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中野翠の本棚

  1. あのころ、早稲田で

あのころ、早稲田で  ☆  文藝春秋 
 コラムニストである中野翠さんが、早稲田大学在学中の頃を振り返った作品です。
 中野さんは1946年生まれですから、団塊の世代の人。彼女が大学生の頃は大学紛争が激しかった頃で、早稲田大学はもちろん、全共闘と機動隊が争った安田講堂事件で有名な東大紛争があったのもこの頃のことでした。僕らの大学時代は中野さんの頃と異なり、学生運動は下火で、学校内にタテ看板はあったものの、運動をしているのはほんの一部の学生だけ。中野さんのように高三のときに柴田翔さんの「されどわれらが日々」を読んで、大学に入ったら左翼サークル「社研(社会科学研究会)」に入ろうなんて思う學生は皆無だったといっていいかもしれません。僕自身、早稲田大学ではありませんが、大学入学直後の中庭で繰り広げられていたサークル勧誘合戦の中を歩いていても、「社会〇〇」という「社会」がついているだけで過激派かと思って、そのサークルのテーブルの前は避けて歩いていました。中野さんが「立派な左翼になりたくて」と思ったのとは大違いです。
 確かに、中野さんの大学時代の頃の学生運動の様子をテレビで見て、あの権力に立ち向かうエネルギーには凄いものがあるなあとちょっと憧れるところもありましたが、しょせん、僕らの世代は学生運動というバスに乗り遅れた世代であり、もう中野さんの世代の学生運動と同じようなことはする勇気もなかったでしょうけど。やっぱり、中野さんも書かれていたとおり、連合赤軍によるリンチ事件が学生運動が行き着いた先だと考えると、再び学生運動をという声は上がらないでしょうね。
 それにしても、中野さん、大学時代のことをよくこれだぇ覚えているものだと感心します。激動の時代だったという背景もアルのでしょうけど、僕自身はもうほとんど大学時代は忘却の彼方です。
 それに、早稲田大学は人材的にも凄いですね。中野さんの周囲にいた人が今ではいわゆる著名人になっていますが、僕の周囲にはそれほどの著名人はいません。久米宏さんや田中真紀子さんの名前も出てきましたが、彼らは大学時代からすでに目立つ人だったんですねぇ。 
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