第1章 物体の運動は相対的である

 宇宙には、絶対的な静止がないので、全ての物の動きは決められないというのです。とにかく相手次第だというのです。この章では、そうなると現実社会でどのようなことが起こるかを考えてみます。


T 世界は踊る(あるピアニストの迷演奏会)

 子供のころ、赤い靴という童話を読みました。赤い靴を履いてお葬式にいったばっかりに、踊り続けなければならなくなった女の子の話です。物事が相対的なら、こんな怖いことがあなたの身にも降りかかってきますよ。 


1 問題 ロケットがすれ違うと(全てが相対的なわけ)

 アインシュタインの相対性理論では、すべては相対的に動くと定義されています。
 そのわけは、こんなことだそうです。
 宇宙空間で2機のロケットがすれちがいます。ほかになにもありません。すると、このロケットの動きは決めることができないというのです。
 Aのロケットから見れば、Bのロケットが動いています。Bのロケットから見れば、Aのロケットが動いています。だから、どちらが動いているかは決められないというのです。基準がほかに何もないので、自分たちのロケットを基準にするしかないからだそうです。基準の取り方しだいで、どちらも動くそうです。
 アインシュタインは、宇宙空間には何もないので絶対静止点は存在しないと考えて、このような結論がでたそうです。アインシュタイン以前には、宇宙空間にはエーテルというものが満ちていて、それが絶対静止であると考えられていました。アインシュタインはこのエーテルの存在を否定しました。行きがかりじょうかどうかは分かりませんが、いっしょに絶対静止もなくなりました。
 ニュートンの場合は、宇宙には絶対静止があると考えて、運動はそこから測る事ができるので、おのずときまっていると考えていました。ニュートンの場合、エーテルではなく、バケツの中で渦巻きを作ると渦の周りが盛り上がるのを見て絶対静止があると考えました。りんごを見て万有引力を考えたり、彼の場合はとても日常的なことから考え始めるみたいです。

 この渦巻きの問題は、相対性理論で解くには少し難しかったみたいです。なるほどという回答にはなっていません。素人目にはちょっと苦しいんじゃないという感じです。全般的に、相対性理論は高尚すぎるのか、日常的なことにはかなり弱いみたいです。そこらに転がっている問題はニュートンでも十分間に合うからそちらでやってくれという感じです。じっさい、みんなもそんなふうにやってるみたいです。

(1) ニュートンの考え方。

 絶対静止が存在するという考えが基本にあります。
 上のロケットで考えると、@ Aが動いていて、Bが動かない。か、A Bが動いていてAが動かない。か、B AもBも動いている。の3つの場合が考えられます。すれ違うのだから、両方止まっている場合はありません。
 3つの場合があっても、実際は、どれかひとつに決定されます。@でもあり、Aでもあるということはありません。必ず、どれかひとつです。つまらないくらい常識的です。

(2) 相対性理論の考え方

 絶対静止が存在しないということが基本にあります。
だから、@ Aが動いていて、Bが動かない、か A Bが動いていてAが動かない、かの二つの場合を考えます。宇宙に二つしかないからAを基準に考えるか、Bを基準に考えるかしかないので、両方動くと両方止まっているはありません。基準は動かないのでそうなります。
 しかも、どちらが動かないかは誰にも決められないので、@とAはどちらも同時に存在します。不思議な世界です。とても楽しい非常識の世界です。

(3) 光

 この問題では、2機のロケット以外は何もないので、基準が存在しないことになっています。しかしもうひとつあります。それは、ロケットから出る光です。互いのロケットを観測するということは、光があるということです。するとロケット以外にも、この光を基準にすることができます。

 しかし、光を基準にすると、また問題が出てきます。光の性質です。相対性理論では、光の性質は光速度普遍です。したがって、光は2機のロケットがどのように動いていようが、それぞれ30万キロの相対的速度を常に持ちます。光はAに対しても30万キロで進み、Bに対しても30万キロで進んでいることになります。ところが、相対的に動くとすると、同じ光に対して、Aも、Bも光の反対方向に30万キロで進むということがいえるので、AとBとがすれ違っているにもかかわらず、同じ方向に同じ速度で飛んでいるという奇妙な現象がおきてしまいます。

 一方、光の性質を光速普遍(普通の考え方)とすると、光は宇宙空間を30万キロの絶対速度で進みます。したがって、その光に対しての相対的なロケットの速度が測れます。そうなると、ロケットは相対的な動きはやめて、それぞれ好きなほうに好きな速さで飛んでいってしまいます。まるっきり一般世間の現象になります。お父さんも、お母さんも、娘も、息子も好きなときに、好きなところへてんでばらばらに出かけていきます。え、お父さんは会社に縛られてるから違うって。


2 考察  ピアノコンサート

 そこで、アインシュタインの言うように、物事がすべて相対的に動くとすれば日常生活がどのようになるかを考えてみたいと思います。


 ピアノのコンサート会場のことです。無名のピアニストがピアノを演奏しています。とても上手です。とても上手でも有名になれるとは限りません。ピアノを上手に弾く人はたくさんいるのと、ピアノをふだん時間を割いてまで聞きに行こうという人が少ないということもあって、とても上手だからというくらいではなかなか有名にはなれないのです。
 それでも、コンサート会場はほぼ満員です。これはかなり矛盾した話ですね。
それはおいといて、これから本題です。でも、もっと矛盾した話になるかもしれません。
まず、ピアニストの左人差し指だけを考えます。見事に移動しながら鍵盤をたたいています。無名でも技術はなかなかいっちょまえです。
 そこで相対性理論です。ロケットと同じ考え方です。指が動いていると見えるのは、鍵盤が基準になっているからです。反対に指を基準にすると、指が止まっていて、鍵盤が動いていることになります。

 したがって、左人差し指を基準にすると、左人差し指はじっとしていて鍵盤が左右に動いて、すばやく上下して左人差し指をたたいていることになります。すばらしい鍵盤です。地方の小さな町の小さな文化ホールだけど、バブルのころに買い込んだピアノだから、それなりにお金は積んでいるのでしょう、見事なリズム感です。
 今度は右手人差し指も考えましょう。指を基準にすると、やはり鍵盤は、左右に動きながら見事に右手人差し指をたたいていることになります。流れるように見事な鍵盤の動きです。
 ところが突然困ったことがおきました。両手が同時に左右に開いてしまったのです。左手が左に、右手が右にです。したがって左人差し指を基準に取ると鍵盤は右に動きます。右人差し指を基準に取ると、鍵盤は左に動きます。鍵盤はどちらに動いていいかわからなくなってしまいました。動こうにも動けません。
 いかにバブル期に金に糸目はつけず、と買ったピアノでも、同時に右と左に動けといわれてもさすがにこれには対応できません。とたんに、今度は両方の指が鍵盤をたたきながら近寄りだしたのです。今度も、また同時に右と左です。それどころではありません。その間にもほかの8本の指も動き回っています。そのそれぞれの指に合わせて鍵盤は激しく上下しなくてはいけません。それも、上がる下がるが同時なんだからたまりません。指は軽いからさほど力はいらないけれど、鍵盤はピアノがくっついているから重いのなんの、それを十本の指の動きに合わせて上下左右に同時に震動させるのだから、もう、大変。その上、ペダルを押す脚の動きにも答えなくちゃならないし、体の動きに合わせなくちゃならないし、高ぶってドコドコ動く心臓の動きにも合わせなくちゃならないし、流れ落ちる汗の動きにも合わせなくっちゃならないし、(汗の場合はどうなると思いますか。体を基準に取ると、汗が下に落ちます。普通です。ところが、汗を基準に取ると、汗はじっとしていて、体が上っていくのです。もちろんそれに合わせて、ピアノも、ステージも、その他もろもろもです。相対性理論はすごいこと考えますね。)身(ピアノ)一つではとても持ちません。その上に演奏家の体内を流れる血液の赤血球が基準になったらそれこそ大変です。ぐるぐる演奏家の体の形に動かなくてはなりません。それも、からだはひとつもじっとしていないのだからたまったものではありません。特に、激しく動いている指の中の赤血球の動きに合わせるのは至難の業です。その赤血球の数の多さときたらとても数え切れません。でもえこひいきはできません。その一つ一つにあわせてピアノはぐるぐる回ります。
ところが動いているのはピアニストばかりではなかったのです。何百人もの聴衆がいるのです。聴衆はじっと聞いているだけだから無視していいかと思ったら、これが少しもじっとしていないのです。リズムを取ったり、もそもそ動いたり、咳をこらえて、喉がびくびくしていたりと、まあ百人百様なんです。なんてったって、この人たちの鼓膜の振動に合わせて反対方向に震えなくてはならないのが大変です。どの鼓膜も少しずつ向きが違うから、これの全てを満たすためにあらゆる向きの振動を同時にこなさなくてはならないときています。
 そのうえかれらは息をしています。その空気のゆらゆらと動く流れにも合わせて動かなくてはなりません。激しい動きばかりならまだしも、そこにほとんど不確定に近いゆらゆらした動きを取り入れなければならないんだからこれは大変です。


3 結論  世界は踊る 

 子供は「ピアノは一つも動いてないよ。」と言いました。でも、物理学者は答えます。「それは、君もピアノとそっくり同じに動いているからピアノは動かずに演奏者が動いているように見えるだけなんだよ」と。そうなんです、踊っているのはピアノだけではありません。ピアニストの指に合わせて、子供が踊ります。周りの人もみんな踊っています。会場まで踊っています。会場がくっついている地面も踊っています。そして、世界中がピアニストの指に合わせて踊りだします。人も、鯨も、象も踊ります。南極海の氷の間に生んだ卵を守っている小さなはぜも、音楽は聞こえないけど踊っています。水深3千メートルもある深海の、漆黒の闇の中でも、かすかに光りながら、くらげがピアニストの指に合わせてめまぐるしく踊っています。そのくらげを今まさに食べようと、口ばっかりになった深海魚も踊っています。なんと平和なことでしょう。

 物事の動きが相対的であると、こんなへんちくりんなことが起こります。アインシュタインの考えた、ほかに何もない宇宙空間ですれ違う2機のロケットなら、彼の言うようにどちらが動いてもいいかもしれません。でも、現実の宇宙空間にはそのような場所はひとつもありません。現在人間が観測できる全ての場所は、無数のものがいろいろな方向に動いています。相対性理論のロケットにしたって、さまざまな機械が中で動いているはずです。乗っている観測者一人だって、肺も目玉も心臓も血液も動いています。ロケットで実験する限り1対1の対応はできません。ロケットの中は、結局、上に書いた演奏会のようになってしまいます。それでは、2個の鉄の玉をすれ違わせたらオーケーかというと、鉄の中でも電子が無数に動き回っています。やはり1対1は無理です。いっそ、電子どうしをすれ違わせたらよさそうです。でも、それでは観測のしようがありません。実験なのだから観測できなくては何にもなりません。しかし、観測機器を設定したらそれに対しての相対的な動きが出てきます。どんなにがんばっても、ほかのものが何もないという実験場は現実世界の中には作ることができません。そんなことができるのは思考実験の中だけです。

そのうえ、相対性理論では空間というものが存在することになっています。相対性理論の空間は、重力で曲がります。光を曲げます。時間を遅くしたり止めたりします。とすると、2機のロケットがすれ違う宇宙空間にもこの空間が存在します。すなわち3つのものが存在することになります。したがって、おのおののロケットはこの空間に対する速度も考えなければなりません。
 @の考え
  Aのロケットを基準にすると、Bのロケットが動いていると同時に、空間も動いている、と考えて見ます。
 Bのロケットを基準にすると、反対に、Aのロケットと、空間が動いています。
 したがって、基準を変えるたびに、空間は右へ行ったり左へ行ったりしなければなりません。 これは、列車から見た景色の見え方とよく似ています。上りの列車と、下りの列車がすれ違うとき、上りの列車からみると、景色は神戸方向に、下りの列車から見ると、景色は東京方向に動いているように見えます。景色は基準を変えるだけで反対方向に動いているように見えます。でも、これはそう見えるだけで実際に動いているわけではありません。ニュートン力学ではこれを、景色が動くとは考えません。人間の目の錯覚と考えます。
 しかし、相対性理論ではこれを実際の動きと考えます。すると、2機のロケットの周りの空間は同時に右と左に動いていることになります。ピアノコンサート会場の矛盾と同じことが起こります。
 Aの考え
 空間は動かないとします。
 Aのロケットを基準にすると、空間は止まっていて、Bのロケットだけが動いています。Aと空間は止まっています。Bを基準にすると、空間は止まっていて、Aだけ動いています。すると、Aを基準にすると、Aと空間の相対的動きは0になり、Bを基準にするとAと空間は相対的に動き出すということになります。Aは、空間に対して、同時に、動かないと動くの両方の状態にあることになります。やはりピアノコンサートの会場と同じことが起こります。
 Bの考え
 空間を基準にします。
 AのロケットもBのロケットも、空間に対して動きます。どのように動くかというと、2機とも空間に対して同じ方向に動くのではなく、ぶじすれ違います。しかし、空間を基準にするということは、空間が止まっているといういうことになります。すると、空間が絶対静止になってしまいます。絶対静止に対して、2機のロケットがかってに動いています。絶対静止がないという相対性理論ではなく、絶対静止があるというニュートンになってしまいます。
 @でもAでもBでも、相対性理論は矛盾だけになってしまいます。また、空間はなにもないのだから空間をこの場合基準としては考えなくていいというのなら、時空を基準とするというのがニュートンと違う、新しく、かつすばらしい考え方であるとする相対性理論は破綻してしまいます。

 相対性幻想四次元時空では物事は相対的に動けても、この現実三次元世界の事物は、相対的には1ミリだって動けないのです。
 このように、現実だけでなく、空想の中でさえできない実験が特殊相対性理論の根幹なのです。
(あとででてくる、一般相対性理論のエレベーターの実験も同じです。空想の中でさえ矛盾だらけです
。)


 王様の着物はとても美しいけれど、だれにも触れません。

ポントトンデケ。

相対性理論とニュートン力学
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