屋上のウインドノーツ ☆ | 文藝春秋 |
第22回松本清張受賞作です。二人の高校生を主人公に彼らが吹奏楽の東日本大会出場を目指す姿を描いていきます。 給前志音は人との関わりが苦手な引っ込み思案の女の子。彼女は幼い頃から唯一の友人といえる青山瑠璃によってどうにか人間関係の輪の中に入って生きてきた。そんな志音だったが、高校入学にあたって、瑠璃の保護の下から離れることを決意し、瑠璃と同じ私立高校に進まずに、行方一高へ入学する。一方、行方一高3年の日向寺大志は、吹奏楽部の部長となったが、彼の心の中には中学時代の吹奏楽部でのある失敗の過去が重く傷となって残っていた。ある日、校舎の屋上でドラムスティックを振っていた志音を見た大志は、彼女を吹奏楽部へと誘う。彼らが目指すのは東日本大会・・・。 何でもできる友人の庇護のもとにいることは、引っ込み思案の志音にとってみれば、すごく楽だったかもしれません。しかし、反面それではいつまでたっても自分を成長させることができません。それに、周囲の人から瑠璃の金魚の糞と思われているのも辛いだけです。彼女が大志の誘いに、「変わることができるかも」と思って吹奏楽部に入った気持ちはよくわかります。 中盤からは高い目標に向かって困難を乗り越え、みんなで力を合わせて進んでいくという、文化系部活ですが体育系部活の話と変わるところはありません。夏でいえば、甲子園を目指す高校球児と同じですね。 一歩一歩少しずつですが前に進み出す志音の背中を押してあげたくなります。そして、あまりにいいやつすぎて誤解を招いてしまう大志にも声援を送りたくなります。 果たして彼らは地区大会、県大会を勝ち進んで東日本大会に参加することができるのか。終盤はちょっと駆け足過ぎた嫌いがないではありませんが、単純に頂点に上ってハッピーエンドでないところが、良かったです。オススメです。 |
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ヒトリコ ☆ | 小学館 |
第16回小学館文庫小説賞受賞作です。 小学校5年生の時、教室で飼育していた金魚が死ぬという事件がきっかけで、いじめに遭い、誰にも相手にされない、誰とも関わろうとしない子、“ヒトリコ”として生きる決心をした日都子。彼女が関わりを持つのは、ピアノ教室の先生であるキューばあちゃんだけ。そんな彼女が高校生になったとき、同じクラスに彼女が“ヒトリコ”になる原因となった金魚を教室に持ってきた少年、海老澤冬希がいるのに気づく。彼は自分が教室で飼い始めた金魚の死が日都子が変わる原因となったことを知り、日都子に関わろうとする・・・。 日都子はある意味強い子です。自分から周囲の人と関わらない“ヒトリコ”でいることを選択するのですから。親友だったと思っていた嘉穂に裏切られたのは、普通の女の子だったらとても耐えられないでしょう。ただ、“ヒトリコ”でいることは、相当な強い気持ちを持ち続けなくてはなりません。日都子も本当は辛かったでしょうし、冬希の登場は彼女の頑なな心を解きほぐすいいきっかけだったのでしょう。 モンスターペアレントである母親の行動に幼い頃から悩まされる冬希、小学生の頃からある事実を隠していることに苦しむ明仁、小学生の頃に常に日都子に指示されることを嫌い、彼女を陥れることとなった嘉穂。日都子だけではなく、誰もが自分の行動に傷つき、悩みながら、そこから成長していく様子が丁寧に描かれていきます。オススメです。 それにしても、これはひどい担任です。聖人君子ではないのだから、自分の感情を抑えられないこともままあるでしょう。でも、私生活での感情をそのまま学校に持ち込んで、生徒に欝憤をぶつけるなんて最低の教師ですね。 作中で“怪獣のバラード”という合唱曲が登場します。僕にとってはこの歌は中・高校生のときにNHKで放映していた「ステージ101」という番組の中で“ヤング1 0 1”が歌っていたもの。懐かしさでいっぱいです。 |
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タスキメシ | 小学館 |
箱根駅伝を応援するのが毎年正月の楽しみです。今年の正月も、2日、3日はテレビの前で箱根駅伝で地元の大学を応援していました。物語は冒頭、箱根駅伝のシーンから始まります。それもエース区間といわれる2区です。 箱根駅伝を描いた作品では、映画化や舞台化もされた三浦しをんさんの「風が強く吹いている」が印象深く記憶に残っているのですが、さて、デビュー作として書いた二つの作品が松本清張賞と小学館文庫小説賞を受賞した額賀さんが受賞後第1作として書いた箱根駅伝はどうかと大いに期待したのですが・・・。そうではありませんでした。箱根駅伝のシーンはほんのわずか。物語の中心となるのは主人公たちの高校時代であり、兄弟の話です。また、単に駅伝だけの話ではありません。題名が「タスキメシ」とあるように、“襷”だけでなく、“めし”の話でもあります。箱根駅伝の話と思って読むと期待外れとなります。 兄弟で陸上部に所属し、高校駅伝の全国大会を目指す2人の男子を中心に他の陸上部員や調理実習部の女子高生なども登場し、物語が進んでいきます。 陸上の長距離選手として将来を期待されていた眞家早馬は、右膝の剥離骨折という大けがを負いリハビリ中だったが、担任の手伝いをする中で、調理実習部の井坂都と出会い、彼女から料理を習うようになる。同じ陸上部員の弟・春馬や陸上部部長の助川は早馬が陸上競技に戻ってくることを待っていたが、早馬は都と調理に没頭する・・・。 兄という立場は辛いですね。今までは兄として常に春馬に弱い部分を見せなかった早馬が、自分の本当の気持ちを都にさらけ出すシーンに、兄貴そんなに無理するなと言ってあげたくなりました。早馬はあまりに優しすぎます。彼の最終的な決断もどうなのかなあと思いましたが、こういう決断をする人も現実にいるのですね。今年の箱根駅伝で、家庭の事情で大学進学できず、就職してお金を貯めて大学に入り直して箱根を目指した選手が、ある場面でクローズアップされていましたが、この物語でも同じ場面が重要なシーンとして登場します。 |
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さよならクリームソーダ | 文藝春秋 |
寺脇友親は美術大学への入学が決まり、大学近くのアパート「旭学生寮」に入居する。そこで、友親は才能豊かな同じ学科の先輩・柚木若菜と知り合い、大学生活が始まっていく・・・。 友親に若菜の生活ぶりを報告して欲しいと頼むストーカーまがいの女子大生の出現や、内縁関係の長かった母親の再婚に賛成しながらも心の中にわだかまりのある友親の家族ヘの関わりを描くとともに、若菜の高校時代のエピソードを挿入しながらストーリーは進んでいきます。 ひとことでいえば、人生に悩む若者を描く“青春もの”です。しかし、単に“青春”という時代の中で、もがき苦しむ主人公を描く作品ではありません。特に友親が悩むのは家族の問題です。母親が再婚した友親と、父親が再婚した若菜を登場させ、母親の幸せのために新しい家族の中でうまく振る舞おうとする友親と、対照的に、新しい家族を嫌悪しないまでも馴染めず、そこから出てきた若菜、更には双方の再婚相手の連れ子で新しい家族となった女性たちを描くことで、家族のあり方というものを問いかけていきます(涼子という友親の姉となった女性のキャラは強烈です)。それぞれ他人同士だったものが家族になるのですから、涼子にしろ、友親にしろ、新しい家族に対する対応はどちらもありでしょうと言わざるを得ません。まあ、僕自身はきっと友親のように波風立たせない方を選ぶでしょうけど。 謎めいた若菜の生活が明らかになってくることで、彼の背中に残された傷だけではない、心の中に残った傷跡が浮かび上がってきます。家族の問題に留まらないものを抱える若菜という人物を語るエピソードですが、ちょっとこの辺りは、ライトノベル的なエピソードかなという感じです。 読みやすくて、飽きることなくサクサクと読み進めることができました。今後も目が離せない作家さんのひとりです。 |
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君はレフティ | 小学館 |
夏休みのある日、高校2年生の古谷野真樹は自転車に乗っていて車に追突され、橋の欄干から湖に落下。命は助かったものの、頭を打ったことが原因で記憶喪失(全生活史健忘)になってしまう。夏休みが終わり、友人の顔も名前も忘れてしまった古谷野をクラスメートは温かく迎える。学校が学園祭の準備に慌ただしさを増す中、体育館の壁にイタズラ書きされた「7.6」という数字を見た古谷野は、その数字をどこかで見たことかあると感じる。更には古谷野のクラスの学級日誌や教室の黒板にも同じ「7.6」が書かれたことから、古谷野は自分に誰かがメッセージを送っているのではないかと考えるが・・・。 「7.6」とは何かを中心に、古谷野と同じ写真部の母子家庭である生駒桂佑の家の秘密や、やはり同じ写真部の春日まどかが中学卒業を前に失踪した事件の謎を絡めながら、失った記憶の中に何か忘れてはいけないものがあったのではないかと、古谷野が真実を見つけていくまでを描いていきます。 主人公とその親友と同級生の女の子の3人の物語といえば、男の子が二人とも同じ女の子を好きになり、でも女の子が好きなのは主人公で、その親友は心で泣きながらも二人を結びつけるために奮闘するといった、よくあるパターンのストーリーを想像しますが、この作品はそんなストレートなストーリーではなく、“今”を反映しているちょっと捻りの効いた物語です。「レフティ」という題名があんなことを示唆しているとは想像もできませんでした。 高校生の青春物語として自分の高校時代も思い出しながら読んでいましたが、僕としては、クラス委員としててきぱき仕事をこなし、自分の心にも素直な前園さんに惹かれてしまいます。 |
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ウズタマ | 小学館 |
松宮周作は、父に大学時代の先輩女性との結婚を報告した際、父から周作名義の預金通帳を手渡される。そこには何年にもわたって振込がなされた少なくない金が入っていたが、父に振込をしている人が誰かを尋ねる前に、父は脳梗塞で昏睡状態となってしまう。誰なのかを知りたいと調べ始めた周作は、自分の母親が被害者となった過去の傷害致死事件を知ることとなる・・・。 幼い頃に母を亡くし、唯一の父親が昏睡状態の中で、他に身寄りもなく孤独感を抱く周作。また、シングルマザーである先輩女性との結婚に際し彼女の連れ子を自分の子として愛することができるのかと思い悩む周作。更には養護施設で育ち、家族を求め続けていたこの作品の重要な登場人物。最初は、母親の事件の真相を明らかにしていくミステリーだと思って読んでいたのですが、確かに事件の裏には隠された事実があったものの、事件の解明よりも、この作品は周作らを通して“家族とは何か”ということを描くことが主であることがわかります。家族の存在が当たり前の僕からしてみれば、周作らの孤独感を理解するということは難しいのですが、この賑やかさがなくなって独りになったらと思うと、その寂しさを少しは想像できそうな気がします。 傷害致死事件の真相については、早い段階で想像がついてしまうので、ミステリーとしての面白さはないのですが、明らかにされた真実は本当に切ないものでした。「なんでもけん」のくだりは胸がジーンと熱くなります。 「ウズタマ」とは奇妙な題名だなと思ったら、これは表紙カバー絵にあるラーメンの上に乗っている「ウズラのたまご」のことでした。 |
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完パケ! | 講談社 |
題名の「完パケ」とは「完全パッケージ」のことで、収録した映像やコンテンツをバラの状態ではなく完全に編集し放送できる状態にしたものをいうそうです。 物語は映像専門の単科大学、武蔵映像大学に入学し将来映画監督を目指す安原と北川が、卒業制作の映画を力を合わせて完成させていく様子を描いていきます。 幼い頃から母との二人暮らしで、その母が余命幾ばくもない安原と、家族に恵まれ経済的にも裕福な北川。口ではうまく相手に自分の気持ちを伝えることができない安原と、説得力抜群の話術を持つ北川という対照的な二人の交互の話リで物語は進んでいきます。 卒業制作映画の監督を決めるコンペで安原に敗れて監督をすることができなくなった北川は、安原の頼みでプロデューサーを務めることとなる。主役を務めるアクの強い若手役者の羽田野、全くの素人だが安原が相手役は彼女だと惚れ込んだ入田、そんな二人に対し決して妥協を見せない安原といったメンバーの中、撮影は始まるが、彼らの前に様々な問題が生じてくる・・・。 様々な困難を乗り越えて、最初は馴染もうとしなかった人物も皆と一緒になって頑張って成果を出すという、ストレートな青春小説のパターンでした。 ただ、青春小説としては楽しめたものの、物足りなかったのは、地元の国立大学に通いながら中退し、母を置いて東京に出てきてまで映画監督を目指す安原に対する「どうして、そこまで?」という問への安原の強い思いがこのページの中ではうかがうことができなかったこと。また、相手に自分の気持ちをうまく伝えることができない安原が、演出がきちんとできるのかなという気もしました。そこは北川がカバーすることによって、安原の考える映像が具体化できるのでしょうけど。 |
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風に恋う | 文藝春秋 |
千間学院高校に入学した茶園基は中学校では吹奏楽部に打ち込んでいたが、全力を尽くしても全国コンクールに出場できなかったことから、隣に住む幼馴染で2年先輩の千間学院高校吹奏楽部部長、鳴神玲於奈からの入部の勧誘も断り、帰宅部になることに決めていた。千間学院高校吹奏楽部は7年前には全国コンクール連続金賞にも輝いた歴史のある吹奏楽部だったが、今では県大会突破も難しいレベルにまで落ち込んでいた。しかし、そんな吹奏楽部に、黄金時代の部長だった不破瑛太郎がコーチとして戻ってくることになり、基は決心を翻して吹奏楽部に入ることとする。なぜなら、不破こそが基が吹奏楽をやるきっかけとなった人物だったからであった。コーチとなった不破はまず初めに、部長を玲於奈から基に交代させる・・・ 1年生を部長にするなんて、箱根駅伝の出場を逃した中央大学の新任監督が実際に1年生を部長に指名したことがあったなあと思って読んでいましたが、謝辞の中にこの中央大学の1年生部長の名前が載っていましたから、作者はやっぱり、このことを知ってモデルにしていたんですね。でも、中央大学の1年生部長の結果はどうなったんでしょう・・・。部長という職はやはりリーダーシップがなければダメだと思いますが、上級生がいて、ましてや部長であった上級生がいる中で、たとえ、実力があり、吹奏楽に打ち込む姿が真摯だったとしても、ただそれだけでは、組織を率いて行けるとは思えません。まあ、それはそれとして、1年生に部長職を奪われた上級生が果たして基に対してどう対応するのかなど物語としては面白い展開となっていきます。 全国コンクールを目指す吹奏楽部を描いたものとしては、初野晴さんの“ハルチカ”シリーズがありますが、あちらはミステリなので謎解きがストーリーの中心ですが、こちらは吹奏楽部の甲子園ともいうべき全国コンクールを目指す高校生たちのコテコテの青春ストーリーです。果たして、彼らは全国コンクールに行くことができるのか。県大会から関東大会、全国大会と、それぞれクライマックスがあり、それぞれドキドキしながら読み進んでいきました。こういう作品を読むと、楽器ができれば良かったなあといつも思います。夢中になれるって本当に羨ましいですね。ラストの落としどころとしては、まあ、あんなところでしょうか。 |
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イシイカナコが笑うなら ☆ | 角川書店 |
母校の高校に赴任してきた教師10年目の菅野。始業式前から引き籠りの生徒の家に通って、通学を実現させたりして、生徒からは慕われ、同僚からも有能教師と認められていた。ある日の放課後、生徒から菅野のクラスメートでセンター試験直後に飛び降り自殺した石井可奈子の幽霊が出るという話を聞いた菅野は、当時の教室にやってくる。その時、窓の外を落ちていく可奈子の姿を見た菅野は手を伸ばすが届かず、自分も落ちてしまう・・・。気づくと、そこは授業中の教室で、目の先には自分自身の高校生の姿があった・・・。 幽霊のイシイカナコによって、17歳の時代にタイムスリップしただけでなく、他人の身体の中に意識が入ってしまった菅野。現在の時間軸では菅野は2018年に転落死することになっており、その未来を変えるために人生をやり直すしかないとイシイカナコから言われた菅野が、他人の身体で生きながら、人生のやり直しをしようとする姿をユーモアを交えながら描いていきます。 “幽霊”に“タイムスリップ”という個人的に大好きな二つの要素が入った物語です。そのうえ、他人の身体の中に自分の意識が入ってしまうというこれまた好みの設定です。クラスメートの女生徒の身体に入ってしまって狼狽えるのは「転校生」のようですね。性のことしか頭の中にない年齢の若い男性が、いつも夢想している女性の身体になってしまうのですから、これはちょっと冷静でいられないですよねえ。 とにかく、なかなか自分の身体に戻ることができなくて、他人の身体に入って、第三者の立場で自分自身を見るというのは、僕自身に置き換えてみても、かなり恥ずかしいです。物語は、イシイカナコの自殺を止めようと孤軍奮闘する菅野を描きながら、自分自身を外から見ることで、現在、“いい先生”を演じている自分を見つめ直すという菅野の成長物語になっています。 ※表紙カバー絵はちょっとおじさんが図書館で借りるには躊躇しますねえ。どうせならイシイカノコと同じポニーテールにすればいいのに。 |
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競歩王 ☆ | 光文社 |
(ちょっとネタバレ) 先月行われた世界陸上の50キロ競歩と20キロ競歩で日本人選手が金メダルを獲得しました。50キロと20キロを普通に歩くだけでも大変なのに、ドーハというとんでもなく暑い場所で(間違いなく、日本より暑いのでしょう。)、それも競歩という歩き方のルールのある中で完走するなんて、それだけでも凄いことです。というわけで、読んだのが額賀澪さんの「競歩王」です。 榛名忍は慶安大学文学部の3年生。高校3年時に出版社の新人賞を受賞し、「天才高校生作家誕生!」ともてはやされたものの、大学生となった今、思うような結果を残せずにいた。そんなある日、忍は担当編集者から、次作は東京オリンピックに向けてスポーツ小説はどうかと勧められ、その日の昼間、学内のテレビで流れるリオ五輪ハイライト番組の競歩のシーンを見て号泣していた男の姿が印象に残っていたことから、「競歩」と思わず言ってしまう。仕方なく同じ大学の陸上部に見学に行くが、競歩選手は2年生の八千代篤彦一人のみ。気乗りしないまま、忍は八千代の競歩を見るようになるが・・・。 大学生になってから書くことが楽しくなくなってしまい、思ったとおりの小説が書けず、あがく榛名忍。箱根駅伝を目指し大学陸上部に入ったが、自分以上の才能のある選手が多くいることに気づいて箱根駅伝を断念し、競歩に鞍替えした八千代篤彦。作家と陸上選手という接点のない二人の悩む若者が、お互いに刺激を受けながら目標に向かって進んでいく様子が描かれていきます。この二人に加え、彼らの間で動き回る新聞部の福本愛理のキャラが素敵で、強い印象を残します。 テレビでマラソンの中継を食い入って見ていると、妻から、ただ走るのを見て楽しいのかと言われますが、今回取り上げられた競歩は折り返しはあるものの景色の違うコースを走るマラソンと違って、同じ周回コースを何十回も、あの通常の歩き方とは違うフォームで早歩きをするだけなので、マラソン以上に「見ていて楽しいの?」と言われそうな競技ですが、そんなちょっと退屈になってしまいそうな「競歩」を題材に、ここまで読ませる額賀さんの筆力は凄いです。八千代の今後を決定するレースは、読んでいて感動してしまいます。 現在、来年の東京オリンピックの競歩のコースが(マラソンも)東京から札幌へ変更されるという話題で持ちきりですが、ラストシーンが違ってきてしまいますね。 |
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タスキメシ 箱根 | 小学館 |
「タスキメシ」の続編です。今回は題名に“箱根”が入っているように、箱根駅伝がメインのストーリーになっています。 千波千早がキャプテンを務める国立大学・紫峰大学駅伝部に病院を辞め大学院に入学した眞家早馬が栄養管理兼コーチアシスタントとしてやってくる。早馬を避けるキャプテンの千早をはじめ、様々な部員がいる中で、一度も箱根駅伝に出場したことのない弱小チームが果たして箱根駅伝出場の夢を果たすことができるのか・・・。 前作の主人公、眞家早馬が今度は箱根駅伝を目指す弱小チームの栄養管理兼アシスタントコーチとして選手と関わっていきます。怪我のため、箱根駅伝を始め数々の大会に出場できないという挫折を経験した眞家が、箱根駅伝を走ることの意味を千早たちに伝えていくことにより、最初は強豪選手たちに負けても仕方ないと悔しさも表せなかった弱小チームの選手たちが、力を合わせ箱根出場を目指し、そして箱根を走るまでを描く感動ストーリーです。 早馬の印象的な言葉がありました。「努力は裏切る。ここぞってところで裏切る。裏切られたお前は、ここからどうする。裏切られた自分を、お前は愛せるか。」誰もが努力はいつかは報われると思います。でも、努力が報われないことは多いというのが現実です。特にスポーツは、努力以前の才能もあり、努力が必ず報われるとは限りません。そんなとき、努力してきた自分をどう思うのかという含蓄のある言葉です。挫折しながら、こうして生きてきている早馬なりの言葉ですね。グッときます。 正月の風物詩としてすっかり定着した箱根駅伝ですが、今までずっと応援していた山梨学院大学が10月に行われた予選会で17位と惨敗し、33年連続で出場していた箱根駅伝の出場を逃したので、来年の正月はあまり熱意が入りません。一方、この作品の紫峰大学と同じ国立大学の筑波大学が26年ぶりの出場を果たしました。額賀さんはなんとこの筑波大学をモデルにこの作品を描いたようです。筑波山の別名「紫峰」から「紫峰大学」と名付けたとのこと。その筑波大学が出場を果たすとは、なんてグッドタイミングなんでしょう。 逆に、東京オリンピックのマラソンのシーンで終わりますが、残念ながら、コースは東京でなくなってしまいましたね。ラスト、早馬が声援を送った選手はいったい誰だったのでしょうか。自分の弟だったのか、あるいは高校の同級生の助川なのか、それとも大学の同級生の藤宮なのか。気になります。 |
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できない男 ☆ | 集英社 |
芳野荘介は地方の広告制作会社でデザイナーとして働く28歳のアラサー男。今まで恋人ができたこともなく、満足な仕事もしたことのない人生を送っていた。そんな荘介に転機が訪れる。地元の町と食品会社がコラボして農業のテーマパークを作ることとなり、そのプランディングのコンペに荘介の会社にも声がかかる。食品会社の担当が高校時代の憧れの女性であったことから、荘介は頑張るが、プレゼンには超一流クリエイターの南波仁志が現れ、結果は南波の会社「OFFICE NUMBER」が指名される。落胆した荘介だったが、「OFFICE NUMBER」が立ち上げるプランディングチームに地元のデザイナーとして荘介の参加が求められる・・・。 物語は、今まで恋人もできず、学生の頃も影が薄い存在として青春時代を謳歌することもなく、現在も満足な仕事もできない、「できない男」の荘介と、南波の右腕であり、多忙な南波に代わってプランディングチームの責任者を務めることとなった、芳野とはまったく逆の、有能であり、女性にももてるが、結婚や独立などその先の人生へ踏み出す「覚悟ができない男」である河合裕紀の二人を主人公にして進んでいきます。 最初は本当に冴えない男であった荘介が、やがて河合らと関わることにより、しだいにやる気のある男へと変わっていくところが、同じような平凡な僕たちに希望を持たせます。ラストは映画の「卒業」(ちょっと設定が違いますが)を彷彿させるシーンまで見せてくれます(ただ、ここは、ある女性には荘介はひどいことをしたと言わざるを得ません。)。 一方の河合は、荘介のような男から見れば、彼の悩みは「そこまで才能やキャラに恵まれているのに、何を贅沢言っているんだ!」と言いたくはなりますが、これが意外に気持ちがいい男。二股ならぬ三股までかけられる男だなんて笑ってしまいます。こんなキャラであるからこそ、河合が荘介と絡むことに嫌味がなく、非常にとっつきやすいストーリーとなっています。 二人のほかにも、河合の上司の南波や河合の同僚である竹内春希など魅力的なキャラが登場し、楽しく読ませてもらいました。 |
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沖晴くんの涙を殺して | 双葉社 |
がんを患い余命宣告を受け教師を辞め故郷へ帰ってきた踊場京香は、ひょんなことから志津川沖晴という男子高校生と出会う。恩師に会いに行った京香は、沖晴が転校生で転入試験は満点、運動神経も抜群であることを知る。彼は京香の家の近所に一人で住み、京香の祖母がやっている喫茶店に朝食を食べに来ていた。いつも笑みを絶やさない沖晴は京香に9年前の地震の大津波で流されたときに、死神に命の代わりに悲しみ、怒り、嫌悪、怖れの感情を差し出して助かったと告白する。残された感情は喜びだけ。更に感情を失う代わりに、瞬間記憶能力、治癒能力、死が間近の人が分かる能力、運動能力を手に入れたという・・・。 9年前の津波となれば東日本大震災のことですが、いまだに避難所で生活する人もおり、心の中に家族の喪失などの大きな痛みを抱えている人も多いでしょう。沖晴自身も悪魔と取引して命は助かったものの、両親と母のお腹の中にいた弟か妹を亡くすという心の傷を負っています。 物語は冒頭、京香の葬儀のシーンから始まり、沖晴が京香と関わる中で失った感情をひとつづつ取り戻し、その代わりに得た特殊な能力を失っていく過程を描いていきます。その中で、余命いくばくもない京香に助けられながら、そして京香が亡くなってからは京香の元恋人である冬馬や同級生の野間に支えられながら、沖晴が次第に生きるということに意味を見出していくというストーリーとなっています。 悪魔との取引というファンタジックな設定で始まりますが、物語の表面には悪魔は登場してきませんでした。 |
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転職の魔王様 | PHP研究所 |
羊谷千晴は大学卒業後誰もが羨む大手広告代理店に就職したが、休みも満足に取得できないブラック企業の上に、上司のパワハラで心身とも病んで休職し、結局は退職。休んでどうにか立ち直ってきた千晴は、何とか早く再就職したいと、伯母が経営する人材紹介会社「シェパード・キャリア」に転職活動をサポートしてもらうこととする。千晴を担当するCA(キャリア・アドバイザー)は“転職の魔王様”とあだ名される来栖嵐。千晴の思いは来栖の容赦ない物言いによって散々に打ち砕かれる・・・。 物語は、叔母の発案で「シェパード・キャリア」に1年間試用採用されることになった千晴が、来栖のもとでCAとして転職者の活動をサポートしていく姿が描かれていきます。その過程で、来栖が若くして杖が必要な理由や「シェパード・キャリア」でCAをしている理由が描かれていくという体裁になっています。 来栖は相談者に対して、「経験のない業種に転職するのは25歳まで、35歳が転職限界年齢、女性の場合は30歳が転職限界年齢」と、その言動はともすればモラハラ、パワハラですが、相談者を怒らせるものの、相談者の望む転職は成功させるという凄腕の持主ゆえに“転職の魔王様”と呼ばれているようです。しかし、来栖の言うことはわかりますが、転職を考えているときはだいたい心弱っている時だと思うので、来栖のようなストレートな、あるいは嫌味な言い方は心にグサッと刺さりそうです。実際に来栖のようなCAに対応されては、転職活動の前途に明るいものは見えなくなってしまいそうです。 この物語でも描かれるように、同僚が転職したから自分もとか、自分がやりたいものもなくとにかく転職したいという理由では、転職できたとしても、転職先の仕事が嫌になってまた転職を考えるという悪循環になってしまうのでしょうね。特に、今のようなコロナ禍の転職はそれなりの思いがなければ難しいかもしれません。 |
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弊社は買収されました! | 実業之日本社 |
(ちょっとネタバレ) 外資系の企業が日本企業を買収することは、最近ではよくある話といっていいでしょう。いつの間にか企業の名前にカタカナが入ったり、経営陣のトップが外国人になっていたりします。この物語では会社経営を親から譲られたオーナー社長が持株を外資系企業に売ったため、社員たちは突然M&Aの波に飲み込まれることになります。 真柴忠臣は老舗石けんメーカーである「花森石鹸」に新卒で入社以来10年の総務部社員。ある日、突然「花森石鹸」は外資系トイレタリーメーカー「ブルーア」に買収されてしまう。物語は、無添加石鹸でほのかな香りを売りにする「花森石鹸」が香りの強さを売りにする「ブルーア」という相反する商品を製造するメーカーに買収されたことによるドタバタ騒ぎの中で奮闘する真柴ら社員の1年を描いていきます。 変化を好まず今までどおりでいたい社員(とりわけ年配の社員)や、逆に買収を機に古い体質が一掃されることを望む若手社員、更には自分たちが今の「花森石鹸」を作ってきたと自負し、外資を嫌悪するOBなど、買収騒ぎとなればきっと出てきそうな人々が登場してきます。そんな彼らの中で、真柴は従前どおりの自称“会社の何でも屋”の総務部員として、いがみ合う両社の社員らの間に立ち、何とか両社が融合できる道を探ろうとします。 現実に外資系企業が日本企業を買収すれば、当然メリットは享受して、デメリット部分は容赦なく切り捨てるでしょうから、この物語の中でも話題となる給与体系の変更や人員削減はこの物語ほど甘くはなく、もっと厳しく行われるでしょうね。物語の中でも語られたように、真柴の総務部なんて、人員削減では一番先に候補に上がり、容赦なく実行されるでしょう。 ただ、物語は、最初はいがみ合っていた両社の社員が次第に協力し合ったり、外資を毛嫌いしていたOBが知恵を出してくれたりと、読んでいて楽しいストーリーでいっき読みでした。 |
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モノクロの夏に帰る | 中央公論新社 |
2月にはロシアのウクライナ進攻が始まり、8月は77年前に広島と長崎に原爆が落ち、終戦の日もあることから、今一度戦争について考えるにはタイムリーな作品でした。 戦時中に撮られたモノクロの写真をカラー化した写真集「時をかける色彩」。物語はこの写真集をモチーフにして戦争と今の若者を描いていきます。 第一話の「君がホロコーストを知った日へ」は大型書店に勤める黒瀬飛鳥が主人公。冒頭「僕は昔、祖父の戦争体験を捏造したことがある」で始まるこの第一話は自分がゲイであることを家族にカミングアウトできないことを悩む黒瀬と戦時中のユダヤ人のホロコーストを自分たち同性愛者の迫害に重ね合わせてみる黒瀬の相手、藤原の思いを描きます。この第一話では黒瀬の祖父の戦争が語られますが、それ以上に同性愛ということで悩む黒瀬の気持ちの方が強調されていた気がします。 第二話の「戦略的保健室登校同盟」は教室で授業を受けたり休み時間に友だちとコミュニケーションを取ったりするのは効率的でないと自ら保健室に登校している松山の中学生、喜多村紫帆が主人公。そんな紫帆がクラスに馴染めず保健室登校をすることになった一色松葉とともに書店で見つけた「時をかける色彩」を元に松山市に戦時中の様子を調べる自由研究をします。ここでは、母と離婚した父親への紫帆の思いも描かれていきます。 第三話の「平和教育の落ちこぼれ」は番組制作会社に勤める青柳守美が主人公。終戦記念日特番のネタ探しに広島出身というということで上司から期待される中、行きつけの書店の店員・黒瀬から「時をかける色彩」を勧められます。ここでは、原爆が落とされた広島なりの子どもたちへの平和教育のことが語られますが、守美は自分自身がただ広島で生まれただけでそれ以上のものを受け取らなかったことを思い、広島と戦争のことにもう一度きちんと対峙していきます。 第四話の「Remenber」は父の仕事の都合でアメリカからやってきた日本人の母を持つレオ・ブラウンが主人公。母の助言で「陽気で人当たりのいい、日本が好きでちょっとお馬鹿なアメリカ人と日本人のミックス」でいようと決めていたレオが、クラス委員長の灰谷美咲から文化祭の企画のきっかけとなった「時をかける色彩」を渡されたことから、やがて変わっていく様子が描かれていきます。アメリカにはアメリカの歴史観があるし、一方的に日本の歴史観を押し付けるわけにはいかないでしょう。日本人としては原爆投下は非人道的な行為だと思いますが、アメリカとしてはそれをアメリカに決意させたのは日本の責任だと認識する人が多いかもしれませんし、戦争の善悪を判断するのは難しいです。 |
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タスキメシ 五輪 | 小学館 |
「タスキメシ」「タスキメシ 箱根」に続く第3弾です。 前半の「1、祈る者」はオリンピックが舞台となります。といっても、語られるのはマラソンなどの競技ではなく、選手村の食堂です。登場するのは井坂都。和食料理店に就職したもののコロナ禍で店は閉店が決まり、都は食堂のスタッフのアルバイトに応募し採用されます。その食堂を運営する受託会社である鶴亀食品の食堂運営部門に配属されていたのが紫峰大学出身の仙波千早。物語はオリンピック期間中に食堂で起きる様々な問題の解決に駿東する都と千早を描いていきます。実際のオリンピックで、選手村の食堂で、ある食品会社の餃子が大人気だったとか、ボランティアの女性がバスを乗り間違えた選手に競技場まで行くタクシー代を渡したという話がありましたが、このことをモデルにしたエピソードも登場します。 後半の「2、選ぶ者」は東京オリンピック後を舞台に描かれます。登場するのは眞家春馬、藤宮統一郎。眞家はパリオリンピックを目標に世界陸上に出場し、東京オリンピックの金メダリストに立ち向かいますが、今の自分の実力を思い知らされます。一方、藤宮はこのところ怪我で思った走りができず、更に所属チームが解散することとなり、現役続行か引退か悩むことになります。 「1、祈る者」での都の奮闘ぶりは読んでいて楽しかったのですが、オリンピックの実際のエピソードをモデルにしただけのストーリーで、マラソンシーンのある「2、選ぶ者」も、読んでいてそれほどのワクワク感はなかったですね。 |
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青春をクビになって | 文藝春秋 |
“ポスドク"とは、大学院博士後期課程(ドクターコース)の修了後に就く、任期付きの研究職ポジションのことを指すそうです。ポスドクの瀬川朝彦は大学から現在の講師の任期は今年度限りと言われてしまう。他の大学の講師も5年目で終了が決まっており、3月以降は職がない状況となった。母校の教授に職を求めて相談に行った際出会った先輩の小柳はこのところ教授の好意で大学に住み着いているという噂があったが、突然大学の所有する古事記の歴史的資料を持ったまま行方不明になってしまう。瀬川は小柳の行方を気にしながらも大学時代からの友人でポスドクを辞めて起業した栗山侑介が経営する友達代行の人材派遣サービスでレンタルフレンドのアルバイトをしながら生活することとなるが・・・。 物語は、今後の生活をどうするか考えながら栗山の会社でアルバイトをする瀬川の話に、「間章」として、行方不明となった小柳がその途中で出会った人々の話が挟み込まれて進みます。 “ポスドク"の問題はテレビのドキュメンタリーでも取り上げられていましたが、大学での職が少なく、研究を続けたくても少ない収入と不安定な立場で厳しい生活を送っている”ポスドク“が多く存在するそうです。何年続けると常勤の職に雇用されるという保障もなく、逆に今は、有期雇用が5年続くと無期雇用への転換請求権が出てきてしまうので、大学側とすれば5年を迎える前に雇用を切ろうとするので、ポスドク側とすれば大変です。どこで区切りをつけるのかも難しい問題です。辞め時を間違えると、この作品の中の小柳と同様に、そこから抜け出せなくなってしまいますし、瀬川の決断も一つの考えです。 しかし、研究を続けたくても続けることができない状況では、日本の学問の世界の未来は明るくありませんね。 |
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タスキ彼方 | 小学館 |
ボストンマラソンに出場する神原に付き添っていた日東大学の監督・成竹一進はレース後、出場していたアメリカ選手から祖父が戦争中に戦場で拾ったという日本人の目記を託される。それは関東学連の役員だった世良貞勝のもので、世良らが戦時中に中止となった箱根駅伝の代替レースの青梅駅伝に尽力し、更に箱根駅伝の復活に奔走する様子が書かれていた。 物語は、過去と現在を行き来しながら箱根駅伝に関わる人々を描いていきます。現在のパートでは、日記を読んだ日東大学の駅伝監督の成竹と日東大学の選手でマラソンでオリンピック日本代表を目指し、箱根駅伝には興味を示さない神原が描かれます。あくまでノンフイクションという形を取っており、大学名も架空のものとなっていますが、第二次世界大戦中、軍部の指示で箱根駅伝が中止となり、東京と青梅を繋ぐ青梅駅伝が開催されたのは史実ですし、箱根駅伝も今度の正月開催が100回の記念大会となるのも事実なので、まるでパラレルワールドの出来事のようです。 やがて、過去と現在は思わぬ繋がりを見せていくのですが、箱根駅伝に興味を示さなかった神原がどうするのかも読みどころとなります。 来年1月2日、3日に開催される箱根駅伝には地元の大学も辛うじて最下位でしたが予選会を突破して出場するので、楽しみにテレビ観戦です。でも、なぜ、ただ走っているだけの選手を見ていられるのでしょうか。不思議ですよねえ。 |
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サリエリはクラスメイトを二度殺す | 双葉社 |
吉祥寺にある音楽大学の朝里学園大学では付属高校と合同で卒業時に成績優秀者による卒業演奏会が行われていた。4年前の発表会の際、高校卒業者の5人の出演者の一人だった恵利原柊が首席だった雪川織彦にナイフで襲い掛かって刺殺し、更にもう一人、加賀美希子にも重傷を負わせるという事件が起きていた。週刊誌はその事件を大学名と恵利原の名前と被害者の弾くはずだった曲名から、サリエリ事件と名付ける。それから4年が過ぎ、今年の卒業発表会の大学生の出演者に選ばれたのは、4年前の事件の際に高校生で出演していた桃園慧也、羽生ツバメ、藤戸安奈そして被害者の一人だった加賀美希子だった。逮捕された恵利原の供述では、家業のレストランの経営がうまくいかず、経済的に大学に進学できなくなったことから進学する雪川らへの嫉妬が事件の動機とされていた。週刊誌の記者。石神が桃園らを取材する中で、彼らは事件に決着をつけようと考えていくが、発表会の当日、第二の事件が起きる・・・。 事件の前の何気ない会話が事件を引き起こすきっかけになったのではないかとか、事件前に恵利原の悩みを知っていたのに手助けができなかったとか、彼からの告白を断らなければとか、事件以降、それぞれが自分なりのトラウマを抱えて生きてきた桃園らが、 さらに悲劇の渦中に陥るという何ともやるせない物語です。 恵利原が起こした事件に対し自分もある思いがある石神が事件の真の動機を探ることが新たな事件を引き起こします。ラスト、石神が「三度目なんて、ごめんなんだ」と言うのなら、なぜ、彼は真実を彼らに突き付けたのか。石神自身は真実を知ったのだから、桃園らに教える必要はなかったでしょうに。生き続ける者たちに、そうまでして真実を突き付けるのは「0三度目なんて、ごめんなんだ」という言葉とは矛盾しています。3度目の事件は石神が引き起こしたものと言わざるを得ません。 それにしても、恵利原にしろ、2度目の事件の犯人にしろ、そんなに簡単にプチっと切れて殺意を実行に移せるものなのか。私だったら実行後のことが頭をよぎって、実行することはできないですけどねえ。 |
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