同時刻は観測者によってことなる。
「特殊相対性理論では、たがいに等速直線運動をしている観測者の群れを考える」「つまり加速運動は考えない」
先に書いたように、この宇宙は全て万有引力に満たされている。すなわちこの宇宙の物質は全て万有引力によって引き付けあう加速運動、相対性理論では、重力による落下運動をしているということである。どちらの理論にしろ、純粋に慣性運動をしている物質はこの宇宙には存在しないといえる。
特殊相対性理論は、地上にある軌道を走る列車を例にして述べられている。ところが、地球は自転と公転をしているので、地上のものはすべて螺旋運動をしている。地球上には等速直線運動をしている軌道はない。特殊相対性理論とはそれくらいの誤差があっても大丈夫な代物である。適当なのだ。
加速運動をしているもの、すなわち、この宇宙のすべての物質にとって光の速度はどのようになっているのであろうか。「つまり加速運動は考えない」特殊相対性理論はどのように現実世界に適用されるのだろうか。
このことから、この理論は、加速しているわれわれの宇宙のことは「考えない」ということになる。特殊相対性理論はこの宇宙の理論ではないということである。
「これらすべての観測者たちにとって光の速さは一定であるというのが実験事実である。」
マイケルソンとモーリーの実験は地上で行われている。太陽の引力で公転し、また自転している地上は、慣性運動をしているとはいえない。すなわち、「考えない」という世界の実験である。
かなり微妙な実験であるといわれている。それを「考えない」はずの螺旋運動をしている装置で測っているのである。相対性理論とはそれぐらいの精度で十分間に合うということのようだ。
同じ速度で同じ方向に動いているものから光を観測すると、光の速度は同じである。これは、同じ列車内から、隣を走っている車の速度を測ると、同じ速度であるのと同じである。列車が150kmで車が同方向に80kmなら、列車内の座席に座っている全ての人に対して、車は、70kmで遠ざかっていると測定できる。
このことから、時速150km(秒速41.6m)で走る列車と同方向に進む光の速度は、30万km−0.0416km=299999.9584kmとなる。
普通の現象である。光と同じ速度で飛ぶ宇宙船から光を観測すると、光は並んで飛ぶことになる。宇宙船の乗客から見ると、光の速度は相対的に、0kmということになる。これはチェレンコフ光の観測で実証されている。光速で飛ぶ粒子からでた光が、その粒子と同速度で飛ぶために、衝撃波を起こしているのがいろいろなところで観測されている。
「光の速さは一定であるというのが実験事実である。」とある。これは、マイケルソンとモーリーの実験をさしていると思われる。
そして、マイケルソンとモーリーの共同実験ひとつだけである。すなわち、検証実験がなされていないので、これをもって実験事実ということは科学としては認められない。また、先に述べたように、地球が背景放射に対して相対速度を持っていることが別々の人工衛星によって観測されている。これは実験と、検証実験に当たるので科学的に事実として認められる。地球が光に対して相対速度を持っているということは、光速度不変を否定する証拠である。
アインシュタインは光速度不変を実証する実験を行っていない。相対性論者もこの実験を検証する実験を行っていない。
マイケルソンとモーリーの実験は、エーテルの存在を検証するために行われている。光速度不変のためではない。したがって、相対性論者は光速度不変を証明するために、せめて2回は検証実験をする必要がある。今の科学なら、装置の性能も格段に向上し、押しも押されもせぬ実験が行われるであろう。ところが、アインシュタインも、相対性論者も、それを決して行おうとしない。理由はなんなのだろう。あまりにも難しい実験だからなのか。費用がないのだろうか。地球が螺旋運動をしているから、実験できないというのだろうか。マイケルソンとモーリーの実験を認めているのだから、それはないだろうが。まさか、アインシュタインという、20世紀最大の科学者が言っていることだから実験するまでもない、などということでもあるまい。それなら最悪である。
物理学を根底から覆した理論である。それが検証実験無しとは恐れ入る。どのような理由があっても、検証無しでは、「実験事実」とは認められないのが科学である。
「いくら速く光を追いかけてその速さを測っても光の速さは変わらない。」
これは何に対しての光の速さなのだろう。ニュートンの絶対空間に対する速さなのだろうか。それとも、追いかけている観測者に対する相対的な速さなのだろうか、はっきりしない。
@ ニュートンの絶対空間
絶対空間に対する速さなら、光はつねに光の速さになる。観測者の速度が変わっても、絶対速度は変わらない。これは地球が宇宙空間を回転しながら飛んでいる速さが絶対空間に対して決まっているのと同じである。全ての速度は絶対空間にたいして決まっている。すなわち全ての速度は絶対的であるということである。
変わるのは観測者に対する相対速度である。問題2で書いたことになる。
A アインシュタインの光速度不変
この場合観測者に対する相対的な光の速度が光速度で変わらないということになる。特殊相対性理論の光速度不変ということだ。これは「実験事実である」とはいえないのは先に書いた。
いままで書いてきたように、光速度普遍の原理は間違っているというのが観測事実であるといえる。
「特殊相対性理論では光の速さに絶対的な意味を持たせ」
光の速さには光の速さ以上の意味は存在しない。空気や、水や、ガラスや、ダイヤモンドや、様々なものを通過するとき、光はそれぞれで速度を変えている。また、水や、空気や、ガラスや、様々なもので、光の進路は屈折したり反射したりして曲がる。暗箱に光を入れると、光は消えてしまう。熱になったのだ。また光源の速度に左右されない。
音も、空気や、水や、物質の中を伝わるときに速度を変える。箱に入れると、やがて消える。熱になったのだ。音源の速度に左右されない。
もし光の速度が絶対的な意味を持つなら、音も、絶対的な意味を持つべきである。
では、光と、時間や空間のどちらが絶対的であるか考えてみよう。
光は人間がつけたり消したりできる。曲げたりはねかえしたりすることだって小学校の実験で行っている。石と石をぶつけても光は作れる。それくらい子どもだって簡単にできるのだ。
では、空間を作ることができる人間はいるのだろうか。いないのである。どのように偉大な学者も、空間を曲げたり伸ばしたりすることもできないのだ。空間に指1本させないのだ。
では、時間はどうだろう。時間も誰も作れない。指1本させない。
時空を曲げて、タイムマシーンをつくろうなどと大学者が言っているが、空想科学の域を一歩も出ないのだ。できるならやってみろといいたい。空間や時間を作ったり、曲げたり、延ばしたり、移動させたりできっこないのだ。
なぜ、子どもでも、作ったり、曲げたりでき、科学者なら、速度も変えることができる光が絶対で、誰も何一つ手出しできない、仕組みや構造すらわかっていない空間や、時間が絶対ではないといえるのだろうか。
時間や空間が相対的であるというなら、時間や空間を作ったり曲げ伸ばしたりして見せなくてはならない。そして、光が、どのように絶対的であるのかを示さなくてはならない。光は人間には手出しできないものだということをである。
物事の判断基準が、間違っているといえる。あらゆる事実の前に、まず、アインシュタインは天才だ、がある。相対性理論に合うように見えるかすかな現象や実験を、後生大事に壊さないように取り上げて、さも証明できたかのように声を張り上げているだけである。
証拠とされるなけなしの現象である、エディントンの観測、重力レンズ、水星の軌道、みんなそうである。これらすべては、相対性理論と関係ない既存の理由でも簡単に説明できる。エディントンの観測や重力レンズは、太陽大気や、銀河団内のガスによる屈折現象ということもできる。水星の軌道は、太陽が楕円球であれば起こる現象であるといわれている。
相対性理論家は、太陽が楕円球であると証明しない限り、相対性理論の効果を否定したことにはならないといって、このことを検証しない。科学は新しい理論を打ち立てたほうが既存の理論を否定しなければならないのが決まりだ。
この場合、ガスによる屈折現象も、楕円球による軌道の変化も、既存の理論である。新しいのは、重力によって光が曲がるとか、重力によって、空間がゆがみ時間が遅れるという理論のほうである。したがって、既存の理論で証明できないということを実験なり観測なりで、証明しなければならないのは、相対性理論家のほうである。太陽が真球であるとか、太陽大気は光を曲げないとかを証明しなければならないのである。
彼らは科学の基本をしらないのか。いや、証明できないからなのだ。自転している太陽が楕円球である可能性は高いのだ。真球である可能性はほとんどない。また、太陽大気によって、光が屈折するのは、地球大気の屈折現象から考えて十分考えられる。空説しないなどということは考えられない。実際のエディントンの観測の数値も、銀河の重力レンズの数値も、相対性理論から計算したものと違っているという。屈折現象だからである。
簡単な、マイケルソンとモーリーの実験すら、追試に手を出すことができないのだ。正確にやると、光は速度を変えているのがでてしまうのを知っているのだ。そんなことになったら、困ったことが身に降りかかってしまうからなのだろうか。
スペースプレーンの前と後ろに鏡を取り付けて、その「真ん中に立っている人から両方のミラーに光の信号を同時に出す。スペースプレーンの中の人にとっては、どちらの方向への光の速さも同じなので、信号は両方のミラーに同時に到着する」
チェレンコフ光という光がある。これは光速で飛ぶ粒子から出た光が、粒子と同じ速度で飛ぶために、光が次々にたまり、衝撃波を起こす現象である。
これは、光は光源の速度に影響をされないから、光速で飛ぶ光源からでた光も光速で飛ぶために、光速で飛ぶ光源と同速度になり、並んで飛ぶために起こる現象である。したがって、スペースプレーンの中の光源が出した光も、光源の速度とは関係なく光速で飛ぶ、もし光源が光速なら、チェレンコフ光の粒子と光のように、スペースプレーンの中の光源は光と並んで同速度で前方に飛ぶことになる。すると、光源装置と、同じ速度で飛ぶ前の鏡には永久に光が届かない。後ろの鏡には、通常の反部の時間で到達する。これは、光源が光速でなくても、光との相対速度が現れるということである。すると、「両方のミラーに同時に到着」はしない。後方のミラーに早く到着する。
今まで述べたように、光は、物質に対して光速なのではなく、絶対空間に対して光速なのである。