手に入れたのは

 本当の『幸福』


 本当に欲しかったのは

 本当に求めていたのは


 そう

 ずっと一緒に居られる事だけ








籠から出た蒼い鳥[28]〜









「貴方…一体何をしたの…?」


 新一は哀に謝りに行くと言った快斗と一緒に、またこの研究室に戻ってきた。
 そして、新一の診察を終えた後の彼女の反応がコレであった。
 その時の彼女の表情をどう表現したら良いのか…。

 陳腐な言葉で表現するならこの世のモノではないようなモノを見た時のような顔。

 自分が珍獣になったかのような奇妙な感覚。


「何って…」
「細胞の老化が一切見られない。
 それどころか今までボロボロに傷付いていた細胞すら綺麗な状態に戻っている…。
 それに…この今の状態は……。工藤君、貴方一体何をしたの…?」


 向けられた哀の視線を真っ直ぐに受け止める事が出来ず、新一は視線を逸らした。
 代わりにその答えを引き受けたのは快斗。


「言ったろ? 俺は新一を助けるって」
「でもこれは…」
「いいんだよ。俺も新一と一緒に居られるなら何だって」


 『俺も』

 その快斗の言葉に哀は息を飲んだ。


「じゃあ、まさか貴方も…」
「この歯、見てみる?」


 ニヤッと笑って鋭い犬歯を見せてやる。
 作り物の様なその歯に哀の目が釘付けになった。


「貴方達…まさか…」
「少なくとも俺はその可能性は考えてたけどね」
「俺は全く教えてもらってなかった…」


 むうっと頬を膨らませた新一を快斗はよしよし、と撫でてやる。
 そんな様子は微笑ましいと哀も思うのだけれど…。


「全く教えてもらってなかったって…」
「俺は快斗まで一緒にこうなるなんて聞いてなかった」


 ぷいっと拗ねたようにそっぽを向いた新一に快斗は苦笑するしかない。


「黒羽君…貴方…」
「だって、新一のきれーな口元に真っ紅な血なんて付いてたらさ…つい舐め取りたくなっちゃうじゃない?」
「っ……このバ快斗!!」


 内容が内容だと言うのに…。
 全く、そう言う代わりに哀は小さく溜息を吐いた。

 それに安堵と、照れ隠しが混ざっていたのは内緒だけれど。


「相変わらずね」
「哀ちゃん…それは褒め言葉として受取っていいの…?」
「さぁ?」
「うっ……新一〜! 哀ちゃんが虐めるよぉ〜;」
「勝手に虐められてろ!!」


 抱き付かれかけた新一は真っ赤になって、思いっきりみぞおちに蹴りをおみまいしてやる。
 手加減無しのその蹴りに流石の快斗も思わず床とお友達。


「ぐっ…! し、新一…! 流石に手加減なしはないよぉ…;」
「知るか! ったく、このバ快斗が…」


 相変わらずな彼等。
 その姿をもう一度、そしてこれからずっと見ていけるのだと思うと哀は何だか嬉しくて、嬉しすぎて…思わず涙が溢れそうになる。

 でも、貫き通すのはポーカーフェイス。
 それでもきっと彼等にはばれてしまっているから。

 あくまでも形だけになってしまうのだけれど。


「本当に相変わらずね…」
「新ちゃんだって…俺に嘘ついてたりしてたくせに…」
「何だよ。嘘って…」
「俺新一が味覚失ってたなんて聞いてない…」
「そ、それは……」


 今度はうっ、と言葉に詰まった新一に快斗はここぞとばかりに床とお友達になった状態でのの字なんて書いてみる。


「俺が折角作った料理の味も分かってくれてなかった癖に…」
「あ、あれは…」
「嘘で美味しいって言われても嬉しくない…」
「だ、だから、あの後ちゃんと食べただろうが! 美味かったよ! 本当に!!」
「ホント?」
「ああ。ホントだから安心しろって」
「うんv じゃあご褒美にぎゅーってしてvv」


 すっかり快斗のペースに乗せられ。
 反抗出来なくなった新一に調子に乗って快斗はぎゅーっと新一を抱き締めた。

 その様子をずっと見続けて居た哀はぼそっと呟く。


「私もずっと一緒に居られたらいいのに…」

「哀、ちゃん…?」
「灰原…」


 哀としても思わず漏れた言葉。
 はっとして口を塞いでももう後の祭り。

 言葉は紡がれてしまった。


「いいの。気にしないで」
「気にするよ。だって哀ちゃんがそう言ってくれたんだから」


 『そう言ってくれた』


 その快斗の言葉の優しさに押し留めていた涙が零れる。

 泣く資格などないと知っていた。
 泣く資格などないと分かっていた。

 それでもずっとずっと苦しかった。
 一番大切な人達を苦しめてしまうのは。


 ぽろぽろと涙を零した哀を抱き締めたのは意外にも快斗だった。


「く、ろば君…?」
「泣きたい時は泣いていいんだよ。哀ちゃんだって辛かったんだよね。
 本当にごめん。俺本当はずっとずっと哀ちゃんが羨ましかったんだ…」


 ずっとずっと新一の傍に居て。
 ずっとずっと新一と同じ境遇で。

 自分が知らない彼も。
 自分が知らない本当の事も。

 きっと自分より共有している哀が憎かった。
 でも、本当は憎いと言うより羨ましかっただけ。

 新一を本当に大切にしてくれている彼女を。
 新一を本当に愛してくれている彼女を。

 好きにこそなれ嫌いになんてなれる訳はなかったのに…。
 ただの八つ当たりで酷い事を言ってしまった。
 本当に……酷い事を。


「ごめんね。唯の八つ当たりだったんだ。
 新一が戻ってきて…でも、凄く凄く苦しそうで…。
 でも、新一は何も言ってくれないし……どうしたらいいか分からなかったんだ…。
 だからごめんね。俺哀ちゃんとは本当に同志だと思ってるんだ…」
「いいの。私はずっと誰かに責めて欲しかったの。
 私のした事。私の存在自体を。ずっとずっと責めて欲しかった。
 だからあの日、貴方が私を責めてくれた時、私も救われたの…。貴方のお陰でね?」


 『だから、ありがとう』


 小さく小さく呟かれた感謝の言葉に快斗も目頭が熱くなってしまって。
 哀を思いっきりぎゅーっと抱き締めた。


 ああ、全く。
 何て日なのだろう。

 大切な彼が一緒に居られる事が分かって。
 ずっとずっと一緒に居られる事が分かって。
 大切な理解者である彼女と和解まで出来て。

 全く、何て日なのだろう。
 『幸福』なんて陳腐な言葉では表せない程だ。


「黒羽君。熱烈な抱擁は嬉しいのだけれど………程々にしないと大切な彼が拗ねるわよ?」


 けれど、快斗が哀を離した次の瞬間紡がれたのはいつもの彼女らしい台詞。


「は、灰原!!」
「もう、哀ちゃんってば……素直じゃないんだから……」
「あら、私はいつだって自分の探究心に素直に行きてるわよ?」


 哀の言葉に哀から離れた快斗が目にしたのはいつものように笑みを湛えた彼女。
 それに快斗は苦笑すると同時に切実に思う。

 この時間が永遠に続けばいいのに…。
 そう、永遠に……?


「………哀ちゃん!!」
「な、何…? 急に大声を出したりして…」
「俺思いついちゃった!!」


 わぁわぁと、何やら一人でワタワタしている快斗を新一はことんと首を傾げて見詰める。


「一体何を思いついたんだ?」
「いや、俺達吸血鬼じゃん?」
「いや、あんまりそれふつーに言われたくないんだが…ι」


 快斗の言葉にガックリと肩を落とした新一。
 が、快斗はそれにもめげずに快斗は言葉を続ける。


「吸血鬼ってさ……眷族作れる筈だよね……?」
「!?」


 快斗の言葉に新一の瞳が大きく見開かれる。
 そして、その言葉に哀も反応する。


「つまり…それって…」
「そう、俺か新一のどっちかが哀ちゃんの血を吸えば……」


 哀も同類になる可能性があるという事…。


「何だか非現実的過ぎて俺頭痛くなってきたんだけど…」


 いきなり吸血鬼になったなんて訳の分からない事を言われて。
 でも、その証拠の様に痛みすら感じなくなった身体と。
 戻った味覚と。
 そして―――快斗の血を求めてしまう衝動と。

 それに戸惑っている所に今度は『眷族』だなんて…。


「気持ちは分かるけどね…」


 新一の言葉に快斗も苦笑を浮かべる。
 まさか、こんな事になるとは最初は予想もしていなかったから。


「でも、可能性があるなら……確めてみるべきよね?」


 いつになく乗り気な哀。
 やはりその辺りは科学者。
 未確定な事は確めたいのだろう。


「でもいいの? もしかしたらならないかもしれないし…正直どうなるか俺は自信ないし…。
 それに『眷族』が永遠に生きられるのかどうかも分からない…。正直、もう少し哀ちゃん自身が研究した方が…」
「あら。貴方忘れたの? 私も工藤君と同じ薬を飲んでるのよ?」


 口元に笑みを浮かべたまま。
 さらっとそんな事を言ってくれる哀に快斗は凍りつく。


「忘れてるかもしれないけれど、私も工藤君と条件は一緒。つまり、私も同じ状態になるって事よ?
 工藤君とは違って何回も伸び縮みはしていない分身体への負担は工藤君よりは少ないけれど、それでも細胞は酷く損傷しているの」


 当たり前だ。
 身体が大きくなったり、小さくなったり。
 そんな事になれば細胞は悲鳴をあげる。

 今更ながらにそのリスクの大きさを目の当たりにした気分だった。


「だから、どうせ死ぬなら一度ぐらい大きな賭けをしてみてもいいじゃない?」


 そう言って哀は笑う。
 その姿が新一にも快斗にも眩しく映る。


 ああ、何て―――強いひとなのだろうと。


「流石哀ちゃん。本当は俺らより年上なだけあ…」
「…女性に年齢の事を言うなんて失礼じゃない?」
「怪盗紳士、が聞いて呆れるな」
「…………ごめんなさい;」


 結局何があっても、何を言っても変わらないらしい。
 この上下関係は…。


「ま、まあそれはいいとして……哀ちゃんはどっちに血吸われた…」
「そんなの工藤君に決まってるでしょ。貴方の眷族だなんて考えただけでも嫌よ」
「……ソウデスカ;」


 分かりきった事だったけれど。
 ここまでハッキリキッパリ言われてしまうとそれはそれで中々複雑だ…。


「でも、新一に血吸われるなんてちょっとジェラシーかも…」
「………お前の血が枯れるまで吸ってやろうか?」
「いやんv 新ちゃんのエッチvv」


 気色悪い事を言った快斗を新一はキッと睨みつけて。
 あてつけの様に哀を抱き寄せた。


「工藤君!?」
「灰原目、瞑ってろ…」


 チクッとした痛みが哀の首筋に突き刺さる。
 それさえも哀にとっては心地良かった。


「あっ! 哀ちゃんズルイ…;」


 めそめそと泣き真似をする快斗を一瞥して、新一は哀の首元から口を離した。
 その首元に残っているのは小さな二つの紅い穴。

 堕ちた証。


「どうだ…?」


 新一の問いかけに、哀は自分の状態を確認してみる。
 けれど、どこも変わった様子はない。

 そう思った瞬間、グラッと世界が揺れた。


「哀ちゃん!!」
「灰原!」


 受け止めてくれたのはどちらだったのか。
 抱き上げてくれたのはどちらだったのか。

 それすら分からなかったけど、ただ分かったのは――――優しい温もり。








to be continue….



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