昔も今も、表向きは男の天下で、実際は女の天下かもしれませんね。なんて言ってたら怒られますね。
1 問題
落下するエレベーターの怪 (重力は見てくれで決まる)
(1) 問題
アインシュタインの考えた問題です。
ロープが切れて落下する窓のないエレベーターの中で手に持ったりんごを落とすとどうなるか。
(2) 答え
エレベーターも、中の人も、りんごも同じ加速度で落下する。
エレベーターと空気や他の接触しているものとの抵抗がなければ、おそらくこうなるでしょう。ここまでは、たぶんニュートンも、アインシュタインも同じ考えです。
ニュートンとアインシュタインは、その後の考え方が少し(本当はまるで)違うみたいです。
(3) アインシュタインの考え方
エレベーターの中にいる人がこのりんごを見ると宙に浮いているように見える。
エレベーターの中の人が、エレベーターが落下していることを知らなければ、自分や、りんごに働いていた地球の重力が消えたように感じる。
この実験から、重力が消えて見えるような観測者が必ず存在することを示している。
(このような観測者のことを、加速度系、あるいは自由落下系、と呼ぶ。系という言葉は、観測者がそこにいるというだけではなく、その観測者が、時計と物差しを持っていて、時間や長さを測ることを意味する、と定義するそうです。)
つまり、加速度運動(自由落下運動)により、重力を消してしまうことが可能なのである。
2 考察
(1) 見た目が全て
「重力が消えて見える=重力が消えた」と相対性理論ではいうけれど、そのような等式は成り立たちません。なぜなら、左辺は人間の感覚です。右辺は人間とは関係のない物理量です。両辺の基準が違います。もしこれが正しければ、「太陽が東から昇り西に沈むように見える=太陽が1日1回地球を回っている」あるいは「月が東から昇り西に沈むように見える=月は、1日1回地球を回る」も正しいことになります。あるいは、「星は月よりはるかに小さく見える=星は月よりはるかに小さい」とか、なんだって好き放題です。あの、すばらしい錬金術師たちがいた中世ヨーロッパに戻ってしまいます。ペリカンの大きな袋に頭を突っ込んで餌を食べる雛を見て、ペリカンは自分の心臓の血で子を育てるなどといっていたんです。天動説を否定したために命をなくした人もいます。またぞろ、見た目がすべてに戻るのでしょうか。20世紀の科学者が、よくこういうことをへいきで言っていると思いませんか。まあ、常識はずれが相対性理論のすばらしさですから。
(2) りんごを見つめて
上記のエレベーターで、もし重力が消えると、ニュートン力学では、エレベーターも、人もりんごも、その瞬間から等速直線運動になります。地球の重力で加速されていたのだから、それがなくなればその瞬間から加速されなくなるからです。
しかし、現実には、エレベーターは、下に衝突するまで加速され続けます。窓のあるエレベーターも、窓のないエレベーターも同じです。中の人もりんごももちろんいっしょです。こんなの常識。ニュートンの落下の法則です。
「私は浮いている。重力が消えた!これで、地面に激突しなくてすむ。助かった。」と思うのは、観測者の錯覚に過ぎません。残念ながらこの観測者は地面に激突してしまいます。見た目と事実は、同じものではありません。
わざわざ、加速度系と名づけられたこの観測者は、いったい何のために時計や物差しを持っているのでしょう。それを使った気配は少しもありません。ただすてきなりんごを見つめているだけです。観測機器をアクセサリーか何かだと思っているのでしょうか。これでは相対性理論者のいう「系」の条件を満たせないばかりか、普通の観測者にもなれません。まあ、「落下しているのを知らなければ」という条件付の観測者です。この場合、観測者の命にかかわるのはそのことだけですから、りんごの高さを測ったって何の意味もないのですから仕方ないですけどね。
(3) 窓の景色は
観測者はちゃんと測らなくてはなりません。持っている道具をひとつも使わずに、ただ見た目だけでいったい何が分かるというのでしょう。科学的な判断をするためには、見た目が本当かどうかをちゃんと測って確認しなければなりません。
重力がかかっているかどうかを見るのだから、せめて、エレベーターには窓をつけて、外が見えるようにして、スピードを測る道具くらい(地球に対しての加速度計と、宇宙背景放射に対する加速度計の2種類は最低ほしいですね)は持っていてほしいものです。
観測者が窓の外の景色を見たって、エレベーターに起こっている物理現象にはひとつも影響しないはずです。現に、前項の、「落し物は光」の自由落下しているエレベーターは、外から中がちゃんと見えます。それでも重力は消えているといっています。外から見えるのだから、中からも見えているはずです。見えちゃ困るから、マジックミラーだったりして。それとも、絶対見ないように約束したので、後ろ向きだったりとか。こうなると漫画です。
(4) 見ざる、聞かざる、知らざる
それほど窓が気になるのなら、その影響によって変化した割合を、得意の時空間座標に表して、借り物のローレンツ変換の計算式で、空間やら時間やらを収縮させて、実際の現象から取り去ればいいのです。思考実験なんだからなんだって可能です。
窓をつけたり、他の観測機器を積み込んだりしても、観測が不正確になるということはないはずです。どちらかというと、より正確になるはずです。正確では困るとでも言いたそうです。実際、相対性理論では、観測者は、一番肝心なことは絶対観測できないようになっています。観測は正確では困るのです。
この場合でも、「エレベーターが落下していることを知らなければ」ということが前提条件です。「系というのは、時間や長さを測ることである」という「系」の定義からすると、一番肝心な、エレベーターが落下していることを知らないのだから、この観測者は、自由落下系とはいえないはずです。というより、自分が落下していることすら分からないようでは、観測者とさえいえたものではないでしょう。どちらかというと、似非観測者(相対性理論に都合のいいことしか観測しないという意味で)でしょう。
いや、それでは観測者があまりにもかわいそうですね。観測者の名誉のために弁護します。相対性理論の証明をするときに出てくる観測者は、必ず、手足を縛られ、目隠しをされ、耳栓をされているのです。持っているのは、物差しと、時計だけ。しかし、決してそれさえ自由には使わしてはもらえません。相対性理論者の言うとおりに測って、言うとおりの答えを出すしかないのです。
とにかく客観的に観測しようとしても、そのための手段は全て奪われているのだから、観測者にはどうしようもありません。これは観測者が悪いわけではないのです。相対性理論を証明するときの方法の問題なのです。
この場合、エレベーターに窓があって、観測者が「自分が落下していることを知」っていたらどうなるのでしょう。そのことで、エレベーターや、観測者や、りんごの動きに変化が出るのでしょうか。ニュートンなら、変化なしというでしょう。アインシュタインは、窓があると、重力が生まれ、窓がないと重力が消えるというのでしょうか。あるいは、自分といっしょに落ちてくれるりんごがあると重力が消え、ないと重力が生まれるのでしょうか。そのときの物理法則はどうなっているのでしょう。(ニュートンはりんごがなくても万有引力を発見したはずです)やはり、見た目が全てなんでしょうか。
(5) 月とすっぽん
月は空に浮いている。すっぽんは水に浮いている。これは、地球の重力が月からもすっぽんからも消えてしまったからである。
あなたはこの意見をどう思いますか。
月は自由落下系になっているし、窓もありません。したがって、重力が消えていると相対性理論ではいうかもしれません。しかし、月の等速直線運動のエネルギーと地球と月の間に働く引力がつりあっているので、月は地球の周りを回っているという考えもあります。
月に地球の重力が働いてないように見えても、重力が働いていないと、月はまっすぐどこかに飛んでいってしまうことになります。ニュートンが発見した万有引力が働いているからです。ケプラーの法則です。太陽が落ちてこないのもそのためなのです。太陽が自由落下系になっていて、太陽の重力が消えて見える=太陽の重力が消えたからではありません。
え!すっぽんですか。もちろん浮力です。これも重力の関係です。水のほうが比重が大きいから浮いているのです。かの有名な、アルキメデスの法則です。でも馬鹿にはできません。ナサでは、宇宙飛行士の訓練にこの原理を利用しています。大きな水槽に宇宙服を着た宇宙飛行士を沈めて、無重力状態の訓練をしています。日本にも、つくば市にその訓練施設がこのまえできました。エレベーターと同じに、水も無重力を作るみたいです。この方法なら思考実験じゃなく、本当の無重力実験ができそうです。ただ、りんごは実験に使えないかも。浮いていってしまいますからね。反重力だということで、理論も、相反生理論になっちゃったり。
(6) 言葉の手品
無重力状態というのを考えてみます。これは、物理的な事実を的確に表した言葉ではありません。ニュートンの発見した万有引力は、いまのところ、弱まりながらも、宇宙の果てまで届くということになっています。少なくとも、人が観測できる範囲の宇宙には引力のないところはないことになっています。したがって、無重力は存在しません。では、人工衛星の中でふわふわ浮いているのはなぜという疑問がわきます。それを称して、たしかに無重力状態といいます。しかしこれは人工衛星の運動エネルギーと、重力がつりあっているから起こる現象です。決して重力が消えてしまったわけではありません。
綱引きで、同じ力で引っ張り合うと見た目は動きません。でも力が消えて、引っ張り合っていないこととはぜんぜん違います。ちゃんと力がかかっています。力は人間には見えないから、引っ張り合おうが合うまいが同じに見えるだけです。機器があればちゃんと違いが測れます。物理的には、綱にかかった力は熱になって空気中に発散しています。温度を測るカメラで撮ると写ります。人間の目が観測できることは限られています。人間の見た目と事実とは違うものです。
人工衛星の中では、重さが消えているように見えることから無重力状態とつけられただけなのです。見かけだけだから、わざわざ、状態という言葉をくっつけてあります。ところがいったん名づけられると言葉の持つあやふやさから、無重力状態=無重力になってしまったのです。この言葉の魔術を知ってか知らずかうまく利用して、無重力状態になると、重力が消えると錯覚させているのです。
(7) 風前の灯
エレベーターの話に戻ります。エレベーターは落下しているので、いずれ地上についてしまいます。もし、このエレベーターのロープが地上1メートルで切れた場合は、中の人の無重力状態は一瞬で終わります。中の人は、地上に着いたとき、よろめくけれど立っていられます。りんごも少し傷がつくだけでしょう。地上3メートルで切れたらどうでしょう。中の人は多分立っていられないでしょう。りんごも割れるでしょう。では地上20メートルではどうでしょう。りんごは粉々になり、人は99パーセント死んでしまいます。
では、地上1000メートルではどうなるでしょう。相対性理論の観測者は、自分がどうしてぺったんこになるのか分からないでしょう。ふわふわ浮いて無重力なのに、どうして自分や、りんごの運動エネルギーがそんなにも増加してしまったのか原因が分からないからです。でも、相対性理論のりっぱな観測者じゃなく、普通の人なら分かります。エレベーターの中で、ふわふわ浮いているのは、落ちているからなのだということが理解できるからです。そのほかにそんな状態になることは考えられないからです。恐怖で、気が狂うでしょう。
このことを、ニュートンの考えでは、地球の引力により、人や、りんごの持っていた位置エネルギーが運動エネルギーに変化したからと説明します。相対性理論では、無重力が長く続けば続くほど、運動エネルギーが増え、りんごも観測者もぺったんこになるというのをどのように説明するのでしょう。相対性理論にとって、エネルギー保存の法則も、慣性の法則も、無意味なのでしょうか。
なぜそんなことが起こるのか。それは、一人っきりだからです。相対性理論はいつも一人ぼっちです。今回も、エレベーターの中で観測者とリンゴだけです。それが全ての宇宙です。地球も太陽も銀河もありません。比較できる全てのものが存在しないのです。だから、地球に向かって落下していようが、太陽に向かって落下していようが、あるいは、中性子星に向かって落下していようが、一向にかまわないのです。中性子星の場合は、その強い潮汐力で、体はかなり引き伸ばされるでしょうけど、そんなことは相対性理論に不都合だから、この際知らん振りです。もちろん、銀河と銀河の間にぽつんと取り残されていて、どこに落ちて行くのかさえ分からなくても、関係ないのです。
同じ無重力状態でも、星の大きさや、星との位置関係によって、観測者の単位時間当たりの運動エネルギーの増加率はまるで変わってしまいます。星の引力の大きさによって、星に対する加速度はまるで違うのですから。もちろん、宇宙背景放射に対する加速度も違ってきます。でも、あるのは密閉された部屋に浮いているりんごと、りんごしか観測できない観測者だけです。エレベーターが、どれだけの加速度で動いているかは、中の人にはわからないようなしくみになっているのですからそんなことは「存在しない」というわけです。相対論はとても便利です。理論に不都合なことは全部見ないことにして、ないことで済ませてしまえるんですから。
周りの人全てがエレベーターが落ちていくのを知って叫んでいても、中の人が分からなければ、全てオオライです。でも、普通の人は彼の命が風前の灯だっていうことを知っています。
3 結論
「この実験から、重力が消えて見えるような観測者が必ず存在することを示している。」「この実験でも、重力が消えて見えない観測者が必ず存在する」両者の比率はどれくらいでしょう。勝敗は多数決にしますか。有名度にしますか。それともじゃんけんでもしますか。いっそのこと、パラレルワールドにしますか。
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