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小川洋子の本棚

  1. 博士の愛した数式
  2. ブラフマンの埋葬
  3. ミーナの行進
  4. 人質の朗読会

博士の愛した数式 新潮社
 交通事故で脳に損傷を受け80分間しか記憶がもたない数学者と家政婦の私、そして私の息子のルート(博士に名付けられた)との3人の関係が淡々と描かれます。
 「メメント」という映画がありましたが、これも主人公が前向性健忘症という記憶障害に陥り、ポラロイドで写真をとって、それにメモを残したり、自分の体に入れ墨をしたりして起こったことを忘れないようにしていましたが、この作品の博士も服のあちこちにメモを書いたクリップを止めています。
 物語の中にいろいろ数学の話が出てきますが、学生時代数学が不得意だった僕にも分かるように書かれています。友愛数とか完全数とか初めて知った言葉ですが、おもしろく理解できます。
それにしても、自分の記憶が80分しかもたないなんて、それを自分自身が分かったらとても悲しいことです。いくら素晴らしい時間を持っても、80分経つとすっかり忘れてしまうのです。3人の関係もいくら近づいても、翌日になるとまた一からのやり直しです。とても悲しい、そしてとても素敵な物語でした。数学の嫌いな人にもお勧めの一冊です。
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ブラフマンの埋葬 講談社
 前作の「博士の愛した数式」がとても素敵な本だったので、期待をもって購入しました。
 物語は郊外にある芸術家たちが集まる「創作者の家」が舞台、主人公はその家の管理人です。ある朝、主人公は勝手口の扉に鼻先をこすりつけていた傷ついた小動物を見つけます。碑文彫刻家が刻んでいた文字からブラフマンと名付けられた小動物と主人公との生活を、主人公が好意を寄せているらしい雑貨屋の娘、碑文彫刻家、レース編み作家等との交流を交えながら淡々と描いていきます。題名からわかるように、ブラフマンはあっけない最後を迎えるのですが、作者はこの作品で何を書きたかったのでしょうか。広辞苑によると「ブラフマン」とはインドのバラモン教における最高原理ということですが・・・。
 正直のところ、「博士の愛した数式」の感動に比べれば今一つという気はします。

 ブラフマンが何かは、作者は最後まで固有名詞を出していません。最初は犬かと思ってしまったのですが、水かきがあり、机の脚を囓ってしまうということからすれば、やはり○○なのでしょうね。
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ミーナの行進 中央公論新社
 物語の舞台は1972年。小学校卒業と同時に芦屋の伯母の家に預けられた朋子は従妹のミーナを始めとする伯母の家族、使用人に歓迎され、彼らとの素敵な思い出を育んでいきます。
 題名の“ミーナの行進”とは何かと思ったら、ミーナが体が丈夫でないためにコビトカバの背中に乗って登下校することを言っているんですね。その堂々とした様子が見たこともないのに目に浮かびます。それにしても“コビトカバ”ですよ。コビトカバの背中に乗るなんて発想はちょっと出てこないですよね。小川さんの発想にはびっくりさせられます。
 何か大きな事件が起きるわけではありません。朋子とミーナ、伯母夫婦、そして伯父の母親であるドイツ人のローザおばあさんたちとの交流が淡々と描かれていきます。ミュンヘンオリンピックの開催された年に男子バレーボールチームの選手に憧れ、年上の男性に恋心を抱くなど、その年頃の女の子であったなら誰もが経験するようなことがあるだけです。
 物語は芦屋の洋館の中でのことがほとんどです。伯父は飲料水会社の社長ですからミーナの家族は何不自由がない生活を送っており、その時代の一般の人々の生活を感じさせるものはありません(そのせいでしょうか、物語の中はゆったりとした時間が流れていると感じさせる作品です。)。同じ時代を同じくらいの年齢で過ごした僕として共有できる思い出は朋子とミーナが熱心に見ていたテレビマンガ「ミュンヘンへの道」とジャコビニ彗星のことぐらいです(「ミュンヘンへの道」は僕も夢中になって毎週見ていました(^^;)。だからこの物語を読んで過去への郷愁というものを感じたわけでもありません。でも不思議と読んでいてホッとしてしまう物語なんですよね。どうしてなんでしょうか。
 マッチ箱の絵からミーナが紡ぎ出す物語は素敵でしたし、ところどころで挿入されている寺田順三さんによるノスタルジックな挿絵も見事に物語の雰囲気にマッチしていました。
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人質の朗読会 中央公論新社
 読む前に考えていたものとはまったく異なる展開でした。
 反政府ゲリラによって人質となった日本人旅行者が人質となっている間、それぞれ語り合った物語によって構成されているということでしたが、まさか、話の始めで人質が死亡してしまうことが明らかにされるとは・・・。みんなの語りが終わった後に何らかの形で(例えば話を聞いていたゲリラが仲間を裏切って彼らを逃がすとかして)無事助かるということであればハッピーエンドでよかったのですが。意外でした。
 通常こういう連作集のような構成の作品は、ラストの話がそこまでのすべての話を関連づけるというのが常套なのですが、この作品では、それぞれの人質たちの口から語られる物語には関連性はなく、外国での人質下での話ということにも何ら関係はありません(ラストの話だけは、人質の話を盗聴器で聞いていた政府軍の兵士が触発されて語ったものなので、事件に関係があるといえば言えます。)。
 外国での人質という非日常の状況下であったが故にか、語られる話はみな普通とはちょっと変わった話ですが、どうしてこれらの話が人質という状況の中で語られなければならなかったのか、僕にはその必然性がよくわかりませんでした。
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