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中村文則の本棚

  1. あなたが消えた夜に
  2. 去年の冬、きみと別れ
  3. 私の消滅
  4. R帝国
  5. その先の道に消える
  6. 逃亡者
  7. カード師

あなたが消えた夜に  毎日新聞出版 
 中村文則さんといえば、純文学の作家という印象が強いのですが、2014年版の「このミス」で「去年の冬。きみと別れ」が第15位にランクインしたこともあって、これまでも何度か読もうとしたことがあり、前作の「教団X」にも挑戦したのですが、序盤で投げ出してしまいました。今回は初めからミステリーと謳っていたので、ミステリーなら読めるだろうと再挑戦しました。
 物語は、連続通り魔事件を追う所轄の刑事・中島と警視庁捜査一課の刑事・小橋を中心に進んでいきます。“コートの男”と呼ばれた犯人による単なる通り魔事件と思われていた事件が、ネットでの拡散を通して模倣犯を呼んだりして複雑な様相を見せていきます。
 正直のところ甘く見ていました。ところが、非常に人間関係が複雑で「あれ、この人どういう関係?」と思って前のページを繰ることが何度もありました。その点では3部に分かれた各部の最初のページに、それまでの登場人物の関係が掲載されていたことは助かりましたが、僕みたいな読者がいるのを予想したのかも。もちろん、犯人があの人だとは思いも至らず。
 更に人間関係の複雑さにとどまらず、終盤に語られる犯人のモノローグは、神の概念も登場し、僕には到底理解し得ない思考が語られており、読むのに骨が折れました。この辺り、やはり純文学の作家さんらしいところです。
 犯人だけでなく、事件に関わった人たちの心の中が描かれます。誰もが心の中に闇を抱えており、捜査をする所轄の刑事・中島もその一人。少年の時のことを夢に見るシーンが出てきますが、その部分はもっと詳細に描いてもらいたかった気がします。
 非常に重い内容の中で、一服の清涼剤ともなるべきものが小橋の存在です。小説の中の女性刑事と言えば、姫川玲子やクロハなど、美人で男勝りで切れ者という印象があるのですが、小橋は美人というところは同じですが、その言動が少しズレている刑事というところが新鮮です。
 震える携帯電話のラストの1行がこの重い物語の中の救いとなっています。 
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去年の冬、きみと別れ  ☆  幻冬舎 
 二人の女性を焼き殺して死刑判決を受けた猟奇殺人犯の男についての本を書くために刑務所を訪ねたライターの“僕”。彼の周囲を調べる中で“僕”は異様な事件の中に飲み込まれていきます・・・。
 芥川賞作家の中村さんが描くミステリーです。冒頭の場面からは、映画の「羊たちの沈黙」のレクター博士とか、先頃読んだ櫛木理宇さんの「チェインドック」の榛村大和のようなサイコな犯人を描く作品かと思いましたが、見事に騙されました。確かにサイコな犯人でしたが、そうきたかという感じです。
 犯人がサイコなら登場人物もサイコな人ばかり。男を破滅させるという被告の姉とそんな彼女に惹かれるライターの“僕”。人が愛する者にそっくりの人形を作る人形師の男も普通ではありませんが、犯人に比べれれば小者と言っていいでしょう。
 おしゃれな恋愛ドラマ風の題名ですが、内容はドロドロとした雰囲気の異様さが溢れた作品です。幕間に挿入される「資料」と題された被告がやりとりする手紙の相手は誰なのかが読者をあっと言わせます。更にはネタバレになるので詳細は伏せますが、ラストの1行に書かれたことから、この作品は実は・・・ということが明らかになり、「え?どういうこと」と、ページを戻って再確認してしまいました。200ページ弱の分量なのでさくっと読めてしまいますが、芥川賞作家の書くミステリーを侮ることなかれです。 
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私の消滅 文藝春秋 
 この作品は冒頭、「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。」という印象的な一文で始まります。このあたり、中村さんはうまいですねえ。読者をいっきに物語の中に引き込みます。でも、引き込まれるのと理解できるのとは別物です。これまでに読んだ中村さんの作品も難解で、又吉直樹さんが絶賛していた今でも図書館の待機人数が多い「教団X」も途中で断念。あらすじだけを読むと非常に気になるストーリ-なのに、いざ、文章を読んでも頭の中ですっきりと構成できません。
 この作品は、自分なりに考えると、記憶をテーマに人間の意識の奥底まで入っていくという感じのストーリーです。簡単に言ってしまえば、これは復讐の話です。他人の精神を操って復讐をしようする者の物語です(詳細はネクバレになるので伏せます。)。そこからは、「私の消滅」という題名が表していたのは、こういうことかと納得できます。
 とはいえ、その“復讐”というのが複雑です。復讐のためにそんな複雑なことをす必要があるのか、相変わらず難しいこと言っているなあというのが偽らざる感想です。今回も結局読後はすっきりとはしませんでした。
 作中で、中村さんは登場人物に宮崎勤事件を語らせています。異常な幼女殺害事件として記憶に残っていますが、この作品は、主たるストーリーとは別に宮崎勤事件に対しての中村さんなりの解釈を描いたものと言っていいかもしれません。
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R帝国  ☆  中央公論新社 
 評判の「教団X」は、すぐに読むのを断念してしまいましたが、この作品は最後まで読み通すことができました。作者の中村さんはあとがきで、“現実の何を風刺しているかすぐわかるもの、何を風刺しているか一見わからないもの、風刺ではなく、根源を見ることで、文学として表現したものなど(中略)様々に物語の中に入っている”と述べていますが、P248の「官僚文学」と揶揄する法律は、“何を風刺しているかすぐわかるもの”であり、まさに先の国会で成立した「テロ等準備罪」の条文そのものです。
 このことからしても、近未来の架空の島国「R帝国」を舞台にしているものの、これはもう今の日本の現状を憂えて書かれたことがはっきりわかる作品になっています。R帝国であれば、絶対刊行できないし、書いた中村さんはいつの間にか消息不明になってしまうのでしょうけど。
 R帝国のコーマ市に住む会社員の矢崎と野党議員・片岡の秘書である栗原を主人公に物語は進んでいきます。ある朝目覚めると、矢崎は戦争が始まっていたことを知る。B国との開戦のはずだったが、コーマ市に現れたのはY宗国の部隊とロボット兵器だった。矢崎はY宗国の兵士に殺されそうになるが、なぜかY宗国の女性兵士・アルファに助けられ一緒に逃げることとなる。一方栗原は片岡の命で“L”という組織の一員だというサキに会い、彼女から羽蟻の写真を託される・・・。
 戦争の始まりがB国の核兵器発射準備に対しR帝国が空爆で阻止したことによるものということからして、まさしく今の日本と北朝鮮の状況が一歩まかり間違えばというケースに似ています。また、作中で言及される難民問題、ヘイトスピーチ、監視社会、ネットによる情報操作等々は、R帝国ほどではないにせよ今の日本にも当てはまることばかり。議会の議席の99‰を与党が握り、あと1%を与党が自らの国を民主主義の体制だと主張するために、野党に“譲渡”しているという状況は、さすがに日本の現状とは異なりますが、あらゆるところに国の意思が、わからないようにそっと入り込んでいて、国民が国によって踊らされているこの作品世界が、現実的ではない、絵空事だと簡単には笑い飛ばせない気がします。いつか同じ方向に向かうのではないかという恐れも・・・。
 体制側の加賀の「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ。」という言葉に対して、なかなか反論することはできないのも事実です。やはり、まずは身近な幸せに目がいってしまいます。
 体制側の圧倒的な力になすすべもなく潰されるという、救いようのないラストにむなしさを感じてしまいます。サキはどうなるのか、矢崎はあんな状態だし、未来に期待をしたいけれど、あまり希望を持てません。それにしても、この作品が朝日新聞ならわかるけど、読売新聞連載だというのはちょっと驚きです。 
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その先の道に消える  朝日新聞出版 
 アパートの一室で男の殺害死体が発見される。男は“緊縛師”。部屋の中からは桐田麻衣子という女性の名刺が発見されるが、その女性は捜査に当たった所轄の刑事・富樫が恋していた女性だった。彼は麻衣子から捜査の目をそらすため、麻衣子の指紋を偽装するなど、彼女を助けるために、次第に刑事として、してはならない深みにはまっていく。しかし、やがて事態は思わぬ方向へ転がっていく・・・。
 正直のところ、好みかどうか聞かれれば好みではないと答えてしまう作品です。とにかく、ミステリかと思えば、それほどの謎解きがあるわけでもありません。ネットで作品の紹介記事を読んだときは、愛する人が犯人かもしれないと思い、悩み苦しむ若き刑事の物語かと思ったのですが、それも違いました。第1部終了のときは「えっ!」と思ってしまいました。
 殺害された男が“緊縛師”という性的職業の男なので、作品は性的描写がかなりの部分を占めます。ちょっと読み進むのが辛いなあというシーンもそこかしこにあります。富樫にしろ、先輩刑事の葉山にしろ、刑事たちにも心の中に抱えるものがあり、特に富樫はその過去が罪を犯しても麻衣子を助けようとする要因になるのですが、そこまでに富樫に行動させてしまう麻衣子との関係の経過もよくわかりません。その上、神だとか天皇だとかということも語られているので、結局何を言いたいのかが個人的には理解できませんでした。これは読者をかなり選ぶ作品だと思います。 
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逃亡者  幻冬舎 
 冒頭、主人公であるジャーナリストの山峰健次がその後“B”と呼称される謎の男に発見される場面から物語は始まります。男が探していたのは、第2次世界大戦中に負け戦のはずだった日本軍のある作戦を成功に導いたとされ、「悪魔の楽器」「熱狂」と呼ばれたトランペット。トランペットを隠し持っていた山峰は逃走を図るが・・・。
 サスペンスフルに始まった物語は、山峰がトランペットを持つに至るまでに遡り、日本人を祖先に持つヴェトナム人留学生の女性との恋などを描きながら、謎の男たちからの逃走劇を描いていきます。
 やはり中村さんの作品は難しいです。前作同様、この作品でも「神」とか「天皇」のことが語られ、また過去作品でも中村さんがテーマにしていた新興宗教のことも登場します。更には江戸時代から続いたキリスト教への弾圧(明治初期にもキリスト教が弾圧されていたことはこの作品を読んで初めて知りました。)や、ヴェトナムの現代史、戦時中にトランペットの持主であった軍楽隊の兵士“鈴木”の人生などが挿入され、読み易くてどんどんページは繰ることができるのですが、多くの事柄が描かれ過ぎて、結局どういったことだったのか頭の中でなかなか(というよりほとんど)整理できません。
 個人的には、結局あのトランペットはいったい何だったのか、山峰の行方はどうなったのか等々消化不良です。
 最後に唐突に登場する“N”という小説家は中村さん自身のことでしょうか。 
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カード師  朝日新聞出版 
 主人公はマンションの一室で顧客相手に占いをし、非合法のカジノではディーラーをする男。占いをしながら占いは信じていないし、手品師になりたかったがなれなかった男です。そんな彼に、ある組織から佐藤という男に近づき、専属の占い師になって聞き出したことを全部伝えるよう依頼される。だが、その佐藤という男は前任の占い師が当たらなかったことで平然と殺すという恐ろしい男だった・・・。
 相変わらず中村さんの作品は理解するのは難しい。どんどん読み進むことはできるのですが、いったいどういう話なのかがうまく説明できません。途中で挿入されるギリシャ神話、ペストがまん延した14世紀の錬金術師の弟子の手記、16世紀の魔女狩りの記録、そしてナチス政権下の焚書の記録はいったいどうしてここに出てくるのか、理解できません。更には日本のオウム真理教や阪神大震災、東日本大震災、そしてラストでは今の新型コロナウイルスの感染と、不幸の歴史が語られますが。これらのことを記述することによって中村さんは何を言わんとしたのか・・・。そもそも組織とはいったい何なのか、なぜ彼は組織の言いなりになるのか等々様々な点が最後まで理解できませんでした。
 ストーリーが理解できない中、興味深く読むことができたのは、何度か作中に出てくるポーカーのシーンです。言葉だけでなく表情や仕草で相手を騙し、動揺させ、すきを突くポーカーゲームのシーンは読んでいるだけでもハラハラドキドキです。 
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