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一本木透の本棚

  1. だから殺せなかった

だから殺せなかった  ☆   東京創元社 
 第27回鮎川哲也賞優秀賞受賞作です。あの今村昌弘さんの「屍人荘の殺人」と賞を争って残念ながら優秀賞にとどまった作品です。作者と同じ名前の人物が主人公となっています。
 太陽新聞社(これは間違いなく朝日新聞社を意識していますね。)社会部記者の一本木透は、かつて地方の支局で県職員の汚職事件を取材していた時に恋人だった女性の父親の逮捕をスクープしたことにより、恋人を失った過去を持っていた。そんな過去を新聞紙上の特集で執筆した一本木のもとに、3人が殺された首都圏連続殺人事件の犯人だという者から手紙が届く。送り主は「ワクチン」と名乗ったうえで、犯人しか知り得ない事実を述べ、一本木に対して「おれの殺人を言葉で止めてみろ」と、紙上での公開討論を要求する。新聞紙上には、一本木と“ワクチン”とのやりとりが掲載され、注目を浴び、経営が悪化していた太陽新聞社は活気づくが・・・。
 一本木と“ワクチン”との討論が知識人の言葉を引用するなど知的レベルが高すぎて理解しがたいところがありました。もし、実際にこの討論が新聞紙上に掲載されてもこれは表面をなぞるだけだなあというのが正直なところです。
 一方、そんな一本木と“ワクチン”との討論の合間に、大学生の頃、自分が父母の実の子どもではないことを知った江原洋一郎のことが描かれます。両親の愛情の中で育った洋一郎が実子でないことを知って悩み、恐ろしい想像までしながら、やがて再び家族としての絆を取り戻していく様子が語られますが、そんな彼がいったい、この事件にどう関わってくるのかが大きな謎として読者に提示されます。更には不倫騒動の渦中にあるテレビタレント化している大学教授のことが語られ、この教授の存在もこの物語の中でどう位置づけられてくるのかもまったくわかりませんでした。
 そのほか、報道機関という公明正大な立場であるべき新聞社も、経営不振という目の前の危機を逃れるために、報道というものを利用するという現実が描かれ、新聞社であっても必ず正義を行うものだとは信じてはいけないということも改めて認識させてくれます。
 これで事件は解決かと思われた後での洋一郎のモノローグによるどんでん返し。題名の「だから殺せなかった」というのは、そういうことだったんですね(ネタバレになるので伏せます。)。最後の一本木のモノローグでは、それまでに抱いていた一本木のイメージをかなり変える事実が明らかになります。最後まで正義を貫く男のイメージでいてほしかったですね。 
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