アインシュタインは裸の王様
 宇宙論を見ていると、よくアインシュタインが出てきます。そして、この人が出てくると、理解するのが難しくなります。この人が出てこない宇宙の話もいっぱいあって、そういう本を読んでいると、地に足がついているなという感じがします。わざわざ、ニュートンやケプラーの法則で十分間に合うのでそちらでやります、ということを断っている本もあります。普通に運動している宇宙のことはそれで十分説明がつくそうです。
 アインシュタインの相対論は、常識を打ち破ったところが天才的なのだということです。だから、常識で考えてはだめだそうです。相対論が出たとき、この考えを理解できる人は世界中に13人(?)しかいないだろうと、まことしやかにささやかれたと言う伝説があるくらいです。現在もこの亡霊がさまよっているみたいです。特に13日の金曜日には。
 少なくとも、物理学を志すものはこれを理解できなくてはならぬ。これを理解できぬものは、頭が悪い、物理学をやる資格はない。とまではいかないにしても、これが理解できたということは1級試験に合格したようなところがあるんじゃないのかなあと思ったりします。
 重力レンズのところでも話したように、すわ、アインシュタインリングだということで、普通に考えると出てくる光の曲がる理由を検証しないどころか、そんなことを問題として提出すること事態が非常識(え?)なんだという様子さえ見られるのが、なんだか裸の王様っぽく見えてしまうわけです。
 でも、そうとばかりはいえなくて、本当に信じきってるとこあるみたいです。たとえば、重力赤方偏移や重力波を一生懸命見つけようとしていたりします。それはそれでいいんですが、重力で空間が曲がるなら、遠い宇宙ではなく、観測しやすい近くで普通に見つかっていいはずなのに、見つかりません。するとそういう現象が近くでは起こっていないからだとうまくかわします。そればかりか、そういう現象はとてもまれだから、あるいは特別な条件が整わなければならないから、普通には起こらないので観測できないでしょうと最初から予防線を張ってあります。だから、ほとんどの人がアインシュタインの理論が間違っているのかもしれないとはまるで考えないのです。
 そこで、常識で判断するのが間違いだという相対論を、常識で考えてみたいと思います。本当は裸じゃないのというわけです。とってけぽん めでたしめでたし。
03年12月17日 並刻記 

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  相対論の問題点