元カレが泊めて欲しいと言ってきたと妻から聞いた守が、器の小さい男だと妻に思われたくなくて、見栄を張って元カレを泊めることに同意してしまいながら、ヤキモキする心の揺れを描いていきます。結婚している元カノに泊めて欲しいと言う男も変わっていますが、元カレからの頼みを断らずに夫に正直に話す妻、そしてその頼みを聞いてしまう夫もおかしいという、三人のおかしな話です。
 「逆にタワー」は爽やかな読後感を与えてくれます。バンドでリーダーを務める尽互から、リードギターからサイドギターへ、更にはベースへと降格を言い渡された悠太が思い切って誘った乃衣と初デートで訪れたのはスカイ“ツリー”ではなく東京“タワー”だった・・・。いつも中心にいて注目される尽互がデートで“ツリー”に行ったことに対し、“タワー”にしたのは自分らしいと卑下する悠太が引っ越していく乃衣との最初で最後のデートを経て、やがて尽互に堂々と意見するまでになるところが“青春”という感じですねえ。
 感動的なのは、「君を待つ」です。遅刻していつもの電車に乗れなかったことで、その電車の事故による死から免れた男と、その電車に乗ったために事故に遭い、電車に乗ることがトラウマになってしまった女との出会いを描いた一編です。題名の「君を待つ」の「君」に出会うラストが感動です。 
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食っちゃ寝て書いて  ☆   角川書店 
 大学卒業後2年で会社員生活を辞めて作家の道に入った横尾成吾・50歳。新人賞を獲得したものの大ヒットを飛ばすことなく作家生活を送っていた。今回、横尾の担当編集者となったのは井草菜種・30歳。医者の家に生まれ、医者を目指したが医学部受験に失敗し文学部へ入学、大学生の時にはプロボクサーを目指したが、プロテストの試験でKOされて断念、結局は出版社に入社し編集者となるが、いまだ担当作家に大ヒットを生み出していないという若いながらも紆余曲折の人生を送ってきた青年。物語は、そんな二人がタッグを組んで新作のヒットを目指すストーリーです。
 作家の話ですから当然、横尾は小野寺さん自身を反映しているのではないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。菜種の方はといえば、医学部受験やプロボクサー試験に挫折したといっても、編集者という狭き門に入ってしまうのですから、他の人から見れば羨むような人生ではないのでしょうか。
 横尾が新作の内容として選択したのが、この菜種の人生をモデルにした小説。物語は新作が発売されるまでの1年を二人を交互に語り手にしながら描いていきます。ただ、この交互の語りの形式がくせ者で、最後の最後でアッと言わされます。そして、「あ~だからこういう形式だったのか」と納得します。こんなミステリみたいなからくりがあるとは見事に小野寺さんにやられました。
 今回、横尾が住むのは小野寺作品でよく舞台となる架空の町“みつば市”です。また、主人公の横尾成吾も小野寺さんの別の作品「まち」で登場人物が図書館から借りて読む「三年兄妹」「百十五ヵ月」の作家として既に登場しています。このあたりのリンクを見つけるのもファンとしては嬉しいところです。 
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タクジョ!  実業之日本社 
 “リケジョ”“レキジョ”ならぬ題名の「タクジョ」とは女性タクシードライバーのこと(主人公が「運転手」ではなく「ドライバー」と言っていますので、それに合わせます。)。高間夏子は23歳。新卒でタクシー会社にドライバーとして採用されたばかりの新人。彼女がタクシードライバーの職業を選んだのは、元々運転が好きだったばかりではなく、ストーカーに付きまとわれていたためタクシーで帰宅した女性が、男の運転手に自宅を知られたくないと自宅手前で降車したために、ストーカーに襲われた事件を知り、女性の運転手だったらと思ったことにあった。
 物語はそんな夏子を主人公に、夏子が小学6年生の時に離婚した教師の父とやり手の服の販売員である母、実は前職が航空会社で高学歴のイケメンの先輩ドライバー、姫野、夏子が見合した公務員の森口鈴央らとの関係を描きながら、「十月の羽田」から「三月の江古田」までの半年が綴られていきます。
 大きな事件が語られるわけではありません。夏子が客に“籠脱け”されるという事件や一瞬タクシー強盗かと思われる出来事もありましたが、あとは客からのナンパ(こんな客いるんですかねえ)や同僚との交流などが語られていくだけです。職業としてタクシードライバーを選んだ夏子の思いを描く、いわゆる“お仕事小説”の1冊です。
 夏子がタクシードライバーとして頑張れるのはただ彼女だけの思いによるものではありません。イケメンで高学歴の姫野は夏子の得意な卓球で彼女を励まそうとしますし、わずかな出番ですが、元スジ者ではないかと思われるコワモテの道上の話にホッとさせられます。この二人のキャラ、特に姫野のキャラはいいですよねえ。
 この作品にも他の小野寺作品とのリンクが登場します。夏子と森口の二人が観に行った映画の原作が「食っちゃ寝て書いて」の主人公・横尾成吾が書いた「キノカ」ということが二人の話の中に出てきます。 
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今夜  新潮社 
 “夜”を舞台にした4編が収録された連作集。作者の小野寺さんが言うには、「ひりつく夜の音」「夜の側に立つ」に続く、“夜四部作”の三作目だそうです。
 「直井蓮司の夜」の主人公は、ボクサーの直井蓮司、25歳。同年代の人気・実力を兼ね備えたボクサーとの試合に勝ち、その後を期待されたが続けて試合に負け、自信をなくし、バイトで知り合った男の恐喝に手を貸してしまう。
 「立野優菜の夜」の主人公は、タクシー運転手の立野優菜、28歳。客が誤って1万円札を5千円として差し出したのを、気付きながら釣銭をごまかしてしまう。
 「坪田澄夜の夜」の主人公は、交番勤務の警察官である坪田澄哉、30歳。問題のある上司のパワハラを受け、ストレスから酒に逃れるようになり、妻との間もうまくいっていない。
 「荒木奈苗の夜」の主人公は、坪田澄哉の妻であり、高校教師の荒木奈苗。好きで結婚した澄哉だったが、深酒をするようになり、更に元同僚の教師との間を疑われるようになってから冷戦状態が続いている。
 澄哉と奈苗が夫婦という関係だけでなく、蓮司が乗ったタクシーの運転手が優菜であるなど、それぞれ関わりが生じてきます。そんな4人のある夜の出来事が描かれますが、どうしても負のイメージに囚われてしまいがちな“夜”の中で、4人がどう生きていくのかが読みどころとなっていきます。ラスト、それぞれ“朝”を迎えることで、この物語の行方が想像できてほっとします。
 蓮司のその後については、「食っちゃ寝て書いて」に描かれていたり、優菜の勤務するタクシー会社は「タクジョ!」の主人公と同じ会社であったり、いつもながらの他作品とのリンクも見られるのも小野寺作品のファンとして嬉しいです。 
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天使と悪魔のシネマ  ポプラ社 
 10編が収録された連作短編集です。といっても、2011年から2014年程前に雑誌に発表された5編に今回それと同じ書下ろし5編を加えたものなので、最初から連作を考えていたわけではなく、今回無理矢理連作集にしたのかという感じが否めません。内容は今までの小野寺作品とは雰囲気の異なる天使と悪魔が登場するファンタジックなストーリーとなっており、10編とも人の死が描かれますが、それぞれ関係のないように見えた死が何らかの繋がりがあったことが次第に浮かび上がってくるという体裁になっています。
 独立した物語として読んで一番心に残るのは、冒頭の「レイトショーのケイト・ショウ」です。この作品は登場人物も言っていますが、映画を観ていた男がスクリーンの中の女優から語りかけられるというウディ・アレン監督の「カイロの紫のバラ」を思わせる作品です。稀に僕自身も映画館の中に一人ということがありましたが、このラストではこの物語のように語りかけられたらちょっと考えてしまいますね。
 「天使と一宮定男」は電車に飛び込み自殺をしようとした男を助けようとした男が天使に選択を求められる話です。天使といっても命を助けるどころか逆に容赦ありません。選択をした行動の未来を語り、それでもこちらの道を選択するのかと静かに迫ります。まるで悪魔みたいです。
 一方、悪魔の方はといえば、「悪魔と園田深」で描かれるように、人を死に追いやることに失敗することもあるという、そういう意味では非常に人間的です。
 「今宵守宮くんと」は部屋に現れたヤモリに助けられた男・小畑恒人の話です。ヤモリを“守宮”と書くとは知りませんでした。「カフェ霜鳥」は主人公の経営するカフェのオープン当日に事故で亡くなった4人の友人たちが毎年オープン記念日である命日に幽霊となって現れる話です。ところが今年は命日ではない日に4人が現れます。なぜなのかわかったときには・・・という話です。「ほよん」は自分が霊だとわかっている主人公・諸橋知信が様々な関係のある人の元を訪ねる話、「LOOKER」は暴漢に殺された10歳の少女の霊の7年間の話、「おれ、降臨」は子どもを助けて交通事故死した男・高根啓一が妻と娘に会うために天の特例で一日だけ霊として地上に降りて妻子の様子を見る話です。
 「宇宙人来訪」は目覚めたら自分の部屋に宇宙人がいた男・大井の話ですが、それまでの死や霊の話がなぜに“宇宙人”?と思ったら、次の話に続きます。
 ラストの「中津巧の余生」ではいよいよ悪魔と天使の両方が登場し、交互に語り手となります。悪魔は前作の「宇宙人来訪」に登場した大井を使って、そして天使はビルから鉄骨が落ちて人が死んだ責任を感じて自殺しようとしていた男・中津巧(冒頭「レイトショーのケイト・ショウ」で描かれた事故ですね。)を使って、自己の目的を達成しようとします。これ読むと、天使より悪魔の方が力が強いということですか? 
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片見里荒川コネクション  幻冬舎 
 中林継男は75歳。大学生の頃父の死去により大学を中退し、会社勤めをしたがその会社も41歳で倒産。その後ポリ袋を作る会社に拾われ定年まで勤めあげ、定年後は70歳までスーパーで働いていたが今は無職で悠々自適の日。父母とも亡くなり結婚もしなかったため、天涯孤独であり、故郷の片見里にあった両親の墓も墓じまいをして今は東京の荒川区に住んでいる。ある日、継男は片見里の同級生の次郎からぎっくり腰になった次郎の代わりにある老人宅に行って金を受け取るよう頼まれる。それがオレオレ詐欺の受け子だと気づいた継男は・・・。
 一方、田渕海平は大学4年生。卒論提出期日当日にどうにか書き上げた卒論だったが、二度寝をしてしまって提出時間に間に合わず、卒論は大学に受け取ってもらえず、その結果卒業はできず、内定していた運送会社からも内定を取り消される。そんな海平に恋人は愛想をつかし別れる羽目に。事情を話すため実家に戻った海平は、祖母から東京にいる同級生の中林継男を探すことを頼まれる。
 物語は、中林継男の章と田渕海平の章が交互に語られる形式になっています。75歳と22歳という祖父と孫ならわかりますが、他人ならあまり交流のない年齢の二人の関りが描かれていきます。
 75歳ともなれば、男性としては人生の終わりを考える頃でしょうし、性格も頑なになって、継男のように友人がオレオレ詐欺の片棒を担ぐことから助けようとしたり、被害者のところに謝りに行ったりなんて柔軟な考えはできそうもありません。一方、海平はちゃらんぽらんな性格のようですが、周囲の人たちには優しいし、坊主の徳弥が言うように「いるだけで周りを明るくできるやつ」です。そんな二人だからこそ、いい関係性を築けたのでしょう。
 片見里の海平の菩提寺の若き坊主・徳弥がなかなかいいキャラしています。この物語で語られる彼と同級生の探偵・谷田が行ったことについては、「片見里、二代目坊主と草食男子の不器用リベンジ」(幻冬舎文庫 「片見里なまぐさグッジョブ」改題)で描かれているようです。 
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とにもかくにもごはん  ☆  講談社 
 夫との関係がうまくいかない中、松井波子は会社帰りにまっすぐ家に帰らずに近くの公園でビールを飲む夫を見つける。そんな夫の口から話されたのは、電気の止められた部屋では暗いからと公園で一人夕食のパンを食べる男の子の話。うちでメシを食わせてやりゃよかったと言った夫は、5日後に交通事故で亡くなってしまう。悲嘆に暮れていた波子が始めたのが、波子の心の中で存在感を増してきた「メシを食わせてやりゃよかった」という夫の言葉を実践する貧困家庭の子どもたちのために、子ども食堂を開くということ。物語は冒頭の波子を主人公にした話から、就活に有利になるためのボランティアとして手伝う女子学生や同じ大学の男子学生、ボランティアとして働く主婦たち、そして、食堂にやってくる子ども等々主人公を変えながら、それぞれの人生や家庭事情が語られていきます。
 夫婦関係がうまくいっていなかったのに、最後に感じた夫の優しい心に応えていこうと動き出す波子の行動力を描く冒頭の話で、すでに心は物語の中に引き込まれてしまいました。そして最後は伏線を回収して、また泣かせるというか、よかったなあと思わせる展開でやられました。小野寺さん、こういうところうまいですよねえ。
 この作品中にも述べられていますが、子どもの6人に1人は貧困家庭の子とされます。近年では、彼らを対象にした子ども食堂があちらこちらに誕生していますが、基本的にはボランティアですから、その運営は楽ではないでしょう。しかしながら、子どもたちに食事を提供するだけでなく、居場所を提供するということでも、この“子ども食堂”という存在は大きな意味があるのかもしれません。 
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ミニシアターの六人  小学館 
 銀座のミニシアターで、2年前に死去した映画監督、末永静男の代表作「夜、街の隙間」の追悼上映が行われていた。最終日前日の4時50分の回に入場した観客は僅か6人・・・。
 物語は、6人の観客を主人公にして、それぞれの人生を映画の進行とともに描いていきます。
 6人がこの映画を観る理由は様々です。最初の4人の主人公、冒頭の「記念」の三輪善乃60歳はこの映画館で若い頃チケット販売係をしており、常連客と結婚、不妊治療の末、ようやく授かった子どもの名前をたまたま映画館に来ていた末永監督につけてもらった過去があり、「思念」の山下春子40歳は大学生の頃、恋人に振られた同級生とこの映画を見た過去があり、「断念」の安尾昇治70歳はこの映画を観て自分の実力を知って映画監督になる夢を諦めた過去があり、「無念」の沢田英和50歳は若い頃付き合っていた女性とこの映画を観て映画館を出たところで別れを切り出された過去があるというように、それぞれが過去に観たこの映画に対する思いがあります。これに対し、「雑念」の川越小夏20歳は誕生日のこの日に恋人とデートをするはずだったが、恋人が祖母の危篤で来れなくなり、たまたまこの映画館に入って観たのであり、「一念」の本木洋央30歳は末永監督とその愛人だった母親との間に生まれた子で、自らも映画監督を目指している中で父親の映画を観るといった、現在この映画を観て抱いた思いが語られます。
 いわゆる群像劇という構成です。映画の中のストーリーと6人の人生が重なり合っていくような形で描かれていくところとか、6人とは別に、間に挟んだ「断章」で末永静男監督の実子で、女優の母親を苦しめた父親を憎んでいる息子を描くところが、アクセントがあって、小野寺さん、うまいですねえ。
 小野寺さんの作品には他の作品とのリンクが見られますが、この作品でも「断念」の中に「片見里荒川コレクション」の中林継男が登場します。 
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いえ  ☆  祥伝社 
 大学卒業後スーパー業界で働く三上傑は教師の父親と主婦の母親、そして大学3年生で就活中の妹・若緒の4人家族。若緒は傑の友人である城山大河と交際していたが、大河の運転でドライブに行った際に彼の無理な運転から交通事故に遭い、後遺症で足を引きずるようになってしまう。それ以降、傑と大河との間はもちろん、大河を責める母と責めない父との間も険悪になり、家族の中がぎくしゃくとしてしまう・・・。
 友人を妹に紹介しなければ事故は起きず、妹も足に障害を抱えることはなかったと悩む傑。仕事ではパートの女性とうまくいかない苛立ちが、ついつい他人への怒りとして表に出てきてしまいます。更に自分が妹に何もしてあげられないという思いが、自分を追い込んでしまうのですが、妹を思う兄としてその気持ちはわかります。もちろん、それまで息子の友人として覚えめでたかった大河を手のひらを返したように非難する母の気持ちもわかりますし、教師としての職業柄なのか大河を責めない父の気持ちも理解できないではありません。無謀な運転をした大河が一番悪いのはそのとおりでしょうが、若緒としてみれば、自分のことで家族関係がうまくいかなくなるのが足に障害を負ったのと同じように辛かったでしょう。結局、家族の中で一番強かったのが若緒でした。最後は素直に自分をさらけ出すことにより、パートの女性とも、飲み会で罵った同級生とも、そして何より大河とも元の関係に戻ることができ、家族関係も崩壊の一歩手前から立ち直ることができて、めでたしめでたしです。
 「ひと」「ライフ」や「まち」と同じ江戸川区の荒川沿いの町を舞台にした作品です。そのため、「まち」の江藤瞬一や「ライフ」の郡くんも傑の日常に登場してきます。そのほか、「ひと」のコロッケの田野倉のことも出てきますし、「ライフ」の井川も郡くんの話の中に出てきますし、若緒のコンビニのバイト仲間で七子さんも若緒の話の中に、更には井川と同じアパートに住む劇団女優の坪内幾野も友人の亮英の話の中に登場します。「食っちゃ寝て書いて」の小説家である横尾成吾の小説「三年兄妹」等も出てきます。小野寺作品を読んでいる人には、楽しいですよね。 
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レジデンス  角川書店 
 湊市にある14階建てのマンション「湊レジデンス」に住む人々を描く群像劇です。
 「湊レジデンス」A棟1003号室に住む中学3年生の会田望は学校では常にトップ成績の優等生だったが、夜は一人で歩く女性を狙ってひったくりを繰り返していた。同じA棟903号室に住む根岸英仁は大学生だった就職活動時期に交通事故に遭い入院し、就職活動ができなかったことから、今ではフリーター生活の24歳の青年。A棟1301号室に住む会田望の小学校時代の同級生である入江弓矢は小学校時代は成績がトップクラスだったが、私立中学に行ってからは下位グループ。このところ頻発している自転車泥棒を捕まえようと友人たちを誘い夜の街に繰り出していた。そんな弓矢と母親が異なる義兄の充也は同じマンション内に住む年配の女性の部屋に通って性交渉に入り浸っていた。この4人を中心に彼らの母親や友人たちを絡めながら物語は進んでいきます。
 これが小野寺さんの作品かと、これまで読んだ小野寺さんの作品とは異なる雰囲気にびっくりです。これまでになかった性描写があったり、犯罪行為を平気で行ったり、これまで読んだ作品では主人公が大変な人生を送ってきても、先に希望があったのですが、ここには救いがありません。
 望の犯罪行為にはまったく擁護できる部分はありませんし、自転車泥棒を捕まえようとする弓矢にしても、正義からというより、憂さ晴らしからです。痴漢に誤解された根岸はかわいそうな気がしますが、結局は誤解されたことに腹を立て女性を追いかけたのですから、事故に遭ったのも自業自得という面がないでもありません。
 プロローグの刑事のつぶやきがどこに結びついてくるのかと思ったら、ラストに繋がってくるのですが、読後感は最悪です。
 この作品は第2回野生時代青春文学大賞候補作として「野生時代」2006年9月号に掲載された「湾岸宮殿」を改題、全面改稿したものだそうなので、元が書かれたのは15年以上も前。どおりで最近の小野寺作品とは雰囲気が違うはずです。 
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奇跡集  集英社 
 ある朝の満員の通勤電車の同じ車両に乗り合わせた7人の乗客のそれぞれを主人公にした連作短編集です。
 大学生の青戸条哉は急に襲ってきた便意にベルトを緩めるなど悪戦苦闘し、ついに座り込もうと思ったら隣に立っていた若い女性が突然座り込んでしまう・・・(「青戸条哉の奇跡 竜を放つ」)。
 大学時代演劇にのめり込んだが結局食品会社へ就職した大野柑奈。通勤途中、突然座り込んだ女性に席を譲ろうとして断られたが、次の駅で降りたその女性が気になって先の駅から戻ってくる・・・(「大野柑奈の奇跡 情を放つ」)。
 拳銃密売の容疑者を尾行中の刑事・東原達人。駅で降りた容疑者を追う途中、赤ん坊を抱いた裸足で走る女性が二人の男女に追われているのが気になり、彼女を追う・・・(「東原達人の奇跡 銃を放つ」)。
 電車で5年ぶりのデートに向かう途中の赤沢道香。女性から痴漢に間違われた男性が駅で降ろされたのを見て、思わず彼女も降りてしまう・・・(「赤沢道香の奇跡 今日を放つ」)。
 通勤途上のカップ麺を作る食品会社の広報宣伝部で働く小見太平。CMに起用した女性ユーチューバーが炎上し、代替案を上司に提出しなければならないが、電車が止まってしまう。その時に近くで電話をする女性の「イッキュウちゃんの動画。見た?」という会話が聞こえてくる・・・(「小見太平の奇跡 ニューを放つ」)。
 有休をとり、8歳年下の恋人の浮気相手を尾行する市役所に勤める西村琴子。彼女のあとをつけて行って琴子が見たのは・・・。「西村琴子の奇跡 業を放つ」)。
 刑事に尾行されていることを気づいた黒瀬悦生。バッグに拳銃を入れ、目的地の一つ前の駅で降りた彼に声をかけてきたのは、刑事ではなかった・・・(「黒瀬悦生の奇跡 空を放つ」)。
 “奇跡”と呼ぶには、あまりにささやかな出来事が主人公たちの周りで起こります。“奇跡”の形は人それぞれ違うけど、そんな出来事が主人公たちに新たな一歩を踏み出させる大きなきっかけとなるという話でした。

※この作品にも他の作品とのリンクが見られます。大野柑奈が電車の中で読んでいる文庫本は「食っちゃ寝て書いて」の主人公・横尾成吾の「脇家族」ですし、柑奈がいた劇団に「ライフ」の坪内幾野さんがいます。そのほかにも、どこかにあるかも。 
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タクジョ!みんなのみち  実業之日本社 
 4大卒の新人女性タクシードライバー、高間夏子を描いた「タクジョ!」の続編です。
 今回は前作から3年後、前作の主人公・高間夏子だけでなく、彼女の同僚たち5人の視点で描かれる連作集です。 やはり、同僚から選ぶとなれば彼らでしょう!という二人、元大手航空会社勤務で芸能人の鷲見翔平に似ているイケメンの姫野民哉とその筋の人だったのではないかと噂がある強面の道上剛造は外せません。それぞれ前作では明らかにされなかった、姫野が航空会社を辞めてタクシー会社に移った理由、道上の背中にある刺青を消した跡と言われる傷跡の理由が描かれます。そのほか、自分はタクシードライバーにむいていないのではないかと悩む霜島菜由、夏子の同期で事務職の採用担当の永江哲巳、そして転職して北海道でタクシー運転手をしている川名水音が加わります。それぞれ、タクシードライバーとしての思いやそれを支える裏方としての思い等々が語られます。語り手ではありませんが、皆の話に登場する「タクシードライバーなんか」と言っている刀根さんが、夏子の車に息子を乗車させたいというくだりはちょっと心温まります。
 この作品にも小野寺さんの他の作品とのリンクがあります。姫野が乗せた人気ユーチューバーは、「奇跡集」の「小見太平の奇跡」に登場した炎上ユーチューバーですし、夏子を主人公とする最終話には砂町商店街のコロッケの「田野倉」も登場します。いつも通り、本の話が出てくれば横尾成吾さんですね。 
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君に光射す  双葉社 
 幼い頃、シングルマザーで子育てをまともにしない母親と暮らし、母親が病気になってからは祖父母の家に預けられ、成長した石村圭斗。地元の大学を出て東京で教師となったが、学校でのある事件がきっかけで教師を辞め、なるべく人と関わらない仕事をということで、今は警備会社で警備員をしている。マッチングアプリで出会った看護師の果子とたまに夜勤明けに朝飲みしながら話をするのが唯一の深い人との関わりだった 。・・。
 物語は警備の最中に出会った置き引きしようとしていた少女の境遇が自分の幼い頃に似ていると気になり、やがて声をかけるまでになっていく現在の石村のパートと、彼が教師であった頃のこと、そして教師を辞めるまでに至った経緯が語られる教師のパートが交互に描かれていきます。
 個人的には教師を辞めるきっかけとなった出来事は教師の仕事の範疇から外れている気がするし、警備員としての少女との関わり、非番の時に通学路で声をかけることもやはり警備の仕事の範疇からは外れているのではという思いがあり、主人公に感情移入して読むことはできませんでした。ただ、石村としては教師の時の行動も、そして少女とのことも仕事ではなく一人の人間として行動したことなのでしょうね。
 石村の現在と過去が淡々と語られていくだけですが、途中で投げ出さずに読ませるのは、小野寺さん、相変わらず うまいです。 
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みつばの泉ちゃん  ポプラ社 
(ネタバレあり)
 この物語の主人公は片岡泉という女性。物語は泉の周囲の5人の人々、祖母に一時預けられていた小学生の頃に泉が通った近所のコンビニの大学生の娘・明石弓乃、中学生の頃に泉がじゃんけんで負けて嫌々入った創作文クラブに自ら進んで入部した同級生・米山綾瀬、泉が幼い頃からお気に入りの従弟・柴原修太、泉が高校を卒業してバイトをしていたアパレルショップの店長・杉野大成、泉の働く店に客として来てから交際が始まった元カレ・井田歌男の視点で彼らと泉との関わりを描きながら、泉の人となりが語られていきます。そして、その後は泉自身の語りへと変わり、彼女の結婚、そして新たな生命の誕生ではハッピーエンドとなります。
 泉という女性、決して聖人君子ではありません。どこにでもいる普通の女性ですが、人に媚びを売ることなく自分の考えをはっきり口に出すタイプの人です。そういう人が苦手という人もいるでしょうけど、泉には口に出した言葉に嫌みがないのがいいですね。「井田歌男」の章で郵便配達の人を恋人の歌男への不満のはけ口にしたところが唯一この物語の中で泉に対する印象を悪くするのですが、その後きちんとケアをしたのが泉らしいところです。
 私は未読ですが、この郵便配達の人は小野寺さんの「みつばの郵便屋さん」シリーズに登場するその人なんでしょう。泉自身もそちらの作品に登場しているようですね。 
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夫婦集  講談社 
 4組の夫婦の姿を描く連作集です。
 出版社の景談社で人事部長を務める佐原滝郎。ある日、娘が結婚相手だという男を連れてくる。男は定職に就かず、お笑い芸人と役者を目指し、収入はYouTubeで稼いでいるという。そんな男を娘の結婚相手だとは認められない滝郎は、当然妻も同じ考えだと思ったが、あろうことか、妻は男を気に入ったようで、逆に滝郎の態度が偉そうで失礼だったと非難する(「佐原夫妻」)。
 景談社の販売部に勤める足立道哉は、学生時代から交際してきた結麻と結婚してわずか2週間の新婚生活で結麻が突然名古屋の本社に異動になってしまい、別居生活を余儀なくされる。東京と名古屋を行き来する中で、道哉は結麻に「会社を辞めることは考えられないか」と言ったことから、二人の間に溝ができてしまう(「足立夫妻」)。
 船戸美奈は景談社の編集者。バツイチの子持ちで8歳年下の幹人と結婚したが、幹人が元カノと食事をしてきたことを責めたいと思っても、8歳年上で連れ子もいる自分と結婚してくれた幹人を責めきれない(「船戸夫妻」)。
 江沢梓乃は景談社のライツ事業部の副部長。50歳直前になって、突然夫が仕事を辞めて沖縄で庭師になるので離婚してほしいと言われた上に、反対すると思っていた息子や娘も夫についていくと言い出す(「江沢夫妻」)。
 やっぱり、「佐原夫妻」の場合、父親としてはお笑い芸人や役者を目指すと言われても、生活はどうするのかと考えてしまい、娘のことを思うと賛成できないですよねえ。「足立夫妻」の場合、道哉のように妻に仕事を辞めてほしいというのは、結麻が言うとおり自分の方を飢えに見ているからですよね。妻が仕事に意欲があれば、夫から止めればと言われていい気がしないのは当然です。まったく賛成できないのは「江沢夫妻」の50歳直前になって教育費もかかる子どもが二人もいるのに庭師になると言い出す梓乃の夫です。いくら若い頃からの夢とはいえ、最初は見習いで給料ももらえない庭師になるなんて、梓乃でなくても妻が怒るのはもっともです。だいたい、子どもたちの教育費はどうする気でいるのでしょう。結局、そこは出版社で働いてそれなりの給料をもらう妻任せという甘えがきっとありますよね。
 どの夫婦も自分たちが直面する問題に何らかの結論を出しますが、そこは夫婦それぞれです。ラストで再び佐原夫妻の話に戻ってきますが、滝郎が足立道哉、船戸美奈、江沢(三沢)梓乃たち夫婦の関係を知り、再び娘の結婚相手の男に会った結論はと言えば、やはり小野寺さんらしい落としどころです。
 作品中に出てくる”よく知らない作家さん”“あまり有名でない作家さん”“あまり知られていない作家さん”の夫婦三部作は小野寺さんの本ですね。 
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うたう  祥伝社 
 大学時代にバンドを組んだ男女4人のそれぞれの生きていく様子を描いた連作集です。
 「うたう」という題名の中、「うたわない」と題された冒頭はのちにバンドのボーカルを務めることとなる古井絹江の中学生の頃の話が語られます。父母が離婚し母と二人で暮らす絹江が市民コーラスに入って歌うことが趣味の母との暮らしの中で「うたわない」と題された理由が描かれていきます。
 「うたう 鳥などがさえずる」はギターの伊勢航治郎の物語。中学生時代、モテたいと思って始めたギターにのめり込み、大学時代に絹江たちとバンドを組んで、やがて絹江と恋人同士となったが、絹江の就活を機にバンドは解散、航治郎は就職せずにギターを弾いていたが、生活を頼っていた恋人にもいよいよ見捨てられる・・・。
 「うたう 明確に主張する」はベースの堀岡知哉の物語。大学卒業後就職せずにバーでアルバイトを続けているが、バンドを聞きに来てくれていたことで結婚した里奈からは音楽に未練はないかと言われ・・・。
 「うたう 詩歌をつくる」はドラムの永田正道の物語。バンド解散後、就職をせずに家庭教師派遣会社に登録して家庭教師の仕事を掛け持ちしながら、母と離婚して家を出て行った父親が挑戦して合格できなかった行政書士試験の合格を目指して勉強する毎日を送っている・・・。
 「うたう 音楽的に発生する」は再び古井絹江の物語。“うたわない”と決めていた絹江が大学時代バンドでボーカルを務め、就職し、やがて再び歌おうと決心するまでを描きます。
 永田のように目的を達成した者だけでなく、新たな目的を見つけた智哉も絹江も、そしてあがきながら挫折した航治郎も、最後は前向きに進んで行こうと決心するところが読み終わってホッとしますね。
 小野寺作品には他の作品とのリンクがありますが、今回気がついたのは古井絹江が読む小説の作家・小倉琴絵。「夫婦集」に登場していましたね。 
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町なか番外地  ポプラ社 
 旧江戸川沿いに建つ1DKと2DKそれぞれ2部屋のアパート「ベルジュ江戸川」に住む住人たちの物語を描いた作品です。
 201号室はホームセンターに勤める28歳の佐野朋香。マッチングアプリで交際を始めた男にラブホに誘われ、失望して別れを告げる(「妙見島 ベルジュ江戸川201号室 佐野朋香」)。
 102号室は妻と娘の3人で住む食品会社に勤める42歳の片山達児。いつかは23区内に家を建てようと思っていた達児だったが、いまだに実現せず、また、このところ妻とも娘ともうまくいっていない。そんなとき、新潟への転勤を命じられる(「JR四ツ谷駅 ベルジュ江戸川102号室 片山達児」)。
 202号室は繊維製品会社に勤務する30歳の青井千草。大学時代にアルバイトをしていた居酒屋で仲の良かった正社員の女性が5年前に亡くなっていたことを当時のアルバイト仲間から聞きショックを受ける(「東京高速道路 ベルジュ江戸川202号室 青井千草」)。
 101号室は電子部品製造会社に勤めていたが4か月前に辞職して今は無職の28歳の新川剣矢。年下の同僚の失敗を尻拭いしたのに周囲からは自分のミスだと思われ、自分が助けたはずのその年下の同僚からも見下されていることを知った剣矢は、勤めを続けることが嫌になって退職し、再就職する手立てを考えることもなく毎日を過ごしている(「河原番外地 ベルジュ江戸川101号室 新川剣矢」)。
 アパートの住人とは挨拶ぐらいはするが目を合わせることはないというのは何となくわかります。そんな4部屋に住む住人たちが誰もが新たな一歩を踏み出そうとする中でラスト顔を合わせるのは、小野寺さんらしいラストといえるでしょうか。
 それぞれの題名にある「妙見島」「河原番外地」は実際の場所のようなので、東京ではない私としては「ああ、あそこかあ」と頭に思い浮かべることもできないのは残念。
 それにしても、小野寺さんの作品には川沿いに建つアパートに住む人々を描く作品が多いですね。 
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モノ  実業之日本社 
 浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールを舞台にした物語です。題名の「モノ」とは、モノレールの「モノ」のようですね。物語の主人公となるのは東京モノレールに勤める総務部の清藤澄奈、運輸部乗務区乗務員の梅崎初巳、営業部駅社員の水村波衣、技術部施設区線路担当の杉本滋利の4人です。自分の仕事にやりがいを持ち、精一杯仕事をしている4人それぞれの、東京モノレールヘの思いや現在の生活が描かれていきます。冒頭、東京モノレールにテレビ局から30分4回のドラマの舞台を東京モノレールにしたいという話が持ち込まれますが、この4人が本人役でドラマにちょっと顔を出すという設定になっています。
 私自身、飛行機に乗ること自体あまりなく、その上、乗る場合も羽田に行く手段としてモノレールを使いません。東京モノレールに乗ったのは天王洲アイルでの観劇くらいです(1度、天王洲アイルに停車しない便に乗車してしまい、慌てたことがあります。)。なので、読んでいてモノレールってそんな感じなんだなと改めて思い描くことができました。ターミナルが第3まであるのに、終点は第3ではなく第2なんですね。
 小野寺さんの作品には別の作品の登場人物が顔を出しますが、今回もドラマのシナリオライターの小倉直丈は「ナオタの星」(ポプラ文庫)の主人公で、その姉の小説家の小倉琴絵は「夫婦集」(講談社)にも登場していました。水村波衣の章に登場する波衣の大学時代の卓球同好会の先輩でタクシードライバーになった高間夏子は「タクジョ!」(実業之日本社)の主人公ですね。 
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