嫉妬
憎悪
怨み
こんなに激しい感情を抱いた事などなかった
こんなに激しい感情など抱きたくなかった
笑っていたかった
彼の前ではずっと
優しくしていてあげたかった
彼にだけはずっと
けれど目の前にある現実は―――余りにも無常過ぎた
〜籠から出た蒼い鳥[18]〜
ぎりっ…。
哀がいなくなった部屋。
一人手の中の石を握り締める。
最初は叩き割る筈だったそれ。
幾ら世界一硬い石と言っても割れてしまうのだ。
所詮そんな物。
そんな物が原因で自分の父親が死んだのかと思ったら、何だか無性に切なくなって。
そして、帰ってこない新一に万が一の事があったら―――そう思って割る事の出来なかった石。
役立てるつもりなどなかった。
役立てたくなどなかった。
永遠なんて欲してはいなかった。
ただ、普通に彼と共に生きられればそれで良かったのに…。
「っ…」
唐突に頬に暖かいものが伝う。
激しい感情の渦に飲み込まれそうになる。
殺してやりたいとか。
怨んでやりたいとか。
もうそんな感情で抑え切れない程に自分の闇は出てきてしまった。
今まで必死で抑えてきたものが。
今まで彼を支えに抑え続けていたものが。
内側から快斗を食い尽くそうとしていた。
「何で…何で俺じゃないんだよ…」
どうして彼なのか。
どうして彼にばかりそんな苦行を与えるのか。
神様なんて者が本当にいるなら今すぐ会って絞め殺してやりたい。
「っ…」
ぽたっ、ぽたっ…と留まりきれなくなった雫は顎を伝って石の上に落ちていく。
永遠を与えるのだという石の上に。
「手、傷めるぞ」
目の前が真っ暗になって。
もう気持ち悪いほどになっていた時、耳に届いた音。
その音に快斗は顔を上げる。
見上げればソファーに腰掛けていた快斗の目の前に新一が立っていた。
「新一…」
「何泣いてんだよ。つーか、お前、目の前に立たれても気づかないなんて怪盗失格じゃねえ?」
いつもの様な花のような笑顔で新一は快斗に笑いかける。
快斗を闇から救い上げるために。
ソファーに座っている快斗の高さに合わせる為に。
膝を折って。
ふわりと笑って。
彼の涙に濡れた目尻に口付けて。
泣き濡れた瞳を拭ってやる。
「新一…新一!」
縋るように新一に抱きついてきた快斗を新一は優しく抱き締める。
「何でだよ…。何で俺じゃないんだよ…」
「快斗…」
よしよし、と慈しむように新一は快斗の髪を撫でる。
ふわふわの猫っ毛は相変わらず新一の指にふわりと触れる。
「何で新一なんだ…。何で…」
「お前じゃ俺が困るよ」
その言葉に顔をあげた快斗に、新一は泣きそうな困ったような顔で笑う。
「お前がそうなったら俺が困る」
「じゃあ、どうする……」
「使うんだろ、ソレ」
言われて指を指されたのは新一に抱きつく時に快斗が放り出した石。
その言葉に快斗は呆然とする。
「聞いて…たの?」
「ああ」
新一の肯定の言葉。
それに快斗はガックリと項垂れる。
「それなら…全部聞いてたんだね。俺が哀ちゃんに言った事」
「ああ…」
小さな沈黙が二人の間に落ちる。
夕暮れはもう消えてしまっていて。
暗くなってきた空と部屋の影がより快斗の心に闇を映しこんでいた。
「なら分ってるんだろ。新一は俺がお綺麗な人間じゃないって事が」
「快斗…」
「俺はね、新一。綺麗なふりをしてただけなんだよ。
新一の傍に居たくて、新一に好きになってもらいたくて…。
だから許せる振りをしたんだ。優しく全て包み込める振りをしてた…」
哀が新一を苦しめる薬を作った張本人だと知った時の感情は何にも例えられない。
ただ、気持ちの悪い程の胸に張り付いた憎悪と闇は確実に快斗を蝕んでいった。
彼女が彼の傍に居るのが耐えられなかった。
彼女が彼と共に笑うのが耐えられなかった。
彼女の―――彼女の存在が許せなかった。
「ねえ…新一。何で新一が死ななきゃいけなくて…哀ちゃんが生きてるの?」
「快斗!」
虚ろな目で新一を見詰める快斗。
その言葉に流石の新一も声を荒げる。
「だってそうでしょ? 新一は被害者なんだよ…? なのになんで…」
「快斗、もうやめろ」
「何で哀ちゃんは死なないの?」
「もうやめろって言ってるだろ!」
「新一じゃなくて哀ちゃんが死ねばい…」
―――バチン!
響き渡った乾いた音。
呆然と頬を押さえ新一を見詰める快斗と。
大きな瞳にめいっぱいの涙を溜めて、口をぎゅっと結び快斗を見詰める新一。
「いい加減にしろ!!」
新一が叫び声をあげた瞬間、堪え切れなかった雫達は一斉に新一の頬に零れていった。
「新一…」
「ホントはそんな事思ってないんだろ?」
「違う俺は…」
「もう辞めろよ…。そんなに自分を追い詰めないでくれ…」
快斗をぎゅっと抱き締めて。
苦しげに新一は言葉を吐き出す。
「お前そういう事言ってさ…後でまた傷付くんだろ?」
「新一…」
「お前、本当は灰原にあんな事言いたかったんじゃないんだろ?」
「…違う」
「お前は灰原がお前に責めて欲しかったの分ってたからそう言ったんだろ?」
「違う!」
新一を振りほどこうとした快斗を新一は思いっきり抱き締める。
ありったけの力と、ありったけの想いを籠めて。
「もういいんだよ。そんなに自分を追い詰めなくていいんだ。
辛かったんだよな?
俺には灰原がいたけど、お前はずっとずっと一人で戦ってたんだもんな」
もう一度よしよしと新一は快斗を撫でてやって。
それから快斗の頬を手で包むと自分と視線を合わせさせた。
「快斗。俺は傍に居るよ。お前が望むならずっと傍に居るから」
「でも、新一…」
「いいんだよ。お前が俺にいて欲しいっていうなら永遠だって受け入れてやるよ。
だって―――お前が生きている限り俺はずっとお前を見ていられるんだろ?」
快斗の迷いにすら新一は笑ってみせる。
まるで大したことじゃないと言う様に。
「でも新一…。これはあくまでも伝説みたいなもんで…」
「試さないより試した方がいいだろ? どうせ失敗したって大した事はないさ」
余りにも何もかもを受け入れすぎている新一。
もうすぐ自分が死ぬかもしれないというのに…。
その余りの潔さに、快斗はまた涙が溢れていくのを感じていた。
「何で泣くんだよ」
「だって…」
「だってじゃねえよ。ばーろぉ」
抱き締める筈だった人に抱き締められて。
慰める筈だった人に慰められて。
複雑な感じだったけど、何だか気持ちは晴れやかになって。
心の中に巣食っていた闇が少しずつ消えていく気がした。
「新一…」
「ん?」
「やっぱり俺、新一がいないと駄目だ…」
新一をじっと見詰めて大真面目にそう告げた快斗の額に、新一は軽く自分の額を軽くぶつけて笑って見せた。
「当たり前だろ。今までそんな事も気づかなかったのか? バ快斗」
to be continue….