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葉真中顕の本棚

  1. ロスト・ケア
  2. 絶叫
  3. ブラック・ドッグ
  4. コクーン
  5. 凍てつく太陽
  6. W県警の悲劇
  7. ブルー
  8. ロング・アフタヌーン

ロスト・ケア   光文社
 第16回日本ミステリー大賞新人賞受賞作品です。
 冒頭、判決の言い渡し場面から始まります。被告人は43人もの大量殺人を犯した男。物語は5年前に遡り、介護が必要となった親を抱える者、介護の現場で働くものの視点で事件の発覚までが描かれていきます。
 超高齢化社会の中での介護をテーマに書かれたミステリーです。2000年から介護保険制度が始まって25年目を迎えています。以前は親の介護は当然子どもがすべきだという考えの中、親を施設に入れることに近所の白い目や家族自身の負い目があったと思いますが、介護保険により、ようやく介護を公的な制度に委ねるという考えも定着してきたようです。しかしながら、いまだに介護保険をうまく使えずに、老老介護の果てに無理心中という事件もあとを絶ちません。逆に同じ敷地内に住んでいるのにヘルパーにまかせっきりで、まったく親の介護にかかわらない例も話に聞きます。そんな事実を耳にすると、介護保険制度がうまく回っていないのだろうなあと考えざるを得ません。
 また、猫の目のように変わる制度の中、当初は成長産業だと思われていた介護事業も、多くの企業が乱立する中で、厳しい状況にあるのは、この作品中にも書かれていたとおりのようです。ころころと制度が変わって企業の儲けが出ないようにするのは、もちろん介護保険の財政状況が厳しいせいもあるでしょうが、それ以上に、介護によって儲けることは悪だという気持ちがまだ国民の中にあるせいかもしれません。
 この作品では、この介護というものに内在する大きな問題、例えば誰もがいつかは直面する親の介護を厭うことは悪なのか、介護ビジネスで儲けることは悪なのかという問題を読者に突きつけます。犯人が逮捕されたあとの犯人と介護が必要な父親を抱える検事との対峙の場面は考えさせます。
 大量殺人を犯した“彼”とは誰なのか。貫井さんのある作品を思い起こすというような感想もありましたが、見事に作者に騙されました。ミステリーとしても十分読み応えがある作品となっています。おすすめです。
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絶叫  ☆  光文社 
 国分寺にあるマンションの一室で、多数の猫の死体と共に女性の死体が発見される。女性は死亡した後に部屋で飼っていた猫に食われたらしく白骨化しており、所轄の刑事、奥貫綾乃は死体の身元を特定するため、部屋の借り主である鈴木陽子の過去を辿っていく。
 物語は、神代武というNPO法人の代表の男性が殺害された事件についての関係者の証言が所々に挿入され、この二つの事件がどう結びついていくのかが、ミステリーとしての読みどころとなります。
 もう一人の主人公というべき綾乃の捜査と並行して鈴木陽子の半生が「あなた」という二人称で語られていきますが、この「陽子」を「あなた」と呼びかける二人称の文章がラストで読者に大きな驚きをもたらします。いったい、「陽子」を「あなた」と呼びかけているのは誰なのか。ミステリーを読み慣れている人にとっては、この二人称の文章がもたらすラストの展開は途中で既に想像できてしまったかもしれません。
 とにかく、この鈴木陽子の半生が凄すぎます。会社員の父と専業主婦の母、そして弟という平凡な家庭で育った陽子に、母が溺愛していた弟の自殺、借金を作った父の失踪、挙げ句の果て母は陽子と別れて実家に行ってしまうという不幸が次々とやってきます。更には初恋の人との結婚と浮気をされての離婚を経て、転職した先の生命保険会社での上司との不倫と自爆的な契約に首を絞め、その上戻ってきた母への仕送りもしなくてはならず、ついにはデリヘル嬢へと。どこかの段階でどうにかならなかったのかと救いようのない人生に呆れかえったのですが、あることをきっかけに「平凡な女」である陽子が次第に「強い女」になっていくことにびっくりです。
 陽子が不幸へと落ちていく原因の一端があるのが彼女の母ですが、ラストで母との関係をああいう形で決着をつけることとなるとは、陽子が強くなったと言うべきなんでしょうか。
 読み終わって、なぜか宮部みゆきさんの「火車」のヒロインを思い浮かべました。
 孤独死、生活保護、DV、貧困ビジネス、ブラック企業等々現代の社会問題を背景に一人の平凡だった女性の半生を描いた作品、オススメです。
 余談ですが、綾乃の別れた夫は周囲から見れば理想的な夫ですが、それが逆に耐えられない綾乃のような女性もいるのですね。夫婦関係は難しい。 
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ブラック・ドッグ  講談社 
 クリスマス・イブの日、東京湾に面した埋立地のイベント会場で“ECOフェスタ”というイベントが開催されようとしていた。そこではペット流通大手のアヌビスが品種改良によって生まれた犬のエンジェル・テリアの即売会を行う一方で、動物愛護団体のウィズは保
健所から救い出した犬の譲渡会を実施しようとしていた。いよいよオープニング・セレモニーが始まろうとしたとき、会場の防火シャッターが閉まるとともに、会場内に何頭もの黒い大型犬が姿を現し、人々を次々と襲い出す・・・。
 今までデビュー作の「ロスト・ケア」、「絶叫」と、老人介護問題や貧困問題などの社会的問題をテーマに描いてきた作者が、今回取り組んだのはパニック小説です。閉ざされた空間の中で、殺人犬から誰がどうやって逃げることができるのか、ドキドキの展開です。殺人犬は次々と人間に襲いかかり肉を引き裂き、内臓を喰らうという、映像でなくてよかったと思うほどのスプラッター小説です。
 ウィズの副会長である望月栞とその恋人である元自衛官の長谷川隆平はどうなるのか、セレモニーで歌を歌うために駆り出された中学生の梶川結愛やいじめられっ子で発達障碍の氏家拓人はどうなるのか、アヌビスの広告塔で動物の言葉を理解するという触れ込みのカレンやアヌビスの社長の安東はどうなるのか等々気になって、分厚い作品ですがページを繰る手が止まりませんでした。
 ミステリ的な作者によるミスリーディングもあって、ラストは「これは、やられた!」と唸ってしまいました。
 「まさか、この人まで?」といった具合に登場人物たちが次々と殺人犬の餌食になってしまい、予想を裏切る展開の連続で、ラストも爽快感もなく読後感最悪です。
 よく日本の捕鯨に反対して捕鯨船に追突してくるなど過激な行動をする環境保護団体がありますが、この作品に登場する肉食や動物実験をする人間が許されないとして、それに対しては殺人も辞さないという過激な団体には、あまりに考えが極端すぎてまったく共感を持てません。
※エンジェル・テリアからソフトバンクのCMのギガを想像してしまうのは僕だけでしょうか。 
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コクーン  光文社 
 フィクションとありますが、これはもう完全にオウム真理教事件を下敷きにしているもので間違いありません。物語は、カルト教団「シンラ智慧の会」通称“シンラ’の教祖、天堂光翅の命を受け、6人の信者が起こした丸の内での銃乱射事件を背景に、このカルト教団に関わることとなる者たちを描く4つのエピソードで成り立っています。
 「ファクトリーー2010」では銃乱射事件で幼い子どもを亡くした女性が、「シークレット・ベースー2011」では教組と小学生時代に同級生だった男性が、「サブマージドー2012」では兄が信者として教団の起こした死体遺棄事件に関わった女性が、「パラダイス・ロストー2013」では愛する家族が教団の信者となってしまった男性がそれぞれ主人公となって、“シンラ”に関わらざるを得なくなってしまった彼らの人生が描かれていきます。
 4つの章の間には戦前にハルピンで生まれ、ロシアの参戦で人生が大きく狂った女性の姿が描かれますが、この女性がこの物語の中で重要な位置を占めることとなります。
 「ファクトリーー2010」では、“生活保護ビジネス”ともいっていい宗像病院の姿など、現在の日本が抱える社会的な矛盾や、「シークレット・ベースー2011」では、ネットの自殺サイトで出会った人たちの集団自殺というネット社会故の現象など、今日的な問題を描くとともに、新興宗教を題材に取り上げる際には避けて通れない“神”の存在という難しい命題も描きながら物語は進みます。父親の葬儀のときまで自分の家が仏教の何宗か知らなかったというくらい宗教には無関心の身でも、「この世界は狂った神がつくった悪の世界なんだ」という言葉にはちょっと考えてしまいます。
 第4章の「パラダイス・ロストー2013」には読者を驚かすある仕掛けが施されています。読みながら「あれ?この主人公は・・・」と思う人も多いのではないでしょうか。う~ん、そうきたかぁ・・・。
 単行本のカバーを外すと、表紙と裏表紙に本編のある人物のその後を描いた掌編が掲載されています。内容はある人物の「その後」ですが、カルトはこんなふうにすっと人の生活の中に入り込んでくるんだなぁと改めてその恐ろしさを感じてしまいます。図書館で借りた本では、表紙にカバーフィルムがされているため、カバーを外すことができず、本屋さんに行って、立ち読みしてきました(本屋さん、ごめんなさい。)。 
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凍てつく太陽  ☆  幻冬舎
 舞台は第二次世界大戦終戦直前の昭和19年から終戦までの北海道です。特高の刑事である日崎八尋は、製鉄所の飯場から逃走した朝鮮人労働者の逃走経路を調べるために身分を偽って飯場に潜り込む。やがて、彼を慕っていたヨンチュンを騙して逃走経路を聞き出したうえで、彼を逮捕する。そんな事件後のある日、飯場の監督をしていた軍人と棒頭の朝鮮人が殺害される。殺害に使用された毒が、かつて八尋の父が研究していたトリカブトの毒と成分が一致したため、同僚の刑事・三影から八尋が疑われる。彼は母がアイヌであり、そのため三影から「土人」と罵られ、嫌われていたことも疑われる理由となっていた。アリバイがあったため疑いは晴れるが、更に製鉄所で働く男が殺害される事件が起きる。軍は自殺であると主張し事件を隠ぺいするが、製鉄所に何か秘密があると考えた八尋は製鉄所周辺を調べる。しかし、再び三影により、八尋の部屋から殺害に使用された毒が発見され、アリバイ証言も翻ったとして逮捕され、拷問を受ける。八尋は、拷問死を逃れるために嘘の自供をして、網走刑務所に送られるが、そこには八尋がかつて騙したヨンチュンがいた・・・。
 濡れ衣を着せられての投獄、そして網走刑務所からの脱獄、そこでの思わぬ人物との出会い、そして北海道ならではのヒグマとの戦いなど“脱獄もの”としての面白さに、鳥の暗号名を持つ者たちは何者か、彼らを殺害しようとするスルクと名乗る人物は何者か、更には軍が隠す製鉄所の秘密とは何か、カンナカムイとは何のことなのか等々、サスペンスとミステリとしての面白さが加わり、そのスピーディーな展開もあってページを繰る手が止まりません。
 戦争という特殊な状況の元で生まれたトリックに、葉真中さんのミスリーディングが加わったため、ラストは、まったく想像もしていなかった事実が明らかになりました。見事に葉真中さんにやられましたねえ。いやぁ~おもしろいです。 
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W県警の悲劇  徳間書店 
 W県警に所属する女性警察官たちが挑む6つの事件が収録された連作短編集です。
 「洞(うろ)の奥」は警察官の鑑と呼ばれた模範的な警察官の崖からの転落死事件を調べるW県警初の女性警視となった松永菜穂子を、「交換日記」は小学生女児の殺害事件を捜査する辰沢署の日下凛子を、「ガサ入れの朝」は3D拳銃の密造場所へガサ入れをかける組織犯罪対策課の千春を、「私の戦い」は電車内で痴漢をした男を取り調べる野倉署生活安全課の葛城千紗を、「破戒」は神父による父親殺害事件を調べる日尾(ひび)署刑事課に所属する滝沢純江を、そして最後の「消えた少女」は冒頭の「洞の奥」の翌年、W県警初の警視正となり、幹部の集まる“円卓会議”のメンバーとなった松永菜穂子をそれぞれ主人公にして事件が描かれていきます。
 最近は女性警察官の採用を増えているようですが、もともと警察社会は男性優位の社会であることは多分否定できないと思います。これまでも誉田哲也さんの「姫川玲子」や「魚住久江」、結城充考さんの「黒葉佑(クロハユウ)」など女性警察官を主人公にした作品はありましたが、女性警察官たちを主人公にした連作短編集は珍しいのではないでしょうか。
 といっても、この作品は姫川玲子のようにカッコいい女性刑事の活躍を描くものではありません。ネタバレにならない程度に言うと、冒頭の「洞(うろ)の奥」と最後の「消えた少女」は女性警察官のトップを走る松永の上昇志向が描かれていますが、非常にダークなストーリー展開になっています。それ以外の作品も読後振り返ってみれば、読者をミスリードする要素がちりばめられたストーリーとなっており(特に「ガサ入れの朝」は最初から最後まで読者を騙します。)、読後爽やかという点からは遥にかけ離れた作品となっています。唯一、心が和むのは「交換日記」の同僚刑事に恋する日下の恋バナくらいでしょうか。
 読了後ページを閉じてカバー絵を見て、やられたなあと思う読者もいるのではないでしょうか。 
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ブルー  光文社 
 青梅市千ヶ瀬町の一軒家で家族5人が死んでいるのが発見される。夫婦と離婚して実家に戻っていた長女は包丁で刺された上、ロープで絞殺され、長女の息子は刺殺されていたが、二女は浴室で心臓麻痺で亡くなっていた。二女の体内からは大量の覚醒剤の成分が検出され、更に犯行に使用された包丁とロープから二女の指紋が検出されたため、二女が家族4人を殺害したあと、風呂に入って心臓麻痺を起こしたと考えられた。二女は高校1年生の頃から姿が見られなくなり、その頃より引きこもりであったと考えられたが、共犯者がいたのではと捜査をする捜査一課の刑事・藤崎文吾の元に、二女とアルバイトが同じだったという女性から二女は引きこもりではなく、高校二年生になる前に家を出ており、その後幼い子どもを連れているのに会ったという情報が入る。その時に女性が二女から聞いた連絡先が以前売春で摘発され、顧客に政界や警察官僚の名前が噂されるデートクラブだったため、警察上層部から捜査に圧力がかかる・・・。
 二部では団地の空き部屋から男女の遺体が発見されるところから始まります。「絶叫」に登場した奥貫綾乃が所轄の刑事課の刑事として再登場し、事件の捜査に当たります。そして、彼女と相棒を組む本庁捜査一課の刑事が一部で青梅事件の捜査に当たっていた藤崎刑事の娘・司。捜査を進めていくうちに、事件が司の父が捜査に執念を燃やしていた第一部の青梅事件と繋がりがあることが明らかになっていくという構図になっています。
 物語のテーマになっているのが、近年、大きな社会問題となっている無戸籍者問題と技能実習生という名の低賃金で働かせる外国人労働者問題。両方とも一筋縄ではいかない難しい問題をミステリの形を借りて描いていきます。形はミステリでもいわゆる社会小説です。
 無戸籍であることで一番の被害にあうのは子どもです。この物語では、親の都合で無戸籍のまま生きなければならない“ブルー”と呼ばれる少年がなぜ犯罪に手を染めなければならなかったのかを様々な登場人物の口を借りて描いていきます。 
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ロング・アフタヌーン  中央公論新社 
 二つの作中作が大きな場所を占める作品です。
 年度末の片付けをしていた新央出版の編集者・葛城梨帆のもとに原稿が送られてくる。送ってきたのは7年前、短編の新人賞で最終候補まで残り、梨帆が受賞を確信したが選考委員の酷評により受賞を逃した志村多恵という女性だった。送られてきたのは「長い午後」と題された小説だった。それは、夫に虐げられていた専業主婦の“私”が自殺をしようと家を出たが、大学時代の友人・柴崎亜里砂と出会い、自殺を思い止まり、やがて、彼女に導かれるように大学時代以降止めていた小説を書くことを再開し、賞に応募して落選するという、まるで佐藤多恵自身の私小説を思わせる内容だった。読み進めるいつに梨帆はやがて、その作品に魅了されていく・・・。
 冒頭に置かれた「犬を飼う」という短編小説が、多恵が新人賞に応募した作品ですが、これが衝撃的。捨て犬センターへ飼い犬を探しに来た母娘が、人間に虐待されたが故に人間に懐かず、腹部には醜い傷跡がある犬を引き取って、やがて心を通わせていくという心優しいストーリーかと思いきや、途中で物語の舞台が近未来であることが明かされると、ラストはあまりにおぞましい結果を想像させる作品となっています。あまりに衝撃的な内容で、大どんでん返しとしては評価されるかもですが、ある意味、読むのは辛いです。選考委員が酷評したのもむべなるかな、ですね、
 梨帆にしても、離婚に至るまでの経緯は、共感はできませんし、もし多恵の夫が小説どおりとしたら、そのモラハラぶりに嫌悪感を覚えますし、その息子もこの親にしてこの子ありというバカ息子です。人間的にどうかという登場人物ばかりで読後感はあまりよくありません。