ブルガリアの首都「ソフィア」は、紀元前5世紀のトラキア人の町セルディカに端を発した町で、ブルガリアの西部に位置し、周囲を山々に囲まれた標高550mの盆地にある人口約110万人の高原都市です。
現在では、第2次世界大戦後の社会主義体制下の旧ソ連や共産党関係の銅像などは撤去されていて当時を連想させるものは見受けられませんでした。。
ソフィアでは、半日徒歩で市内中心部を見て回りました。 中心部の街並みは整然としていて大変美しく感じました。
ご紹介します。
この重厚な建物は、日本語の達者な現地ガイドさんが学んだ「ソフィア大学」です。 | |
「ブルガリア国立図書館」です。 | |
「アレクサンダル・ネフスキー寺院」です。 ロシア人兵士を慰霊する目的で、1882年に着工し、1904年〜1912年のバルカン戦争で建設が中断したが、1914年に約40年の歳月を経て完成をみたバルカン半島最大にして最も美しいといわれる寺院です。 |
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同上。 幅56m、奥行き73m、高さ60mの建物で、金色のドームと12の鐘楼をもつネオ・ビザンチン様式の豪華で荘厳な雰囲気を漂わせる寺院です。 |
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アレクサンダル・ネフスキー寺院広場から写した「国会議事堂」の写真です。 | |
赤レンガの美しい「聖ソフィア教会」です。 首都ソフィアの名の由来となった6世紀に創建された古い教会ですが、一時イスラムの寺院ともなり、また、その後の地震などで建物も崩壊し、現在の教会は、1900年以降に再建されたものだそうです。 |
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「聖ソフィア教会」の前の大きなライオンの像です。 | |
「ソフィア市の起点」です。 | |
捕虜になり盲目になった兵士の慰霊のモニュメントです。 | |
「聖ニコライ・ロシア教会」です。 聖ニコライを祀るため1913年に建てられたもので、金色の5つのドームと緑色の尖塔がとても美しい教会です。 |
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「軍事クラブ」の建物です。 | |
石畳の路に重厚な建物が続くソフィア市の中心部です。 | |
この建物は、「旧宮殿」との説明を受けました。 | |
「ブルガリア大統領府」の建物です。 毎日、正時に行われるという衛兵の交代式を見に行きましたがもう終わっていました。 |
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ローマ帝国によって4世紀に建造されたレンガ造りの「聖ゲオルギ教会」です。 ブルガリア大統領府の建物の裏手に建っていて、正面の建物・シェラトンホテル、 右側・ブルガリア教育省、左側・政府関係の建物に四方を囲まれた中にあります。 |
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2世紀にローマ帝国により造られた防壁の一部で、「セルディカの遺跡」です。 古代の城塞都市セルディカの遺跡が、旧共産党本部前の地下道に残っています。 |
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「旧共産党本部」で、威圧的な外観の立派な建物です。 | |
旧共産党本部前の道路の正面遠くに見える「ソフィアの像」です。 | |
黒い衣装を身に纏った金色の「ソフィアの像」で、右手に月桂冠(勝利)を持ち、左手にはフクロウ(知恵)がとまっています。 | |
「聖ペトカ地下教会」です。 屋根だけが地表に出ている半地下式の教会で、14世紀のイスラム全盛時代に造られた教会らしく控えめの姿を現しています。 |
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「聖ペトカ地下教会」は、外観は窓もなく質素な造りの教会です。 | |
聖ペトカ地下教会の向こうに見える丸屋根の建物は、ブルガリア正教の「聖ネデリャ教会」です。 この教会で、1925年に時の皇帝を狙った爆弾騒動が発生し、100人以上の犠牲者がでたとのことです。 |
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この立派な建物は、なんと「旧中央銭湯」で、現在一部は、「民族資料館」となっているそうです。 | |
1566年のオスマン朝時代に建立されたイスラム寺院「バーニャ・バシ・ジャーミヤ」の裏手からの写真です。 上の「旧中央銭湯の」直ぐ西に建っています。 |
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1910年に建てられた石造りの大きな建物の「セントラル・ハリ(中央市場)」の内部です。 地上2階、地下1階の館内は、食料品を中心とした多くの店舗が並んでいます。 |
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「セントラル・ハリ(中央市場)」で購入したいかにもブルガリアらしい「バラジャム」です。 店の人に、紅茶に入れると美味しいといわれました。 |
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向こうにユダヤ教寺院(シナゴーグ)が見えます。 ソフィア市内には、異なる宗教寺院があちこちに見受けられました。 |
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フォルクロアディナーでの躍動的な踊り手の写真です。 | |
同上。 美しい踊り子さんです。 | |
同上。 フィナーレは、お客さんと一緒に踊ります。 |