けいの化学物質過敏症歴
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はじめに |
私の今までの状態を紹介したいと思います。 まだまだ完全復活はしていませんが、フルマラソンを走れるぐらいまでは回復しました(^_^)v 試行錯誤しながらでも、前向きに生きていけば必ず回復すると思っています。 化学物質過敏症で苦しんでいる患者さん、一緒に闘って回復させましょう(^o^) |
2009年6月6日現在の状況 |
2月の出来事で、いまだに人から聞かれ、思い出さされることがまだあり、精神的にかなり傷つけられたことだったために、その心の傷からストレスを抱え、体調が悪いときが多くなってます。 が、以前と比べればかなり良く、体調が悪いといっても寝込むことなく、毎日のように走ってます。 |
2月の出来事の説明 |
08大田原完走記1に書いたように、フルマラソンを完走できる状態まで回復しました。 ほとんど完治に近い状態まできたと思われたのですが・・・ 2月14日の市の行事で、禁煙の建物の当然禁煙の部屋で、しかも大きく禁煙の張り紙がしてあったのにも関わらず、警察官等が喫煙し、それが原因で急性的な受動喫煙症になり、呼吸困難、意識消失、痙攣等起こして救急車で搬送されました。 それだけならすぐに回復したのでしょうが、この警察官達に謝罪されないばかりか、関係者からの理不尽な言動や対応に精神的にかなり傷つけられ、精神状態が不安定になり、完治に近い状態から一転、田植えでの農薬、除草剤散布や草焼きを中心にした暴露などで、頭痛や咳き込み、目や皮膚の痛みなど、また苦しむ日が出てきております。 (医師の診断・・・この出来事が引き金でストレスも加わったために悪化) 今回の件で、ストレスや理不尽なことでの精神的にかなり苦しめられる状態が続くと、化学物質過敏症が悪化してしまうことがわかりました。 |
簡単な病歴 |
2004年2月に倒れるが、長い間原因不明。 2005年9月に化学物質過敏症と診断される。 最初の大きな異常から1年7ヶ月の間に、どんどん症状が悪化し、2005年9月からようやく治療が開始されたことになる。 試行錯誤の治療で体調は一進一退。 化学物質過敏症発症から6年目になったが、最近の調子悪さは、以前と違って寝込むことはないので、かなり良い状態になったのだと思う。 |
化学物質過敏症になってしまった原因 |
「体質的なものと、職場でのなんらかの薬品の吸引、受動喫煙など複合的になってしまった。」とのこと。 家族で喫煙者はないので、職場環境が原因の発症としか考えられないと診断された。 |
現在の治療等 |
○6〜8週間隔で、盛岡病院の化学物質過敏症外来を受診。 ○運動療法(ランニング)と喘息治療薬の相乗効果で、日常生活は問題なし。 ○体調悪化時も在宅酸素とタチオン錠服用で、自宅で対処。 |
化学物質過敏症の快方に向かった治療 |
○避けられる暴露は避ける。(避けられない場合は活性炭入りマスクの着用等) ○運動療法(発汗による解毒と体力の強化等) ○喘息薬の吸入(アドエア) ○タチオン錠(解毒を促す薬)の服用 ○酸素吸入(現在も悪化時は酸素吸入できるように在宅酸素の用意がされている) |
2004年以降の不名誉な回数・・・救急車搬送9回 |
化学物質過敏症がわかるまでに通った医療機関 |
某県立病院・・・当初は不整脈かも?と診断も、結局異常なしと診断される。 個人医院神経科・・・気の持ちよう。異常なし。 個人医院心療内科・・・「パニック障害」「強迫性障害」 某市立病院・・・異常発見し、原因はなんらかの薬品などの吸引では?と「化学物質過敏症」のヒントをくれる。 某総合病院神経内科・・・気の持ちよう。異常なし。 |
経過詳細 2008年以降は大田原マラソン完走記などにも記載してますので省略しますm(__)m |
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2004年〜2007年 | |||||
2004年以前 | |||||
環境 | 職場で昼間の勤務だけの契約で入社したが、30歳を過ぎて部署を変えられる。 しかも勤務時間まで12時間勤務に半強制的に不規則勤務に変更させられる。 (昼勤8:15〜20:15を4日、その後2日休んで次は夜勤20:15〜8:15を4日、そして2日休み) 子供も生まれて夜勤明け等寝不足状態。 慣れない部署でストレスいっぱいに。 休憩時間は、休憩室が喫煙者の煙でいっぱい。 |
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体調 | 職場に行くと、頭痛が酷くなり、常に体がだるい。 使用する薬品等で頭痛や吐き気に襲われるときが出てきた。 |
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暴露 | 職場での受動喫煙と多数の薬品の使用。 | ||||
病院 | 特に通院はせず。 | ||||
その他 | 会社の健康診断でタバコの煙による不調を訴えるも何も変らず。 その他にもいろいろな上司に訴えたが、喫煙者が多くて全く聞いてもらえなかった。 |
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2004年(だんだん悪化) | |||||
環境 | 3月に体調不良で退職。 (職場で具合が悪くなるし、体調不良が続くため) 職業訓練校→再就職。 12月末に体調不良で再び退職。 (頻繁に倒れて迷惑をかけ、しかも体調が良くなる傾向が見られないため) |
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体調 | 常に頭に締め付けられるような感じ。 体がだるく、急に呼吸が荒くなったり、意識が遠のく。 イライラして怒りっぽい。 |
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暴露 | 職場での受動喫煙と多数の薬品の使用。 受動喫煙以外では特に異常を自覚することはなし。 |
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病院 | 救急車搬送2回(両方共に某県立総合病院) 2月・・・過呼吸や激しい頭痛により意識消失 11月・・・過呼吸や激しい頭痛により意識消失 某県立病院 2月は内科に12日間入院。 心室頻脈症疑い?(不整脈?)と、はっきりした原因や病名がわからず。 経過観察で特別な治療はなし。 合計3人の医師の診察を受けたが、結局原因や病名はわからず、異常なしとのこと。 個人医院神経科受診 気の持ちようと言われ、精神安定剤を処方さる。 |
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その他 | 家族によると怒りっぽくなり、家族が嫌がるほど、性格が悪くなっていったようだ。 | ||||
2005年(最初に倒れて1年7ヶ月後に化学物質過敏症と診断される) | |||||
環境 | 自宅にいることが増える。 近くは田んぼが多い。 |
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体調 | 頭痛、脱力、意識消失、目の痛み、体の硬直、痙攣等の症状が頻繁に起こる。 | ||||
暴露 | 前半 特に何かに暴露した異常を自覚せず。 後半 蚊取り線香・洗濯物の柔軟剤・タバコの煙・近くの新築のアパートの工事 芳香剤・防虫剤・農薬・除草剤・草焼き等々 |
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病院 | 救急車搬送3回(2回は某県立総合病院・1回は某市立総合病院) 3月(県立病院)・・・激しい頭痛に体の脱力が起こり、意識消失 6月(市立病院)・・・錯乱状態 10月(市立病院)・・・呼吸困難、脱力、意識消失 個人医院の心療内科を受診。 強迫性障害、パニック障害などと診断され、精神安定剤を処方される。 (結果的には誤診?) 某県立病院 2人の医師が異常なしと診断。 某市立病院 異常を発見。 「器質性解離性障害?」(高アンモニア血症、パーキンソン病に似た症状) 某総合病院神経内科 異常なし。気の持ちようと言われる。 盛岡病院 化学物質過敏症と診断。 盛岡市の県立病院眼科(盛岡病院からの紹介状で、化学物質過敏症の為の検査) ギリギリの正常範囲だが、恐らく化学物質過敏症の影響で異常に近いのがいくつかあった。 |
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詳細 | 上期で100回を越す意識消失。 家族は慣れてきてしまい、私が倒れてもほっとかれる。 その間、2階から階段を転落、道路で倒れる、頭を強打するなど辛い目にあう。 しかし、気の持ちようと相手にしてくれなくなる。 あまりの辛さに私は錯乱状態になり倒れて、救急車で搬送される。 病院は某市立病院のに運ばれ、精神科の医師が対応。 あまりの異常に、自殺の恐れがあると、精神病棟に入院するようにと言われ入院。 その医師は 「絶対異常みつかるから。これは精神疾患ではないから。」 と言ってくれる。 入院して様々な検査をしたところ、高アンモニア血症などの異常がみつかる。 医師の診断は 「アンモニアが分解されず、脳に毒素が回り、ドーパミン異常でが起こっている。それで、パーキンソン病に近い状態になっている。おそらく記憶障害起こしていたり、怒りっぽくなっていたりしたのでは?」 家族は当たっているので驚く。 その後医師に 「教科書通りの病名はなく、なんでこうなったのかはわからないのですが・・・。あえて病名を付けるとすれば、器質性解離性障害でしょうか・・・。」 と言われる。 そして治療は、徐々に精神安定剤を減らし、抗パーキンソン病薬等を使用。 抗パーキンソン病薬等が効いたのか、9日程で体調が良くなり退院。 退院後は怒りやすいなどはなくなり、元の温厚な性格になる。 そして、以前のような意識消失はなくなった。 良くなったように思ったが・・・ 蚊取り線香や、洗濯物、タバコによる頭痛、吐き気に悩まされだした。 医師によれば、 「あまりにもひどい脳神経異常で今まで気がつかなかっただけで、薬が効いて脳の状態が改善され、わかるようになったからだろう」 とのこと。 いろいろな物に、多分以前から反応していたと思うとのこと。 しかし、医師は悩み、 「なんでこういう状態になるかわからない。もしかして薬品吸わなかった?」 と聞いてきた。 アメリカのある俳優らが、ロケ地で薬品を吸いパーキンソン病になってしまったとのこと。 パーキンソン病に似た症状が現れることがあるからとのことで。 「前の職場で薬品担当したことがあったんですが。」 と私が答えると、 「それが原因かもしれない。」 でもわからない?と悩む。 神経内科の受診を勧められ受診するも異常なし。 ここでも精神的なものとされる。 インターネットで自分の症状を調べだしたら「化学物質過敏症」というのを見つける。 横浜のCS(化学物質過敏症)支援センターに電話相談。 そこで、化学物質過敏症かもしれないと言われ、化学物質過敏症外来のある盛岡病院へ電話。 主治医は当初、私の異常を見つけ、自信満々だったが、なんで高アンモニア血症になったかわからず、その後の蚊取り線香や洗剤などで起きる異常にも悩み、私が診察に行く度、不安な顔つきになった。 主治医に盛岡病院を受診したい旨を伝えると 「化学物質過敏症はよくわからないけど・・・」 としながらも行く事に反対はせず、9月9日初めて盛岡病院へ。 化学物質過敏症外来へ行き、長い問診など行い、診察を受ける。 そして「化学物質過敏症」と診断される。 その後、盛岡病院で、某市立病院の医師に手紙を書いて、検査や診察は盛岡病院で実施し、某市立病院では盛岡病院の状況を見ながら診察し、薬を処方するという連携体制が出来る。 盛岡病院では 「体質的なものと、職場でのなんらかの薬品の吸引、受動喫煙など複合的になってしまった。」 と診断。 某市立病院の医師は 「受動喫煙はよくわからないけど、なんらかの薬品吸引により発症。」 と診断。 ようやく化学物質過敏症とわかった。 |
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その他 | 二人の医師に職場環境が原因と言われ労働基準監督署に相談。 労働基準監督署担当者も個人的には職場しかないと思うがと言ってくれるも、物質等特定できず、労災にはならず。 |
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2006年(一進一退) | |||||
環境 | 近くは田んぼが多い。 道路工事等頻繁に行われる。 非常勤の勤務を行うがほとんどが喫煙者。 |
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体調 | 頭痛、脱力、意識消失、目の痛み、体の硬直、痙攣などをよく起こす。 | ||||
暴露 | 近所の洗濯物の柔軟剤と漂白剤・塗装 農薬や除草剤散布・タバコの煙・道路工事のアスファルト等 |
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病院 | 救急車搬送2回(両方とも某市立総合病院) 1月(市立病院)・・・呼吸困難、脱力、痙攣 5月(市立病院)・・・呼吸困難、脱力、痙攣 両方とも道路のアスファルト工事が原因で倒れる。 市立病院と盛岡病院と連携して治療。 |
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経過 | 非常勤、アルバイト等少しは働けるようになったが、まだ外出できない日が多い。 | ||||
2007年(天国から地獄へ) | |||||
環境 | 近くは田んぼが多い。 非常勤の勤務を行うがほとんどが喫煙者。 |
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体調 | 非常勤の仕事に行くと体調が悪くなる。 様々なものに反応する。 特に非常勤で仕事をした後に頭痛、脱力、意識消失、目の痛み、体の硬直、痙攣などで苦しむ。 |
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暴露 | 非常勤勤務時の長時間の受動喫煙 農薬や除草剤散布・殺虫剤・芳香剤・香水等 |
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病院 | 救急車搬送1回(某市立総合病院) 7月(市立病院)・・・呼吸困難、脱力、痙攣 盛岡病院 4週〜6週毎に通院。 市立病院 経過観察で1日入院。 当初は盛岡病院と連携して治療していただいていたが、担当医退職により、8月からは市立病院には通院せず。 某県立病院 盛岡病院から紹介状を書いてもらい、体調悪化時に酸素吸入と点滴を受けれるようにしてもらう。 数回酸素吸入と点滴実施。 |
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経過 | 春先は完治したかと思うぐらい回復したが、非常勤勤務先の受動喫煙によって悪化。 ラジコンヘリからの農薬散布では呼吸困難を引き起こし、自立歩行が出来ないまでに・・・ 一時は杖をつき、今後の車椅子人生も覚悟した。 受動喫煙がひどいので、非常勤の職場は退職。 |