「明けない夜はないんだよ」


 記憶の中にハッキリと焼きついている言葉


 その言葉を聞きたくないと思ったのはいったいいつだったのか

 その言葉を聞きたくないと思わせたのはいったい誰だったのか












明けない夜
            〜居待月〜
 












「っぅ………」


 口を突いて出た声に、思わず手で口を押える。

 理解はしていた。
 覚悟もしていた。

 それでも、予想以上のその痛みに冷や汗と共に口から零れ落ちそうになる悲鳴にも似たその音が快斗本人すらイラつかせる。


「…もうちょっと俺、強い人間だと思ってたんだけどな……」


 哀には『直ぐ行くから先に行ってて』なんて調子の良い事を言ったが、コレは思った以上に辛い。
 安静にしている分には少し痛む程度だが、少し力がかかるともう駄目だ。
 鍛えている身ではあるからある程度の動作は片手で何とかなるとは言え、ついつい無意識に使ってしまうこの手は余りにも激痛を伝えてくる。

 今この状態では新一と哀の目の前に行っても逆に心配させるだけだろう。
 身体を起こすのを諦め、快斗はベッドへとぽすっと逆戻りした。
 ぼおっと天井を見詰め、頭を抱える。


「分かってた…。分かってたけど……」


 痛みがあるという事は上手く神経が繋がったという事だ。
 成功の証であるそれは喜ぶべき事。
 けれど、予想以上のこの激痛はその副産物。
 繋いだばかりだからという事もあるだろうし、そのうち慣れる筈ではあるが、それはあくまでも予想だ。
 前例がないのだから今後どうなるかなんて分からない。

 考えれば考えるだけ、背筋をゾワリと寒気が襲う。

 もしもこのまま痛みが取れなかったら?
 彼を護るどころか逆に重荷になってしまう。
 最初は快斗を見守ってくれたとしても、彼はこんな自分では必要としてくれなくなって捨てられてしまうかもしれない。

 考えて目の前が真っ暗になる。

 彼の事だからそんな事はしないと分かっている。
 けれど、彼の重荷になるなんて考えただけで吐き気がする。
 護ってやる事が叶わなくても、せめて対等でいなければ彼の傍に居る資格なんてない。
 彼の傍に居れない自分には―――存在価値など無…。


「快斗」
「ぁっ……し、新一」


 突然呼ばれた名前に咄嗟の事で返事が遅れた。
 途端に心配そうに揺れる瞳に後悔が襲う。


「大丈夫か?」
「うん、全然平気。今行くからちょっと待って…」
「バーロ。無理すんな」
「無理なんかしてないよ。俺は…」
「快斗」


 作り笑顔で不安を押し潰して。
 軽い調子で身体を起こそうとすれば、無事な方の肩を押さえつけられてベッドに戻された。


「無理するなって言ってるだろ」
「だから平気だって。無理なんて…」
「バ快斗」
「しんい、…」
「お前、今自分の顔がどれだけ青白いか分かってねえだろ」
「えっ…」


 痛ましそうに細められた瞳が快斗を見詰めている。
 手に込められた力が緩められないのが、現実をひしひしと快斗に伝えてきていた。


「大体俺に簡単に押さえつけられるなんてどれだけ無理してんだよ、お前」
「俺は別に…」
「いい加減にしろ。お前の事なんてお前以上に分かってんだよ」
「………」


 返す言葉なんてもう快斗には無かった。
 唯々、自分がみっともなくて情けなくて、消えてしまいたいとさえ願った。

 こんな自分を彼の前に晒すなんて耐えられない。


「快斗。俺も宮野もお前に無理をして欲しくないんだ。だから辛い時は辛いって言ってくれ」
「………無理でもしなきゃ駄目なんだよ」
「快斗…?」
「無理でも何でもしなきゃ駄目なんだ! じゃなきゃ俺は……」


 言いかけて、それでも言い切れなかった言葉に快斗は思わず新一の手を振り払った。


「快斗……」
「悪い、新一。少しだけ……一人にして…」
「……分かった」


 痛々しいモノを見る様な新一の瞳にイライラした。
 そして、そんな感情が新一に対して湧き出てしまう自分の心にそれ以上にイラついた。

 部屋を出て行く新一の背中を縋る様に見詰め、パタリと閉められたドアに勝手に絶望する。


「俺、最低だ…」


 自由になる方の手の甲で目の前を覆う。

 心配してきた彼をあんな風に追い払うなんて。
 大切で大切で堪らない彼にイラつくなんて。

 どう考えても最低で、最悪だ。


「俺、もう死にたい…」


 ここに帰って来た事自体がもう既に間違いだった気さえしてくる。
 彼や彼女はきっと怒るだろうけれど、あの時死んでいた方がまだマシな気がする。

 そうすればきっと一生彼は自分を愛し続けてくれただろう。
 綺麗な思い出と共にきっと一生快斗を想ってくれただろう。

 でも、今はどうだろう。
 いや、今はいい。
 この先はどうなるのだろう。

 こんな風にイラついて、新一にあたる様な行動を取るのなんて目に見えている。
 そんな自分に吐き気がするのも予測がつく。

 何もかも最低で最悪過ぎて、余りにも身勝手だ。


「……好きだよ、新一。大好きだ……大好きなんだよ……」


 好きで。
 堪らなく大好きで。
 世界で一番愛している人。

 傷付けたくない。
 いつだって彼には笑っていて欲しい。

 なのに……駄目だ。
 こんな自分ではきっと彼を傷付けるばかりだ。

 こんな筈じゃなかったのに。
 こんな筈じゃなかった…。

 頭では冷静に分かっていた。
 痛みが少し落ち着くのを待って、ゆっくりとリハビリを始めれば良い。
 自分の手とは違うコレが少しずつ馴染むのを待って、そうして少しずつ慣れて行って……。
 もともと器用な自分なのだから、何とかなると分かっている。

 それでも、それでも――――。



「駄目だ…。……俺は、傍に居られない……」



 このまま此処に居れば君を傷付けるばかりで。
 このまま此処に居れば君に嫌われるのが目に見えていて。

 だから……だから……。





「さよなら……新一………」





 ――――君に嫌われるなんて、きっと俺には耐えられないから……。






























 ――コンコン


「快斗…?」


 少し時間を置けば快斗も少しは落ち着くだろう。
 そう思って、一人にしていた快斗に遅い朝食でも食べるかと声をかけようと思ってノックをしたが返事がない。
 寝ているのかとも思ったが、弱ってはいても相手は怪盗。
 こんなにはっきりとした物音に何の反応も気配もない事に嫌な予感がして、新一はガチャッとドアを開けた。


 ―――案の条、目の前のベッドはもぬけの殻。


「あの馬鹿っ……!」


 ひらひらと風にそよぐカーテンの裏の窓は大きく開け放たれている。
 彼がそこから出た事は想像に難くないが、あの身体ではそう遠くへは行っていない筈。


「灰原!! 灰原!!」


 慌てて踵を返すと、もと居たリビングへと慌てて駆け戻った。
 その姿を視界に捉えた哀の瞳が歪む。


「工藤君、まさか…」
「ああ、そのまさかだよ。アイツ、逃げやがった」
「…馬鹿ね」
「ああ、大馬鹿だ」


 言いながら新一はコートかけから上着を引っ手繰る。
 その横で哀は電話を片手に博士へと連絡を取っていた。


「博士は捕まったか?」
「駄目ね。まだ学会の途中だわ」
「しゃあねえな…。俺はアイツの自宅の方に行ってみる」
「分かったわ。私は寺井さんの方をあたってみるわ」
「頼む」

 言うが早いか新一と哀は玄関から飛び出した。








































「くそっ……」


 無事な右手を壁に付きながら、ずるずると引き摺る様に身体を支え歩く。
 直接付かなければ大した痛みではないが体力自体が落ちている。
 それに大した痛みではないとは言え、内部から断続的に伝わってくる痛みは吐き気すら覚える程に、眩暈すら感じる程に、快斗を苛んでいた。

 寺井ちゃんに連絡する事も考えたが、それでは直ぐに足がついてしまう。
 それでは意味がない。
 彼の傍から離れなければ何の意味もない。


「…新一」


 彼の名を呼ぶ事で彼に縋っているのは分かっていた。
 狡いとは分かっている。
 彼の元を逃げ出したのに、彼に縋るなんて許されないという事も。

 でも……。


「愛してる…」


 そうでもしていなければ、このままここで蹲ってしまいそうだった。
 蹲って泣き出してしまいそうだった。

 けれど、そんな事決して出来ない。
 ここで膝を付く事は出来ない。



「黒羽、…くん……?」



 下ばかり見ていたからだろうか。
 それとも、意識が漫ろだったのだろうか。

 何を言ってもそんな事は言い訳だと分かっているが、下ばかり見ていた顔を上げて目の前を見れば………そこには見知ったクラスメイトの姿があった。


「は、くば…?」
「何をしてるんですか?」
「何で、お前…」
「僕は工藤君に借りていた本を返しに来たんですが……黒羽君」
「何だよ…」
「……酷い顔色ですよ」
「…うるさ………」


 心配そうに自分の顔を覗きこんでくる白馬が気に入らなかった。
 キッと睨んでやった筈の視界が一瞬ぶれる。







「黒羽君!!」







 あー…うるせえなぁ…。
 そんなに叫ばなくても聞こえてんだよ……。
 つーか、大体なんでお前が新一に逢いに来てんだよ。




 言う筈だった悪態は、混濁する意識の中にゆるゆると飲み込まれ、そして―――――。










 ―――快斗の意識はそこでぶっつりと途切れた。













to be continue….







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