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朝井リョウの本棚

  1. 桐島、部活やめるってよ
  2. 少女は卒業しない
  3. 何者
  4. 世にも奇妙な君物語
  5. ままならないから私とあなた
  6. 何様
  7. 死にがいを求めて生きているの
  8. どうしても生きてる
  9. スター
  10. 正欲

桐島、部活やめるってよ  ☆ 集英社
 第22回小説すばる新人賞受賞作です。
 バスケ部の部長である桐島が部を辞めたことをきっかけとして、直接あるいは間接に影響を受ける5人の同級生の物語が描かれていきます。
 描かれる5人は、野球部の幽霊部員の菊池宏樹、桐島が辞めたことによリレギュラーとなったバレー部の小泉風助、桐島の友人に恋するブラスバンド部の沢島亜矢、クラスの中のランクが「下」であることを自覚している映画部の前田涼也、娘が亡くなったショックで精神に異常をきたした母から亡くなった姉と思いこまれているソフトボール部の宮部実果です。
 題名になっている肝心の“桐島"は登場人物の回想シーンの中に登場するだけですし、彼が部を辞めた理由も級友の口からちょっと語られるだけで、この作品の中で彼自身の口から語られるわけでもありません。その点、拍子抜けという思いを持つ人もいるかもしれません。
 作者自身まだ高校を卒業してそれほどたっていないこともあってか、“いまどき"の高校生の生活や考え方がリアルに描かれている感じがします。クラスの中での「上」と「下」ということが描かれますが、確かにそれも存在するのでしょう。それをそれぞれが暗黙に理解しているなかで、「上」の宏樹が「下」の涼也をうらやましく思うところがあるのが描かれるところにほっとします。
 やっぱり、高校時代っていいですよね。1年で部活を辞めて帰宅部だった僕だって、密かに恋いこがれる人もいたし、学園祭にも一所懸命になりました。悩みだってあったけど、それも高校時代の思い出の1ページです。そんな高校時代を振り返ってみたくなる1冊です。それにしても、この題名はうまいです。平台に並んでいると、ふと手に取ってみたくなります。
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少女は卒業しない 集英社
 今年度で廃校になる高校の最後の卒業式の日の朝から真夜中までを舞台に、それぞれの思いを心に抱いた7人の少女を描いた連作短編集です。
 デビュー作「桐島、部活やめるってよ」で今の高校生の気持ちを鮮やかに描き出した朝井リョウさんが、今度は主人公全員が女子高校生という作品を上梓しました。デビュー作でも男性のくせに女子高校生の気持ちがうまく描いているなあと思ったのですが、今作でもそれは変わりません。
 描かれる7人の少女は、ほのかな恋心を寄せていた教師に告白しようとする少女、卒業式をさぼり自分の好きな道に進むため高校を辞めた幼なじみのダンスを見る優等生の少女、好きな男生徒への思いを送辞で告白する少女、交際していた男子生徒へある思いを告げる少女、好きな男の子の秘密を自分だけのものにしておきたいと願う少女、クラスに馴染めずいたときに出会った心許せる友と別れのひと時を過ごす少女、ある思いのために真夜中の校舎に忍び込む少女。中年を過ぎようとする僕が読むには彼女たちはあまりにまぶしすぎます。
 男性陣は脇役ですが、「屋上は青」の尚輝、「寺田の足の甲はキャベツ」の寺田、「夜明けの中心」の香川など、素敵なキャラの男の子たちも登場します。
 僕自身は受験のため、卒業式に出席できなかったので、当日、皆が抱いた気持ちを共有することができませんでした。なので、青春の1ページとして、卒業式の日の思い出を持つ人たちがうらやましくて仕方がありません。つい、こうしたテーマの作品を見ると手にとってしまいます。
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何者  ☆ 新潮社
 就活を巡る人間模様を描いた作品です。
 長引く不況で大学生の就職活動も厳しい時代が続きます。大学生のIO月1日時点の内定率が63.1%で、これでも2年連続上昇しているというのですが、1O人に4人弱が決まっていないというのですから、実際に就職戦線のまっただ中にいる大学生にとっては以前厳しい状況と言わざるを得ません。作者の朝井さんは、この春に大学を卒業して就職したばかりということで、実体験を題材にしてこの作品を書かれたようです。
 作品では拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良の5人の大学生が就活に励む様子が描かれていきます。みんなが内定が出ないうちはいいですが、誰かに内定が出ると仲のいい友人の間にも微妙な空気が流れるのは仕方がない気がします。自分が内定が出ないのに内定が出た友人を心置きなく祝うのは難しいでしょう。
 作品では拓人を主人公に、自分が諦めた演劇への夢を追い続けるギンジへのうらやましさ故の嫉妬や、あとから就活に臨み、のんびりとしているのに意外に当たりの良い光太郎に対する気持ち、さらにはそんな光太郎の恋人である瑞月への想いなどを描きながら、就職活動を行う大学生たちの心の奥底を浮き彫りにしていきます。
 ラスト近くで明らかにされる拓人の気持ちは、これが本音なのでしょう。でもそんな本音を本人の前では言わず、ツイッターでつぶやくなんて、今的です。どこかで発散しているんですよね。でも、それを厳しく指摘されたからこそ、前に進むことができたのでしょう。
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世にも奇妙な君物語  講談社 
 「世にも奇妙な物語」といえば、フジテレビで放映しているタモリがストーリーテラーを務めるオムニバスドラマです。当初は木曜日の夜に、現在では春・秋の番組改編期等に特別番組として放送されていますが、ホラーあり、ファンタジーありの不思議な世界の話に惹かれて、放送開始当初から欠かさず観ていました。
 この作品集はこの「世にも奇妙な物語」のファンである朝井さんがそれに触発されて書いた5編が収録された作品集です。
 冒頭の「シェアハウさない」は、駆け出しのルポライターが主人公。シェアハウスについての企画が通ったところに、偶然シェアハウスをしている人々と出会います。シェアハウスをする必要もない彼らがなぜシェアハウスをするのか。それが明らかになるラストが恐ろしい、ホラ一系のストーリーです。
 「リア充裁判」は、その人がどれだけ「リア充」であるかを評価する、「コミュニケーション能力促進法」が施行されている世界の話。電車やバスに乗れば、いや、歩きながらもスマホでフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどに人々が夢中になっている現代
を風刺するストーリーです。痛快なラストと思ったら、最後に付け加えられたエピソードはどう理解すればいいのでしょうか。
 「立て!金次郎」は、モンスターペアレントに対しても理想を貫く幼稚園の男性教員が主人公。モンスターペアレントをテーマにしたこれも現代を風刺するストーリーですが、捻りが効いたラストのどんでん返しが素晴らしいです。
 「13.5文字しか集中して詰めな」は、インターネットのニュースサイトで1 3.5文字でタイトルを、3行以内でニュースを要約する仕事をしている女性が主人公。これもまた現代を風刺するストーリー。母親を尊敬する息子ゆえの授業参観での発表が皮肉が効いています。
 「脇役バトルロワイアル」は、有名演出家の蜷川幸子の主役オーディションに呼ばれた日頃脇役ばかりの役者たちが辿る運命を描いています。これは笑ってしまいました。登場人物の名前から誰が読んでも、あの役者がモデルだなあ(演出家なんて、間違いなく大御所の蜷川幸雄さんです。)と簡単にわかり、彼らのセリフに思わず顔を思い浮かべてニヤッとしてしまいます。朝井さん、怒られませんかねぇ。
 ラストのこの話で、この作品集が連作集の形になっていることが明らかになります。 
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ままならないから私とあなた  ☆   文藝春秋 
 表題作と「レンタル世界」の2編が収録されています。どちらも登場人物たちの価値観の違いが大きくクローズアップされる作品です。
 冒頭の「レンタル世界」は、大学時代ラグビー部で、体育会系の男・雄太が主人公です。雄太は、同僚の結婚式で気になった新婦側の友人として出席していた女性・倉持曜子に偶然恋人と参加した脱出ゲームで再会する。しかし、彼女は結婚式の時の落ち着いた印象とは異なり、ゲームではリーダーシップを取る積極的な女性で、名前も高松芽衣と名乗る。彼女に詰め寄ったところ、実は結婚式には“レンタル友達”と出席していたと告白する。そんな彼女に雄太は“レンタル恋人”を依頼し、ラグビー部の先輩であり会社の上司でもある野上の家に遊びに行く。野上の妻の手料理で雄太は楽しい時間を過ごすが・・・。
 相手との信頼関係を築くためには自分のすべてをさらけ出す必要があると考える雄太と芽衣との間で「レンタル友達、レンタル恋人」に対する考え方の違いで議論が起こります。他人に自分のすべてをさらけ出せば良い関係を築くことができるという雄太の体育会系のノリには正直ついて行けません。社会人も5年目になるというのに、よくそんな考えでいることができたなと思ってしまいます。良い意味で純粋な男なんでしょうけど、雄太のような男と付き合って行くのは重たいです。雄太には共感できるところもあるし、レンタル友だちなんて空しすぎますが、やっぱり芽衣の考えの方に与します。
 ラストで予想もしない状況が明らかになるところには、ミステリ的な要素もあって引き込まれました。
 表題作は主人公・雪子と同級生の薫との関係を小学生の頃から大人になるまで描いていきます。無駄や非効率なことを嫌う合理主義者の薫と無駄だと思うことの中に人間らしさがあると考える雪子。それぞれ違う道を進むが故に薫の幼い頃からの唯一の友人としての関係は続きますが、薫が雪子のためと思って完成したものが、ついには大きな亀裂を産むこととなります。薫の合理的な考えは確かにその通りと思うのですが、合理的すぎて、あまり付き合いたくない人ですよねえ。
 科学が日々発達している現在では、無駄や非効率なことは次第になくなっていきます。無駄や非効率を排除していけば、究極的にはすべてが(“おふくろの味”も)同じものになってしまうように思えますし(それでいいじゃないかと言われれば反論できないのですが、でもなぁ・・・)、薫が雪子のために関発しようとするものは、結局は雪子の存在意義がなくなることになってしまうのではないでしょうか。
 朝井さんは結局、雪子と薫の討論の先にはいったいどういう結論が待っているのだろうかまでを明らかにしていません。二人の関係がどうなるのか、この辺りは、読者としては大いに気になってしまいます。ラストは消化不良ですが、それを差し引いてもおもしろく読むことができました。 
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何様  ☆  新潮社 
 2013年に直木賞を受賞した「何者」は、就活を通して自分が“何者”であるのかを見つけていく、同じ大学学に通う5人の大学生を描いていきましたが、この作品にはその「何者」のアナザーストーリー6編が収録されています。
 「水曜日の南階段はきれい」は、光太郎の高校卒業間近の頃を舞台に、「何者」で彼が出版社を目指すきっかけとなる女生徒との出来事を描いていきます高校生が主人公の“青春だなあ”と感じさせてくれるストーリーです。朝井さんへのインタビューによると、実はこの作品は「何者」より前にアンソロジーのために書いた作品で、光太郎というキャラクターを借りて書き始めたのが「何者」だそうです。
 「それでは二人組を作ってください」は、「何者」で同棲をしていた理香と隆良の出会いから一緒に暮らし始めるまでを描いた作品です。幼い頃から何かをする際のコンビを見つけるのが苦手な理香がルームシェア相手を見つけようと努力した結果があまりに悲しいです。
 「逆算」は、大学時代に交際していた男性の言葉によって、自分の誕生日にある負い目を感じるようになった女性が主人公。この女性は「何者」には登場していませんが、彼女の同僚として登場するのが、「何者」でサワ先輩と呼ばれていた拓人の劇団の沢渡です。彼女が気にしていたことを沢渡が解消するのですが、これはなかなか男性にとっては難しいですね。最後のひと言がオチのようで爽やかな一編です。
 「きみだけの絶対」は、烏丸ギンジの甥っ子・亮博が主人公。全国紙に載るほどの有名人になった叔父を持っていることだけが他の同級生とは異なるだけで、部活のサッカーと性的な興味で頭の中がいっぱいのどこにでもいる高校生の話です。この作品集の中で唯一の書き下ろしです。
 「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」は、就活生向けのセミナーで講演を行うマナー講師・桑原正美が主人公。会社では自分より後に入った元ヤンだということで人気講師となった後輩に仕事を奪われ、家では若い頃散々手を焼かし、焼かされたのに、結婚後の今ではすっかり意気投合している妹と両親に割り切れない思いを持ち、鬱屈している正美。両親を悲しませないようにと、一所懸命優等生として生きてきた正美が、元ヤンだからと評価が自分より高いのはおかしいと思う気持ちは理解できます。若い頃散々悪いことをしてきても、「むしゃくしゃしてやった」という言い訳で済まされ、人生色々経験してきた方がいいと評価されるなら、真面目に他人の気持ちを考えながら頑張ってきている人は堪らないですよね。正美の気持ちには共感できます。そんな正美が合同企業説明会で出会った男性に自分と同じ気持ちを感じとってしまいます。この男性が瑞月の父親。この物語では瑞月は留学中だったので、「何者」より少し前の話ということになります。
 表題作の「何様」は、拓人が面接の際に一緒に面接を受けて面接官の笑いを取っていた松居克弘が主人公。就職後、人事部に配属された克弘が、今度は自分が面接官として面接をする立場になることに疑問を感じる様子が描かれます。
 「何者」の公開を前にしてのアナザーストーリー。もうほとんど忘れてしまっている「何者」を映画を観に行く前に再度読みたくなりました。 
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死にがいを求めて生きているの  ☆  中央公論新社 
 「小説BOC」で発表されていた、8組(7人と1兄弟です)の作家が参加した、ある対立軸を抱えた世界の古代から未来までを描く“螺旋プロジェクト”の最初の刊行作品です。この作品で描かれるのは「平成」の時代です。
 冒頭、転倒して頭を打ち、病院のベッドで植物状態で眠る「智也」と、献身的に見舞いに訪れる幼い頃からの友人「雄介」が描かれます。物語は、智也が入院する病院の看護師の白井友里子、小学生の智也と雄介のいるクラスに転校してきた前田一洋、中学生の智也に恋心を抱いている同じ水泳部の坂本亜矢奈、大学時代に行っていた活動でテレビ出演した際に同様に出演者の1人であった雄介と知り合った安藤与志樹、テレビの制作会社のディレクターの弓削晃久という章ごとに異なる5人の人物の語りで「智也」と「雄介」の関係が描かれていきます。そして、最終章は智也自身が智也と雄介の関係を語ります。
 智也以外の人の語りの章を読むと、自分勝手な雄介に対し、智也は何も言わずに彼の言うとおりにしてあげているという関係性が分かります。決して対等な関係とは思えない中で、どうして智也が雄介を突き放そうとしないのか、疑問が生じます。更に、常に自分の周りに敵となるものを作って行動するが、空回りとなる雄介とそれを近くで見る智也という形が見えてきます。物語は、智也と雄介の間に横たわる謎が最後の智也の章で明らかになっていくという構成になっています。まあ個人的には雄介は親しい友人にはなりたくない人物ですよね。
 平成の時代は、この作品の中でも書かれているように、競争ということをマイナスに考え、テストの順位付けや運動会の競技廃止ということが起こった時代です。危険だから、ケガをするからと、組体操も行わなくなった学校も多かったようです。そんな平成の時代の流れに反発する雄介と、それを受け入れる智也がどうして友人でいられたのか、そして、なぜ雄介が植物状態の智也に献身的に関わるのか。「海族」と「山族」という荒唐無稽な話が加わる中で、決して読後感が良くない中で物語は終わります。あのあと、二人の関係はどうなるのでしょうか。 
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どうしても生きてる  幻冬舎 
 6編が収録された短編集です。どの作品も重いです。読んでいると精神的に落ち込む話ばかりです。なぜかと考えれば、主人公たちが自分に似ているからだと思わざるを得ません。
 コンビで漫画を描いていた相棒を裏切って、女に子どもができたことを言い訳にして辛い現実から逃げ出した自分と異なり、漫画を描くことを諦めずに今では世間に注目されている相棒をうらやむ「流転」の男や、転職してもうまくいかない自分に対し、仕事が順調な妻に気後れしてセックスができず、それを外で発散する「そんなの痛いに決まっている」の男、そして同じ話の中の痛いを痛いと言えずに我慢し、本音を言える場をSMに求めてしまった主人公の元上司、そして妻のことを心配しながら実はそれも自分のためで、結局辛い現実から妻を捨てて逃げてしまう「籤」の主人公の夫など、どの人物も現実に正面から立ち向かうことができる人間ではありません。ただ、彼らを非難することができません。そんな彼らも題名どおりどうしても生きていくしかないのでしょうから。
 女性を主人公とする「健やかな論理」の死んだ人のSNSの投稿を探し出すことが趣味な女にしても、「七分二十四秒目へ」の役にもならないユーチューブを見ることでどうにか生きている女にしても同じで、彼女らの人生の先に光は見えません。でも、やはり生きていかざるを得ません。
 最後の「籤」の主人公であるみのりだけは、厳しい現実が待っているにせよ、前向きに生きていこうという考えが感じられ、どうにか救いがあります。最後にこの作品がなければ落ち込んだままで終わっていました。 
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スター  朝日新聞出版 
 大学3年生の時に共同で監督制作した作品「身体」で“ぴあフィルムフェスティバル”のグランプリを獲得した立原尚吾と大土井絋。大学卒業に際し、映画好きの祖父の影響から幼い頃から映画に接してきた尚吾は、映画監督を目指し憧れの監督・鐘ヶ江誠人のもとで監督補助となる。一方、絋は、一度地元に戻ったものの「身体」の出演者であったボクサーの誘いで東京に戻りYouTubeでのジムの動画づくりを始める・・・。
 物語は、同じ映像の世界に入りながらも、映画といういわゆるプロの世界で生きていく尚吾と、誰もがいつでもWEB上に映像をあげることができるYouTuberとして生きていく絋という対照的な道を選んだ二人を描いていきます。
 YouTubeは誰でも発信できるがゆえにWEBには膨大な動画がアップされ、ときに大きな話題となって閲覧回数も膨大な数になるものもあり、一方ほとんど閲覧もされないものもあります。なかには閲覧数を伸ばすために話題性を求めて違法なことをした動画をアップする場合もあるなど何でもありの世界です。片や映画は漫画映画はともかくテレビやネットの普及でわざわざ映画館に足を運んでまで観る人が減少しており、映画を製作して発表できる場は狭まっています。映像の質は低くても多くの人に興味をもって見てもらえるネットの場と、良質な映像を提供する映画の場で、二人はお互いに自分の行っていることを考え、相手の行っていることが正しいのではないかと苦悩していきます。
 今の状況、そして多様性の時代の中で、尚吾と絋のどちらが正解というものではないのでしょうね。ラスト近くで尚吾と同棲する千紗が語る「誰かにとっての質と価値は、もう、その人以外には判断できないんだよ。それがどれだけ、自分にとって認められないものだとしても」という言葉が考えさせられます。 
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正欲 新潮社 
 題名の「正欲」は、きっと「性欲」のもじりだろうなあと思って読み始めた1作です。
 冒頭、男児のわいせつ画像を撮影したなどの容疑で3人の男性が逮捕されたことが述べられます。3人は小学校の非常勤講師の矢田部、大手食品会社勤務の佐々木、大学生の諸橋。3人は公園で子どもたちに水鉄砲を渡し、汗や水で濡れた服を脱いだ子どもたちの写真や動画を撮っていたという。矢田部は容疑を認めたが、諸橋は黙秘、佐々木は容疑を否認しているという。物語はそこから時間を遡り、事件に大なり小なり関係してくる人々、息子が有名小学校に入学したが3年生の頃から不登校になってしまった検事の寺井、モールの中にある寝具店に勤める桐生夏月、自分の外見に自信を持てない神戸八重子、の視点で事件までが語られていきます。
 最近、身近な例ではLGBTのことが各方面で話題となり、価値観の多様化、いろいろな考えがあっていいじゃないか、それぞれの人々の考えを認めるべきだ等々多様性の尊重ということが言われます。LGBTも、ついこの前までは、周囲からは白い目で見られていたのに、今では多くの人が自分がそうだと明らかにしています。そう表明しても周囲が認める時代になったのでしょう。でも、「多様性の尊重」とはどういうことなんでしょうか。確かにLGBTについても、その人はその人で、彼らの考えは否定されるべきではない、尊重されるべきだと思うことは簡単です。でも、そこには何だか「多様性の尊重」を認めている自分が人間的にいいやつだと自賛しているところがあるような気がします。本当にその立場の人の気持ちを理解できているのかというと、そんなに簡単ではないでしょう。実際、登場人物の〇〇フェチには全く理解できませんしね。登場人物の一人が言う「自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」と言われると言葉がありません。 
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