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角田光代の本棚

  1. 太陽と毒ぐも
  2. 人生ベストテン
  3. この本が、世界に存在することに
  4. 対岸の彼女
  5. おやすみ、こわい夢を見ないように
  6. 八日目の蝉
  7. 坂の途中の家

太陽と毒ぐも マガジンハウス
 あとがきで作者本人が言うところの“ばっかみたいな恋人たちの日常”を描いた11編からなる短編集です。どこにでもありそうな恋人たちの関係を、ユーモアを交え観察眼鋭く描いています。
 ここに出てくる恋人たちは、相手が風呂嫌いな女、迷信を気にする女、通販マニアな男、誰にでも自分たちの生活を話してしまう女、何でも記念日にしてしまう女、生活が巨人中心の男、万引き癖のある女、スナック菓子を食事の代わりにする女、酒乱の女、知ったかぶりの男、浮気性で甲斐性のない男と、こりゃあすごいと思ってしまう人たちばかりです。作者のあとがきには“本当につまらないことで私たちは愛する人と諍いを起こし、馬鹿馬鹿しい性癖や習慣が決定的な亀裂を生むこともある”と言っていますが、ここに出てくる人の性癖等はささいなこととは思えないのですが(笑)
 好きになったときは、アバタもエクボで、恋人の性癖も気にならず受け入れることができたのでしょうが、交際が長く続くとしだいに鼻についてくるのが現実なんでしょうね。
 嫌なら別れてしまえばいいのにと思います。何やってんだ!かまわず別れてしまえ!と読みながら叫んだのですが、そういかない恋人たちもいたようですね。
 おすすめの作品です。
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人生ベストテン 講談社
 直木賞受賞第1作です。表題作を含む6編からなる短編集です。帯の言葉を借りれば、「どこにでもいる男たちと女たちの〈出会い〉が生み出す、ちいさなドラマ。おかしくいとしい6つの短編」です。
 僕は男ですので、男性を主人公とした「床下の日常」と「飛行機と水族館」の2編を興味深く読みました。
 両作品に共通しているのは、主人公の男性が、縁もゆかりもない女性から普通であったら考えられない接し方をされて、ついついその女性が気になってしまうということです。
 「床下の日常」は、単に主人公があれこれ頭の中で考えるだけですので、問題はないのですが、「飛行機と水族館」の主人公の行為は問題です。確かに、主人公の行っていることはストーカー行為そのものです。ただ、それをさせたのは、彼女の責任でもあるのではないでしょうか。見知らぬ男性の前で涙をこぼしたり、破れた恋の話をしたり、名刺を渡したりしたのに、日常生活に戻った後では知らんぷりでは、やっぱりひどいでしょう。そこまで心の中を自分にさらけ出してくれた人に、日常でまた会ってみたいと思うのも無理からぬところではないでしょうか。女性からすれば、それは男性側のかってな思いこみだということになるのでしょうか・・・。単に旅の空のことだから、旅の恥はかきすて、そこは非日常のできごとで、帰って普通の生活に戻れば関係ないということになってしまうのでしょうか。主人公の男も馬鹿だけど、こんな女は大嫌いです!
 6編のなかでは、やはり表題作の「人生ベストテン」が秀逸です。自分の人生のベストテンを考えるという発想が見事ですね。しかし、主人公の人生におけるベストテンの殆どが14歳までに済んでいた、その中でも三週間だけ付き合った岸田有作との出来事が第一位と第二位を占めているというのは、やっぱり寂しいものです。それでは14歳以降の人生って何だったのかと考えてしまいます。
 ただ、そうは言っても僕自身の人生のベストテンで、大人になってからの出来事でランクインしそうなものを考えると、結婚、子供の誕生、家の新築というような、当たり前の出来事になってしまいます。そんなに誰でもドラマでやっているような波瀾万丈の人生があるわけではないでしょう。
 それにしても、クラス会に現れた岸田勇作は何だったのでしょう?
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この本が、世界に存在することに メディアファクトリー
 9編からなる“本をめぐる物語”を収録した最新短編集です。
 不思議な体裁の作品集です。ページを捲ると、作品によって行間が他より広かったり、文章がページの下段に寄っていて、上段の空白部分が多かったり、あるいはその逆だったりと統一感がありません。何か意図があるのでしょうか(もちろん、あるのでしょうが)。
 9編の中の「旅する本」と「だれか」は、外国の旅行先での話ですが、これは角田さんの経験が生かされているのでしょうね。インタビューによれば、角田さんは27、8か国を旅行しているそうなので、角田さんならではの作品といえるでしょうか。
 中でのお気に入りは「ミツザワ書店」です。今はすっかり少なくなってしまった町の本屋さん(やはり書店というより本屋さんという響きがいいですよね)を題材にした1編です。話としてはよくあるパターンという感じですが、本を媒介に男女の恋愛を描いている他の作品等と異なり、本をめぐる物語というテーマに一番合っているのではないでしょうか。そして、もう1編は、余命いくばくもない祖母から本探しを依頼された孫娘を描く「さがしもの」です。書店員さんは必読ですね。
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対岸の彼女 文藝春秋
 第132回直木賞受賞作です。
 主人公は、女性二人。小夜子は結婚を機に仕事を辞め、専業主婦として子育てをしている女性。自分も娘も公園デビューを果たしたものの、他人と上手につきあうことができず、今では付近の公園を転々としています。これではいけないと働きに出ることを決心した小夜子は、同じ年で旅行会社を経営する葵の会社に雇われます。結婚して子供のいる35歳の女性と、未婚で仕事に打ち込んでいる同じ年の女性となると、最初は酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」で流行語にもなった“負け犬”、“勝ち犬”の話なのかな、角田さんも流行に乗った話を書いたものだなと思って、そのうち時間が空いた時に読むつもりで積読ままになっていました。でも、今回読んでみると全然違いましたね。たまたま、物語の主人公として表面的には対照的な女性を据えただけであって、結婚していない女性、子供がいない女性はこうだという話ではありません。
 話は、現在の葵と小夜子とを描く部分と、葵の高校時代を描く部分が交互に語られていきます。高校生の葵は、現在の奔放な葵と同一人物とは思えないほど、周りの目を気にしながら生きています。まるで、現在の小夜子の姿を描いているようです。そして、葵の同級生ナナコの方が、現在の葵に重なります。葵がどうして現在の葵へと変わっていくのか、人間関係を築くのがへたな小夜子がどう変わっていくのか読んでいて引き込まれました。
 それにしても、人間関係を築くのは難しいですね。葵の高校時代のグループにしろ、小夜子の保育園の母親グループにしろ、ちょっとしたことで爪弾きにされてしまうという表面的な仲良しグループにすぎません。とはいえ、社会の中にはこんな人間関係がそこにも、ここにもです。そんな中で友情を育んでいくのはなんと厳しいことでしょう。
 この物語では、男性は脇役ですが、僕ら男性が大いに考えさせられるところがあります。やさしいようでありながら、妻の就職に全然理解のない夫。就職してもいいけど家のことはきちんとやれというというのは、夫の側の身勝手でしょうね。小夜子がしだいに夫や義母にはっきり物を言うようになるところは、読んでいて声援を送りたくなりました(自分自身も反省するところ大ですが)。
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おやすみ、こわい夢を見ないように 新潮社
(ネタバレあり)

 誰もが心の中に持っている他人に対する憎しみ、悪意、それをテーマに描いた7編からなる短編集です。
 小学生だった頃理由もなく自分をいじめた教師を訪ねる女(「このバスはどこへ」)、夫から自分自身の抱えているどうしようもない欠点を指摘された妻(「スイート・トリソース」)、別れを持ち出した途端嫌がらせを始めた元カレを“ぜってえぶっころしてやる”と思う女子高校生(「おやすみ、こわい夢を見ないように」)、子供が自分を避け学校から帰ると部屋に籠もるようになってしまった女性(「うつくしい娘」)、浮気がばれてから自分を夫とも思わなくなった妻に頭を押さえつけられている夫(「空を回る観覧車」)、別れた彼女の飼い犬を誘拐して殺そうとする男(「晴れた日に犬を乗せて」)、幼い頃他人を憎むのが高じて引きこもりとなった友人を訪ねる女(「私たちの逃亡」)と、どの作品も主人公たちの心のなかにある人を憎むということを描いた作品です。憎しみから事件が起きるというわけではありません。ただいつもの日常の中で、ふと心に巣くう他人へのどうしようもない憎しみを角田さんは描いていきます。相変わらず、上手いですね。
 ただ、僕自身としては、どの話もなんとなく尻切れトンボで終わってしまった感じを持ちました。各編とも最後のページまで読んで、「えっ!これで終わりなの」と言ってしまいたくなりました。読後感もよくないですし(まあ、これは憎しみがテーマなのでしょうから仕方ないですが)、どれもすっきりしません。中途半端で消化不良です。それぞれ主人公たちはこのあとどうなるのでしょうか。
 中の何編かに女性の登場人物が出てきます。「このバスはどこに」で人を殺しに行くと言った女性、「○○」で主人公のパート先に入ってきた女性、「スイート・チリソース」で主人公の働く図書館でいつも同じ場所に座っている浮浪社らしい女性、「おやすみ、こわい夢を見ないように」で主人公の家の前の公園にいるホームレスの女性、「うつくしい娘」で、主人公の働く寿司工場にパートで入ってきた女性、「晴れた日に犬を乗せて」で主人公のアルバイト先の郵便局に新しくアルバイトに入った女性。これらの女性はてっきりこの短編集を通して登場する同じ女性かなと思ったのですが、そうではなかったようですね。物語の中で重要な位置を占めている感じがしたのですが・・・。考えすぎました。
 カバー絵もよく見ると、洪水のためか家や車が川の中に流されていたり、犬の散歩中の子供が倒れていたりと、ちょっと不気味です。
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八日目の蝉 中央公論新社
(ちょっとネタバレあり)
角田さん初めてのサスペンス作品ということもあり、前評判もよかったので読んでみたのですが、どうも僕にはこの作品は合いません。正直のところ途中で何度投げだそうと思ったことか・・・。
 第1部の主人公は、不倫相手の娘を誘拐して逃亡する希和子。自分で薫と名付けたその子を育てながら様々な場所を逃げ回り、最後に思わぬことから居場所が発覚し、警察に逮捕されるまでを描きます。
 とにかく、不倫相手の子供を誘拐して育てるという気持ちが理解できません。この点、女性の読者はどう感じられるのでしょうか。現実の事件では、赤ちゃんの誘拐犯人はだいたいが女性ですが・・・。主人公が男性であったとしたら、不倫相手の家に侵入したとしても赤ちゃんを連れ去るということは考えないのではないでしょうか。それよりも、相手を苦しめようとして赤ちゃんを殺すとか(ちょっと酷すぎますが)、家に火をつけるというようなことを選択する気がします。逃亡中の新興宗教もどきの集団に隠れての生活が始まってからは、あれ!このままこの物語はどうなってしまうのだろうと思ってしまって、読んでいても物語に引き込まれることができませんでした。
 第2部の主人公は、親元に戻りすでに大学生となった薫です。その薫が希和子と同じように妻ある男と不倫をします。血の繋がった親子でありながら、事件が尾を引いて親子関係がうまくいかず戻った家庭で居場所がないというのはわかります。でも、なぜそれが不倫へと向かわなければならないのか。その設定だけで読むのが辛くなりました。
 家族とは何か、血の繋がりとは何かといったことが投げかけられている作品なんでしょうが、登場人物に共感もできず、もやもやだけが残った作品でした。読者を選ぶ作品というのはきっとあるのでしょうねえ。
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坂の途中の家  朝日新聞出版 
 物語は、裁判員候補者となり、辞退できずに補助員に選任されてしまった3歳の子どもを持つ里沙子が、生後8ヶ月の我が子を風呂の中に落として殺してしまった30代の主婦・水穂を被告とする裁判に関わっていく中で、水穂に自分の姿を重ねるようになる様子を描いていきます。
 幼い子どもを抱え、日頃は仕事を言い訳にする夫に子育ての協力を得られず、自分の親との折り合いが悪く相談もできず、更には夫の母はよかれと思って彼女たちの生活の中に入ってくるという、水穂の置かれる状況がまるで自分のようだと思えてしまう中では、水穂のことを自分に投影してしまうのも無理ないところです。
 でも、それが原因でしだいに精神的に追い詰められていくところは、里沙子の個人的な資質ゆえというところも大でしょう。また、評議の最中にも顔を覗かせる里沙子の他人に劣っていると見られたくないなどという変なプライドが、更に自分を追い詰めていっているような気がします。そんな点もあって、読者として彼女に共感することができませんでした。やはり、そこは男だからわからないという点もあるのでしょうか。
 里沙子の行動もどうかなと思います。子育てのイライラを子どもにぶつけてしまうこともあるでしょう。でも、その行動は度を超しています。夜の暗い人通りもない中に愚図る娘を置き去りにするなんて、昼日中の町中では時に見かける光景ですが、里沙子の夫が言うようにちょっと考えられません。
 この本を読んだ女性の方は、いったいどういう感想を持たれるでしょうか。作中にもありましたように、年配の女性だったら、裁判員の中にいる年配の女性のように被告の行動はおかしいと考えるのでしょうか。夫は仕事が大変の中よくやっていると考えるのでしょうか。逆に、里沙子の同世代の女性だったら、それも子育て中の女性なら、水穂の行動に、あるいは里沙子の気持ちにすっと入っていけるのでしょうか。
 それにしても、母親と息子というのは、あんなにベッタリとした関係なのでしょうか。被告の夫にしろ、里沙子の夫にしろあの母子関係は僕から見れば気持ち悪いものがあります。母親が息子にベッタリなのはまだわからないでもありませんが、なぜか登場する息子二人はあまりに母に依存しすぎです。やはり、まずはこれから家族を構成していく妻を理解しなくては思うのですが。妻のことを理解せずに、母に頼るのは夫としてどうかなと思います。里沙子が水穂の夫の母や、自分の義母に母親と息子の、彼ら自身もまるで気づいていない「連帯」のありように不快を覚えるのも無理ありません。
 里沙子はこの裁判を通して、夫に対してある考えを持つようになります。果たして、こんな考えを持って、これからうまくやっていけるのか、気になるところです。
 男は子育てに対し、ある意味、会社という逃げ揚があります。仕事で遅くなる、仕事があるから夜泣きにはつきあえない、寝かせてくれと言い訳をします。子育ては子どもの機嫌のいいときだけ、逆に遅く帰ってきてせっかく寝ている我が子を起こしてしまうといった具合に男というものはどうしようもなく役に立たないと自認しています。そういう点で大いに考えさせられる作品でした。

※裁判所のHPでは、裁判員Q&Aの中で、「養育が必要な子どもがいる場合は辞退ができることもあるので、申し出てください。」とあります。主人公の場合、きちんと説明すれば辞退できた可能性が高いと思うのですが、その辺りの所は作品ではうまく説明できなかったとして簡単にスルーしています。まあ、そうしないと物語が進まないので仕方ありませんが。 
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