エディントンの「時間の矢」
「時間はなぜ「未来」から「過去」へ流れない」
コーヒーにミルクを混ぜる。この混ざったコーヒーはもとのコーヒーだけに戻せない。「このように、時間的に逆戻りできない過程を「不可逆過程」という」
このために、「私たちは、時間が過去から未来への一方通行であるように感じている」
とある。
コーヒーを持ち出すまでもなく、全ての事象が不可逆過程である。過去に戻してやり直せたことなど、人類の歴史が始まって以来ひとつも存在しないだろうと思われる。
もし、ミルクの混ざったコーヒーを、もとのように、コーヒーとミルクに分ける技術ができたとしても、それで、過去に戻れるわけではない。積み木を、組み立てては崩しまた組み立てても、時間が行ったり来たりしているわけではないのと同じである。
時間とはそういうものである。積み木を何もしないで積んでおいても、時間は経過し、積み木を組み立てても同じように時間はすぎていく。もちろん、どんなにすばやく積み木を組み立てても、時間経過が早くなるわけではないし、ゆっくりつんでもそれで時間経過が遅くなるわけでもない。時間は事象とは関係なく経過しているようである。
時間の矢とエントロピー
(1)問題
「秩序だった状態は時間とともに乱雑な状態に落ち着いていく。」
「膨大な数の原子がかかわる過程はほとんど確実に付加逆なものになり、その結果として時間の矢があらわれると、ボルツマンは結論した」
(2)考察
これもコーヒーと同じ発想である。コーヒーとミルクが混ざって乱雑な状態になったら不可逆であるから、その結果時間の矢ができるというのである。
しかし、その逆にエントロピーが減少している例がある。
「自然界では、時間とともに秩序が生まれて行く過程が見られる」
として、分子が核酸になる過程と、銀河が示されている。
分子が核酸になるのは、太陽エネルギーのためである。銀河ができるのは、万有引力のエネルギーである。
「外からのエネルギーをつぎ込めば、エントロピーは簡単に減らせるのである」とあるとおりである。
「だが宇宙全体を考えれば、やはりエントロピー増大の法則は成り立っている。そして宇宙全体を貫く時間の矢は、たしかに存在しているのである。」
エントロピーが増大しているときだけ時間の矢が現れるとしたら、エントロピーが減少しているところでは時間の矢が反転しそうである。
たとえば、人が、成長していく過程は、エントロピーの減少の現象である。すると人は、成長するにともない時間が過去にもどることになる。銀河も、ガスが集まって、収縮し、銀河になるときはエントロピーの減少であるから、時間も逆転しそうである。
宇宙全体のエントロピーが増加している (それを実証する証拠は現在のところない)ために、宇宙全体に時間の矢ができるとするなら。個々のエントロピー減少の事象では、個々に、時間の矢が逆向きに現れてもよさそうである。
先の積み木で考えよう。積み木が崩れるのはエントロピーの増大である。積み木を積むのは、エントロピーの減少である。積み木に手を触れないのは、エントロピーの停滞であるといえる。
様々な積み木のある幼稚園の教室でも、エントロピーの増減や停滞に関係なく時間は一定速度で一方向に流れているのがわかる。積み木には関係なく、夕方には母親が迎えに来るのである。これは、事象が先ではなく、時間の矢が先であると考えると説明がつく。
この地球上では、少なくとも事象の運動のいかんにかかわらず時間は一定に流れていると考えると、矛盾が少なくなりそうである。ニュートンの絶対時間の考え方である。