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中島京子の本棚

  1. TOURツアー1989
  2. 均ちゃんの失踪
  3. 小さいおうち
  4. かたづの!
  5. 長いお別れ
  6. 彼女に関する十二章
  7. ゴースト
  8. 樽とタタン
  9. 夢見る帝国図書館
  10. キッドの運命
  11. ムーンライト・イン
  12. オリーブの実るころ

TOURツアー1989 集英社
 初めて読んだ中島京子さんの作品です。印象をひとことで言えば不思議な小説です。
 1989年にある旅行会社が企画した香港ツアーで一人だけ旅の途中で姿を消した青年がいた。15年後、一人の女性の元に、行方不明となった青年が15年前に書いたという手紙が届くが、彼女にはその青年の心当たりがない。また、ツアーに参加した男性は引っ越しの最中にツアーのことを書いた日記を発見し、読み始める。一方ツアーで添乗員をしていた女性は、当時の自分の行動が書かれたようなブログを発見する。
 3人の男女がそれぞれ、手紙、日記、ブログを見て、姿を消した青年のことを思い出そうとするが、記憶がはっきりしません。果たして彼は存在したのか、存在したのなら彼はどうなったのか。
 「記憶はときどき嘘をつく。香港旅行の途上で消えた青年は何処へ」と書かれた本の帯に、ミステリっぽい匂いを感じて読み始めましたが、不思議なストーリーに引き込まれました。こうした記憶の不確かさというのは経験がありますよね。最後の章では最初に女性に手紙を届けたフリーライターが青年の足跡を辿る様子が描かれますが、ラストまできても、結局この青年は何だったのかわかりませんでした。この小説はいったい何なんだったのだろうという思いが強く残った作品でした。最初はおもしろかったのですが・・・。
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均ちゃんの失踪 講談社
 近所を荒らした空き巣が唯一証拠を残したのが均ちゃんの家の風呂場だった。ところが均ちゃんは失踪中。困った警察は均ちゃんの家に出入りしていた三人の女性を呼んで事情を聞くことに・・・。
 一人の失踪した中年男を巡る3人の女性の物語。5編からなる連作短編集です。均ちゃんの元妻で中学の美術教師、均ちゃんの住む家の大家でもある梨和景子。30歳半ばで不倫中、均ちゃんは二番目の男という木村空穂。20代の雑誌編集者、仕事で均ちゃんと知り合った片桐薫。“役立たずだが冷たくはできない親戚の一種のようなものである元亭主”と考える景子、“均ちゃんは寂しいときにだけ会うパートタイマー”と考える空穂、真剣に均ちゃんを愛し、自分以外の恋人や元妻がいたことに大きなショックを受けた薫と、奇妙な縁で知り合ったそれぞれ均ちゃんに対する気持ちの異なる3人の女性のその後が描かれます。さらにその3人に加わるのが均ちゃんの異母弟の祐輔ですが、この祐輔がゲイという設定が中島さんの上手いところです。
 均ちゃんを愛する薫はもちろん、それほど均ちゃんに固執していない景子や空穂にしても、生活の中から一人の男の存在がなくなるというのは、大きな変化であり、その変化が彼女たちに思わぬ新たな道を示します。そのあたりの、女性たちの、特に景子と空穂の心の揺れを中島さんは見事に描いています。
 5編のうち「お祭りまで」は、均ちゃんが主人公の作品で失踪の理由が明かされますが、この話は余分かなという気がします。
 当方男なので、3人も交際している女性がいるなんてうらやましいなあと女性が聞けば不謹慎!と怒られそうなことを思ってしまうのですが、結局やはり強いのは女性の方です。あ~あ、男は寂しい。
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小さいおうち  ☆ 文藝春秋
 第143回直木賞受賞作です。昭和の初め、東北の田舎から東京山の手の裕福な家に“女中奉公"に出てきた女性・タキが歳を取ってから自分の人生を振り返って語る自分史というべき話です。
 “小さいおうち"という題名からは、子どもが幼い頃に読み聞かせたバージニア・リー・バートンの“ちいさいおうち"を思い起こさせますが、装丁もなんとなく似ていることから、中島さんがこの本を意識して書かれたことは間違いないようです。
 昭和初期の日本が戦争に突入していく頃の時代からが描かれていますが、この本からは直接は戦争の足音が聞こえてくるような暗い雰囲気はあまり感じられません。物資の窮乏はありますが、その中でも知恵を働かして雇い主の一家を支えていく様子が描かれます。戦争の悲惨さは、戦後東京に出てきたタキが知った主人一家の運命で、さらりと描かれるだけです。この作品の主眼が戦争を描くところにないからでしょう。このあたりについて、タキが書いたものを読んだ甥の子が、タキの思い出は能天気すぎる、戦争中がそんなに明るいわけがないと批判していますが、当時の日本人の多くにとっては、戦争直後というのは、みんなタキと同じ気持ちだったのでしょう。
 時子奥様とご主人の部下である青年とのあぶない関係にヤキモキしながら、“女中"として働くタキを描く話かと思いましたが、最終章のラストにはびっくりしました。本の帯に書かれていた“恋愛事件”って、このことだったのかあ、と改めてページを前に戻って読み返しました。まるで、ミステリの謎が解かれたときのようなラストでした。でも、この謎も注意深く見ると、あるところではっきり示されていましたね。
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かたづの!  ☆   集英社 
 (ちょっとネタバレ)
 江戸時代に東北の小藩に唯一実在した女性の大名・第21代八戸南部藩藩主・祢々を史実に基づいて描いた歴史ファンタジーです。
 八戸南部藩藩主の孫娘として生まれた祢々は、ひとつ年下の直政と結婚し、二人の娘と跡継ぎとなる嫡男・久松を産む。しかし、才覚のある直政を恐れた南部宗家の藩主である叔父の利直の手により、直政と久松は病死に見せかけ毒殺されてしまう。毒殺の確たる証拠のない中で祢々はお家を守るため、自ら藩主となることを決意する。
 女性の地位が低かった時代に、女性の大名がいたとはまったく知りませんでした。史実に基づいた時代小説ですが、ファンタジーとなっているのは、語り手がかもしか(途中からかもしかの角)ということ。更には河童まで登場すること。15歳の祢々と会った一本角のかもしかが命が尽きた後もその角が祢々の元に残って、祢々の行く末を見守っていきます。また、祢々に恋をした河童は、その後国替えの祢々について、遠野まで行きます。遠野物語の地らしい展開です。
 虎視沈々と八戸南部家の所領を狙う叔父の利直に対し、祢々は家督を守るのは兵力ではなく才覚で守るという言葉のとおりに立ち向かっていきます。夫や息子の敵である利直の無理難題に、本当は家臣たちのように刀を持って立ち向かいたいのに八戸藩のために我慢をする祢々の姿に涙が出てきそうです。しかし、こんなに我慢に我慢を重ねたのだから、ラストはやっぱり利直に一泡吹かしたかったなあと思うのですが・・・。オススメです。
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長いお別れ  ☆  文藝春秋 
 かつて区立中学の校長や公立図書館の館長を務めた東昇平が、認知症を患ってから最後を迎えるまでの間、彼とその妻、3人の娘、そして孫たちの生活を描いていく連作短編集です。
 認知症の老人を抱える家族の物語は悲惨なものに描かれることが多いですし、実際にもそうでしょう。物語の中では昇平が何をする時も子どものように「イヤだ」と拒否して、みんなを疲労困憊させたり、便をいじったりすることも描かれます。妻であり、子どもであることを忘れられるということは、精神的にもとても辛いでしょうし、体力的な面での介護の深刻さも相当あるはずですが、中島さんはそんな介護生活をただ単に深刻に描いているわけではありません。
 昇平の面倒はとにかく自分が見なくてはと頑張る妻の曜子、夫の仕事の関係でアメリカに暮らす長女の茉莉、母親が一番頼りにしている次女の菜奈、結婚という問題に心揺れる独身でフード・コーディネーターの三女の芙美、日本に来てもアメリカの彼女のことが気になってしょうがない茉莉の長男・潤と登校拒否になってしまった次男・崇、昇平の行方不明の入れ歯がある場所を推理する菜奈の長男・将太など昇平の回りの家族の生活の状況をユーモア溢れる文章で綴っていきます。思わず笑ってしまうところもあり、ホッとします。
 最後に“長いお別れ”の題名の理由がわかりますが、優しい気持ちになれる素敵な余韻を残すラストです。オススメの1冊です。 
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彼女に関する十二章  ☆  中央公論新社 
  50歳を過ぎた宇藤聖子は、現在知り合いの税理士事務所で週3日のパートをしている主婦。大学の同級生だった夫の守は零細編集プロダクションで企業のPR誌などを請け負う傍ら、雑文業も営んでいる。今回、ある会社のPR誌に女性論の連載を請け負った守から60年前のベストセラーだという伊藤整の「女性に関する十二章」という本を薦められ、読み始める・・・。
 物語は、この伊藤整の「女性に関する十二章」と同じ章立て(一部伊藤版では“女性”という部分を“男性”に変えていますが、それ以外は同じです)で進んでいきます。というより、この章立ての内容に沿うかのように、聖子の身の周りにいろいろなできごとが起こってきます。亡き初恋の人・久世祐太の息子・穣(これがハーフのイケメン)から、祐太が聖子のことを憎からず思っていたと聞いたり、イケメンの穣から誘いのメールが来て胸をときめかしたり、ゲイではないかと疑っていた息子が突然女性を連れて帰ってきたり、出向先のNPO法人に出入りする元ホームレスの男・片瀬の存在が気になったりと、忙しい毎日を過ごします。
 そんな際に思い出す伊藤整の「女性に関する十二章」に書かれていることが、60年前に書かれたものにも関わらず、古くさいながらも意外に今に状況に合っていたりして、納得したり不満をこぼしたりする聖子の様子が愉快です。
 ユーモアに溢れた文章は読みやすくて、思わずニヤッとしながらいっき読みでした。女性目線の作品ですが、男性が読んでもおもしろいです。伊藤整の「女性に関する十二章」の中身を覗いてみたくなります。
 
ゴースト  朝日新聞出版 
 7つの幽霊譚が収録された短編集です。どれもが戦争という時代に関わるストーリーになっており、戦争の終わった夏に相応しい物語ともいえます。
 7編は、原宿をバイトのアンケート調査で回る大学生が風格のある家で少女や若い女性、そして年配の女性と出会う「原宿の家」、古道具屋の店の奥に積まれていたミシンが辿ってきた運命を描く「ミシンの履歴」、戦後の混乱期に死んで幽霊となったケンタがある女の子と過ごす日々の結末を描く「きららの紙飛行機」、認知症となった曾祖父がロにする「リョーユー」という言葉の意味を描く「亡霊たち」、敵兵から逃れてやっとたどり着いたキャンプで過ごす女性を描く「キャンプ」、香港の九龍城跡地で出会った廃墟好きの台湾人女性と東京都下にある廃墟を訪れる「廃墟」、ゴーストライターである女性が深夜の飲み屋で幽霊だという2人の男女と出会う「ゴーストライター」、です。
 幽霊譚といっても、どの話も恐怖を感じさせるストーリーではありません。「ミシンの履歴」や「「廃墟」には幽霊さえ出てきません。そこに登場するのは、戦時中から戦後にかけて人の手から手へと渡り歩いたミシンだったり、台湾総督府の消滅後、政治的な背景で取り壊されずに残っていた台湾からの留学生の寮の歴史です。
 7編の中でも特に印象的だったのは、「きららの紙飛行機」、「亡霊たち」、「キャンプ」です。
 「きららの紙飛行機」は、幽霊となった少年が主人公の物語ですが、戦後70年以上が過ぎた今、戦後の混乱期に上野周辺に親を亡くした子どもたらが浮浪児として生きていたという歴史を知る人が少なくなった中で、少年の生きた時代の背景がわからないとストーリーの悲しさは伝わりきれない気がします。
 先頭で死ぬと同じくらい上で死んだ人が多いと言われる東南アジアでの戦いに出征した老人であるがゆえの「亡霊たち」のラストの1行に書かれ老人の言葉が胸に突き刺さります。
  読み進むうちに実は・・・と明らかになってくる事実があまりに胸が痛い作品が、「キャンプ」です。第二次世界大戦下の満州でソ進の対日参戦により、満州に入植していた人々の悲惨な歴史は様々なところで描かれていますが、作品の舞台ははっきり描かれていませんが、これもその1作でしょう。
 声高ではありませんが、静かに戦争の悲惨さを感じさせてくれる作品集となっています。 
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樽とタタン  ☆  新潮社 
 僕が大学生だった頃は、友人とちょっと話でもしようかと思うと、喫茶店に入って時間を潰したものでした。今では喫茶店といえばスタバに代表されるチェーン店ばかり。この物語のように個人がやっている喫茶店は本当に少なくなってしまいました。
 この物語の主人公は小学生の女の子。学校が終わると喫茶店にやってきて、看護師として働いている母親が仕事が終わって迎えにくるまで喫茶店で過ごします。どうして喫茶店が学童保育のような場所になっているのかは「ぱっと消えてぴっと入る」で語られていますが、この女の子、店の装飾として赤く塗られ、丸く穴のあいたコーヒーの豆が入っていた樽に入るのが大のお気に入り。そんな樽の中が好きな女の子は、ある日、常連客の老人の小説家から“タタン”と名付けられます。フランス菓子の“タルト・タタン”=“樽とタタン”からでしょうね。
 物語は大人になった“タタン”が昔を振り返って喫茶店の常連客とのことを語っていく連作短編集という体裁になっています。
 収録された9編は、小説家が編集者からある人物を主人公にした物語を書いてくれるよう依頼され、困惑する話、100年未来の世界から来たが、何をしに過去に来たのかも、未来への帰り方もわからなくなってしまったという女性客の話、歌舞伎役者の卵と彼を支援する神主との間が吸血鬼だという女性とその夫の出現によっておかしくなる話、まだ店に通う前の頃、祖母と一緒に店に入って祖母の“死生観”を聞く話、店の中で野球の話がされるような喫茶店が嫌いだという大学生に帰宅途中に倒れたタタンが助けられる話、白くてぬるっとして手の先にいぼのある別種の生き物「サケウシ」と恋に落ちた生物学者の話、秋田のなまはげを気に入り日本に住み着いたサンタクロースの話、自分の父親は怪獣だというマスターの甥っ子の話、12歳になり、町を去る直前、仲良くなった同じトモコという名前を持つ少女との交流を描く話です。タタンは町を去る12歳までこの喫茶店の片隅で常連客の中で静かに話を聞いています。
 最終話の「さもなきゃ死ぬかどっちか」で、語り手であるタタンの今の姿(正体?)が読者に明らかにされます。ラストの一行で、果たしてこれまで語られてきた話が実話なのか、作り話なのか、読者は迷うことになります。 
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夢見る帝国図書館  文藝春秋 
 小説家を目指しながら今はフリーランスの雑誌記者をしている“わたし”。ある日、上野にある国際子ども図書館の取材を終えて公園のベンチに座っていたわたしは、短い白い髪をして、ジャケットに端切れを接ぎ合わせて作ったコートの下にくたびれたTシャツを着て、頭陀袋めいたスカートという奇天烈な装いをしていた喜和子さんと出会う。小説を書いているというわたしに、喜和子さんは「図書館が主人公の小説を書いてみないか」と提案する・・・。
 途中に「夢見る帝国図書館」と題された小説らしきものが挿入されます。果たして、これは喜和子さんから勧められた“わたし”が書いた“図書館が主人公の小説”なのか、その点は明確にはされないまま、明治の最初に政府の要人たちが図書館がないと近代国家とは言えない、図書館がなくては不平等条約が解消できないとして図書館を作ろうと思いついてから、実際に明治5年に湯島聖堂に開館した日本初の近代図書館「書籍館」以降の図書館の歴史が、時に図書館を主人公にして描かれていきます。そして、それとともに、図書館に集う私たちもよく知る歴史上の人物たちの姿も描かれます。
 しかし、この作品の主体となるのは「夢見る帝国図書館」ではなくて、“わたし”と喜和子の物語の方ですが、特に喜和子という老女の人生です。喜和子の元愛人だという大学教授や喜和子の住む家の二階に下宿する、女性の格好をするのが好きだという芸大生、更には喜和子が好きだったホームレスなど喜和子の周りに集まる個性的なキャラたちと語り合う中から、わたしの前に喜和子の生きてきた道がやがて浮かび上がってきます。そして、なぜ喜和子が、図書館が、本が好きだということも。ラストは「夢見る帝国図書館・25」で復員兵から名前を聞かれた少女が答えます。「きわこ」。素敵な余韻の残るラストです。 
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キッドの運命  集英社 
 近未来を舞台にした6編が収録された短編集です。収録作の中では、「赤ちゃん泥棒」は、昨今のジェンダーの問題が近未来ではどうなっていくのかを描く作品で、前向きの作品と理解してもいいのですが、この作品以外はどれもあまり明るい未来とはいえない状況を中島さんは描いていきます。
 「ふたたび自然に戻るとき」では、荒廃した高層ビルに住む高齢者たちの行く末が描かれますが、「ふたたび自然に戻るとき」という題名がぴったりで、これはちょっと恐いですね。
 チェスや囲碁でもAIが人間を負かすようになった現在ですが、果たしてこれからAIはどうなっていくのかを描くのが表題作の「キッドの運命」です。この物語の中では、現在民主化を求めて荒れる香港、そして中国のその後の状況も描かれていて、そういう点からも興味深い作品です。
 「チョイス」では、最後の日本語話者が7年目に亡くなったことが語られます。もう日本という国は未来には消滅しているのですね。 
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ムーンライト・イン  角川書店 
 非正規で物流倉庫で働いていた栗田拓海は、突然首を切られ、次の仕事を探すまではと自転車旅行に出る。東京から特急列車に乗り、高原列車を乗り継いで駅に降りたときは、すっかり夜になっており、駅の周辺は閑散として泊まれそうな宿も見当たらなかった。降りしきる雨の中、自転車を押しながら宿を探す拓海の目に、ある家の灯が飛び込んでくる。ペンションだと思った拓海は出てきた外国人らしい女性に宿泊を頼むがすげなく断われるが、そこに現れた老人の男性に、屋根の修理と引き換えに宿泊を認められる。元ペンションだった家には、持ち主の男性・中林虹之助のほか、彼より年上の車いすの老女・新堂かおる、中年の女性・津田塔子、そして拓海が訪れたときに出てきたフィリピン人の20代の女性・マリー・ジョイが住んでいた・・・。
 物語の舞台となる高原は具体的名称を出していませんが、東京から特急に乗り、高原列車を乗り継いで2時間、駅の周辺にはかつて栄えた土産物店等が廃墟となっているといえば、これは清里駅だなとすぐにわかります。夏には野外でバレエが行われるというのは萌木の村で毎年夏に開催される「清里フィールド・バレエ」のことですし、スキー場は夏はリフトで登った山の上の見晴らし台にカフェが開かれとあるのは「サンメドウズスキー場」のことだなあと、地元のことが舞台となっているので、それだけでページを繰る手が止まりませんでした。
 物語は、元ペンションに住む1人の老人男性と3人の女性、そして結局ここに住むことになる拓海の5人の男女がそれぞれ抱える問題が描かれるという体裁になっています。親子の問題、男女の問題、外国人労働者の問題等々様々な問題(塔子の悩みだけが、落ち着いて考えれば悩む問題はないとわかりそうなものですが。)が描かれますが、最後はハッピーエンドといっていいのでしょうか。結局、人の気持ちが一番わかっていたのは一番若いマリー・ジョイでしたね。 
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オリーブの実るころ  講談社 
 6編が収録された短編集です。
 「家猫」はかつて夫婦であり離婚した男女の今を描きます。これって、もし妻だった側の言い分通りなら、夫側はひどすぎますね。妻を一人の女性としてまったく尊重していません。男からみても最低の男です。夫は離婚の原因を全く理解していないようですし、未だにその性格は変わっていないようですけど。
 「ローゼンブルクで恋をして」は妻を先に亡くし、一人暮らしをしていた父親が連絡不能になったと思ったら、遠く離れた町で市議会議員候補のシングルマザーの支援のボランティアをしていたという話ですが、その理由が泣かせます。
 「川端康成が死んだ日」は家を出て好きな人の元へ向かう母が川端康成が自殺する日に偶然出会って声をかけられる話ですが、なぜ唐突に川端康成が登場するのかがわかりません。
 「ガリック」は夫婦二人と白鳥との不思議な(というより異様な)生活を描く話。結婚した夫が飼っていた白鳥が妻に嫉妬。夫が不在の日に妊娠している妻に白鳥がしたことは・・・。もうこれはホラーです。収録された6編の中で一番強烈な印象を残す作品です。
 表題作の「オリーブの実るころ」は近所に引っ越してきた老人から若き日の恋物語が語られます。なぜ、老人がオリーブの木を植えたのか。その理由がちょっとせつないです。
 「春成と冴子とファンさん」は子どもができ、結婚することになった旨を夫の両親に話に行く話。いささか変わった父親と離婚した母親と暮らす中国人のファンさんとの会話が愉快。 
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