山彦というと、漫画や、挿絵では、リュックを背負って、ピッケルを持った人が、高い山の上から、「ヤッホー」と叫んでいる絵が定番である。
これまで何度か山に登っているが、私は山彦を聞いたことがない。まあ、ハイキング程度の低い山しか登ったことがないから聞いたことがないのも当然かもしれない。けれど、本当に山彦は聞こえるのだろうか、と疑問に思ったことがある。それは、山に登ると、向かいの山があまりにも遠いことだ。おそらく何キロも先にあるように見えるのだ。自分の声があんなに遠い山に跳ね返ってまたもどって来るだけの大きさがあるだろうか、という疑問からだ。
もう、ずいぶんと昔のことになる。子どもがまだ小学生になる前だから、二十数年も前になるだろうか。そのころは、休みの日になると二人の子どもといっしょに、犬を連れてよく散歩に行った。近くにある、細い川沿いの道が散歩のコースだった。
その川に沿って、田んぼが視界の続く限り続いている。田んぼの向こうには杉林や雑木林が点在している。いわゆる里山である。
ある日、私たちが歩いていると、田んぼの向こうの林の中で、人の話し声がするのに気がついた。なんだか、がやがやとにぎやかなのだ。そんなところに人がいるわけがない。ひょっとして、と思って、「おーい」と林に向かって叫んでみた。すると、林の中で、「オーオー」と声を掛け合っているのが聞こえてくる。
「やってみな、木が返事するよ」と、子どもらに教えて、三人で「わ」とか「キャ」とか「出てきな」とかいろいろ叫んだ。すると、その声に答えるように、林の中が騒がしくなる。
「あれ、木霊って言うんだよ」と子どもに教えた。
私たちの声が、林の木々に跳ね返っているだけなのだが、それが、なんだが物の怪が林の中でがやがやと話しているように聞こえる。なるほど、木霊とはよく名づけたものだ、と思った。
私が木霊を聞いたのはそれが最初だ。里山のあるところに住むようになったのは結婚してからだし、初めのころは、いっしょに歩く子も、犬もいなかったし、もう外で大きな声など出す年でもないから、それまで聞く機会がなかった。木霊を聞くには、子どものはしゃぐ大声が必要だったのだ。
そのことから、漫画にあるような山彦は本当に聞こえるのだろうかと考えてみた。
疑問に思ったのは語源である。
山彦という言葉が生まれた昔に、漫画のように、高い山に行ってヤッホーと言って山彦を聞いた人はいたのだろうかということである。登山というスポーツが日本にはいってきたのは明治になってからだと聞く。それまで、山に入る人は、またぎか、修行僧くらいだったろう。もちろん、ヤッホーという言葉が入るずっと以前に山彦という言葉があったのだから、ほかの言葉だったろうけれど、その人たちが山に向かって怒鳴ることなどあったろうか。かなり疑問である。もし仮にそういうことを経験した人がいたとしても、かなりまれなことだから、それが語源になることは難しい気がする。
では、本当の語源はなんだろうか、ということを推理してみる。
このあたりでは、平地の林のことも山という。ここに来るまでは、山といえば、ハイキングや登山をする山ばかりが山と思っていた。結婚してから1年ほど住んでいた家の大家さんが、息子を大学に行かせるのに、山を売ったという話をしていた。でかい話だなあ、と思ったのは、登山の山と、林の山の勘違いであった。そのことに気づいたのはずっと後のことだ。大家さんの売ったのは、里山の山なのだろう。
山彦を、里山彦と考えたらどうだろう。里山彦は、子どもたちが里山の近くで遊んでいれば必ず聞こえてくる。昔は、子どもらは今よりはるかに外で遊んでいることが多かっただろうし、大人といっしょに野良仕事をしてもいただろうし、今ほど、うるさい、と注意されることもなかったろうから、子どもの声は響きわたっていただろう。そのころの日本は里山だらけだったろうから、里山彦は大人にも日常的に聞こえていたはずだ。
もうひとつの理由は、木霊と、山彦が同じ現象をさしていることだ。
漫画の、「ヤッホー」は、山に跳ね返っているので、木とは関係がない。この現象を、木霊と同一視するのは難しくなる。山彦と、木霊は違う現象を指すことになる。しかし里山彦とすると、林に声が反響するので、木霊と同じ現象になる。山彦が、里山彦である可能性は大きい。
では、なぜ山彦が「ヤッホー」になったのだろう。
これには二つのことが重なっていると思う。一つは、私が勘違いしていたように、山を、富士山や、浅間山の意味しか知らないということ。もうひとつは、山の上の「ヤッホー」の意味を知らないということだと思う。「ヤッホー」はもともと登山のときに、落石があると、それを下の人に知らせる合図であると、山好きの人から聞いたと又聞きしたことがある。「ヤッホー」と山に向かって叫んでいる山男の姿が、本当は、危ない気をつけろと下にいる人に叫んでいるということを知らない人が、山でヤッホーと叫んでいるのは、山彦を聞くためだと勘違いしたのではないだろうか。山で叫ぶ理由をそのほかには思い浮かばなかったのだ。それが、漫画の「ヤッホー」になったのではないだろうか。
一度、山登りをする人に「ヤッホー」の山彦が聞こえるかどうか聞きたいと思っているのだが、いまだに適当な人に出会わない。
川も、田んぼも、里山もあれから二十年の月日が過ぎたのに、少しも変わらない。しかし、もう木霊を聞くことはない。二人の子どもは独立して東京にでた。散歩相手の犬も二代目だ。いつも一人と一匹で、小さな声で、独り言を犬に聞かせるだけだ。
毎日歩く川沿いの道は今早春で、一日ごとに緑が枯れ草を押し分けて広がっている。今年も、田起こしのトラックターが動き出した。
追記
後日、山登りをしていたという人に聞いてみたら、やはり山彦は聞こえるという。でも、それが、本当に、山に跳ね返ったのか、木に跳ね返ったのかは定かでないみたいだった。どちらにしろ、うえのことは、私の推測だから、本当かどうかは何の根拠もないことです。あしからず。でも里山の木霊は聞こえます。機会があれば一度試してみてください。