「明けない夜は無いんだよ。」


 記憶の中にハッキリと焼きついている言葉


 それを疑ったのはいったいいつだったのか

 それを疑わせたのはいったい誰だったのか












明けない夜
            〜見えない月夜〜
 












「また唐突だね、志保ちゃん…ι」
「あら、そうかしら?」


 顔色も変えずに『切断』なんて言ってくれた志保に快斗は苦笑するしかなかった。
 けれど、そんな苦笑も真意を知っている上でのポーズにしか過ぎない。

 彼女が言う言葉が何を意味しているのかは直ぐに理解できたから。


「で、代わりの物は志保ちゃんが作ってくれるの?」

 それとも俺と共同開発かな?

「どちらがお望みかしら?」

 貴方一人でも可能でしょうけどね。

「まあ、俺は腕がこれだからね。出来れば共同開発がいいんだけど」

 お代は俺の左腕でいいんでしょ?

「解ったわ。じゃあ明日からでも開発に取り掛かりましょうか」

 ええ、貴方の細胞を培養して実験に使いたいから。


 爽やかに交わされる契約。

 快斗は左腕を、志保はその代わりの物を。
 これ以上はない契約だった。


「でも、出来上がるまで切るのは待ってくれるかな?」

 流石に片腕が完全にない状態で外に出るのは無理だからさ。


 苦笑しながらあくまで軽く言う快斗に、志保はただ静かに頷いた。

 今日は日曜日。
 明日からはまた快斗は普通の高校生を演じなくてはならない。
 その為には所詮お飾りでも左腕をつけておく必要がある。


「貴方それで学校生活送れるのかしら?」


 右腕だけで大丈夫なのかと尋ねる志保に快斗は不敵な笑顔を浮かべる。


「志保ちゃん。俺を誰だと思ってるの?」


 平成のアルセーヌ・ルパンとまで謳われた怪盗キッド様だよ?


「見事に左腕を使い物にならなくされた、ね」


 そんな快斗の様子に志保は爽やかに毒づく。


「うっわー。相変わらずきついね志保ちゃんは」

 せっかくの美人さんが台無しだよ?

「これくらいで済むんだから有り難いと思って欲しいわね」


 その言葉と共にそれまでからは一変して志保の顔から表情が消え、気配さえもが鮮やかに変わる。
 その気配に流石の快斗も背筋が寒くなるものを感じる。

 それは裏側に生きてきた者しか纏う事の出来ない気配。
 常に死と隣り合わせで生きてきた者にしか解らないもの。


「私は言った筈よ?工藤君を泣かせたら承知しない、と」


 底冷えするような瞳で見詰められ、快斗も自分のもつ裏側の姿へと鮮やかに気配を変えた。


「そうでしたね。約束を違えた事はお詫びします」

 帰って来たとは言っても、泣かせてしまったことは事実ですからね。

「…次はないわよ?」
「解っています」


 そこまで言って、志保はふっと気配を元の物へと和らげた。


「ならいいわ。じゃあ、今日はしっかり休みなさい」

 でないと工藤君も休めないんだから。

「うん、ありがとね志保ちゃん♪」


 志保が気配を戻したのと同時に、快斗からもさっぱりと裏の顔が消える。
 後に残ったのは『人懐っこい』黒羽快斗。

 その様子に志保は溜め息をつくと静かに部屋から出ていった。










 静寂が支配する部屋。
 聞こえるのは自分が発する音だけ。

(次はない…か…。)

 志保の言葉を反芻して快斗は自嘲気味に苦笑する。

(確かに次はないだろうな…。)

 彼女はきっとその事すら見通して言ったのだろう。
 次の追っ手は確実に今回の者よりも格上。

 どんなに気を引き締めて行ったとしてもここに帰ってこれる保証はない。

 ボレー彗星が地球に最も近付くまであと一月。
 奴等にも相当焦りの色が見えている。

(俺を泳がせておく余裕もないって事か…。)

 これからの事を思って大きく溜め息をつく。
 また面倒な事になりそうだ…。


「まっ、取り敢えずは代わりの物をさっさと作らないとね」


快斗の呟きはひっそりと静まったままの部屋に静かに飲み込まれて行った。










「宮野」
「あら工藤君。まだ起きていたの? 少しは寝ないと貴方の方が持たないわよ?」


 部屋から出てきた志保を呼び止めた新一に少しの非難の色を含めて尋ねる。
 尤も、そんな事は最初から解り切ってはいたのだけれど。


「快斗は…?」
「取り敢えず代わりの物が出来るまでは待って欲しいと言われたわ」
「そうか…」


 志保の言葉に辛そうに視線を伏せる新一に、志保の胸に小さく痛みがはしる。
 彼にこんな表情をさせている当事者を、今すぐにでもこの世から消してやりたいと思ってしまう。

 それは決して出来ない事だけれど…。


「宮野。俺に何か出来る事はないか?」


 真っ直ぐに志保の目を見つめてくる新一の瞳には『心配』の二文字だけが浮かんでいる。
 それがまた更に志保の胸を抉っていくとは知らずに。


「今貴方に出来るのはゆっくり身体を休める事よ。」

 貴方が倒れてしまっては仕方がないでしょう?


 そんな新一に志保は今の自分に出来る限りの優しさを籠めてそう言った。
 新一を少しでもその辛さから解放してあげたかったから。
 そして…こんな気持ちを新一に知られたくなかったから。


「ああ、そうだな。じゃあ隣借りるな」
「ええ。ゆっくり休んで」
「ありがとう。お前も…ゆっくり休めよ?」
「ええ。ありがとう」
「じゃあ、おやすみ…」


 静かにそれだけ言うと新一は快斗の隣の部屋へと姿を消した。

 一緒の部屋にしなかったのはお互いを休ませる為。
 別々にしなければ、どちらも眠る事など出来ないから。


「……早く代わりの物を作らなくてはね」


 そうすれば彼の心の傷を少しでも癒してあげられるから。

 そう…全ては彼の為に……。
















「快斗…」


 静かな部屋の中、ただ彼の名を呼んでみる。
 誰に聞かせる訳でもなく、ごく自然に口から零れる彼の名前。


「俺はお前に何をしてやれる…?」


 呟かれた言葉は今何よりも新一が快斗に聞きたい言葉。


「俺は何をしてやれる…?」


 苦しげに繰り返し吐き出される言葉を聞く者も、それに答える者もそこには存在していなかった…。
















(新一ちゃんと寝てるかな…)


 カーテンを少し開けてみれば空はもう白み始めている。
 結局あれから一睡も出来ないままこんな時間になってしまった。

 身体の為に睡眠をとらなければいけないことは解っているのだけれど、彼の事を思うと眠る事など出来なかった。


(部屋別々にしてもらって本当に良かった…)


 自分がこんな状態では彼はきっと眠ってはくれないだろうから。


「さて、さっさと代わりの物を作るとしますか…」


 快斗は緩慢な動作でベットから降りると、それでも足音も立てずに部屋から出た。


 そのままリビングを抜けて地下室へと向かう。
 彼女もきっと自分と同じ事を考えている筈だから。










「あら、随分と早かったのね」

 予想はしていたけれど。

「志保ちゃんこそ昨日から寝てないんでしょ? 少しで良いから寝てきなよ。続きは俺がやるから」


 そう優しく気遣うように快斗に言われて、志保は自分の中で溜め込んでいた何かが堰を切って溢れ出すのを感じた。


「黒羽君。私に優しくする必要なんて無いのよ?」
「志保…ちゃん?」
「貴方と私は工藤君の為に居るに過ぎないの。だから馴れ合う必要なんて無いでしょ?」


 どこまでも冷たく言い放つ志保に、快斗はそれでもなお優しく微笑みを浮かべ続ける。


「ねえ志保ちゃん。確かに俺達は新一の為に居る。でも、俺は志保ちゃんのこと好きだよ」
「見え透いた嘘はやめて頂戴」
「嘘じゃない」


 志保の目を真っ直ぐに見詰め、快斗ははっきりとそう告げた。
 その余りに真っ直ぐな視線に耐え切れず、志保は快斗から視線を逸らす。
 そんな志保に快斗は小さく苦笑すると、視線をそらされたままで分からないと知りつつも今出来得る限りの笑顔で言葉を紡いだ。


「俺は志保ちゃんの事好きだからね」

 だから、それだけは覚えておいて?


 それだけ言うと、快斗は静かに部屋を出て行った。




「私は…貴方みたいにはなれないのよ…」


 快斗が出て行った部屋の中で志保は一人苦しげに呟く。

 あれだけの闇の中に身を置きながら、それでも彼の瞳は濁らない。
 周りを守る為に孤独を選んだ白き怪盗。

 だからこそ…あの二人は惹かれ合ったのかもしれない。

 あの人も同じ様に周りを守るために一人戦い続けた過去を持っているから。


「どうしてあの人達はあんなに澄んだ瞳を持っていられるのかしらね…」


 汚れきった裏の世界を嫌という程見て来たというのに。
 自分はそれに一時であったとしても身を堕としてしまったというのに。


「嫉妬…なのかしら…」


 いえ、それも違うわ。
 強いて言えば…『憧れ』

 どんなに深い闇の中でも自分を見失わずに輝きつづける事の出来る人達。
 そんな彼等に自分は憧れているのかもしれない。


「早く…仕上げなければならないわね……」


 光の片割れが早く日の光の元で全ての輝きを解放できるように…。


 一人呟いた志保の口元にはこれまでに無い程優しい笑みが浮かんでいた。













to be continue….







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