妄想幕末風雲録 − 2

話の続きの関係で掲示板のままコピーした部分もあります。 アイ


名前の不思議 投稿者:kazuya 投稿日:2004/11/27(Sat) 23:44 No.341

西郷従道(じゅうどう)
通称は信吾。本名は隆興(又は隆道)。維新後に太政官に名を登録する際、「隆興」をリュウコウと読んで口頭で登録しようとしたところ、訛っていたために「ジュウドウ」と聞き取られ(ホントカイナ?)、「従道」となってしまった。本人も特に気にせず結局「従道」のままであった。
一説にはリュウドウといったのをジュウドウと効き間違えたとも。
兄隆盛も間違いを直さないし兄弟共におおらか過ぎますね。
ツグミチと、読まれることが多く、三男の従徳ジュウトクさんもツグノリと、読まれてしまうことが多いですね。マキリンガンバ (^0_0^)タツゥガンバ (#^.^#)



Re: 名前の不思議 沙織 - 2004/11/27(Sat) 23:56 No.342  

ヘ〜?〜・〜?〜知らんかったです。
へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
こんくらいのHE〜ですカァ。



Re: 名前の不思議 まきりん - 2004/11/28(Sun) 00:04 No.343  

イヤ〜〜ン(^^♪
カズパパ不意打ちとは驚いたでやんすぜェ。

へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
マキリンはこのくらい評価いたします。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/11/28(Sun) 09:44 No.344  

勝麟太郎義邦というのは良く知った名前ですが、明治になってから安房守をもじって安芳とした話は氷川清話の冒頭に書かれています。
お父さんは小吉・号は夢酔・なんと海舟が生まれたときには座敷牢に入れられていたという放蕩息子ならぬ放蕩親父だったんですね。
この人名前は大げさで勝左衛門太郎惟虎というのですよ。
この人の逸話は面白すぎです。

坂本龍馬の諱は直陰のち直柔。龍馬は通称。他に才谷梅太郎などの変名を使用しました。
坂本直陰なんて書いたら知ってるのは龍馬ファンくらいですかね。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/11/28(Sun) 17:41 No.345  

木戸孝允は桂小五郎というのは知っているよね。
写真は夫人の松子

 父は長州(萩)藩医和田昌景でその次男として天保4年6月に誕生しました。
天保11(1840)年桂九郎兵衛の養子に、養家は150石ながら末期の養子故、90石を継承しました。
諱:孝允。
通称:小五郎、貫治、準一郎。
変名:新堀松輔。
雅号:松菊、木圭、広寒、猫堂、老梅書屋、竿鈴(干令)。
苦しい時の木戸を支えた芸子の幾松は明治に入ってから木戸夫人となり松子と名乗りました。
この夫婦に子供は無く妹の嫁ぎ先であった来原良蔵との間に生まれた次男の木戸正二郎を養子に迎えました(その前にも養子に指定した方は居たみたいですが詳細不明)。
1884(明治17年)7月7日に木戸孝允の功により正二郎が侯爵を授爵したが、同年10月28日に没したため、木戸家継承者がいなくなり、孝允の妹の治子と来原良蔵の長男である孝正が急遽養子となって木戸家と侯爵を継承しました。
このことをもって木戸孝允の血は途絶えたと書く資料が多いのですがオットット。
孝正の妻である妙子は孝允の先妻の子であるため孝允の血は受け継がれたことになりますオットットの第2部。
息子の木戸幸一(昭和の政治家、内大臣)は孝正と妙子の間の子ではないのです。
妙子さんが早死したので、孝正の後妻に迎えた山尾庸三(宮内顧問官)の長女の寿栄子さんとの間に生まれた子供であるのですね。
木戸家(桂家)の方は体の弱い方が多かったようですが現代の木戸家の後継者は皆様お丈夫だそうです。



Re: 名前の不思議 ai - 2004/11/28(Sun) 19:11 No.346  

bR41
へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜
bR44
へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜
bR45
へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜
でどうでしょ。



Re: 名前の不思議 沙織 - 2004/11/29(Mon) 22:25 No.347  

bR44
へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
坂本直陰にだけね(^ム^)。
bR45
へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
あげ過ぎたかなぁと反省して2つ削除しましたよ。
もうねょっと。(-_-)zzz



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/11/30(Tue) 23:26 No.348  

長州関係者の続きということで
添付は23歳当時の伊藤博文
伊藤博文 幼名・・・林利助
後伊藤家の養子に入る。
伊藤利介・利輔
文久2年から使用
伊藤俊輔(舜輔)
越智斧太郎・・・・彦根藩偵察の際の変名
伊藤春輔
デポナー ・・・元治元年帰国上陸の際の変名
花山春輔 ・・・元治元年帰国直後の変名
花山春太郎・・・慶応元年、岩国へ向かう際の変名
吉村荘蔵 ・・・慶応元年、長崎滞在の際の変名
林宇一  ・・・慶応2年頃使用
伊藤俊介 ・・・明治元年頃使用
伊藤博文 ・・・明治元年9月頃から使用
春畝   ・・・雅号
ほかのもあるみたいだが良くわからんですワイ。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/11/30(Tue) 23:29 No.349  

伊藤梅子夫人について
       慶応 2年(1866年)    
    4月、博文と結婚
    12月、長女・貞子が生まれる
       慶応4年・明治 元年(1868年)
    8月、次女・生子が生まれる(末松謙澄夫人)
       明治 2年(1869年)
       長女・貞子が夭折
       明治 9年(1876年)
    2月、3女・朝子が生まれる(西垣四郎夫人)
       明治23年(1890年)
    7月、真一が生まれる(母 某女)

 下関稲荷町の置家「いろは」の養女芸者で、伊藤俊輔(博文)と出逢い、後に妻となる。
 伊藤は『酔うては枕す美人の膝、醒めては握る堂々天下の権』という自作の詩そのものの人生で
 好色(時に人の奥さんに手を出したり)の総理大臣だったが、梅子は良妻賢母と言われた。
 伊藤が横死した時も家の者をよくまとめ、
「国のため光をそへてゆきましし、
 とし思へどかなしかりけり」と詠んだそうな。
あと伊藤家は養子の男子がいますが省略。



Re: 名前の不思議 奈津 - 2004/12/01(Wed) 01:08 No.350  

少し調べ物をしていたので眠気覚ましに開いてみました。
パパ、上にある美人の膝の歌は、高杉晋作とも木戸孝允とも言われていますの、誰の詩か今となっては特定できないみたいです。
私としては高杉さんに1票。
あと同じ歌の替え歌らしきものが明治時代に流行したそうですが、それは不勉強で良くわかりません。
漢詩の中に似た詩があった気もするんだけど、自信ありません。
寒くなってきたから風邪に注意してくださいね。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/12/02(Thu) 07:24 No.351  

勝の夫人は民子、お民さんですが写真を探していますが見つかりませんでした。この方も芸者に出ていたと下母澤さんは小説に書いています。
実家は砥目氏、岡野家の養女として勝と一緒になりました。
徳川時代では御家人に嫁ぐにはそれなりの手続きが必要だったようです。

PS 写真が見つかりましたので追加します。
お民さんと娘たち左から逸子・夢・民・孝子
です



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/12/02(Thu) 19:18 No.352  



不思議でもないのですが、取って置きのClaraとその一家。
Clara A. N. Whitney Kaji(1861)
Umetaro Kaji     (1864)
Walter Umehisa    (1886)
Bertha Waki      (1887)
Winifred Kino     (1889)
Mabel Yuki      (1890)
Elsa Rei       (1892)
Hilda Isamu      (1896)

クララ・ホイットニーはニュージャージーで1861年に生まれました。
1875年8月3日に、彼女が、15歳の時、家族とアメリカから明治時代黎明期の日本に一家で来日いたしました。
彼女の父親(ウィリアム・ホイットニー(発明者エリ・ホイットニーの子孫)は、ビジネススクールを始めるために日本へ来ました。
彼女の母親(アンナ)は、宣教師であることを望みました。
(bQ97のところの307参照してくださいね。)

家族は5年間日本に滞在しました。
次に、クララの兄と父親の健康が優れないためにアメリカへ返ることを決めました。
しかしながら、1882年には、彼らは、日本に再来日いたしました( W・C・ホイトニーは1882年8月29日再来日の途次ロンドンにおいて病死した、アンナは翌年日本で亡くなり青山墓地に葬られました)。
1886年に、妊娠(6か月)していた、クララは梶梅太郎と結婚しました。
一男五女に恵まれましたが、1899年に離婚しました。
1900年には、クララが子供とアメリカへ戻りました。
クララ・ホイットニー梶は1936年に亡くなりました。
クララの日記は翻訳が出てますよ。
 クララの明治日記 上、下 クララ・ホイットニー著 一又民子他訳 中公文庫
原文を読みたい人はこれ・“Clara’s Diary-An American Girl in Meiji Japan”。




Re: 名前の不思議 ai - 2004/12/02(Thu) 19:37 No.353  

これからユリアちゃんと多可実君の勉強時間です。
bR52
へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜
へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜へ〜〜
もうちょいとで満HE〜〜あげちゃいます。
て言うことはアメリカに海舟の子孫の方が大勢いる可能性があるんですね〜〜ェ(~o~)。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/12/02(Thu) 19:46 No.354  



オットアイがもう見つけましたかい。

日本初の西洋料理の本だそうですぞ。
明治18年に出版された「手軽西洋料理」で,著者はクララ・ホイットニーなのだ。
チキンライスやハッシュドビーフの作り方が紹介されているそうです、レシピを調べて食べてみたいね。



Re: 名前の不思議 まきりん - 2004/12/02(Thu) 21:18 No.355  

コンバンミ(^_-)-☆
bR52と354あわせ技で、
へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜へ〜
満へ〜を差し上げます。
う〜〜〜〜〜〜んマキリンも食べたいです。
でひでひ、クララの本読んでみたいです、暇が出来たら探してみます。
今チョットreportで忙しいのです。
梶梅太郎さんの写真なんて良くあったものですね、家族で無きゃ見つけられないくらい珍しいものじゃないですか。
特別にビックリでした。



Re: 名前の不思議 kazuya - 2004/12/02(Thu) 21:59 No.356  



まきりん大盤振る舞いありがとう。
ホイットニー3兄妹
左から妹のアデレード・クララ・兄のウイリス
女性セブンで特集したものがどこかにあるか、復刻板でもあればいいんだけどね。
ちと探すのが難しいかもしれませんね。
クララの明治日記は昔講談社で出したのを立ち読みしたような気がしたんだけど、あと父親の思いでみたいのを書いた本も読んだ気が。
なんか記憶のかなたにかすんでしまってよく覚えてないので済みませんが(~_~;)。
レシピ探したらぜひご馳走してほしいぞっと。



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