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安藤祐介の本棚

  1. 逃げ出せなかった君へ

逃げ出せなかった君へ  角川書店 
 電通社員の自殺を契機に社会に大きく散り上げられることとなった“働き方”の問題は、ようやく重い腰を上げた政府による働き方改革関連法の施行により様々な施策が展開されるようですが、果たして実際はどうなんでしょうか。
 この作品では、冒頭の「無敵社員」で、投資用マンションと家庭用浄水器を売る会社に入社した大友、夏野、村沢が朝から夜は電話営業及び法人への飛び込み営業、そして深夜と早朝は個人宅への飛び込み営業を命じられ、休む日もなく会社に泊まり込む毎日という状況の中で、精神的、肉体的に疲弊していく様子と、その状況の中から抜け出そうとする大友のあがきを描いていきます。かつては、栄養ドリンクのCMで「24時間戦えますか」とサラリーマンを鼓舞していた時代がありましたが、価値観や生活状況が変化した今の時代に、こんなことをもし経営者側が言ったならば、ブラック企業の典型としてネットで炎上してしまうでしょうね。しかし、ようやく入社した会社だからと、ブラック企業であっても1年でも、3年でもとしがみつこうとする気持ちはわからないではありません。更に上司による日々の洗脳ともいうべき過酷なまでの暴言と逆の甘言に会社を辞めるのを決断できない人も多いのではないでしょうか。
 物語は、過酷な日々を送る大友たちが一時会社を抜け出して深夜の居酒屋に行き、一杯の生ビールに“人生で一番美味しい”と、久しぶりに人間らしく笑い合う様子を描きます。しかし、その後夏野は自殺してしまい、大友は会社に戦いを挑みます・・・。
 2章「詩的社員」以下は、大友らになにかしら関わりのあった人々が章ごとに語り手を務める形で話が進んでいきます。かつては“日本一の居酒屋店長”であったが、あることが原因で今は深夜の道路の通行量調査のバイトをしている青年、息子に優しい人間になれと育てたことが息子を自殺に追いやったのではないかと悩み、定年の祝賀会の帰路でチンピラと争いになってしまう夏野の父、交通課でありながら“脇見”という皮肉な名前を持ち、“命を大切に”という言葉を心のより深いところに突き刺すためには手段を選ばない警官、“アイドル活動”をしていた高校生の頃に行った、人には言えない金儲けによって脅迫を受ける高校の美しい非常勤講師と、ブラック企業問題にとどまらず、社会の中で悩み、生きる者たちが描かれていきます。そして、最後は現在派遣社員をしている村沢が再登場し、彼らと同じようにパワハラ上司に洗脳されている新人社員を助けようとする姿を描きます。
 ラスト、ビリー・ジョエルの「ピアノマン」の流れる店内で大友と村沢が“人生で二番目に美味しいビール”を飲むシーンにグッときます。 
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