V 見た目がすべて


 「顔じゃないよ、心だよ」なんて歌詞の歌が昔ありました。ついこの前は「見た目で決めて何が悪い」というのがはやりました。今の時代は、掛け声ばかりが大げさで、自殺者と、ホームレスと、犯罪が増える一方です。いえ、道徳の問題ではありません。見てくれにだまされると痛い目にあうよということです。


1 問題  双子のパラドックス(矛盾しているようで正しい説)とは

 相対性理論には、双子のパラドックスという、それだけで1冊の本ができるくらい有名な問題があります。いろんな人が挑戦しているみたいだけど、いまだに決定的な解決方法は見つかっていません。

 決定的なチャンスというと、サッカーでは点が入らなかったときに使う言葉みたいですが、そのときは、本当は、決定できなかったチャンスというべきでしょう。野球で決定打というと、勝ちを決めた一発ということで、本当に価値ある一発になるのですけどね。まあ、双子のパラドックスでも同じようで、なかなか決定打は出なくて、せいぜい決定的チャンスです。

 この問題は、物にしろ、光にしろ、スピードが速くなればなるほど時間の経過が遅くなり、光の速さになったら時間は止まるという理論と、宇宙には絶対的な静止点がないので、全ての動きは相対的であるという二つのことから出てきた難問だそうです。

(1) 問題

 双子がいて、そのうちのひとりが光速で飛ぶロケットに乗って宇宙旅行をしてきたら、二人の年齢はどうなっているかという難問(?)だそうです。

 ロケットに乗った兄が、光の速さで飛ぶために時間が止まり、歳をとらないから若い、というのがひとつの考え。これだけならパラドックスにはなりません。
 ところが、宇宙には決まった静止点がないから、ロケットに乗った兄を基準にすると、地球にいる弟が、光の速さで向こうに飛んでいっているといえる。だから、光速で飛んでいるのは弟だから弟が歳をとらないから若いといえる、というのです。

 弟から見れば兄は歳をとらない。兄から見れば弟は歳をとらない。どちらも若いというのです。こんなことがあるわけがありません。しかし、理論から考えると間違いはありません。矛盾している、しかし正しいということでパラドックスになるそうです。

(2) ついで

 ところで、弟の周りの人たちはどうなるのでしょう。弟だけ歳をとらないのは、変に思われないかしら。大丈夫、周りの人たちも、兄から見れば光速で飛んでいるのだから歳をとりません。
 ということは地球全体の時間が止まるということです。犬も猫もミミズもおたまじゃくしも、みんなみんな仲良く歳をとらない。兄一人が光速で飛ぶと地球のみんなが若いままでいる。これはすばらしい。
 でも、残念なことに、今まで誰も光速で飛んだ人はいません。これからも、まあしばらくは光速で飛ぶ人はいないでしょう。だから、地球はここしばらくは歳をとるしかないみたいです。え!電子や、ニュートリノや、光そのものが光速で飛び交ってるって。そうですよね。でも、普通に歳をとるのがいいんじゃないですか。いざ、いつまでも若いとなると、ちょっと苦しいかもしれませんよ。


2 考察

 (1) 「不思議宇宙のトムキンス」の方法

 こういう解決方法を考えた人がいます。兄は出発するとき加速している。そして戻るためにも減速している。したがって、加速し減速しているのは兄だけである。このことが兄だけが歳をとらない理由である、と。
 「不思議宇宙のトムキンス」ではこれを、「ホームにいる人はよろめかないが、列車に乗っている人はよろめく」ということで解決しています。よろめくほうだけが加速度を受けているというわけです。加速度を受けた人のほうが時間が止まるといっています。

 でもこれでは決定打にはなりません。せいぜい決定的チャンスです。

 光速でロケットが一定運動しているときは、兄から見れば、地球が光速で反対方向に運動していると見えるなら、ロケットが加速運動しているときも、兄から見れば、弟が反対方向に加速運動していると見えるはずです。よろめこうがよろめくまいがそんなことは関係ありません。電車は床にまず力が加わるからよろめくけれど、相対性理論では物は相対的に動くというのですから、兄の眼から見たホームと人間なのだから、全体がひとつのものになって同時に同じ方向に動くのでよろめかないだけです。これは減速しているときも同じはずです。ということは、まるっきり相対的です。すると、また、どちらも若いというパラドックスに陥るわけです。上記の、加速されるほうだけ時間が止まる、では解決できないということです。(特殊相対性理論と、一般相対性理論の違いだそうです。)

 (2) 考察
  ア 相対的な状態とは

 地球に残った弟から見れば、ロケットに乗った兄は光の速さで飛んで行ってるのは確かです。反対に兄から見れば、地球に残った弟は確かに光の速さで、自分から遠ざかっているように見えます。相対性理論からいうとこれは正しいことです。でも、それが同じことか考えてみます。

 子供のころ、川のそばに住んでいました。橋の上から、下を通る船をじっと見詰めていると、そのうち、船が動いているのではなく、自分が動いているような錯覚に陥いります。それが面白くて、船が来るのを橋の上で待っていたものです。
 同じように、隣のホームの電車が動き出したのに、自分のほうが発車したように思えた経験をしたことがある人は多いでしょう。これは、加速している状態でも相対的に見えるという例です。ロケットの話はこれによく似ています。違うのは、どんなに自分が動いているように思えても、そうではないのだと知っていることです。理由は、自分がつかまっている橋の欄干が自分と一緒に動いているからです。橋が、地面から取れて動くわけはないからです。電車も、よく見ると、ホームの位置が変わらないので動いているのは向こうだと分かるのです。
 もちろん、それは基準点を地球においているからそう思えるだけで、宇宙全体に基準点が存在しないのだからどちらが動いているかは決められない、というのが相対性理論だから、これではパラドックスの解決にはなりません。

  イ エネルギーから考える

 兄が西に飛ぶことが、弟が東に飛ぶことと同じことであるという相対性理論の主張をエネルギーの問題で考えてみます。
 先ほどの船の話です。自分が動いているのか、船が動いているのかです。相対性理論ではどちらも正しいのです。でもそうでしょうか。ヒントは橋の欄干です。それには地球がくっついています。地球がそんなに簡単に動くでしょうか。
 兄が西に飛ぶとき一緒に飛んでいるのは、ロケットとそれに乗っている人や物だけです。しかし、弟が東に飛ぶときは、弟がいる地球も東に飛ぶことになります。地球が飛ぶことは、太陽も一緒に飛ぶことです。ということは、銀河系も一緒に飛ぶことです。ということは、宇宙全体が東に飛ぶことになります。もちろん、「そのとおり」と相対性理論者は言います。それこそ、常識を打ち破った相対性理論の真髄であると。

 確かに宇宙に、絶対的な静止点がないとするとそのとおりかもしれません。しかし、ロケットひとつ飛ばすエネルギーで宇宙全体が動くでしょうか。宇宙全体にロケットをつけて東に飛ばして弟を東に飛ばすことと、兄のロケットを西に飛ばすことで弟を東に飛ばすこととはその消費エネルギーがまったく違います。
 水爆を千個爆発させても地球だけでさえロケットのようには飛ばせません。なのに、ロケット1機を飛ばすエネルギーで宇宙全体を飛ばすことができるというのです。それが正しいなら、ニュートンのエネルギーの法則ばかりではなく、アインシュタイン自身が提案している、E=mcという式さえも無意味になってしまうのではないでしょうか。
 上のよろめく問題もエネルギーで考えて見ます。
 電車は、まず電気エネルギーで、モーターが回ります。それが車輪に伝わります。電車が動きます。そのエネルギーが体に伝わります。そのとき、立っている人には、足からエネルギーが伝わります。足が前に動きます。体はまだエネルギーをもらってないのでそのままの位置に残ります。よろめきます。そこで人はあわてて、踏ん張って、エネルギーが体全体にうまく伝わるようにします。体も前に進みます。電車が加速されている間は、人はふんばって足からくるエネルギーを、体全体に伝えていなくてはなりません。常にそれぞれに変化する運動エネルギーに対応していなければならないのです。いわゆる、ニュートンのエネルギー不変の法則と、慣性の法則です。
 では、そのエネルギーはどこから来るかというと、知ってのとおり、元は太陽の核融合エネルギーや重力エネルギーです。それを電気エネルギーに変化させたものです。エネルギーの根源まで途切れることなく遡れます。
 一方、ホームにいる人はどうでしょう。電車が走り出すのと同時に、電車から見ると、反対方向に、どんどん加速されながら遠ざかっていくように見えます。相対性理論からいうと、これは電車が止まっていて、ホームが動いていることになります。でも、ホームを動かすエネルギーは何なんでしょう。動いているのに、その運動エネルギーはどこからも供給されていないという不思議が出てきます。
 もしこれが可能なら、これを個々に働かせる研究をすると、モーターも、エンジンも要らない、エネルギー消費が0の究極のクリーンな交通システムができそうです。え!できるわけないって。大丈夫、相対性理論が正しければできるはずです。

ウ シンクロトロンでぶつけると

 シンクロトロンという装置で、陽子と反陽子とか、電子と半電子とかをぶつけ合って、いろいろな粒子の研究をしているそうです。このとき、一方が100ギガ電子ボルトで、もう一方が0ギガのときの衝突と、両方が50ギガ電子ボルト同士の正面衝突では、衝突エネルギーがまるで違ってくるそうです。共に衝突する現象としては、あわせて100ギガだから同じように思えますが、実際に衝突させると、片方だけが動いている場合は、衝突エネルギーには15パーセントほどしか使われないけれど、両方が動いている50ギガ同士の正面衝突では、そのエネルギーの100パーセントが衝突エネルギーとして使われるということです。だから実験装置では、両方を動かして、正面衝突させるそうです。

 相対性理論では、Aが動いてBが止まっていようが、Bが動いてAが止まっていようが、A、B共に動いていようが決められないので、同じことのはずです。ところが、実際の現象では、エネルギーで見るとこれらはまるで違っています。これは、絶対静止があると考えれば何の矛盾も生じませんが、物の動きは決められないとすると、説明が困難になってしまいます。

 物事の動きは決まっているという証拠のひとつでしょう。

3 結 論

 結論は簡単です。誰もが普通に思いつく、「ロケットで飛んでいるのは兄だから、動いているのは兄だけである」です。そうすれば何の矛盾も生じません。物は、動いているものが動いているのです。止まっているものが止まっているのです。いくら動いているように見えても、止まっているものは止まっています。
 絶対静止点に旗が立っていないからといって、それだけの理由で絶対静止が存在しないということはいえません。絶対静止を人間が知ろうと知るまいと、あるいは神様が知ろうと知るまいと、そんなことは物の動きとはまったく関係はないのです。絶対静止がなく物事は相対的であるという証拠は、絶対に現実には造ることができない条件を設定した思考実験の中の2機のロケットの世界だけです。それに反して、物の動きが絶対的である証拠は事実の世界の中でいっぱいあります。今まで述べた例にあるように、そのひとつだけでも、十分物の動きは絶対的であるといえるような証拠ばかりです。
 この地球上では、物が相対的に動いている事例は存在しません。相対的に動いているのは、みんな見かけだけ、人間の錯覚の中だけです。

 この問題について造詣の深い人の本に、この現象が現実に起こるかどうかからこの問題を論じるのは、双子のパラドックスの問題の本質を知らない人だという意見がありました。しかしそうでしょうか。この問題を提出した人は、相対性理論が現実に起こったとしたら、こんな矛盾が生じるよ、どうすると問いかけたのです。相対性理論は現実と矛盾するのじゃないかと問いかけたのです。理論と事実とのずれを問題にしたのだから、むしろ、相対性理論が現実に起こっている、あるいは、起こりうるのかを検討するのがこの問題の本質であると思うのですがいかがでしょう。この相対性理論者は、自分では、現実世界の中で物が相対的に動いているという事実をただの一つも提出できないから、現実に照らしてはだめだとごまかしているだけなのです。
 何一つ現実世界で起こっていないことを、現実世界の運動の原理とすることはできません。

 双子のパラドックスの答えは、これが決定打です。でもこれでは相対性理論が困ってしまいます。その根源である、物事の動きは相対的であるという理論が崩れてしまうからです。基礎が崩れてはその上に立てた全てが崩れかねません。でも、そのほかの答えをいくら探してもせいぜい決定的チャンスにしかなりません。なぜか。それは、相対性理論を正しいとしたからです。天動説の擁護者が、周点円を果てしなく重ねても、結局天動説を説明できなかったのと同じです。

 相対性理論が幻想4次元時空のすばらしい理論でも、人間のいるこの宇宙の営みは、旧態然とした現実3次元空間の法則で動いています。
 どんなすばらしい理論だって、事実と違うなら、理論のほうが間違いなんです。科学はシビアなはずです。でも相対性理論だけは、事実のほうが間違いなんですよね。事実などという常識を打ち破ったところが、アインシュタインのすばらしさなんだから。ポントコロンダ。

追記

「ロケットで飛んでいるのは兄だから、動いているのは兄だけである」としたら、兄は弟より若くなるか
 

  この問題がでてくるので考えてみます。
特殊相対性理論では、速度が上がると、時間が遅くなるということだから、兄の時間が遅くなり、兄は歳をとらないことになります。
では兄は弟より若くなるかを考えてみます。
1 思考実験の条件設定
 西暦3000年1月1日に兄はロケットで飛び出して、地球で30年経過したときに帰ってくるとする。
 兄は亜光速で飛ぶためにその間に2年間しか時間が経過しないとする。
2 思考実験の結果
 弟のいる時刻は西暦3030年1月1日である。
 兄のいる時刻は西暦3002年1月1日である
3 考察
 兄のロケットはどちらの時刻の地球に着陸するのだろうか。
 (1) 兄の時刻に合わせると西暦3002年1月1日の地球に着陸することになる。
   地球はそのとき、すでに西暦3030年に行ってしまっているから、そこにはないはずである。もしあるとすると、地球は、西暦3002年と3030年に同時に二つ存在することになる。
 そのとき兄は3002年1月1日の弟と再会するから、同じ年である。しかし、同時に3030年1月1日の地球上の弟も存在するから、兄は一人でも、弟は二人存在することになる。
 (2) 弟の時刻に合わせるとロケットはどこに着陸するだろう。
    地球は西暦3030年1月1日にいる。しかし兄はまだ3002年1月1日にしか到達していない。したがって、兄は弟のいる地球には着陸できない。
4 結論
 このことから、兄はいわゆるパラレルワールドに入っているとしか言いようがなくなる。
ところでパラレルワールドは、漫画か空想科学小説の中だけにしか存在しない。今のところ科学の分野ではない。
 速度によって時間の速さが換わることがあったら、すべての物は兄のようにどちらの地球に着陸したらいいのかわからなくなる。
独楽を回して遊びましょ
あちらをたてれば
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