雑談目次
若く見えるわねえ

昔ばなし


 田 敞


「なくしちゃった、って。しばらくそこに立ってた」

 彼女はそう言って前のビールのジョッキをぼんやり見てた。

ちょっと間をいて、「昔のことよ。大昔」といって、顔を上げて少し微笑んだ。

 宿坊の大きな食堂はもうほとんどの人は部屋に引き揚げて、人はパラパラになっていた。後に残っているのは、テーブルを挟んで向かい合った私たちと、遅く到着したのだろう数人のお遍路が食事をしているだけだ。

 その人とは昼過ぎお寺を出たところで出遭った。次の札所に向かって歩いているときに、前をゆっくり歩いているのに追いついた。挨拶して、それから話しながら少し一緒に歩いた。

私は「歩きのつもりだけど、うまくいくかは自信が無い」と話した。彼女は「私はこの歳だから歩きは無理。バスとか電車を使って行くつもり。もう古稀なのよ」と言った。「へえ、同じだ。先月なったばかり」というと、「私の方が半年先輩ね」と笑った。少し一緒に歩いて別れた。歩く速さが違うし、話すこともなかったからだ。ところが、宿坊の食堂でまた一緒になった。乗り物で行くほど遠い札所はなかったからその人も歩いたのだろう。

 私もビールを飲んだ。彼女もビールを飲んだ。

「昔、好きな人がいたの。学生の頃。ちょっとの間一緒に暮したの。同棲なんて言葉はやってたころよ」

 どういうことからか、彼女はそんな話をした。お遍路さんはあんまり自分のことを話さないものだ。たぶんビールなんか飲んだからだろう。

「そう言えばそんな時代だったな」

私は相槌を打つ。

「4年の終わり頃。卒業までのほんの少しの間。私は故郷に帰って就職して、彼は残ったの。卒業できなかったの。授業ほとんど出てなかったから」

「結構いるよ。俺なんかもずいぶん適当だったからな」

「離れ離れになって。手紙書いても返事は一度もなかったし。ほんとはその前からうまくいってなかったの分かってたのよ。でも、ときどきは訪ねて行ったりしてたの。休みのたびに行きたかったのだけど、遠いし、行ってもいなかったりして、なかなか会えなかったりして。うっとうしがられてるの分かってたから、だんだん行けなくなって」

「それでもどうしても会いたくなって、つれなくされるの分かってるのに会いに行ってた。彼、気が弱いから、逢うと無下にはできないのよ」

「そうなんだ」

 私は適当に相槌を打つ。

「次の年も卒業はできなかったみたい」

「それで2年目の夏に3カ月ぶりに訪ねたの。会えないとは思ってたのだけど、家が無くなってるとは思ってもみなかった。赤土だけ。離れの古い小さいうちだったけど無くなるともっと小さいのね。母屋の大家さんがその前の年に引っ越したと言ってたから、いずれそうなることだったのね」

「そんなに古かったんだ」

私は相槌を打つ。

「なくなっちゃったんだ、ってその跡をしばらく見てた。うとまれていたって、そこに彼が居るのといないのとは違うのね。彼が消えてしまって、もう二度と会えないというのが、体に染みとおってきたの」

「その後しばらく、引っ越したって手紙が来てないかって、仕事から帰って郵便受け見るのが習慣になってたのよ。来ないのは分かってたのにね。おかしいわよね。ずっと前から振られてたの分かってたのよ。それでももしかってすがりついてたのね」

「うん、分かる気がする」

「昔のことよ。大昔。どうしたのかしらね。きっと卒業できなかったと思うの。怠けものだったし、あんまり勉強できなかったし。頑張るってタイプではなかったし。ちゃんと生きてるといいのだけど」

「大丈夫だよ。それなりにやってるよ。勉強に合わなかっただけで、他の道なら、できることはあるんだから」

「そうだと良いんだけど」

「あのころは世の中が登り調子だったから、何だって職はあったから道はあったよ」

「そうよね、私だってここまで来れたし。あれからもう50年も経ってるのね。生きてけないと思ったこともあったけど。なんとかなるものなのね」

 それから何を話したか忘れたけれど、少ししてそれぞれの部屋に引き揚げた。

遍路は一人で歩くのが普通だから、翌朝私も一人で次の札所に向かって歩きだした。その後も2日くらいは札所や遍路道で出遇って、少し話したりした。札所が近いこともあって彼女も交通機関は使わずに歩いていると言っていた。私は足を痛めて早々にリタイアした。翌年年賀状が来て、その春は高知市まで行って、秋にその続きを歩いたりバスや列車を乗り継いで結願(88か所を回り終えること)したと書いてあった。そして、この春は山陽道を歩くつもりだと。

 その後連絡はない。あれからもう4年になる。今日もどこかの道を春風に吹かれながら歩いているだろうか。たぶんそうだろう。