アインシュタインいわく
「真空中の光の速度は、何に対しても秒速30万キロメートルである。」
この章は特殊相対性理論のことが中心です
T 問答無用(同時刻の相対性)
なんかややこしくなったら、「問答無用」とやっつけちゃえばいいんです。だいたい世の中勝ったものが正しいんだから。日本のだって、世界のだって、歴史を見るとそうなってます。人間てまあその程度のものなのです。せいぜい、猿に毛が3本余計に生えただけですから。
1 問題 「光の速さは一定である」ということの相対性理論の定義
光の速さが一定であるということには、二つの定義があります。
ひとつは、光速普遍です。もうひとつは光速度普遍です。相対性理論では、2番目の、光速度普遍を原理としています。
(1) 光速普遍( 絶対静止に対する速度・ニュートンです)
「真空中の光の速度は常に30万キロメートルである」ということです。
ジェット機の出す光も、車のライトも、ヒトの持つ懐中電灯の光も、家の中の光も、みんな同じ速さということです。
これは、光源の速さや、観測者の速さは光の速さに影響しないということです。正確には、「光源の速度にかかわらず、光は真空中を常に秒速2億9979万2458メートルで進む」ということです。これは相対性理論と似ていますが、似て非なるものです。どちらかというと、絶対速度なので、相対性理論とは相反します。絶対速度2億9979万2458メートルがあるということは、絶対速度0メートルがあるということです。第1章で述べたように、相対性理論では絶対静止はないということが基本原理だから相容れないことになります。
(2)光速度普遍 (観測者に対する速度。あるいは、あらゆる物に対する速度・アインシュタインです)
どの観測者に対しても光は同じ速さである。秒速10センチで動いている人にも、秒速10万メートルで動いている人にも、光は秒速2億9979万2458メートルで近づき、2億9979万2458メートルで遠ざかる。もちろん、10万キロメートルで光とすれ違うものにも、併走するものにも、直行するものにも同じです。その他、どんなものにでもです。
常識で考えるとこんなことはありえないことです。しかし、この常識を打ち破ったところにこそ相対性理論の真髄があるというのです。
アインシュタインはこれを、「真空中の光の速度は、何に対しても30万キロメートルである」と定義しました。そして、「なぜそうなのかを、問う必要はない」としっかり予防線も張っています。どうして予防線が必要かって。証明できなかったからじゃない。「問答無用」というわけです。
(3)光速度普遍が引き起こす現象
こんなことが起こるとアインシュタインは説明しています。
走っている列車の真ん中で、ある人が光を出します。この人に対して、列車の前後の壁はいつも同じ距離にあります。光は、光速度普遍の原理でこの人に対して同じ速さで前後に進むので、光は同時に前後の壁に当たります。
しかし、同時に、この列車の外でこの光を見ていた人には違って見えるそうです。
光は、この外の人に対しても同じ速さで進むので、この人から前後に同じ時間に同じ距離だけ進みます。しかし、その間に、この人に対して列車は前方に進んでいるので、光は後ろの壁のほうに先に当たります。
列車に乗っている人から見ると、光は前後の壁に同時に当たるのに、同じ光を外で見ている人には後ろの壁に早く当たります。矛盾が生じます。
このように、同じ現象が、観測者の立場によって同時刻であったり、同時刻でなかったりします。これを、「同時刻の相対性」というそうです。速度によって時間が狂うということの証明だそうです。(この、「同時刻の相対性」はこのあと何度か出てきますので覚えていてください)
アインシュタインはそういうけれど、本当にこんなことが起こるのでしょうか。これは、哲学的には証明になっているかもしれないけれど、科学的には証明になっていません。なぜなら、これは、頭の中で考えただけのことです。本当の実験ではありません。だから、この実験を本当にやったら、このとおりになるかどうかは分かりません。本当の実験というのは、なかなか予想どおりにはいかないものなのです。そこでもう少し考えていきます。
2 考察
(1) ニュートンの慣性の法則と光速度普遍との比較
この現象は、ニュートンの慣性の法則でいわれている現象とそっくりです。
比較してみます。・
列車の真ん中から、前後に同時にピストルを発射します。するとピストルの弾は前後の壁に同時に着きます。このとき、列車の外の人も同時にピストルを撃ちます。すると弾は後ろの壁に先に着きます。
このように、現象的には、光速度普遍も、慣性の法則もそっくり同じです。違いは、理由が光速度普遍か、慣性の法則かということくらいです。
発射した装置の速度の影響を受けるピストルの弾と(慣性の法則)、発射した装置の速度の影響は受けない光(光速度普遍の法則)とがどうして同じ現象を起こすのでしょうか。不思議なことです。そこでもう少し考えてみます。
(2) 光速普遍と光速度普遍の比較
秒速10万キロで飛ぶロケットを考えます。その真ん中で光を出します。
光速普遍だと、光はロケットの速度と関係なく秒速30万キロで飛ぶので、前方の壁に相対的に20万キロで接近し、後ろの壁に40万キロで接近します。したがって、後ろの壁に先に着きます。これを外から見ていても、やはりそっくり同じに見えます。同じことが同じに見えるので、「問答無用」などと大きな声を出す必要は少しもありません。
一方、光速度普遍だと、真ん中の人に対して前後に30万キロで進むので、前の壁にも、後ろの壁にも30万キロで接近します。したがって、列車のときと同じで、光は前後の壁に同時に当たります。
これを外から見ると、外の人に対して光は前後へ30万キロで進んでいます。その間にロケットは10万キロで進んでいるので、光は後ろの壁に先に当たります。光速度普遍で考えると、中と外では違って見えます。壁につく時刻が中と外で違う、先ほど説明した同時刻の相対性です。同じひとつのものを見ているのに、ぜんぜん違っています。すると、やはりどうして違って見えるのと訊きたくなります。答えは、「そうだからそうなんだ」です。ここで普通はお手上げです。歩みよりはありません。
(3) 光速度普遍が正しいという理由について
相対性理論だからとても難しいはずです。ところが、アインシュタイン自身は、事実なのだから理由はいらないといっています。とても簡単です。
マイケルソン=モーレーの実験で確かめられたと人によっては言いますが、アインシュタイン自身は、このことについて否定しています。でも、そこから出てきた、ローレンツ変換は、相対性理論の中心になって、時間や距離を縮めています。この式が難しいみたいです。
そこで、マイケルソン=モーレーの実験について考えてみます。
この装置は、地球の自転方向とそれに直角方向に光を飛ばして、反射させ、かえって来た時間のずれを測る装置です。実験の結果、同時にかえってきたということです。だから、光速度普遍がいえるということだそうです。
しかし、そうでしょうか。この装置は、動いていても、止まっていても、ガリレイの相対論から考えると、常に長さは変わりません。すなわち距離は一定です。光の速度も、同じ光を分岐させるのだから同じです。そして同じところで分岐して、同じ距離を進んで同じ分岐点に戻る装置なのだから、光の進んだ距離は同じになるはずです。同じ距離を同じ速さで進むのだから同時に出発した光は、同じ所に同時に戻ってくるのは当たり前です。1の⑴の、光は真空中を一定の速さで進むという、光速普遍だけでも十分説明できます。このことからは、光の速度は、観測者の速度に合わせるという光速度普遍は出てきません。したがって、距離も時間も縮める必要はありません。
(4) ロケットの中の観測者にはどう見えるのか、思考実験
ア 観測手段1
まず、マイケルソンたちの考えた実験の模倣をして見ます。前後の壁に鏡をつけて、戻ってきた光を中央で干渉させて見ます。
@ 光速普遍が正しいとしたとき
光は絶対速度です。壁も観測者も光と関係なく動きます。
光が光源から壁に向かっているときは、先ほど述べたように前方の壁との距離の方が実質的に長くなって光は後方の壁に早くつき反射します。しかし帰りはそれとはそっくり逆になって、後方の壁から観測装置までの距離の方が長くなるので、後方の光の方が遅く戻ってくることになります。そうすると往復でかかった時間は相殺され、同時に観測装置に戻ることになり、干渉縞は現れません。
A 光速度普遍が正しいとしたとき
相対性理論では、同時に前後の壁に着き、反射され、同時に中央に戻ってきます。アインシュタインに言わせれば、「なぜそうなるかは問う必要はない。」です。
B 結果
相対論でも、古典力学でも中央で観測する限り干渉縞が現れないのは同じです。したがってこれではどちらの壁に早く到達したかは観測できません。
イ 観測手段2
そこで、壁に時計を置きます。中央で合わせてから、前後の壁に置きます。光が当たったらその瞬間に止まるようにセットします。そして、その時刻を望遠鏡で読みます。さてどうなるでしょう。
@ 光速普遍だけが正しいとしたとき
後ろの壁の時計が早く止まります。
A 光速度普遍・相対性理論が正しいとしたとき
同時刻で止まります。
B 結果
どの意見を正しいとするかで結果が違ってきます。なぜなら思考実験だからです。実験者の判断が実験のすべてだからです。ほんとうの実験をやるとどうなるのかは、やってみないとわかりません。
(5) 音と比べてみます
音と比べると、音ともよく似た現象であることが分かります。
歩いている人の声も、マッハ2で飛ぶジェット機から出た音も同じマッハ1で空気中を伝わります。音は音源の速度によって伝わる速さは変化しません。光もこれとよく似ていて、光源の速度によって光の速度は変わりません。これはアインシュタイン以前に見つかっている現象です。
これは、音も光も振動であるのでそのものは慣性質量を持たないから、音源や、光源の速度を運動エネルギーとして保存できないからでしょう。
ア 音の伝わり方を考える
超音速のコンコルドの中で話しても、話は普通に通じます。コンコルドは音速の3倍で飛ぶとかいうので、話し声は後ろに残されて前の人には聞こえないように思えます。でも、普通に話すことができます。真ん中で出た音は前後の壁に同時に着きます。相対性理論の光速度普遍の現象と同じようです。でも、仕組みはまるで違います。話し声は空気を伝わっていきます。音速は、その媒質、この場合は空気に対する速度です。
コンコルドの内部の空気は機体といっしょにマッハ3で飛んでいます。コンコルドの速度は空気が保存します。声はこの空気の中をマッハ1で伝わるので、中の空気を基準にして、前方へも後方へもマッハ1で伝わります。音はその空気の振動だからそうなります。したがって、真ん中で出した声は前後の壁に同時に当たります。
外から中の音を測定すると、声は、前方へマッハ3+マッハ1すなわちマッハ4で飛んでいきます。後方へ向かった声はマッハ3−マッハ1、すなわちマッハ2でやはり前方へ飛んでいきます。声は飛行機とともに飛んでいってしまいます。同じものを見ているのだから、外から見ても中から見ても同じになるのはあたりまえです。
一方、コンコルドが外部に出す音は外の空気の中を進むので、コンコルドにおいていかれます。外の空気は秒速3とか4メートルなので、外に出た音は、前方へマッハ1±3か4メートル、後方へマッハ1±3か4メートルとなり、外の人の音速になります。だから、コンコルドの真ん中から外に出された音は後ろには到達しますが、前には到達しません。これは、同時刻の相対性で、外の観測者が見た光の現象とよく似ています。光速度普遍はこのことから類推したのじゃないかと思えるくらいよく似ています。でも、先ほど説明した、慣性の法則ともそっくりなのでどちらを参考にしたのかは本人に訊かなくては分かりません。でも訊けたとしても、「理由はいらない」というでしょうが。まあ、音の場合も、空気を媒介にした、慣性の法則と考えられるので同じといえるのですが。
イ 考察
なぜ音が伝わる現象が相対性理論の光速度普遍の現象とよく似た結果が出るのか考えて見ます。
ともに、波だからというのが共通点です。違う点は、光には光を伝える媒質がありませんが、音には空気という媒質があることです。
音は、空気の動きと連動して動きます。だから、飛行機の中では、空気も飛行機と同じに動いているので中央から出た音が前後の壁に同時に到達するのは説明がつきます。この場合、飛行機の運動エネルギーを、慣性質量のある空気が保存し、間接的に音に伝えていると考えられます。
しかし、光には媒質がありません。したがって、ロケットの動きを光に伝えるものはなにもありません。光はロケットの速度に影響されずに独自の速さで動く(光速普遍)はずです。光速度普遍は成り立たないはずです。相対性理論者は、少なくとも、「なぜそうなのかを問う必要は」あります。
3 結論
現在の人の最高速は、地球の飛ぶ速さ、秒速400キロメートルといわれています。光の速さ30万キロメートルに比べたらあまりに小さいので、光との相対的な速度の変化を肌身で感じることはできません。しかしこれだけあれば、機械なら十分測定可能です。したがって、光速度普遍が正しければ、光が地球に対して相対的な速度を変えていないことが測定できるはずです。そうなれば、「事実だから、理屈は無用じゃ」と大見得を切っても大丈夫です。ところが、現実は、反対に光が地球に対して速度を変えている現象がいくつか観測されています。特殊相対性理論の根幹である「光速度普遍」は事実ではないという証拠なのに、なぜか誰も問題にさえしません。(詳細は後述)
いつか、光速ロケットができた暁には、「え!後ろの人が消えた」ってことになるかも知れません。
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