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長嶋有の本棚

  1. パラレル
  2. ジャージの二人
  3. 泣かない女はいない
  4. 夕子ちゃんの近道
  5. 三の隣は五号室
  6. もう生まれたくない

パラレル 文藝春秋
 長嶋さんの初めての長編小説です。
 妻と別れながらもいまだに付き合いを持っているゲームデザイナーの向井七郎。「なべてこの世はラブとジョブ」を座右の銘とする大学時代からの友人津田。物語は、現在、2年前など、時間を行きつ戻りつしながら、主人公向井と津田、向井の離婚した妻、そして津田の付き合う女性たちとの関わりを描いていきます。
 向井は、僕から言わせればあまりに優柔不断な男です。妻に恋人ができて結婚生活が破綻しながら(ここのところは、女性側から言わせれば、そもそも仕事を勝手に辞めてしまう主人公の方に原因があると言われるかもしれません)、離婚した後も元妻と付き合っているなんて、妻が浮気したことに怒ったのにおかしいだろうとひとこと言いたくなってしまいます。一方元妻もおかしいです。新しい恋人がいるのに、向井にメールを送ってきたり、部屋を訪ねてきたりするのですから。この二人の関係はよくわかりません。離婚したあとも友人同士でいられるなんて、ほとんど不可能ではないのでしょうかねえ。浮気した妻に怒って離婚することになったのだから、憎むというのが本当ではないのでしょうか。優しすぎる男です。やっぱりわかりません。
 こうした、ちょっと変な夫婦(元夫婦か)関係のほか、複数の女性をパラで走らせている(同時並行で付き合う)と公言する女性からすればとんでもない男、津田との友情や主人公と津田の周囲の女性との恋愛を流れるような文章、リズム感溢れる会話で描いており、面白く読み進めることができます。おすすめです。
 題名の「パラレル」とは、「パラで走らせている」から来ているのかなと思ったのですが、作者の話ではいろいろな意味を持っているようですね。
 文学界に掲載されたときとは結末が違うそうですが、文学界の結末はどうなっているのでしょうか。
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ジャージの二人 集英社
 軽井沢の山荘で夏のひとときを二人で過ごす主人公とその父。主人公は勤めを辞め、作家を目指しています。主人公の妻は不倫をしていて、相手の男の子供を産みたいと考えています。そんな妻に対し、嫉妬に身を焦がす主人公。あ〜あ、何て情けないんだろう。と思いながらも主人公には同情してしまいます。よほど奥さんを愛しているのでしょう。第三者から見れば、離婚してしまえよ!と言いたくなってしまいますが。
 父親も主人公の母親とは離婚して今では三人目の妻と暮らしていますが、どうもこちらもうまくいっていないときています。どうにも情けない親子です。
 物語は、何が事件が起きるというわけでもなく、二人の山荘での生活が盛り上がりもなく描かれているのみです。そんな淡々と時が流れるだけの物語ですが、さすが長嶋さん、不思議と惹きつけられてしまいます。
 併録の「三人のジャージ」は、「二人のジャージ」から1年後の物語。主人公の奥さんが主人公にくっついて山荘にやってきます。離婚していないんですよね。主人公も主人公だし、奥さんも奥さんです。よく理解できない夫婦です。
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泣かない女はいない 河出書房新社
 3編からなる短編集です。ただ、中の1編「二人のデート」は、なんとカヴァーの裏に掲載されています。ここにあっては気づく人は少ないでしょう。カヴァーを取るなんて普通しませんから。たまたま、インターネットで知っていたから、読むことができましたが、目次にもないですからねえ。この作品、カヴァーの裏に掲載するほどの掌編ですが、意外におもしろいです。出会い系サイトで知り合ったということを抜きにして、初めてのデートをする男女の、特に男性の心の中がうまく描かれています。
 残りの2編は、とても地味な作品です。両編に共通しているのは、主人公の女性が男性との別れに直面しているということです。
 「泣かない女はいない」は、同棲相手がいながらも、同僚に惹かれていく主人公が描かれているのですが、それが別に何かドラマティックな出来事が起きるということもなく、単に日常の会社勤めのなかで淡々と語られています。
 「センスなし」は、愛人を作って家を出た夫の代わりに、雪が積もった中、夫の借りたアダルトビデオを返しに行く妻の話です。アダルトビデオを借りていることを知っているんだぞと夫のプライドを傷つけたいのであれば、わざわざ延滞したビデオを返却しに行くこともないのに、主人公は雪景色の街に出ます。この気持ち、僕にはわからないなあ。
 とにかく、あまりに淡々と描かれた作品で、何となく読んで何となく読み終えてしまったという感じです。僕としては、そんな2編よりカヴァー裏の「二人のデート」が一番楽しめました。シャンディガフってビアカクテルなんですね。1つ知識が増えました。
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夕子ちゃんの近道 新潮社
(ネタバレあり)
 古道具屋「フラココ屋」の二階に身一つで転がり込んだ「僕」を主人公とする連作短編集です。登場人物は、「僕」とかつてフラココ屋の二階に住んでいた近所の瑞枝さん、大家の八木さん、八木さんの孫娘の朝子さんと夕子ちゃん、店長の幹夫さん、幹夫さんの元カノのフランス人のフランソワーズ。物語は、「僕」と彼らとの関わり合いが淡々と描かれていきます。ある登場人物にとって人生の大きな事件も起きるには起きるのですが、それほど大事に描かれずに、なんとなくゆったりとしたスピードで物語は1年を流れていきます。
 主人公の「僕」は名前はもちろん、どこのどういう過去を持った男なのかも明かされません。古道具屋の店員として働いているのですが、どうしてここで働くことになったのかも、この小説の中では描かれません。その点読者としては不満の残るところです。
 7つの短編からなりますが、好みでいくと、6編目で終わりだったほうがよかったのではないかと思ってしまいます。7編目は書き下ろしですが、これは余計だったではないでしょうか。6編目で終わるのも「え!」とちょっと消化不良のところもあるのですが、7編目があることによって、この作品が当たり前のホームドラマに化してしまった気がします。
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三の隣は五号室  中央公論新社 
 ちょっと変な間取りのアパート、「第二藤岡荘」の五号室に1966年から2016年までの間に住んだ人々を描いていく作品です。
 ただし、住人が主人公となって、彼らの生活を入居順どおりに描いたものではありません。その部屋に誰かが設置したもの、あるいは置いていったもの、例えば、ベランダに縛り付けられた錆びた針金、ガス栓にはまったままのゴム、流しの引き出しにあった蛇口、流しの下に入っていた堅くなった雑巾とバケツ、「水不足!」のステッカー、エアコンのリモコンの付箋等々について、部屋の住人が、これは何だろうと残された“もの”に思いを馳せたり、また、同じように風邪を引いて部屋で寝ている中で聞く屋根に当たる雨音のことを考えたり、風呂の水が漏るのはどうしてだろうと考えたりが描かれていくだけです。それらの理由や結果、住民がみんな同じことを考えている等々を知っているのは、その部屋の出来事を読んでいる神の視線でいる読者だけです。
 50年の間、五号室に住んだのは、藤岡一平(66〜70年)、二瓶敏雄・文子夫妻(70〜82年)、三輪密人(82〜83年)、四元志郎(83〜84年)、五十嵐五郎(84〜85年)、六原睦郎・豊子夫妻(85〜88年)、七瀬奈々(88〜91年)、八屋リエ(91〜95年)、九重久美子(95〜99年)十畑保(99〜03年)、霜月未苗(04〜08年)、アリー・ダヴァーズ(09〜12年)、諸木十三(12〜16年)の13組。大家の息子から始まって、親子、単身赴任の男性たち、恋に破れて引っ越してきた女性、大学生、家を建てるまでの仮住まいの夫婦、そして正体不明の男などです。
 その部屋に住んだ人の名前には長嶋さんの遊び心が出ています。なんと一から始まり十三まで。漢数字が入っていないのは霜月未苗とアリー・ダヴァーズだけですが、霜月は十一月のことなので問題ないのですが、「「ダヴァーズ」だけはわかりません。十二を指すのでしょうか。
 何か五号室を巡って事件が起きるわけではありません(退去した後、殺された人がいましたが)。淡々と五号室の歴史を描いていくだけのものです。ただ日常を描いているだけなのに、不思議に心を掴まれていっき読みしてしまいました。何だろう、この感じは。 
 
もう生まれたくない  講談社 
 帯に書かれた惹句は、「大切な人にも、見知らぬ他人にも、死はいつでも訪れる。何でもない人生のかけがえなさを描く感動作」ですが、残念ながら僕はまったく感動することができませんでした。というより以前に長嶋さんがこの作品に込めた思いがよく理解できなかったと言った方がいいかもしれません。
 この作品では、大学の診察室で受付をする首藤春菜、総務部の小波美里、大学の清掃員の根津神子を中心にして、大学生の小野遊里奈、大学講師の布田先生、美里の元夫であるラジオのアナウンサーの名村宏、布田ゼミの学生である安堂素成夫等々の様々な人たちが登場し、身近の人の死やまったく彼らに関係のない有名人や一般人の死について、あれやこれやと話したり、考えたりする様子が描かれていくだけです(「だけです」と思うのは僕だけかもしれません。)。身近な人の死では首藤春菜の夫の死が語られ、有名人の死は“X JAPAN”のTAIJIから始まり、スティーブ・ジョブズ、ジョン・レノン、リッキー・ホイ(あの香港映画の「Mr.BOO!」の俳優さんです。)、臼井儀人さん(あの「クレヨンしんちゃん」の作者です。)、ZARDの坂井泉水さんの死、“エマニエル夫人”のシルビア・クリステルなど、一般人の死は北海道大雪山系のトムラウシ山で遭難死した人たち、落とし穴に落ちて死んだ人などが語られていきます。
 冒頭が2011年7月から始まっているのは、3月に起こった東日本大震災のことを念頭において、“死”についてのことを書き始めたのだと思うのですが、いったい、ここに登場してくる様々な人の死を語る理由はどこにあるのか。人が“死”ということに対して、どう思うのかを描こうとしているのか等々考えたのですが、最後までわかりませんでした。
 そもそも、本作の題名の「もう生まれたくない」って何のことなのかもわかりません。この作品中の登場人物の中の誰かの叫びなのかとも思いますが、誰かも想像できませんでした。 
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