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青山文平の本棚

  1. 半席
  2. 泳ぐ者
  3. やっと訪れた春に
  4. 本売る日々

半席  新潮社 
 「つまをめとらば」で第154回直木賞受賞後の第1作、6編が収録された連作短編集です。
 主人公の片岡直人は幕府の監察役である徒目付を務める26歳の青年。父は旗本に昇進したが、子供に身分を引き継がせることのできない一代御目見の“半席”の家格だった。無役の苦労を知る直人は、父子二代がかりでも二度の御役目に付けば旗本となり永々御目見に出世できるため、次に勘定所の勘定になることを望んでお勤めに励んでいた。そんな直人に上司の内藤雅之はお勤めとは違う出世には結びつかない私的な“頼まれ御用”を依頼してくる。直人は表の御用に支障を来してはならないと思うものの、上司からの頼みに断り切れずに引き受けるが、受けた御用はどれも人間の本質に迫るもので、意外におもしろさを感じてしまう。
 内藤からの“頼まれ御用”は、89歳という高齢ながら隠居せずに表台所頭を務めていた老人が釣りの最中に突然筏の上を走り出し、堀に飛び込んで水死した事件、80歳以上で、まだお役目に就いている旗本が集う会でともに87歳で仲の良かった老人二人の間で刃傷沙汰となった事件、武家屋敷で20年以上も律儀に奉公をしていた男が病気で自ら身を引いて屋敷を出たが、衰弱して主家に引き取られたものの、突然主人の背中を押して頭を打った主人が死んでしまった事件、69歳の御賄頭の老人が近所の57歳の勘定組頭に突然斬りかかった事件、徒目付一の使い手とされ、念流の道場主でもある直人の上司が74歳の元大番組番士に襲撃された事件の5つ、そして最後は“頼まれ御用”ではなく、直人自身が当事者となる事件が描かれます。
 どの“頼まれ御用”も事件自体は解決しています。直人が明らかにするのは、「なぜ、その事件は起こったのか」という“動機”の点です。どれもが事件を起こしたのはそれなりの年齢の者たちばかり。でも、当事者を調べるうちに、その年齢の故こその事件の裏に隠された意外な動機が明らかとなり、直人は人間の心の奥深さに気づかされることになります。
 上司の内藤雅之のキャラが魅力的です。直人のように徒目付を出世の踏み台と考えるわけでもなく、またその役目によって私腹を肥やそうとしているわけでもありません。池波正太郎さんの鬼平犯料帳のように作品中に料理の話が出てくるシーンで、「武家が喰いものをうんぬんするのはいかがなものか」と言う直人に対し、「旨いもんを喰やあ、人間知らずに笑顔になる」と言って自分の言葉のとおりに笑顔を見せ直人の批判を歯牙にもかけず、ひょうひょうとしている内藤に人間としての大きさを感じます。 
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泳ぐ者  ☆  新潮社 
  徒目付の片岡直人を主人公とする「半席」の続編です。
 一代御目見の“半席”の家格だった片岡家を、父に続き御目見の役職につくことによって永々御目見の家にしようと勘定方を目指す直人の姿が「半席」で描かれましたが、上司の内藤雅之からの“頼まれ御用”を引き受けることによって事件が起こる“なぜ”を調べるようになった直人は、勘定方を目指すことをやめ、徒目付としてやっていくことを決意します。しかし、本人の思いとは別に、直人の能力を評価する人もいて勘定方に推挙する動きもあるし、このところ外国船が現れることで重要になってきた海防の部署へと異動させようという動きも現れます。そんな中、今回も徒目付としてやっていくことを決意した直人が調べるのは事件の起こる“なぜ”です。それも「半席」のときのように内藤雅之からの“頼まれ御用”ではなく、自らの意思で“なぜ”を調べていきます。
 三年半も前に離縁された女がなぜ今になって、余命幾許もない病床の元勘定組頭の前夫を刺殺したのか。直人は事件の“なぜ”を自分なりに調べ、その“なぜ”を女にぶつけますが、翌日彼女が返した答えに直人は打ちひしがれます。これは“なぜ”を調べることを己に決めた直人としては辛い結末でした。
 その事件の気落ちした思いを引きずる中、直人は大川の十月の冷たい水の中を毎日決まった時刻に溺れるような下手な泳ぎで往復する男を見ます。その男、願掛けのためにあと2日だけ泳ぐということで、目こぼしをした直人でしたが、そのことが思わぬ悲劇を招いてしまいます。その悲劇が起こる時に、男が笑みを見せたことに“なぜ”を覚えた直人は事件を調べ始めます。やがて、男が大川を泳いでいた理由は突き止めたものの、笑みの“なぜ”には納得できず、長崎への御用の途中で男が幼い頃を過ごした村を訪ねます。そこで知ったのは直人が想像もしない事実。男が抱える闇は直人が思う以上に暗く、底知れないものでした。男の笑みはようやく心の奥底の闇を清算することができることになり、肩の荷を下ろしたからでしょうか。
 今回もところどころで旬のものを使った料理のシーンが出てきます。どうしようもなく暗い事件の合間に読者にいっときの安らぎを与えてくれます。内藤雅之の「旨いもんを喰やあ、人間知らずに笑顔になる」の言葉にほっとします。
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やっと訪れた春に  祥伝社 
 橋倉藩の藩主である岩杉家には岩杉本家のほかに初代の弟の系譜を引く田島岩杉家があり、この岩杉本家と田島岩杉家が交互に藩主を送り出す形をとっていた。藩主の目であり、耳であり、頭でもある近習目付の長沢圭史と団藤巧は、4代藩主である重明が門閥の頭目格の家老たちを打ち取り藩主主権を確立した際に重明とともに剣を振るった「鉢花衆」の末裔として藩政を担っていたが、67歳となった長沢は自分が老いたことを自覚し、近習目付の致仕願いを出す。そんな時、次期12代藩主の座に着くはずだった田島岩杉家の当主が急逝し、奥方を迎えていなかったため、子どもはおらず、藩主の内規である17歳以上の直系男子は祖父の重政だけとなった。しかし、重政は78歳という高齢であったことから、今後田島岩杉家出身の者が藩主に就くのを遠慮したい旨を願い出る。これにより、岩杉家と田島岩杉家との藩主の交代制は終わることとなったが、時を置かず、英断をした重政が何者かによって暗殺される事件が起きる。果たして誰が何のために重政を殺害したのか。長沢と団藤は事件を調べ始める・・・。
 長沢と団藤が「鉢花衆」の末裔だということが語られるときに、「鉢花衆」が彼らのほかにもう一家残っているらしいことが語られます。この「鉢花衆」がこの事件の謎ときに大きく関わってきており、残りの「鉢花衆」が誰であるかも暗殺事件の犯人が誰かということとともに読みどころとなっています。
 ただ、最後に明らかになる犯人の正体については、個人的にはちょっと唐突過ぎるなという感じがします。そもそも登場人物が少ないですし、事件を調べる長沢と団藤が関わって描かれる人物もあまりいません。あの人が犯人と言われても、「そういうことなら、そうなんでしょうね。」という感じです。犯人にとっては、藩のためにと思って生きてきたのに、思わぬ流れになってしまったのは、「ここまで自分はしてきたのにどうして!」という思いが強かったでしょう。悲劇ですね。 
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本売る日々  文藝春秋 
 江戸時代を舞台に、本屋を営む松月平助を主人公に描かれる3編の物語が収録されています。
 平助が扱うのは浄瑠璃本や草双子などの流行物を扱う草子屋と異なり、本は本でも物之本。とはいえ、これはいったい何だと思ってしまうのですが、説明によると、それは仏書であり、漢書であり、儒学書であり、国学書であり、医書であって、草双子はむろん読本も本ではないとのことで、専門書のようなものらしいです。
 平助は毎月1回、城下の店を出て在へ行商に出ますが、特に回るのが名主の家で、収録された3編は平助が回る名主との関りの中で描かれていきます。
 冒頭の表題作の「本を売る日々」では、平助の大事な得意先である小曽根村の名主の惣兵衛が71歳にして17歳の娘を妻に迎えるが、わざわざ江戸から呉服屋や小間物屋を呼び寄せて妻の欲しいものを買い与えており、本に回す分がないのではないかと別の村の名主から言われ、心配しながら訪れた惣兵衛の家で、あるトラブルに巻き込まれます。71歳で様々な人生の経験のある惣兵衛に対し、あれだけのアドバイスをなしうる平助はたいした人物です。
 「鬼に喰われた女」は人魚の肉を食べたことで不老長寿を獲得した八百比丘尼伝説の話です。東隣の国に八百比丘尼伝説があると聞いた平助が杉瀬村の名主の藤助にその話をすると、彼はある名主の娘と取り潰しになった藩の侍との恋の話を始めます。自分を捨てた男への復讐があそこまでのものとは、これは怖いです。更にその話が平助自身にも関係してくるとは2度怖い。収録された3編の中では個人的には一番です。
 「初めての開板」は、名医とはどんな医者かという話です。子どもの頃から喘病の姪がかかっている町医者の西村清順を弟の佐助は名医だと言い、名主の惣兵衛は村医者の佐野淇一こそ名医だという。物語は、この西村清順と佐野淇一との関りが明らかになっていきます。この編のラストでこの物語の最初から平助が望んでいた開版が実現してめでたしめでたしで終わりますが、この平助の話はまだまだ書いてもらいたいですね。 
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